前へ次へ
37/54

第37話 二度目の人生・母親の退場

「ま、待てっ! 儂は療養所などにはいかんぞっ! 儂はっ! 儂は……っ!」


 怒鳴る父親が、またもやふっと静かになった。目の焦点が合っていない。どこか遠くを見てぼんやりとしている。

 ガードルフの仕業だとわかっているウィスティリアが、困ったように息を吐く。


「やはり……、ご自分が病気だと認められないのかもしれませんわね。途中、暴れるかもしれません。皆様にはお手数をおかけしますが、どうか、我が父を療養所までよろしくお願いいたします」


 ガードルフのことだ。きっと、父親が療養所にたどり着くまで、静かにさせてくれることだろう……と考えながらも、ウィスティリアはルーナンド伯爵家の使用人たちに軽く頭を下げた。


「大丈夫ですよ、ウィスティリア嬢。ウチの使用人たちだけに任せず、この僕も同行し、きちんと療養所にお預けしますから」

「まあ、カイト様っ! ありがとうございますっ! 助かりますわ!」

「では、僕はこれで。次は結婚式でお会いいたしましょう」


 カイトは使用人たちにウィスティリアの父親を馬車の中まで運ばせた。

 ウィスティリアは父親の従僕であるテレンスに服や着替えなど、当面必要と思われるものを用意するように指示をした。準備ができ次第、出発だ。


(さようならお父様。寿命が尽きるまで、余生を療養所でお過ごしくださいませ)


 療養先は、治癒の見込みのない病人や精神疾患の患者のための隔離病棟に近い環境だという。個室内の自由は認められているが、病棟の出入り口は施錠されているため、患者が勝手に外に出ることはできない。

 ガードルフから聞いた、ウィスティリアの父親の寿命は後三十五年ほど。

 その間、なにもせず、ただ病棟内で無為に過ごす。


(隔離病棟なんて、ちょっと広めの牢屋暮らしのようなものよね)


 ざまあみろ、と。

 ウィスティリアは心の中で呟いて、そうして、今度は母親に向きなおった。


「さて、お母様」

「な、なによウィスティリア……」


 大人しいと思っていた娘。

 リリーシアとは違って言うことを聞く娘。


 それが、なにやら恐ろしいもののように感じて、ウィスティリアの母親は戸惑った。


「お母様はいかがいたします? お父様の療養先について行って、お父様の看病をなさいますか?」

「い、嫌よっ!」


 一緒に行くのならご準備を……と問う間もなく、母親は即答した。


「では、このままこの家で過ごしますか? わたしももうすぐ死にますし、リリーシアの面倒をお母様が見ていただけると、とてもありがたいのですけれど……」


 今までは、「お父様もお母様も忙しいのよ。あなたは姉なのだから、リリーシアの面倒くらい見てちょうだい」と、全てをウィスティリアに任せればよかった。

 母親の持ち物をリリーシアが欲しがっても「お母様がリリーシアにあげられるものはないわ。ウィスティリアからもらってきなさい」と言うだけで。


 だが、そのウィスティリアが死ぬのであれば。

 リリーシアのわがままを、癇癪を、今度は自分が引き受けることになる……。


 冗談ではない。

 母親は青ざめた顔で、口早に言う。


「実家に帰るわ。ええ、旦那様があのようなことになったのですもの。この家にいても仕方がないでしょう? 若い二人の邪魔になってもいけないし」


 逃げるのだ。

 このままこの家に居れば、強欲なリリーシアに自分の持ち物は全て奪われてしまう。


 ブツブツと言い訳をする母親を、ウィスティリアは冷めた目で見た。


「そうですか。では、馬車の手配をしないといけませんね」

「なるべく早く手配してちょうだい」

「わかりました、お母様」


 リード子爵家には馬もいないし馬車もない。馬車を使うときは、専門業者を臨時で雇わないといけないのだ。

 執事のアンソニーにその手配を頼む。


 ルーナンド伯爵たちに挨拶もせずに、母親は階段を上がってさっさと自室へと向かった。

 リリーシアに奪われないうちに急いで実家に帰らなければ……と、母は焦っているようだ。


「ジャネットっ! ジャネット来てちょうだい……っ!」


 二階のほうから、侍女を呼ぶ母親の声が響く。さっそく荷物をまとめるつもりだろう。この分では夜通し引っ越しの準備をするかもしれない。


 けれど、今更実家に帰ったところで、その実家に母親の居場所はないだろう。

 母親の両親はとっくに他界して、今は母親の兄が後を継いでいる。

 リード子爵家に母親が嫁した後、手紙のやり取り程度はしているだろうが、今日のリリーシアの誕生日という日にも、母親の親族は誰一人としてやってきてはいないのだ。


 疎遠になった実家。

 離縁をして実家に帰るわけでもないから、母親は実家のためにどこかに再婚もできない。実家にとって母親はお荷物が突然勝手にやってきただけ。肩身の狭い思いをして過ごすことができれば良いほうだろう。追い出されるかもしれない。


(ご自分で生んだ娘の養育から逃げるだけのお母様なんて、ざまぁみろと言う価値すらないわ。苦労して長生きしようと、路傍で身元不明のご遺体となろうと知ったことではない)


 そうして誕生パーティの会場に残っているのはウィスティリアとリリーシア。ルーナンド伯爵と、戸惑った顔のグレッグ。それから、壁際に控えている使用人たちだけになった。



誤字報告いつもありがとうございます。感謝しかないです!!

前へ次へ目次