第31話 二度目の人生・薔薇の花が咲き誇るように
リリーシアの誕生パーティの日が来た。
「さあ、仕込みの時期は終わったわ。『復讐』の開始よ。まずは……お父様。あなたから……」
敢えて言葉に出してみた。けれど、本当は……、頭で考えた通りに物事がうまくいくかどうか不安だった。
(大丈夫。ガードルフ様のご助力がある。うまくいく。一度目の人生の『復讐』よ。奪われたモノの『対価』を絶対に支払わせてみせる……)
大丈夫だ、できる……と、何度も自分に言い聞かせる。
だけど心臓は早鐘を打つ。
(でも、失敗したら……。何もできないまま死んでしまったら……)
不安が生じれば、それが大きくなっていく。
もう間もなく、ルーナンド伯爵がグレッグやカイルを連れて到着する頃合いだ。
ウィスティリアが誕生パーティの会場に居なくては、計画が狂う。
(行かなきゃ……)
自室から出て行こうとするが、足が震える。緊張のあまり、背中や肩に余計な力が入る。
それでもドアノブに手をかけて、自室のドアを開けようとしたそのとき。
「地味だ」
ガードルフが、不意に姿を現した。
「えっ、あっ、はい?」
振り返ってみれば、ガードルフが腕を組んで何事かを考えていた。眉の辺りや額にしわを寄せて、不満をあらわにしている。
「ええと……ガードルフ様?」
ガードルフは遠慮なく、ウィスティリアを頭のてっぺんから足の先まで、じろじろと見まわしてきた。
「……せっかくの『復讐』の舞台だというのに。主演女優がそんな地味な衣装では片手落ちだ」
ウィスティリアが着ているのは、誕生パーティのときと同じ、祖母のドレスを手直しした、重たい生地に深緑色のドレス。
「と、言いましても……、わたし、これ以外にこの時期に着られるようなドレスは持っていませんので……」
ウィスティリアのドレスは、ほとんどがリリーシアに奪われているのだ。
「ああ、ないなら変えればいい」
「変える……?」
パチンッと。ガードルフが指を鳴らす。
すると、深緑色の地味なドレスは、黒のラインが縦に入ったワインレッドのドレスに変わった。黒と赤の色彩が鮮やかなコントラストをなしている。
「ふむ……。多少マシになったが、まだ足りんな……」
黒い羽根で周囲が飾られている赤いバラを模した華やかで大きなコサージュ。それをどこからともなく取り出して、ガードルフはウィスティリアの胸元に一つ、それから髪をまとめあげ、その髪に複数つけていった。
「よし。これでいい。自分でも見てみろ」
鏡に映った自分の姿を見る。ごくりと思わず唾を飲み込んでしまった。
「すごい……」
派手だ……と言おうとした言葉は、ガードルフに遮られた。
「お前は地味な色彩よりも、はっきりとした色調のドレスのほうがよく似合う。見てどうだ? 自分でも美しいと思うだろう?」
「う、美し……い……?」
誰が? と、聞き返してしまいそうになるが、ガードルフの視線の先に居るのはウィスティリアだけだ。
その視線に、ウィスティリアは戸惑ってしまう。
平凡で大人しくて、何の特徴もない面白みのない女……と、婚約者のグレッグが言っていたのを聞いたことはある。
リリーシアならば、かわいいと大勢の人間が褒めるのも。
だが、自分が美しいなどと、そんな言葉を告げられたのは生まれて初めてだった。
(わたしが、美しい?)
元々顔立ちは悪くないのだ。ただ、俯いてため息ばかりをついているから、どうしても暗く見えてしまうだけで。
着飾ろうとしても、リリーシアに奪われて。
人前では、そのリリーシアが癇癪を起こさないようにと気を配って。
その心配や緊張でいつも落ち着かなくて。
どうかなにも起こりませんようにとハラハラするばかりで。
そして、いざリリーシアが癇癪を起こせば、イライラする気持ちを無理やり押し込んで、リリーシアをなだめるしかなくて。
そんなウィスティリアをきれいなどと言うものは、これまで一人だっていなかった。
ウィスティリア自身だって、鏡を見ても、疲れた顔だとか地味だとかは思っても、きれいだなんて思えたことはなかった。
(だけど、ガードルフ様がわたしをきれいと言ってくださった。それに……)
鏡に映る自分の姿。この赤と黒の色。
ぼんやりとした感じの古いものではなく。はっきりとした強い色の組み合わせ。
(あ、ああ……そうよ。ガードルフ様の色……)
長い黒い髪。漆黒の翼。瞳の赤。
(今、わたし、ガードルフ様と同じ色彩を纏っているの……)
どくん……っと。心臓が跳ねるような気がした。いや、気がしたではなく、実際に跳ねたのだ。そしてその胸の高鳴りが続いている。
「唇の色も、もっと濃い方が、ウィスティリアには似合う。薄い髪の色に古ぼけたドレス。加えて口紅の色も薄いのでは、ぼやけた印象にしかならん」
濃い方が似合うと言われても、そもそも濃い色の口紅など持っていない。
どうしよう……、母親の部屋から、口紅を拝借してきた方が良いのか……と、ウィスティリアは少々悩んだ。
似合うと言ってくれたのだから、濃い色の口紅をつけてみたい。
ガードルフの手がウィスティリアの顎をそっと持ち上げた。
あっ、と思う間もなく、ガードルフの舌が、ウィスティリアの唇に触れる。輪郭をなぞるように、すっと、ガードルフの舌が動く。
(まるで……口紅でも塗ってくださっているみたい……)
その滑らかさと熱さに、体が震える。
ガードルフとの一度目のキスとは全く違う熱と感触。
(熱い。体が火照る。気持ちが、いい……。もっと、触れてほしい……って、わたし、なにを……)
自身の思考に戸惑っている間に、ガードルフが離れてしまった。
「ほらウィスティリア、もう一度お前の姿を鏡でよく見てみろ」
「あ……」
ハッとするような艶やかな赤い唇。肌の白さがより一層際立つ。ウィスティリアの印象ががらりと変わった。
(幼いころ読んだ童話……。『肌は雪のように白く、唇は血のように赤く、髪は黒檀のように黒い。この世で一番美しいお姫様』って、もしかしてこんな感じなの……? いいえ、わたしの髪の色は黒ではないし、さすがにそこまで美しいとは……。でも今までのわたしとは違って、華やかで、不思議と自信があるように見えてくる……)
纏う色が変わるだけで、こんなにも印象が変わるのか。
それとも、ガードルフが魔法でもかけてくれたのか……。
「自信を持てウィスティリア。お前は平凡で大人しくて、何の特徴もない面白みのない女……などではない」
「ガードルフ様……」
「この私が興味を持つほどの女だ」
ガードルフがきっぱりと言い切った。
「それでもどうしても不安だというのなら、姿は見えなくとも、お前のすぐそばに、いつも私がついていると思え」
さあ、行け。
奪われたモノの対価を、支払わせろ。
お前ならできる。
自信を持て。
大丈夫だから。
そんな声が聞こえてきた気がして、ウィスティリアの口角が自然に上がった。
それは、薔薇が咲き誇るように。本当に美しい笑みだった。