第2話 一度目の人生・愚かな婚約者
ウィスティリアは玄関ホールまで小走りに向かった。
次々と到着する客を迎え入れ、そうしてきっちりと礼をする。
招待客のほとんどは、まず玄関ホールでリード子爵と挨拶をする。それから、茶や酒を一杯か二杯だけ飲みつつ、ウィスティリアに誕生祝いを述べるタイミングを待つ。そして「おめでとう」と伝えたあとは、比較的すぐにリード子爵家を辞す。
長居をするのは親族、それにウィスティリアの婚約者であるルーナンド家の者程度である。
小規模なパーティではあるが、人の出入りには波があり、今はやってくる者と帰る者でごった返している状況だった。
そんな中、ウィスティリアの婚約者であるグレッグ・ルーナンドが、手に白薔薇の花束を抱えながら、リード子爵家にやって来た。
「やあ、ウィスティリア。我が婚約者よ。十五歳の誕生日おめで……」
「うわあああああ、素敵っ! 白い薔薇の花束ってっ! なんて大人っぽいのかしら、グレッグ様はっ!」
おめでとう……という、そのグレッグの言葉が言い終わらないうちに、叫んだのはリリーシアだった。
薄桃色の瞳をキラキラと輝かせて、グレッグに向かい、小走りに走っていく。
「すっごいっ! こーんな大きな薔薇の花束、リリー初めて見たわっ! ねえねえグレッグ様、それ、ウィスティリアお姉さま宛てのプレゼントよね」
「ああ。そうだよリリーシア」
「さすが伯爵家のお花は違うわぁっ! 花びらなんて艶々して、うちの子爵家の貧相な花とは全然違うっ! お姉様にお渡しする前に、リリーが持ってみたいっ! あ、ちゃんとリリーからウィスティリアお姉様に、後で返すから」
ウィスティリアが返事をする前に、グレッグが笑顔で答える。
「あはは、かわいいね、リリーシア。持ってみたいんだね」
「うんっ!」
きゃあきゃあと、大げさに騒ぎながら、白薔薇の花束を抱えたリリーシア。
まず、ゆったりと薔薇の花の香りを嗅いで、それから、花束は左腕にだけで持ち、右手はドレスのスカートを摘まむ。そうして、スカートの裾を翻しながら、くるりくるりと何度もその場で踊った。
「素敵な男の人からの素敵な花束っ! リリー、夢を見ているようだわっ!」
その花束が、ウィスティリア宛ではなく、リリーシア宛であれば。
そして、グレッグがリリーシアの婚約者であれば。
可愛らしい浮かれっぷりと言っても良いのかもしれない。
だが今日は、ウィスティリアの誕生日で、その白薔薇はリリーシア宛ではなくウィスティリアにと、ウィスティリアの婚約者であるグレッグから贈られたものなのだ。
わたしの婚約者からの誕生日プレゼントを、勝手に受け取らないで。
グレッグ様もよ。あなたはいったいその花束を、誰に持ってきたの? 婚約者であるわたし宛のプレゼントではないの?
叫びたくなるのを、ウィスティリアは必死になって堪える。
なのに。
「ああっ!」
踊っていたリリーシアが体勢を崩した。
「危ないっ!」
倒れかけたリリーシアの体を、グレッグが支える。
そのグレッグに、ぎゅっとしがみつくリリーシア。
二人の体に挟まれた白薔薇の花束が、ぐしゃりと潰れた。
「あ、危ないなあ、リリーシア。大丈夫かい?」
「え、ええ……。でも、足をひねったかもしれない……。すごく
痛いわ……」
潤んだ瞳で、リリーシアはグレッグを見上げた。
「……冷やしたほうがいいかな」
二人の鼻先が、触れそうになるほどに、近い。
「ん……、リリーは自分の部屋で大人しくしているわ……」
「わかった。じゃあ、ボクが部屋まで運んであげる」
「ええ、いいの? グレッグ様っ!」
リリーシアの泣き顔が、ぱああああっと、笑顔に変わった。
「ああ。未来の妹が怪我をしたんだ。義兄として当然だろう?」
「わあっ! お義兄様、お優しいのねっ!」
横抱きに抱きあげられたリリーシアが、グレッグに抱き着こうとして、二人の体の間の白薔薇の花束に気が付いた。
「あ、ウィスティリアお姉様、これ、どうぞ。グレッグ様からのプレゼント」
差し出された白薔薇の花束は、潰されて、ひしゃげて、無残な様子だった。
花弁も、既に何枚も床に散っている。
花束をウィスティリアは受け取り、ぼそりと小さく「……ありがとう」とだけ呟いた。
「では、ちょっと中座するよ。未来の義妹に何かあったら困るからな。ああ、ウィスティリア、侍女にでも足を冷やす物を持って来るよう伝えてくれ」
「……わかりました」
グレッグの足元にも花弁が散っていた。
その花びらを踏んだことにはグレッグは気が付かない。
踏みつけられた花弁は、まるで自分の心のようだ……と、ウィスティリアには感じられた。
グレッグの視線はリリーシアに向けられ、ウィスティリアの不満には全く気がついていない。
抱き上げられて、階段を上っていくのに揺れたのか、リリーシアは「きゃあ」と小さく叫びながら、グレッグにしがみついている。
グレッグはそんなリリーシアしか見ていない。
(まるで結婚式当日の花嫁と花婿が、初夜のベッドにでも向かうみたいね……)
どこからどう見ても、足に怪我をした義妹を、優しく運ぶ義兄……には見えない。
それは、ウィスティリアだけが、なにかを疑ったような見方をしているというわけでもない。招待客の幾人かも、眉を顰めたり、「彼は姉妹の妹の方の婚約者だったかな」と首を傾げたりしている。
階段の下から二人を見送りながら、ウィスティリアは惨めだと感じた。
今日の日のためのドレス。
誕生日にと頂いたプレゼント。
それだけでなく。
「……きっと、婚約者も、リリーシアに奪われるのでしょうね」
ぼそりとしたつぶやきは、招待客たちとそれを迎え入れる両親たちの歓談の声に紛れて、ウィスティリア以外には、誰にも届かなかった。