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第25話 二度目の人生・涙

「辞めたいなんて思わずに、ずっとこの屋敷で働いてくれるのなら、本当はそれが嬉しいの。だけど、わたしがいなくなって、リリーシアが当主となって、リリーシアの夫がグレッグ様になる。その状況で、あなたたち、ずっとここで働こうと思ってくれる? もっと別の場所で働きたいと思うのではないのかしら?」

「そ、それは……」


 アンソニーすら、答えることができなかった。


 欲しがりで、すぐに癇癪を起すリリーシアが、当主となる。

 しかも、そのリリーシアを支える夫となるグレッグは実に頼りない。

 ウィスティリアなしで、子爵家がまともに運営できるとは思えない。


 いや、ウィスティリアがいなくても、ウィスティリアの父親が子爵家を支えていられる間は、問題ないのではないか。

 現状、使用人たちにとってはそれなりに満足のいく勤め先なのだ。使用人たちの仲も良好であるし、給金も高いわけではないが、低くもない。


「例えばなんだけどね。リリーシアが子爵家の資産を食いつぶして、グレッグ様もそれを止められなくて。ある日突然、みんなで路頭に迷う……なんて状況、ありえないとは言えないでしょ」


 もしも、ウィスティリアの父親がいなくなったら。確実に起こりうる未来なのではないか。いつかリリーシアが子爵家を継ぐのなら。今は大丈夫でも、十年後、二十年後はどうなのだろう……。

 使用人たちの顔はだんだんと青ざめてきた。


「すぐにそうなるわけじゃないし。リリーシアだって、当主になれば、それなりにまともに言うことも聞くかも……しれない……けれど……」


 さすがのウィスティリアも歯切れが悪くなってしまった。

 リリーシアがまともに領地経営を行えるとは、とてもではないが、ウィスティリアだって信じていない。


「起こりうる未来を放置して、わたしが一人だけ逃げたら。わたしは悔やむわ。みんなに謝っても謝り切れない。今の状況では、先走りすぎ、考えすぎと思われるかもしれない。だけど、保険は必要。全員分の紹介状は……なるべく早く書く。退職金は……それほど多くは用意できないかもしれない。だけど、些少でもあるのとないのとでは違う。必ず用意します。もしもの時にあなたたちが……不幸にならないように」


 そこまで言うと、ウィスティリアはすっと立ち上がった。そして、使用人のみんなに向かって頭を下げる。


「ごめんね。こんなことしかできなくて」


 ごめんね。一度目の人生では、こんなことすらできなくて。


 ぎゅっと目を瞑って胸の中で繰り返す。ごめんね、ごめんね……と。


 ウィスティリアの死に憤って、その先の未来が苦しくなるとわかっていても、子爵家を辞したエドたち。

 一度目の人生の時、せめて父親が紹介状でも持たせてくれれば、次の職を得ることは容易かったはずなのだ。

 なのに、ウィスティリアの父親はそれをしなかった。辞めるなら辞めろとだけ言って、放り出した。


 自分が死んだ後の、使用人たちの人生を思えば、謝っても謝り切れない。涙が、どうしたって溢れてしまう。


「もちろん、わたしが今言ったことは、わたしの独断です。お父様の許可なんてない。紹介状なんて書いたら、使用人なんて、さっさと逃げてしまうって、お父様は絶対に反対する……」

「お嬢様……」


 溢れてしまった涙を、ウィスティリアは自分の袖で乱暴に拭う。


「みんなを、不幸にすることだけは、絶対に嫌なの。だから、今わたしが言ったこと、後でみんなに渡す紹介状や退職金のことは、みんなの心の中に収めておいて。絶対にお父様やお母様には知られないようにして。もしも不要だったら捨ててしまってもいいから」


 涙を零しながらそう言ったウィスティリア。

 使用人たちは戸惑いながらも、承諾をした。


 ウィスティリアの言うことを、全て納得したわけでもない。むしろ「お嬢様は、なにか不安や不満があって、考えすぎているのではないのだろうか……」と、心配になった者もいた。

 だが、使用人たちの不利になるようなことを、無理にしろとか黙っていろなどと言われたわけではない。

 万が一、辞めざるを得ない時が来た場合、ウィスティリアが用意してくれるといった紹介状や退職金はなくては困る。


 だから、厨房にいた使用人たち全員が、ウィスティリアに言われるままに、リード子爵家での勤務状況や役職など、紹介状などに必要な事項を、話していった。

 一人一人から話を聞いて、それをきっちりとノートに書いていくウィスティリア。


 全員から話を聞き終えた時には、すでにかなりの時間が経過してしまっていた。


「ああ。ごめんなさいね、みんな。疲れているのに、時間を取ってしまって」


 だが、今日のこの時間なら。

 パーティの対応で疲れた父親や母親は、もうすでにぐっすりとそれぞれの寝室で休んでいる。

 使用人たちに、こんなふうに聞き取りをしていることを、ウィスティリアは父親たちに知られたくなかったのだ。


「これで十分書けると思うわ。もしも不足があれば、後日お父様に知られないように、こっそりと聞くわね」


 とりあえず書き終えたノートを、しっかりと胸に抱いて。

 ウィスティリアは厨房を出てった。




 自室に戻り、ノートは書き物机の引き出しの中に仕舞って。それから、ウィスティリアはドレスを脱いで、夜着に着替えた。

 貴族の娘としては、侍女でも呼んで着替えさせてもらうべきなのだろう。が、そもそも最低限の使用人しかいないこのリード子爵家では、侍女など母親付きの侍女のジャネット一人しかいない。どうしても手を借りなければならないときは、ダフネなどの手を借りて着つけをすることもあるが。基本的にはウィスティリアが一人で着脱できるドレスしか着ないことにしている。


「一人で着替えができるようになっていて、良かったわ……」


 呟いて、そのままベッドに倒れ込む。


「今日はここまでね。明日からは使用人のみんなへの紹介状を、お父様に知られないように書いて。ああ、印章も必要か……。それから、十日後に、リリーシアを連れてルーナンド伯爵家に行く……。その時までに必要な書類も……」


 行わなくてはならないことを呟いているうちに、瞼が重くなっていった。眠りに落ちる直前、ガードルフの「頑張ったな」という声が聞こえてきたような気がした。



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