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第33話 二度目の人生・策略の開始

「婚約指輪?」

「ええ、そうよリリーシア。グレッグ様はリリーシアの婚約者になるの。それをね、今から皆様にも公表するのよ」

「ホントっ!」

「ええ、もちろん本当よ。リリーシアはグレッグ様が好きですものね」

「うんっ!」


 きゃあきゃあと喜びの声を上げて、リリーシアはグレッグの元へと走る。


「グレッグ様っ! リリー、グレッグ様の婚約者になるのよっ!」


 抱き着いたリリーシアを受け止めたグレッグは、困惑顔だった。


「え、え、えっと。ウィスティリア、一体どういうこと……」


 ウィスティリアは満面の笑みを浮かべる。


「あら、グレッグ様はリリーシアのことを愛しているのでしょう?」

「そ、それは……」

「部屋で二人きりになり、リリーシアの足を触り……」

「それはっ! 足をひねったリリーシアの、その、看病で……」


 ぼそぼそとした声で言い訳をしようとするが。それはうまくいかなかった。

 淑女のマナーなど知らないリリーシアの足に、看病と称して触れたのは、確かに事実なのだから。


「……って、言うか、なんでそれを知っているんだよっ!」


 知られていたという羞恥で、グレッグの顔が赤くなった。逆恨みのように、グレッグはウィスティリアを睨みつける。


「あら? 逆にお尋ねしたいですわ。どうして知られていないと思っているのです? 我が家の庭でもルーナンド伯爵家の薔薇園でも、リリーシアとグレッグ様は手と手を繋ぎ合い、お互いの体を抱きしめ合って……。ねえ、そうでしょう、リリーシア? あなたとグレッグ様は愛し合っているのよね」

「うんっ! リリー、グレッグ様、だーい好き。グレッグ様もリリーが好きって、キスもしてくれたわっ!」


 姉の婚約者に抱き着き、キスをする。

 それが悪いことだとは全く思っていないリリーシア。誕生パーティという大勢の招待客たちの前でも、当然のようにリリーシアはぎゅうぎゅうとグレッグにしがみつく。

 ウィスティリアは、低く笑う。


「ですから、わたしとグレッグ様のお父様……ルーナンド伯爵とお話し合いをしたのですわ」


 コホンと、一つ咳をして。それから、ウィスティリアは会場をぐるりと見渡した。

 ウィスティリアの父親と母親は、玄関ホールの入り口で、別の招待客を出迎えている。まだ、ウィスティリアたちの様子には気がついていない。


 タイミングとしては、最高だった。


「リリーシアの誕生パーティにお越しの皆様にも申し上げます。わたし、ウィスティリア・リードとグレッグ・ルーナンドの婚約は解消となり、グレッグ・ルーナンドはわたしの妹であるリリーシア・リードと婚約、そして、十日後には婚姻を結びます。そしてリリーシアがこのリード子爵家の家督を継ぐことになりますことも、あわせてお知らせいたしましょう」


 きゃー、やったあ! と叫ぶリリーシアの声だけが明るい。

 グレッグも、リリーシアの誕生パーティの招待客たちも、いったい何なのだと言わんばかりに困惑していた。

 ウィスティリアは、気にも留めずに告げる。


「実は、リリーシアとグレッグ様の婚姻を急ぐには理由があります。その一つが、我が父、現在のリード子爵の体調不良です。父は、もう間もなく子爵としての働きが不可能となる。病は、まだ、そう目立ってきてはいませんが……」

「ウィスティリアっ! 貴様、なにを勝手に言っているかっ!」


 別の招待客と歓談していたらしいウィスティリアの父親が、ようやくウィスティリアの起こした騒ぎに気が付いたらしい。

 血相を変えて、怒鳴りながら、ウィスティリアに迫ってきた。


「勝手にっ! 婚約を解消だ⁉ リリーシアとグレッグ殿が結婚⁉ 馬鹿を言うなっ!」

「馬鹿とはお口がお悪いですわねお父様。リリーシアとグレッグ様の婚姻は、お父様だって承諾されたのに。お忘れですか?」

「な、な、なんだとっ! ふざけるなっ! 嘘を言うんじゃないっ!」


 わざとらしく、ウィスティリアは溜息を吐く。


「ご自分の行ったこと、発言した言葉。それをお忘れになる。お父様の病はもうかなり進行していらっしゃるのね。その状態では、子爵としての領地経営もそろそろご無理ですわね」

「だから何を言っているのだウィスティリアっ!」


 ウィスティリアは、ちらとルーナンド伯爵とカイトに目配せをした。

 二人が、ウィスティリアのほうへと進んでくる。


「我々と話し合い、そしてご自分で書類にサインをしたこともお忘れか、リード子爵」

「はぁ⁉ ルーナンド伯爵まで何をおっしゃっているのですかっ! 儂はリリーシアとグレッグ殿の婚姻のことなど全く知らんのですよっ! それに、家督のことなどはルーナンド伯爵が口を挟むことではございませんでしょうっ!」


 ルーナンド伯爵は、ウィスティリアと同じように、わざとらしくため息を吐いた。


「ああ、お忘れなのですな……。病とあれば、仕方がないですが。カイト、リード子爵が()()()()()()()()書類を見せて差し上げろ」

「はい、父上」


 ルーナンド伯爵の後ろに控えていたルーナンド家の使用人。その使用人が持っていたカバンの中から、数枚の書類を取り出した。それをカイトが受け取る。そうして、カイトが書類を広げていく。


 一枚一枚、ウィスティリアの父親に示すふりをして、その実、今この場にいる招待客たちにも見えるように書類を掲げた。


「まず一枚目ですね。こちらはウィスティリア嬢と我が弟グレッグの婚約解消届です」

「リード子爵。書かれている筆跡を確認されよ。それから捺印もだ」

「こ、これは……」


 ウィスティリアの父親が、大きく目を見開いた。

 確かに自分の筆跡で書かれてあるように見えた。


「こ、こんなもの……書いた覚えなどない……。偽造した……ものでは……」

「偽造? 儂の目の前で、きちんとリード子爵がご自分で書いたものだぞ?」

「おぼえて……いない。書いてもいない……」

「ふむ……。リード子爵の記憶障害は、自分が書いたものさえ忘れるほどに、進行してしまっているのか……」


 呟くように装っているが、ルーナンド伯爵のその声は、この場にいるほとんどの者も耳に届いた。


「き、記憶障害だと……⁉ この儂が……⁉」


 ウィスティリアの父親の額から、汗が一筋流れて落ちた。


「あら、お父様。もしやお医者様に診断されたこともお忘れですか?」

「医者の、診断……」

「若年性健忘症。もしくは記憶障害。ご自分が行ったこともお忘れになる病だと、そう診断されました」

「馬鹿な……」

「お医者様のお書きになった診断書をご確認されますか?」







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