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第18話 狭間の時間・衝撃と絶句

「死後の世界が……ない?」

「ああ。存在が消えるだけだ。善人も悪人もない。等しく無になる。塵のようにな」


 ガードルフの言葉に、ウィスティリアは殴られたようなショックを受けた。自分が死んだことなどよりも、もっとずっと衝撃だった。


「そんな……」


 生きている間、リリーシアになにもかも奪われても、その行いは神様が見ていると信じてきた。


 なのに、奪い続けたリリーシアも、耐え続けてきたウィスティリアも、等しく同じ、無になる。差などない。


「この世を作ったのは確かに神という存在かもしれないが。少なくとも私はそんな存在を見たことがない」


 信じてきた、縋ってきた世界の崩壊。

 ガラガラと音を立てて、足元が崩れていくようだった。


「この世には大勢の人間がいる。私のように人間ではない、人間とは別の存在も、人間ほど数は多くないが、この世界には確かに居る。人間にはできないことも、できる存在。総称する名称はない。人間は私たちを勝手に『神』と呼んだり『悪魔』と呼んだりすることもあるがな」

「勝手に、呼ぶ……」

「神も天使も悪魔も、妖精だのなんだのも、人間が空想によって生み出した区分でしかない」

「空想……」

「人間と私たちは、つまり、同じ世界に生きている、種族の違う別の生き物。単にそれだけの違いでしかない」


 例えば地を這う虫と、空を飛ぶ鳥。

 捕食などで関わり合うこともあるだろうが、基本的に別の生き物。


「悠久の時を生き、人間にとっては奇跡のような力で不思議な現象を起こすなど、それなりにいろいろできる力を持っているが、特に使命などはない。人間を導くような託宣を暇つぶしに出したり、奇跡を起こして遊ぶ者も過去にはいたようだが……。それを人間が勝手に『神』だの『悪魔』だのと称しただけにすぎない」


 頭の中が真っ白に溶けていってしまいそうになるのをなんとか押しとどめて、ウィスティリアはガードルフの言葉を心の中で繰り返す。


 人間は死ねば無になる。塵に等しい。

 善人も悪人も、死ねば同じ。

 神や天使などはいない。

 人間とは異なり、悠久の時を生きて奇跡のような力を持つ存在……。


「で、ですが……」

「ん? なんだ?」


 考えているうちに、おかしいと思った。

 ガードルフの言葉を疑うわけではない。けれど。


「ガードルフ様。人間は死ねばすぐに無になるのですよね?」

「ああ」

「では、わたしは? わたしは死んで、肉体から精神が抜けた状態なのですよね?」

「ああ、そうだ」

「なぜ、です? なぜわたしは死なずにこうやって、魂だけの存在……と言いますか、精神だけの状態になって、こんなふうにガードルフ様とお話ができるのです?」


 無になって、塵になって消える。

 そのはずなのに。


 ガードルフは「ああ」と一つ頷いた。


「今お前がこうやって、幽体というか、精神体になって私と話などをしていられるのは、まだ無に帰す時期が来ていないからだ」

「時期……?」

「本当なら、お前は新年の最初の三日月の日に死ぬはずだった。その日がお前の寿命だ。妹の誕生会で喀血し、そしてそのまま起き上がれなくなり、苦しみながら死ぬ」

「新年の、最初の三日月の日……」


 今日の、リリーシアの誕生パーティ。それから新年の最初の三日月の日までは、ひと月にも満たない期間。

 だが、約ひと月の間、喀血して苦しむのであれば、体感的には非常に長く感じられるだろう。

 挙句、そのまま死ぬ。救いなど何一つないままに。

 なんというむなしい人生。


「そんな様子を見ていても、つまらん。だから、さっき私が勝手にお前の魂を体から引き抜いた」

「では……ガードルフ様のおかげで、わたしは今、こうやって魂だけの存在となって、苦しむことなくこの世に留まっている……ということですか?」

「ああ、そうだ。本来の死期が来れば、お前の魂はきちんと無に帰す」

「きちんと……無に……」


 苦しみながら死ぬくらいなら、こうやって魂だけの存在になって宙を漂っているほうが百万倍マシ……とは思っても、ウィスティリアの頭はうまく働かなかった。


 無に、なる。

 神は、いない。誰も天の国に、ウィスティリアを連れて行ってはくれない。

 いや、そもそもその天の国もない。

 リリーシアを、父親、母親を、罰するような存在もいない。

 我慢を重ねて、心を清らかに……と神に祈り続けたウィスティリアを褒めることも救うことも誰も、なにも、しない。


 無、だ。

 生きている間になにをしようが、死ねば無になるだけなのだ。


 リリーシアも、父親も……ウィスティリアも。

 誰も彼も、等しく。

 罰せられもせず、救われもせずに。


 叫んで、嗤って、狂いだしそうなほどの強い感情が膨れ上がる。

 もしもあと一瞬、ほんのわずかな時間があれば、ウィスティリアは本当に叫びだしていたかもしれない。


 だというのに、ウィスティリアの感情など、全く気にも留めずにガードルフが問いかけてきた。


「お前はよく書物を読むほうか?」

「えっ? あ、はい……?」


 いきなり肩透かしを食らったようだった。叫びは、喉の奥に引っ込んでしまった。


「最初から一ページずつ読んでいたが、途中の展開がつまらなくて、かといって、読むのを止めるのではなく。途中を飛ばして結末だけ読んでみる。そういうことをお前はしないか?」

「はい、そんなふうに読み飛ばすことも、時にはございますが……」


 それがなんだというのだろう。


「まあ、つまり、私がお前にしたことは、それと似たようなものだ」

「ええと……喀血して、死ぬまで寝たきりの状態のあたりは、見ていてもつまらないから、それに該当するページは読み飛ばしたと。そして、さっさとわたしの魂を体から引き抜いた……という解釈でよろしいですか?」

「おおむねその通りだな」

「そう、ですか……」

「そして、それは正解だった。お前は単に不遇な運命に大人しく従っているような女ではないようだし。お前が本当に無に帰すまで、私の暇つぶしの相手としてちょうど良い」


 暇つぶし……と、ウィスティリアはガードルフの言葉を繰り返した。


「ええと、なにかの意図があって、わたしを助けてくださったのではなく……」

「ん? たまたまお前という存在が目について、たまたま興味深く思って手を出してみた。それだけだ」


 ウィスティリアは絶句した。


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