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第29話 二度目の人生・懸念事項

「なにか、気になる点がございますか?」

「ウィスティリア嬢の提案を実現するためには取り除かねばならない人物がいる」

「ああ……、わたしと父、ついでに母も邪魔ですね」


 ウィスティリアは焦りもせずに落ち着いて答えた。


「まずわたしですが、あともう少しで行われるリリーシアの誕生パーティの日に、わたしがグレッグ様との婚約解消を宣言をするつもりです。グレッグ様はリリーシアと婚約を結んで、リード子爵家に婿入りすると。ああ、二人は真実の愛で結ばれているなどという、情緒的な言葉も付け加えたほうがよろしいでしょうね」

「婚約破棄を宣言するだけでは弱いだろう」

「ええ、ですから、そのあと、わたしは失踪します。いなくなれば、リリーシアがリード子爵家の後継となるしかない」

「はっ⁉ 失踪……?」


 ルーナンド伯爵は目を見張った。そこまでするのか……と。


「ええ。可能であれば、失踪のための資金を少々ルーナンド伯爵からお借りしたいと考えているのですが……」

「金くらいはかまわんが……。あなたがそこまでするのは……」

「ありがとうございます。リリーシアの誕生パーティから、リリーシアとグレッグ様の結婚式までの短期間逃げまわるだけですから大したことはございません。ちょっとした旅行のようなものですわね。ですからそんなに大金はいりません。期間にしてだいたい十日ほど、それなりの宿に泊まれるだけの銀貨でもいただければ助かります」


 ルーナンド伯爵の予想よりも、ずいぶんと低い金額の提示だった。それに短期間なのかと、ルーナンド伯爵は安堵の反面、首も傾げた。


「結婚式に関しては、誕生パーティ後、可及的速やかに執り行いたいのです。一応、うちの領地の一番大きな教会で結婚式が行えるよう、既に手配はしております。日程的には、リリーシアの誕生パーティの十日後です」

「……なぜそれほどまで急ぐ?」

「いろいろ理由はあるのですが、リリーシアの結婚式を見てから死にたいということですね」


 死ぬという言葉に、ルーナンド伯爵はウィスティリアが自死を選ぶのかと思った。


「は? 死ぬだと⁉ 失踪ではなく死ぬおつもりか? なぜそこまでする⁉」


 ウィスティリアはルーナンド伯爵をまっすぐに見て、淡々と語る。


「わたしは肺病に罹患しております。新年、年が明けたのち、どこまで生き延びられるかはわからない感じですね」

「そ、それは本当なのか? 医者はなんと言っている?」

「咳が止まらなくなり、血を吐くようになったらそう長いことはないと。この病は、喀血して、体から血が足りなくなって死ぬよりも、痰が喉に詰まって呼吸ができなくなることが多いそうですよ」


 いったん言葉を切って、ウィスティリアは紅茶を一口飲んだ。

 ごくり……と、喉を通っていく液体。

 その喉が詰まってしまう苦しさを、ウィスティリアは身をもって知っている。


「ああ、わたしのことはよろしいのです。人は必ず皆死にます。死ぬわたしにグレッグ様もリード子爵家も不要。すべてリリーシアに押し付けます。ですが、わたしが生きているうちに、リリーシアとグレッグ様を婚姻させないと、今お話ししたことの実現はたぶん不可能となりますので、急いでいるのです」

「……不可能なのか?」

「ええ。父が反対しますからね。具体的にはグレッグ様が不要になります。わたしが死んだ。だから、必然的にわたしとグレッグ様の婚約は解消となる。もちろん死亡によるものですから違約金なども発生しない。姉が死んだのならば、妹のほうをグレッグ様を結婚させろと言ったところで父はきっと承諾しない。とにかくリリーシアは精神的に幼いのです。まともに子爵家経営などできるはずもない。ならば、グレッグ様ではなく、もっとしっかり領地経営ができる有能な男性をと考えるのが、父としては当然でしょう。失礼ですが、グレッグ様は、このわたしが子爵になることを想定して選ばれた婿候補でしかないのですから」


 学校の成績も悪い。まともな判断力もない。

 そんなグレッグがリリーシアの夫に選ばれるはずがない。

 そもそも、親交のあるルーナンド伯爵から押しつけられたようなもの。ウィスティリアの父親は、グレッグに婿としての役割など期待していない。

 将来のリード子爵になるはずだったウィスティリアは、婿に頼らずとも自分で領地の経営程度は可能。

 つまり、ウィスティリアの夫となる者は、健康で、生殖能力があればだれでもよかったのだ。

 だが、リリーシアが子爵家の後継となるのならば、グレッグではなくきちんと子爵家を背負って立てる者でなくてはならない。

 リリーシアとグレッグの恋愛遊戯など、ウィスティリアの父親にはどうでもいい話だ。


「わたしが生きているうちに二人が結婚しないと、リード子爵家とルーナンド伯爵家の縁は切れる。グレッグ様と別れさせられるリリーシアは癇癪でも起こすでしょう。父が困るのであれば、それも一興なのですが……」


 迷惑をこうむるのは使用人たちになるかもしれない。それは嫌だった。


「では、聞くが。ウィスティリア嬢のその案を実現するための最大の障害、リード子爵をどう排除するのか聞かせてもらおうか。それが上手くできそうであれば、儂も息子たちのために、ウィスティリア嬢の案に乗りたいのだが……」


 ルーナンド伯爵にしても、リリーシアとグレッグの婚姻が普通なら成り立たないことが理解できる。

 だが、今更グレッグを返却されれば、グレッグに行き場はない。

 伯爵家の子息ではあるが、学業にも弱い無能な三男。後継を作るための種程度の役割しかできることはない。そんなものを喜んで引き受けてくれる相手などまずいない。

 それをそのままリード子爵家で引き取ってくれる上に、学業はできても精神的に弱い次男まで引き受けてくれるとあれば。


 ウィスティリアの提案は、ルーナンド伯爵にとっては得しかない話なのだ。


 だが、ウィスティリアの父親が、このウィスティリアの考えた案に賛同するとは到底思えない。

 さすがにグレッグの兄のカイトまでリード子爵家に入れば、ルーナンド伯爵家によるリード子爵家の乗っ取りだと考えるだろう。


「ああ、ご安心ください。父の対策はできておりますわ」

「ほう……?」

「その程度のことができなければ、こんなお誘いをいたしません」


 ウィスティリアはテーブルの上の紅茶のカップを端に寄せた。


「まずはこちらの書類をご確認くださいませね。あとはルーナンド伯爵やグレッグ様のお名前を書き加え、ご捺印いただければ完成というところまで作り上げてございます」


 カバンから取り出した書類。それは、まずウィスティリアとグレッグの婚約破棄の申請書。次にリリーシアとグレッグの婚約届に婚姻届だった。


「これはまさか……。誰が書いたものなのだ?」


 書かれている文字は、男が書いたと思われる文字。きちんとリード子爵家の印章も押されている。


「我が父、リード子爵が書いたもの……ではなく、もちろん偽造ですが」

「偽造……」

「ええ。ですが、父の筆跡はそっくりに書いてありますし、国の届け出の機関、父本人にだって、偽造と見破ることはできません。印章は、父が持っている本物を押してございます」

「だが、リード子爵は自分がこの書類を書いていないことを知っているだろうに。

 書いていないから、偽造だとすぐにばれてしまうのではないか」

「ふふふ、抜かりはございません。父は、これらの書類を自身で書いたことを記憶していないだけ……です」

「記憶していない? 一体どういうことだ?」


 ウィスティリアはもう一枚の書類を取り出した。


「医師の、診断書に見えるが……」

「ええそうです。記憶障害、もしくは若年性健忘症。そういう類の病気に父がかかっているという証明書ですね。我が父は、記憶ということに対して、欠陥がある。自分で書いたものを覚えていない……ことも、最近よくあることでございますね」


 もちろん、本当はそんな病気になどかかっていない。


 かかっていると、ウィスティリアの父親本人に思わせるために、今も、嬉々としてガードルフが父親に『いたずら』をしてくれているはずだ。

 そろそろその『いたずら』の頻度を少し上げようか……などと、ウィスティリアは考えながら、もう一つのものをルーナンド伯爵に示した。


「これは、父が常に指にはめている我がリード子爵家の印章です」


 本物ですよと、ウィスティリアは笑った。


「今、ルーナンド伯爵にご説明したことを、我が父に告げたところで父が承諾するはずもない。医者の診断書がある、記憶障害だと言ったところで嘘つき呼ばわりされるだけでしょう」


 まあ、実際に嘘なのではあるけれど……と、胸のうちだけでウィスティリアが付け加える。


「だから、この印章を盗みました。わたしは、リリーシアの誕生パーティのときに、グレッグ様との婚約解消を叫び、速やかにリリーシアとグレッグ様の結婚式を挙げろと父を脅します。その結婚式の時に、この印章を返すと言ってね」


 掌で、ころころと印章を転がした。

 本当は、この後すぐにこの印章を父親の指にこっそりと返しておく。リリーシアの誕生パーティのときに、皆の前で堂々と父親の指からこの印章を引き抜くつもりだ。もちろんガードルフがいるからこそ、できることではあるのだが。


「だから、リリーシアの誕生パーティから結婚式までの間はわたしはリード子爵家に帰らず、この印章を持ったまま逃げるんです」

「逃げる……」


 ルーナンド伯爵には嘘ばかりを告げて申し訳ないと思いつつも、それは顔には出さない。ウィスティリアの計画を完遂するにはどうしたってルーナンド伯爵の協力が必要なのだから。

 自身の死というもの、そして、ルーナンド伯爵の二人の息子の利となるのであれば、きっとウィスティリアの案に乗ってもらえる。そう期待している。


「ああ、もしも、結婚式を速やかに行わない場合は、わたしの命が尽きますから、この印章は永遠に父の手に帰ることはない。先ほどの婚約解消の書類、リリーシアとグレッグ様の婚姻届は、先に国に提出しておきますので。当主と言えども印章なしでは認可済みの書類の訂正もできない。あとから父がどう叫んでも、後の祭り……となることでしょう。どうですかルーナンド伯爵」


 乗る価値のある話でしょう……と、ウィスティリアは笑った。


誤字報告ありがとうございますm(__)m 助かります!

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