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第20話 狭間の時間・使用人たち

誤字報告ありがとうございますm(__)m


 泣き叫び、暴れるリリーシア。

 使用人たちに命じるだけの父親。


「アンソニー、テレンス、ナジームも……みんな……、ごめんなさい……」


 使用人たちだけが、どんどん疲弊していく。

 一日の仕事を終えた後、皆で厨房に集い、和気藹々と過ごすこともなくなった。集まったところで愚痴の言い合いになるだけだ。それが嫌で仕事が終われば早々に自室に閉じこもる者もいた。


「わたしが、死んだせいで、みんなが……、本当にごめんなさい……」


 もう死したウィスティリアには、謝る以外にできることはない。

 謝りながら、ただ見るしかない。

 自分が死んだ後の、リード子爵家の様子を。


 そうしているうちに、まず雑役メイドのメアリーとモーリン、それから料理人のエドがリード子爵家を辞めた。


「……あたし、辞める。もう、こんなところで働きたくない」

「あたしも」

「俺もだ」


 ウィスティリアが吐き出した血を、真正面から浴びせられたウィスティリアの父親は、ウィスティリアを蹴り続けた程度では、腹の虫がおさまらなかった。


「あれは我が娘ではないっ! ゴミは川にでも捨ててこいっ!」


 リリーシアの誕生パーティのその会場で、ウィスティリアの父親はそう怒鳴った。


 ウィスティリアの母親も「ああ、そう。葬儀を行わないなんて、楽ね。じゃあ、さっさと処理してちょうだい」と言っただけだった。


 主人の命令とはいえ、ウィスティリアの遺体を川に捨てるなどできようもない。

 使用人たちは、こっそりとウィスティリアの遺体を埋葬することにした。

 リード子爵家代々の墓に入れることができなかったため、仕方なしに平民用の共同墓地にウィスティリアを埋葬した。埋葬のための費用も、使用人たちで支払った。


 葬儀が終わったあと、メアリーとモーリンとエドは辞職を考えた。

 だが、退職金もなく、次の職場への紹介状もないだろうことはわかっていた。ウィスティリアの父親が、きちんと書いてくれるはずはない。

 この先、職を見つけるのに苦労をするのがわかっていた。

 だから、悩んだ。

 だけど、許せなかった。

 たとえその感情が、ウィスティリアに対する一時的な同情でしかないとしても。

 ウィスティリアの居ないこの子爵家で、以前と同じように働くなど、到底出来ようもなかった。

 ほとんど何もないウィスティリアの部屋を片付ける。

 一日の終わりに、厨房で、使用人の皆と集まる。が、和気藹々と話をしていたのは、ウィスティリアが生きていた時まで。今はもう、集まっても、二言三言業務上の連絡をするだけで、皆さっさと自室に帰ってしまう。

 ウィスティリアからもらったハンドオイルを手に取る。そのたびに涙があふれて止まらなくなる。


 ふざけるな。あんなにつらい目に遭い続けたお嬢様を、蹴り殺して、しかも埋葬もしないで捨てるだなんて……と。


 アンソニーは三人を引き留めたが、三人の意思は固かった。


 次に辞めたのは、リード子爵夫人に仕える侍女であるジャネット。

 ウィスティリアのことも辞職の理由の一つとなったことは確かだろう。

 だが、それだけではない。

 ウィスティリアの母親がリード子爵家から実家に帰ってしまったのだ。しかも、離縁をして。

 ウィスティリアの死を嘆いてのことではない。

 下位貴族の間に「娘を蹴り殺したリード子爵の噂」が、あっという間に広まってしまったのが離縁の直接的な原因だ。「リード子爵」の名は、評判は、地の果てまで落ちた。

 そんな男の妻でいるのは不名誉かつ不快だった。

 離縁をして、リードの名とは無縁になって、元の実家の家名に戻れば。

 自分だけは以前の通りの生活に戻れるのでは……と考えた。

 母親は、さっさと荷物をまとめて実家に帰った。


 仕える女主人がいなくては、侍女のジャネットには仕事はない。

 そんなジャネットに、リード子爵は「リリーシアの侍女として働け」と命じた。

 朝から晩までリリーシアに付き従うことなど冗談ではない。ジャネットも即座に辞職を申し出た。


 家庭教師のグラディスも、だ。

 リリーシアに淑女としての教養など教えても無意味だ。あれもこれも欲しいというだけで、勉強など教科書の一ページどころか数行も進まない。

 もっと初歩の儀礼だの、躾だのを教えるための家庭教師をお雇いください。

 そう言って、リード子爵家を辞した。


 困ったのがダフネとミゲルだ。

 ダフネは一人で子爵家の掃除から洗濯から雑役をすべて引き受けなくてはいけなくなった。

 とてもじゃないが、無理だった。


 アンソニーに新しい雑役メイドを雇ってくれと頼みこんだ。

 が、リード子爵が娘であるウィスティリアを蹴り殺したということ、そして葬儀も出さず、遺体は使用人たちが共同墓地に葬ったという噂が、既に下級貴族たちの間や職業斡旋所などにも流れていた。


 新しくリード子爵家で働こうと思う者など誰もいない。


 朝から晩まで働きづめで、腰を悪くして動けなくなったダフネ。

 働けないものを雇うリード子爵ではない。

 ダフネは、リード子爵家から放り出された。


 ミゲルも、これまでエドの補佐として食事を作ってきたが、いきなり自分一人で料理を任されてしまった。

 これまでの時間通りに食事を作ることができなくなり、味も落ちた。それをリード子爵に叱責された。


 次々と、使用人たちがリード子爵家を辞めていった。

 ナジームもブレンダンもだ。

 暴れるリリーシアを押さえ込むたびに、嚙みつかれ、引っ掻かれて。腕や顔は傷だらけだった。


 それを幽体のウィスティリアはガードルフと共に見ていた。


「こんな家にいるよりは辞めたほうがいいけれど。だけど、辞めていったみんなに行く先はあるの?」


 通常、貴族の家で働いていた使用人が辞めるときは、それまでの家でどんなことをして働いていたのか、給金はいくらだったのか、働いた期間、勤務態度……つまり勤務状況を明記したものと、次の職場に向けての紹介状などを貰うことになる。


 だが、リード子爵は、辞めていく使用人たちに紹介状も勤務状況表も書かず、退職金も渡さずに、辞めるなら勝手に出て行けとばかりに、追い出した。


「……見つからんだろうな。見つかったとしても、そうとう条件の悪い場所で働くしかない」

「そんな……」


 ウィスティリアは真っ青になった。


 ガードルフの言うとおりだった。

 例えばエドは、貴族の家で働けるほどの料理の腕を持っているのに、雇ってくれるところがなかった。仕方なく、小さな宿屋で働いた。給金は、リード子爵家で働いていたときの十分の一もなかった。


 それでも職を得られたエドはマシなほうだった。

 ほとんどの者は、職を得られず、実家に戻っても居場所もなかった。


 体を壊したダフネは、救護院に入ることができた。が、体を治したところで、明るい未来など描きようがなかった。


 スラムに流れ、残飯を漁る生活を送るしかない者もいた。体を売って金に換える者も。


 アンソニーは敢えてリード子爵家に残った。

 毎日の仕事を終えた後、元使用人たちの足取りをたどり、せめて食事や金などを渡したい。

 そう思って、苦痛に思いながら、リード家で耐えてはいた。が、その思いを果たすことはなかなか難しかった。


「こんなふうにみんなが……冗談じゃないわ」


 自分は死んで、自由になれた。

 だけど……。


「わたしのせいで、みんなが……」


 自身を責めるウィスティリアに、ガードルフが淡々と告げる。


「別にお前のせいではないだろうに」

「ですが……わたしがあのように死ななければ……」

「どのみちお前はあとひと月もせずに死ぬはずだったのだし。たとえあの父親が葬儀をまともに出したところで、最終的な結果は変わらん。妹は、母親や父親のモノを欲しがり、母親や父親は妹を使用人に丸投げする。使用人たちは不満を溜めていく」


 ウィスティリアが苦しまずとも、苦しんだとしても。

 結果は同じ。

 リリーシアは欲しがって。

 母親は他の者からもらえと言って。

 父親は知らんとばかりに放置する。


 結局、理不尽な目に遭うのは使用人たち。


「どうして、どうして神様は……こんな理不尽を、どうして許しておくの……っ!」


 誕生パーティのときに、吐き出して、もう残っていないと思った怒りの感情。

 ガードルフに、不意に引っ込まされてしまった、叫んで、嗤って、狂いだしそうなほどの強い感情。

 それが、再び腹の奥からせり上がってきた。

 何倍も何十倍もの強さを持って。


「だから、神などいない。そう言っただろ?」


 ようやくウィスティリアは実感した。


 救ってくださる神など、この世のどこにもいないのだ。

 生前どころか、死後の救済もない。

 不幸な人間も、強欲な人間も、等しく無に帰るだけ。


 唇を、噛みしめる。

 肉体など有しない幽体のはずなのに。

 なのに、鉄錆に似た血の味が口の中に広がった気がした。





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