第47話 永遠と愛・肉体が無くなって、魂が消え失せても
「『対価』……か」
ワイングラスをくるくると回しながら、ガードルフが呟く。
「はい。わたしがガードルフ様に差し出せるものなど、大したものはございませんが……」
ウィスティリアが望んだ以上にガードルフから助力をしてもらった。
礼を言っても言い切れない。
魂も肉体も、ウィスティリアが差し出せるものすべてを差し出したとしても、足りないと思うほどだ。
ガードルフはなにやら考えているようだった。あまり凝視するのも良くないかと思い、ウィスティリアは外に視線を流す。
峰にかかっていた太陽がゆっくりと西の彼方に落ちていった。オレンジ色の光が部屋の中に差し込んでくる。
美しい……と思いながら、それをぼんやりと見る。
「……聞いてみてもよいか?」
しばらくの後、ようやくガードルフが声を発した。
「はい。なんでもお答えいたします」
聞いてもいいかと尋ねた割に、ガードルフはなかなか口を開かなかった。新たなワインをグラスに注いで、それをまず飲み干した。
「『真実の愛』というものを、お前はどう思う?」
「は、はい?」
あまりにも予想外な問いかけ。さすがのウィスティリアも困惑を隠せなかった。
「お前の元婚約者に限らず、人間たちは簡単に『真実の愛』を口にする。現実でも演劇や物語の中でも」
「あー……、まあ、そうですわね」
「さっきのお前の妹の結婚式もそうだ。神父とかいうやつが言っていただろう。『死がふたりを分かつまで、愛し、敬う』だの『永遠の愛を込めて』だの。短命な人間どもが、よくもまあ、真実だの永遠だのという壮大な言葉を簡単に口にするな……と」
「確かに……。挙式の誓いの言葉などは、単なる定型文にしか過ぎないとは思いますが……」
「特に意味もなく、ただ何も考えずに誓うのか?」
ガードルフが眉をひそめた。
ウィスティリアは考え込む。
真実という言葉も、永遠という言葉も、大きな命題だ。
それに愛などという言葉が組み合わされば、壮大すぎてもはや手に負えない。
だが、ガードルフからの問いかけなのだ。
「……書物からの受け売りですが。相手のことが好きで、相手を欲しいと思う気持ちは『恋』で、見返りを求めず相手のために尽くすのが『愛』ですわよね」
「見返り……」
リリーシアは奪うだけ。
父親も母親も、そんなリリーシアをウィスティリアに丸投げにしてきた。
愛など、ウィスティリアは知らない。感じたこともない。
そう言おうとして、口を開きかけた時に……思い出した。
一度目の、つらいだけだった人生。
死への憧憬を深め、神が迎えに来ることだけを願ったあの時。
……お嬢様、エドがですね、リンゴとプルーンを水とはちみつで煮たものを作ったんです。その煮汁というか、シロップをですね、冷やしたそうですよ。あたしもちょっと味見させてもらったんですけど、冷たくて甘くておいしいんです。
「エド……、メアリー……。モーリン、アンソニー……、みんな……」
雇い主の娘とその使用人。彼らは職務上、親切にしてくれただけ……ではないのだ。
……早く元気になってくださいね。みんなまた、お嬢様と一緒に果物とか食べる機会を楽しみにしているんですよ。
優しさに、涙があふれた。
一緒に飲んだ薄いお茶の味。
シロップの甘さ。
楽しかった。
幸せだった。
愛など知らないと思っていた。
受けたことのない気持ちなど理解できようもない……と。
だけど。
いつだって思い出せる。
確かにみんなとの時間はしあわせだった。
あのしあわせな気持ちを愛と言ってもいいのならば。
きっと、ウィスティリアにも愛がわかる。
死ぬまできっと、いいや、たとえ死んでも。
あのときの涙が出るほど嬉しかった気持ちを忘れない。
たしかに、そこに、愛はあった。そう言える。
ガードルフを見る。
面白ければ何でもすると言って、頼んだ以上の助力をしてくれた。
なによりも、自分の人生に、ささやかではあるが愛情というものがあったことに気づかせてくれた。
ああ……。わたし、きっと、死んでも『無』になんてならない。
肉体が無くなって、魂が消え失せても。
きっと、いつまでも、覚えて、感じている。
目を閉じて、胸を押さえる。
ある。
ここに、きっと。……ううん、絶対に。
ウィスティリアが目を開く。
「男女の愛とは違うかもしれません。真実かどうかもわからない」
そして、きっぱりと、告げる。
「だけど、永遠の愛なら、わたし、あります」
記憶と魂の中に。
いつまでも消えることのないあたたかな想い。
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