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第21話 狭間の時間・対価

 何もできないまま、見ているだけで、無に帰してたまるものか。

 そう思いはすれども、死したウィスティリアにできることなど何もない。


「……ガードルフ様、わたしの魂を抜いたように、父親やリリーシアの魂を抜いていただくことは可能でしょうか……?」


 人外の力を持つガードルフ。

 その力を借りることができれば……と、ウィスティリアは考えた。


「できる。が、魂を引き抜いて、お前は何をするつもりだ?」

「お父様とリリーシアの魂を、わたしがこの手で殴ります」


 ウィスティリアの瞳に、剣呑な光が灯った。

 まず、怒りをぶつけたい。父親に、そしてリリーシアに。可能なら、母親にも。


 面白そうに、ガードルフが口元をゆがめる。


「なかなか楽しい提案だが、それは無理だな。人間の幽体同士が干渉することは不可能だ」

「無理なのですか……」

「殴りかかったところで、すかっと空を切るだけだ」

「そう……ですか」


 ウィスティリアは考えこんだ。

 物理的に殴ったり蹴ったりは不可能。ならば。


「……ちなみに寿命は? わたしは後一か月もしないうちに、無となる。では、お父様やリリーシアはどのくらい生きるのですか?」


 ガードルフは、探るようにどこかを見た。


「お前の父親のほうは……あと三十五年ほど。妹は六十年ほど生きるな」

「……二人とも長生きですね」

「やりたい放題で、ストレスのない人生を送るからかな?」

「その間、周囲の被害は甚大でしょうに……」

「まあ、な」


 まともな人間が不幸になって、身勝手な人間が長生きをする。


 理不尽だ。

 不公平だ。


 けれど、それを是正する存在など、この世界にはいない。

 復讐を望むなら、ウィスティリアが自分の手で行うしかないのだ。


「触れることすらできないのであれば、今、わたしにできることはなにもないのですね。なら……、過去に戻ってもう一度人生をやり直したい……。生きなおして、それで、お父様とお母様とリリーシアに、わたしやみんなが受けた辛さの半分でもぶつけてやりたい……」


 わたしが、みんなが、どれだけ辛かったのか。

 嘆き、苦しみ、後悔の人生を送らせてやりたい。


「それから……、使用人のみんなが……リード子爵家から出て行っても、普通に生きていけるようにしたい……」


 呪詛のように吐き出すウィスティリアに、ガードルフがこともなく言った。


「ああ、いいぞ。人生をやり直してみるか?」

「できるのですかっ⁉」

「ああ、できるできないであれば、私はできる」


 ガードルフは神ではない。

 人間ではない存在というだけ。

 だけど、時間を戻すことさえも、ガードルフには可能らしい。


 ウィスティリアは、ぐっと腹に力を込めていった。


「お願いします。わたしを過去の時間に戻してくださいっ!」


 ガードルフはにやりと笑った。


「戻してやってもいい。だが、対価を払ってもらうぞ。人間の魂を引き抜くのと異なり、時間に関係する事象は、私の魂をそれなりに損なう。多大なる力が必要だからな」

「対価……、お金とか、ですか?」

「人間の通貨をこの私がもらってどうする。無意味だな」

「で、では、なにでお支払いすればよろしいのでしょう⁉」


 過去に戻るための対価、代償。

 ウィスティリアにはなにもない。持っているモノなど、この魂だけだ。体すら、もうとっくにない。


「なに、私を楽しませてくれればいい」

「楽しませる……。あの、不躾ですが、女性が男性を楽しませるというのは、その、性的なご奉仕……ということでしょうか……?」

「は……?」


 何を言われたのか全く分からず、ガードルフは凍結したように固まった。


「物語や演劇ではよくある話ですよね。娼婦、ですとか、体を対価に何かを得る……」

「ま、待て待て待て待てっ! つまり、お前の言っている体を代償にということは、じゅ、純潔を、この私に捧げると……」


 うっかり具体的にあれやそれやを想像してしまい、ガードルフは焦った。まさか、純潔を貴ぶ貴族の娘であるウィスティリアが、自分のほうからそんなことを申し出るとは思いもよらなかったのだ。


「今のわたしは触れることもできない幽体です。ですが、過去に戻れば肉体もまた有することになるはずです。そして、わたしがガードルフ様に代償として捧げられるものは、肉体か魂かしかないのです。こんなものでしかありませんが、煮るなり焼くなりむさぼるなり、お好きになさってください」


 ウィスティリアは戸惑いも恥じらいもなく、まっすぐにガードルフを見て言った。


「……本当に、予想外の女だな」


 長い時を生きるガードルフは、暇つぶしとして人間を観察する。

 が、大半は興味など惹かれることもない。


 土の道を、蟻が延々とエサを探して歩く様子などを見ても、大した面白みはない。

 人間の営みもまた、ガードルフにとってはそんな蟻の様子と大同小異だ。


 だが、時折、このウィスティリアのように、ガードルフの興味を引く者がいる。


 面白ければ、それでいい。

 退屈が一番苦痛なのだ。


 だから、楽しませろと言っただけで、そこに性的なニュアンスは含んではいなかったのだが。


「ふむ……」


 人間たちのように、肉欲に塗れるようなことは面白いのだろうか……と、ガードルフは少しだけ考えた。


「わたし自身を捧げます。体でも魂でも存在でも。それでは対価になりませんでしょうか?」

「それも一興かもしれんが……。そうだな、対価はお前が目的を果たした後払いでいい。なににするかは私もじっくりと考えさせてもらおう」


 ガードルフは黒翼を広げた。幾枚かの黒い羽根が宙に舞う。


「こちらへ来い」

「は、はいっ!」


 翼に包まれる距離まで、ガードルフに近寄っていく。

 ガードルフはウィスティリアの顎を指で持ち上げ、自分のほうに顔を向かせた。

 そして、顔を近づける。唇が、触れあうほどの至近距離に。


「過去に戻してやる。だが、お前がその過去で生きられるのも、新年の最初の三日月の日までだ」

「わかりました」

「それから、その過去で、なにか私の力を借りたいことがあれば、その都度言うがいい」

「よろしいのですか……?」

「内容によっては更なる対価を貰うが、面白そうであればいくらでも力を貸そう」


 対価などいくらでも払う。血でも肉でも命でも。ありがたく力を借りよう。

 ウィスティリアは少しだけ考えてから、言った。


「では、さっそく一つ『お願い』があります」


 ウィスティリアは、その『お願い』がどういうものなのかを、ガードルフに説明した。

 

「なるほど。お前の『復讐』は、そういう形を取るか……」

「『それ』をしていただくのは可能でしょうか?」

「もちろんできるとも」


 面白そうだとガードルフは呟いた。


「ありがとうございます。では、お願いいたします」


 礼を言ったウィスティリアに、ガードルフは口角を上げた。


「思う存分、やりたいようにやれ、ウィスティリア」


 言葉と共に、ガードルフの唇が、ウィスティリアに触れる。


 初めて名で呼ばれたな……と、そんなことを思いながら、ウィスティリアは静かに目を閉じた。




次回から二度目の人生。そしてウィスティリアの『復讐』が始まります。



誤字報告ありがとうございますm(__)m

いつも助かっております!

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