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第15話 一度目の人生・婚約破棄

*今回の話には暴力的な表現があります。




「せっかくの機会ですから、リリーシアの誕生パーティにお越しの皆様にもお知らせいたしましょう。わたし、ウィスティリア・リードは、ここにグレッグ・ルーナンドとの婚約の破棄を宣言いたします。リード子爵家の継承権も放棄します。グレッグ様もリード子爵家も、わたしには不要です。いらないから、両方ともリリーシアに渡します」


晴れやかな笑顔で、きっぱりと宣言したウィスティリア。

グレッグの意見や意図などはどうでもいい。

確認する必要もない。


自分が、いらないから、捨てる。

身軽になって、神様の場所に行く。


堂々たる態度と声に、この場にいる誰もが動けなかった。

いや、違う。


「ウィスティリアっ! 貴様、なにを勝手に言っているかっ!」


玄関ホールの入り口で、別の招待客と歓談していたらしいウィスティリアの父親が、ようやくウィスティリアの起こした騒ぎに気が付いたらしい。

血相を変えて、怒鳴りながら、ウィスティリアに迫ってきた。


「あら、お父様。今申し上げた通りです。グレッグ様もこの家も、リリーシアにあげます」

「それはお前が決めることではないっ! 婚約も、家督も、この儂が決めることだっ! お前は儂の決めたことに従えばいいだけだっ!」

「嫌です」

「なんだとっ⁉」

「嫌だと申し上げました。『仮に将来、リリーシアがグレッグ殿の子を孕んだとしても、その子はウィスティリアが産んだ子として育てればいい』それから『リリーシアの面倒などグレッグ殿に任せておけばいい。ウィスティリアは子爵家の領地経営に専念できる。良いことではないか』でしたね。お父様がわたしに言ったことは」

「ウィスティリア、おまえ……っ!」


恐ろしいほどつり上がった目で睨みつけられても。もう、ウィスティリアには怖いものなどなかった。

黒い羽根と先ほど肩に触れた感触。それが、ウィスティリアに声をあげる勇気をくれた。


「気持ち悪いんですよお父様。そんな命令に従うわけないじゃないですか。馬鹿なの?」

「馬鹿とはなんだ馬鹿とはっ! リリーシアを一生面倒見ねばならんお前の負担を減らしてやろうという、この儂の親心が分からんのかっ!」


親心?

ふざけるな。


ウィスティリアの体の奥底から、怒りの感情が沸騰した。

その怒りを、ウィスティリアは抑えることができなかった。


「姉が、妹の面倒を一生見る義務などないわっ! お父様こそ、リリーシアの、親、でしょうにっ! 姉に、妹の面倒を見させる前に、お前が、親として、リリーシアをまっとうに教育する義務を果たしなさいよっ! 養育の、責任を、わたしに擦り付けておきながら、偉そうにするなっ!」


ウィスティリアは叫んだ。腹の底から、全身全霊を込めて。


「貴様……っ!」


父親が左手で、ウィスティリアの胸ぐらを掴み上げた。右手は拳を握り、ウィスティリアに殴りかかろうとしている。


が、その拳が、ウィスティリアの頬にぶつかるその直前。


ウィスティリアの口から、げほっ、がはっという咳と共に、大量の鮮血が吐き出された。

鮮血は、父親の拳や顔、着ている服にも飛び散った。


「な、な、な……っ!」


父親は、思わずウィスティリアの胸ぐらを掴んでいる手を放し、その袖で、自分の顔を拭いた。服の袖に、べったりとした痰混じりの血が付いた。


「な、なんだこれは……っ! クソっ! 汚い……っ!」


ウィスティリアはそのまま体を丸めるようにして、床に崩れ落ちた。ゼイゼイと荒い息を繰り返しては、また咳をする。

それが、突然、止まった。

痰が喉に詰まったのだ。


(ああ……、息ができない……。苦し……い。だけど、これで、神様の元に、召される……)


目の前が真っ暗になる。

父親が、なにか喚いているようだが、もうウィスティリアの耳には全くなにも聞こえない。

体を蹴られた衝撃もあるようだが、それももうどうでもよかった。


これからは、なにも奪われない。

何も怖くない。

だって、神様がついている。




父親は、ウィスティリアの呼吸が止まったことになど全く気が付かないまま、ウィスティリアの体を狂ったように蹴り続けていた。


会場の招待客たちも、リリーシアも、グレッグも。あまりのことに止めにも入れない。


ただ一人、飛び込んできたのは執事のアンソニーだった。


「おやめください、旦那様っ! テレンスっ! ナジームっ! 旦那様をお止めしろっ!」


従僕であるテレンスと男性使用人であるナジームが、二人掛かりでウィスティリアの父親を止める。


アンソニーはウィスティリアの体を抱き起し、そして、ウィスティリアの体がぐったりと動かないことを訝しんだ。

震える手を、ウィスティリアに伸ばす。

まるで人形にでもなったかのように、ピクリとも動かない。何の反応も、ない。


「まさか、息を……、して……、いない……?」


今度はウィスティリアの手首に、指をあてた。


「脈も、ない……。ウィスティリアお嬢様……」


呆然としたまま動けないアンソニー。


「えー? ウィスティリアお姉様、死んじゃったの?」


きょとんとした、何もわかっていない子どものようなリリーシアの声が、場違いに響いた。


「お父様が蹴ったから?」


リリーシアが不思議そうに首を傾げたとたん、あちらこちらから女性の叫び声が上がった。


甲高い悲鳴。

それから誰かの「人殺し」という叫び。


誕生パーティの会場は、一瞬にしてパニック状態になった。












ウィスティリアの「一度目の人生」は終了。

次回からは「狭間の時間」、そしてそのあと「二度目の人生」が始まります。


『復讐』とハッピーエンドまでお付き合いいただければ幸いです。




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