第35話 二度目の人生・パーティの終わり
ウィスティリアの父親には、もはや何が何だかわからなかった。
自身が記憶障害。書いたはずの書類も記憶になく。
その上、後継としていたはずの娘までが病。
「ええ。肺を患っております。今はまだ、咳程度の症状しか現れておりませんし、強い薬で抑えられてはおります。が、発熱し、喀血するようになれば長く生きるのは無理だとお医者様に言われました」
「肺……、喀血……」
「お父様は記憶障害、わたしは肺病。故に、わたしの婚約者だったクレッグ様にリリーシアと婚姻をしてもらい、そして、このリード子爵家の当主をリリーシアにする。ただし、グレッグ様だけではリリーシアを、子爵家を支えることは不可能。ですから、カイト様に子爵家の経営を手助けしていただくということになったのです。これは全て、お父様とルーナンド伯爵とでお話し合いの上、決めたことですのよ」
お忘れとは、お父様の病も進行してしまっていますのね……。
辛そうに、ウィスティリアは目を伏せる。
もちろん父親の病など、嘘だ。今話したことも同様に。
ただし、申請書類はきちんと貴族院に提出し、承認を得ている正式なもの。
本来なら、これほどまで短期間で申請と承認が得られるはずはないが、そこはガードルフの力を借りた。
ウィスティリアとルーナンド伯爵が密談をした、その次の日には、書類は整ったのだ。
「う、嘘だっ! ウィスティリアっ! お前の言っていることは全て嘘だっ! ルーナンド伯爵と共謀して、このリード子爵家を乗っ取る……つも、り……」
怒鳴りだしたウィスティリアの父親の言葉が、途中で途切れる。
口を開けて、ウィスティリアのほうを睨んだまま、その動きを止めた。
(ああ……、ガードルフ様が、お父様の動きを止めてくださったのね。ありがたい……。これで、この場にいる招待客たちが、お父様が本当に病気であると認識してくれる……)
心の中でガードルフに感謝を告げながら、ウィスティリアは辛そうな顔を作る。
いきなり動きを止めたウィスティリアの父親に、招待客たちは戸惑う。ウィスティリアの母親が、父親に迫った。
「あなた⁉ ちょっと、どうしたというの⁉」
ウィスティリアの母親が、父親の上着を掴んで、その体を揺らしても。父親は時間を止めたように、微動だにしない。いや、「あー……」だの「うー……」だの意味のない言葉は、時折その口から発せられてはいるが。
「お母様……、お父様はご病気なのです」
「病気って、ウィスティリアがそう言っているだけ……」
「そうではございませんお母様。今のお父様を見てわかりませんか?」
「見て……って……」
「ご自分の言ったこと、行ったことを忘れ。しかも、いきなりこのように意識を失うこともある……。お医者様は若年性健忘症、もしくは記憶障害とおっしゃいましたけど、実のところ、本当はよくわからないのだそうですわ……」
ウィスティリアの母親が、一歩、後ずさった。
「子爵として、領地経営など無理。こんな状態で社交も無理ですわ。ですから、ルーナンド伯爵にご助力をいただいたのです……」
沈痛な面持ちで、ウィスティリアはそう言った後、ふっと顔をあげた。
「ああ……、このような状態の父をそのままに、パーティを続けることはできませんわね。リリーシアの誕生パーティにお越しいただきました皆様方。本日はこのようなことになってしまって、大変申し訳ございません」
ウィスティリアは深々と、招待客たちに向かって頭を下げた。
「それから、可及的速やかにリリーシアとグレッグ様の結婚式は行う予定です。が、なにせ、父がこの状態、わたしもいつ肺病が悪化するかわかりません。ですので結婚式はルーナンド伯爵家とリード子爵家、身内のみで行います。ご招待を差し上げられないことを、お許しください。リリーシアが当主となり、リード子爵家の状況が良くなりましたら、改めてお付き合いをよろしくお願いいたします……」
ウィスティリアのその言葉で、リリーシアの誕生パーティは終了した。
招待客たちが帰っていく。
リード子爵家の状況は、貴族社会の中にそれなりに広がるだろう。と言っても所詮子爵家のできごと。二回か三回、話のネタになり、それで終わりだ。
カイトがリード子爵家の経営に慣れるまでには収束するような、その程度。
ウィスティリアの父親は、招待客たちが全員帰った後も、そのままの状態だった。
母親が、父親の腕を引いたり、声をかけたりもするが、「あー……」と低く返事をするだけで、それ以外の反応はない。
グレッグは、状況がつかめずぽかんとしているだけ。
ルーナンド伯爵とカイトは、書類を丁寧にカバンに仕舞い、それを使用人に持っているようにと指示を出した。
そして、リリーシアは。
「えー、もうリリーのパーティ、終わりなの? プレゼント、もらってないし、グレッグ様とダンスもしていないのにっ!」
ぷうっと、頬を膨らませた。