第5話 一度目の人生・完成したそれは
「んー、口で説明するより、実際に使ってみたほうが早いかしらね」
ウィスティリアはちょっと小首をかしげて、それから、一番わくわくした目で見つめてくるメアリーに笑いかける。
「メアリー、右手を出してくれる?」
「えっと、右手、ですか?」
「そう。テーブルの上においてみて」
「は、はいっ!」
湯煎をしたときのボウルに残っていたオイルを、ウィスティリアは自分の指で掬った。それから、メアリーの手を取り、手の甲に擦りつける。
「手荒れ防止のハンドオイル……に、香りをつけたもの、なんだけど。どうかしら」
ウィスティリアも自分の指に鼻を近づけて、匂いを嗅いでみた。
薔薇の甘い香りにリンゴとオレンジの爽やかさがうまい具合に混ざっている。
だが、オイルの出来としては今一つというところだ。ちょうど良い硬さになっていない上に、かなりべたつく。
「うーん、香水ほど強い香りは移らなかったけど。ほわーって感じで、これはこれでありかしら……。固まり具合もみつろうを入れたからもっと固くなると思ったけど、オイルが乳化しただけな感じねぇ……。量が足りなかった? それとも、まだあたたかいから固まりきっていないだけかしら?」
手を見ながら、考えていたウィスティリア。
メアリーは、じっと自分の手を凝視した後、いきなり「すごいですお嬢様っ!」と叫んだ。
「塗っていただいたところがテカテカすべすべですっ!」
「本当はね、夜寝る前に手に塗るほうがいいらしいわ。日中だとべたべたして仕事に差し障るかもしれないから。あと、肌に合わない場合もあるようなの。もしも肌荒れしてしまったら、肌には塗らないでね」
「へえ~」
「あ、あと一応、食べたり飲んだりはしないでね」
「はーいっ!」
キラキラした瞳で、自分の手をじっと見たり、鼻を近づけて匂いを嗅ぐメアリー。
そんなメアリーを他の使用人たちも取り囲む。
下級使用人だけでなく、ウィスティリアの母の侍女であるジャネットまで、メアリーを羨ましげに見ていた。
ナジームやブレンダンという男性下級使用人、執事のアンソニーも興味津々である。
メアリーと同じ雑役メイドのモーリンは、遠慮なくメアリーの手を取り、鼻を近づけて香りを嗅いでいる。
「香水みたいにキツクはないけど、なんか落ち着くっていうか、いい香り……」
「ねー、癒される~」
メアリーとモーリンがきゃあきゃあとはしゃぐ。
ハンドクリームの完成度としては、たぶん、低い。商品化できるほどではない。
だが、個人的に使う分には問題はないだろう。
「メアリー、モーリン。それ、気に入った?」
「はいっ!」
「素敵です!」
「よかった。それあげるから、使ってね」
二人に小瓶を一つずつ手渡した。
「え、え、え、お嬢様っ! いいんですかっ⁉」
「っていうか、これ、こんなすごいの頂いていいんですか⁉」
「十二個に分けて作ったでしょ。我が家の使用人のみんなは十一人で、あと家庭教師のグラディス先生の分で合計十二ね。みんなに使ってもらえたら嬉しい」
驚く使用人たち。
そんな彼ら一人一人に、オイルを入れた小瓶を手渡していく。
「はい、アンソニー。それからエドとケヴィン、ナジーム、ブレンダン」
厨房に集まっていた男性使用人たちにも配布した。
自分たちももらっていいのかと、少々戸惑いながらも、嬉しそうに受け取っていく男性陣。
「それからジャネット、ダフネも。はいどうぞ」
女性使用人たちは、喜色満面を隠さない。
手荒れが軽減するハンドクリームというだけでも嬉しいが、それよりも。
「香水とか、雑役メイドのお給料じゃあ買えないし、買っても付けて出かけることなんてできないし」
「香水よりも、穏やかで優しい香り! すっごく嬉しいですお嬢様っ!」
きゃあきゃあと、手を取りあってメアリーとモーリンが喜ぶ。
それを「騒ぐなんてみっともない」と咎めるダフネの頬も、実のところ緩んでいる。
「えっと、ここに居ないのは……」
ウィスティリアの父親であるリード子爵専属の従僕テレンス。庭師のトム。それからウィスティリアの家庭教師であるグラディスの分の小瓶が残っていた。
それを、まとめて、ウィスティリアは執事のアンソニーに手渡す。
「……アンソニー。これ、隙を見てテレンスとトムとグラディス先生に渡してくれる? リリーシアに見つからないようにこっそりと」
「ウィスティリアお嬢様……」
「お父様にもお母様にも内緒よ」
リリーシアに見つかれば奪われるかもしれない。
言外にそう伝えれば、それはアンソニーにもこの場にいる他の使用人にも伝わったようだ。
「あ……、お嬢、さま……」
嬉しさや物珍しさに沸き立っていた空気がすっと冷えた。
「あのね。わたし、このオイル、作っていて楽しかったの」
その空気を変えるように、敢えて明るい声でウィスティリアが言う。
「わたしの持ち物は、ほとんど全部リリーシアに奪われてしまっているから、わたしには何も残っていない。そう、今までは思っていた」
「お嬢様……」
「グレッグ様からの花束は、奪われはしなかった。だけど、ひしゃげて潰れて、無残なものになり果てて……。そんな花を見たくなかったから、わたし、花びらなんて毟ってしまえっ! って、ちょっと、なんていうか、ムキになってね……」
ウィスティリアは、言葉を止めるとふっと笑った。
「そんなことで作ろうと思っただけなのに。エドに果物の皮とか乾燥してもらって、みんなでオイルやはちみつを混ぜて。こうして完成したものをみんなに受け取ってもらった……。わたし、今、とっても嬉しいの」
楽しかったのだ。
満足であるということは、嘘ではない。
だが……多少の強がりが入っているのかもしれない……と、ウィスティリアは自嘲するように笑った後、この場にいる使用人一人一人をあらためて、見まわした。
「モノは、リリーシアに取られてしまう。だけど、楽しかった記憶は、奪われることはない」
「ウィスティリアお嬢様……」
「嫌な記憶は、みんなとの楽しい記憶で上書きされたわ。ありがとう、みんな」
気遣うような目で見てくる使用人たちに、強がりと思われないようにと、ウィスティリアは目を細めて、穏やかに笑った。
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