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第17話 狭間の時間・予想外

「あー……」


 ガードルフと名乗った黒翼の男は、がりがりと頭を掻いた。

 大変な失礼をしたのだと、ウィスティリアは浮かれていた自分を反省した。


「申し訳ございません、ガードルフ様。……死んだばかりで、少々嬉しさと解放感で、浮かれて舞い上がっていたようでございます……」

「……嬉しさと解放感?」


 ガードルフは首をかしげる。


「実際はこの私がお前の魂を抜いたから、お前は死んだのだが。父親に蹴り殺されたと見做せる状況だろう?」


 下を見れば、真っ青な顔で飛び込んできた執事のアンソニーがウィスティリアの遺体を抱き上げ、従僕であるテレンスと男性使用人であるナジームが、二人掛かりでウィスティリアの父親を止めていたところだった。


「自分の死体が死ぬほど蹴られているのを見て、浮かれて舞い上がる……?」


 ああ、と。ウィスティリアは思った。


「元々、神様の御使い様がお迎えにいらしてくれるのではと思っていたところです。咳に発熱に喀血。死ぬこと自体はもうとっくに受け入れておりましたから。そんなことより、これでリリーシア……妹に煩わされることなく自由になれる上に、そのわずらわしさは、今後は父親が受け持つであろうことを考えますと……うふふふふ」


 嬉しそうに笑うウィステリアに、ガードルフは後ずさりをしそうになった。


 コイツ、こんな女だったのか……?

 それとも死んだから、頭のネジが一本か二本か三本くらい外れたのか……?


 妹に搾取され続ける大人しくも不遇な魂だと思った。

 虐げられる女が主役の小説を読むような気持ちで、不幸に潰されるのか、それとも不幸から脱却するのか。それを見て、楽しむつもりだった。そして、少々手を出した。


 そう、ウィスティリアの本来の寿命はもう少し先だ。

 今日の誕生パーティで死ぬことはなかった。


 だが、これから死ぬまでの間は、もうベッドから起き上がることなどできずに、ただひたすら苦痛に耐えるだけ……なのだ。


 見ていても、面白みがないと、ガードルフは考えた。


 大勢の人間の前で、父親が蹴り殺したように見えるようにしてやれば、そちらのほうが展開としては面白い。


 そんな理由で、ガードルフはウィスティリアの魂を引き抜いた。


 親切心ではない。


 たとえて言うのなら、小説を読んでいて、途中、展開がつまらないページを抜かして、結末のページにまで飛んだ。


 ガードルフの感覚では、そんな感じでしかなかった。


 なのに、なんだこの女は。全く以て理解不能だ。


 不思議な生き物を見る目で、ガードルフはウィスティリアを見る。

 その視線を感じたのか、ウィスティリアは苦笑した。


「わたしの妹のリリーシアは、とにかく他人のモノを欲しがるのです」

「ああ」

「今の今までは、わたしのモノを奪ってきました」

「大変だったな」

「ええ。人生に絶望するくらいには辛いものでした。姉を絶望させるほどの強欲さを持つリリーシアが、わたしが死んだ程度で慎ましやかな性格になるはずもないと思うのです」

「……まあ、そうだろうな」

「わたしが死んで、わたしから奪うことはできなくなった。では、どうするか。別の人間から奪うことを考えるでしょう」


 欲しい、たくさん欲しい。もっと欲しい。


 ウィスティリアが死んで、ウィスティリアのモノを奪えなくなったらどうするか。

 奪えないからあきらめる……はずはない。


「次は母親のモノを、それが駄目なら父親のモノを。それがリリーシアにとっての当然です」


 際限なく欲しがるのだ。


「リリーシアが欲しがるようなきれいで美しいモノ。例えば、ドレスに宝飾。それをリード家で一番多く持っているのはお母様です」

「ふむ」

「ですが、これまでも、リリーシアがどんなに欲しがっても、泣きわめいても、お母様はご自分の所有物をリリーシアに奪わせなかった。お母様はこう言うのです。『お母様がリリーシアにあげられるものはないわ。ウィスティリアからもらってきなさい』」

「……ひどい母親だな」

「わたしが死んだら、もうその言葉は使えない。ですから、きっとこう言うでしょう。『リリーシア。欲しいものがあるのなら、お父様にもらいなさい』とね」


 ふふふふ……と、ウィスティリアは嗤った。


「わたしが、リリーシアにこれまで奪われてきた以上に、今度はお父様がリリーシアに奪われるようになるんだわ。ふふっ! ざまあみろ、ですわっ!」

「な、なるほど……」


 大人しく奪われているだけの女ではなかったようだ……と、ガードルフは頷いた。


「虐げられ、不遇のまま命を落とすだけの女主人公の物語よりは、こちらのほうが好みと言えば好みか」


 ガードルフは、この予想外に面白みのあるウィスティリアをあらためて構ってみようかと思った。

 暇つぶしは継続。

 それもまた、一興だった。


「変な女だな、お前は」


 ガードルフは嘆息した。


「そうでございますか?」


 ウィスティリアは首を傾げた。


「平凡で大人しくて、何の特徴もない面白みのない女……となら、ずいぶん前に言われたこともございますけれど」

「誰に?」

「婚約者のグレッグ様でございますね。直接言われたのではなく、友人たちに愚痴をこぼしたのを聞き及んだだけ、ですが……」


 婿入りをする予定のグレッグは、表面上はウィスティリアを尊重するふりをする。

 けれど、プレゼントは常に花だけ。あとに残るものなど贈りはしない。

 つまりは、そういうことだ。

 高価なものを貰ったところで、どのみちリリーシアに奪われるのが分かっているのだから、文句などは言わないが。


「……節穴か、そいつの目は」


 ガードルフだって、ウィスティリアのことを、妹に奪われるだけの不遇な魂……と今の今まで思い込んでいたのだ。節穴具合はグレッグと大同小異。

 ガードルフは、ふいっと目を逸らし、話題を変えることにした。


「それでお前はこれからどうする?」

「これから、ですか?」


 これからと言われてもよくわからない。

 人間が死んだあとは、天から神の使いがやってくる。

 生きている間に善い行いをすれば、神の住む天の国に連れていかれる。

 人の道に外れた悪い行いをすれば、その罪により業火に焼かれたり、極寒の地に閉じ込められる。

 ウィスティリアはそう思っていた。

 その考えを支えに生きてきた。


「わたしの行く先は、神様がお決めになられるのでは? そして、ガードルフ様はわたしを死後の世界に連れていってくださる御使い様……ではないのですか?」


 ウィスティリアの問いに、ガードルフは「違う」と即答した。


「そもそも人間は死んだら無になるだけだ。死後の世界などはないし、そんな世界に連れていく御使いとやらもこの世には存在しない」





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