第10話 一度目の人生・絶望
頭が痛むのは、なにも熱があるから……ではない。
気持ちが悪い。
父親に言われたその言葉が理解できない。
グレッグもリード子爵家も、リリーシアに渡してしまえばいい。
自分は何もいらない。
欲しいのは、モノではない。リリーシアと無縁の人生だ。
縁を切れるのなら、貴族でなくなってもいい。修道院にでも行き、神に仕える一生を送っても構わない。
そう、考えていた。
それでいいと思っていた。
なのに。
「お父様は……わたしに、リリーシアを愛するグレッグ様をわたしの夫とし、リリーシアとの仲睦まじさを見せつけられながら、それでもリリーシアの面倒を、グレッグ様と共に、一生みろと、そう言っているのですか?」
いったい何の地獄なのか。
ウィスティリアの目の前は真っ黒になった。
「仕方あるまい。リリーシアの姉に生まれてしまったお前の義務だとでも思え」
義務?
姉だから、妹だから?
持ち物を奪われ、わがままを聞かされ。我慢に我慢を重ねて。
それを今後も一生、死ぬまでずっと繰り返せというのか。
モノが欲しいわけじゃない。
婚約者を愛しているわけでもない。
それでも、これ以上、リリーシアに奪われるのは耐えられない。
自分をリリーシアから解放してほしい。
それだけが、ウィスティリアの願いなのに。
父親は言うのだ。
姉なのだから、一生妹の世話をして生きろ……と。
あまりの言葉に、叫びだしそうになった。
が、叫びの代わりに出たのは咳だった。
炸裂するように、激しく咳き込む。
その場にしゃがみ込み、体を二つ折りにして。呼吸などできないほどに延々と続く咳。
父親は、めんどくさそうに執務机の上に置いてあるベルを鳴らした。
ほどなく、執事のアンソニーがやって来た。
「お呼びでしょうか、旦那さ……ウィスティリアお嬢様っ⁉」
胸をかきむしるようにして、ぜいぜいと喘ぐウィステリアを見て、アンソニーは叫んだ。
「テレンスっ! ナジームっ! ブレンダンっ! 誰かいないかっ! お嬢様を……」
男性使用人を叫び呼ぶ声に、まずナジームがやって来た。
「どうし……、うわっ! お嬢様っ!」
「お部屋にお運びするっ! ナジーム、手を貸せっ!」
「わ、わかりましたっ! お嬢様、失礼いたしますっ!」
ナジームがウィスティリアを抱き上げた。
初老のアンソニーとは異なり、ナジームの動きは素早かった。
あっという間に、ともいえる速さで、ナジームは執務室からウィスティリアを運んでいった。
アンソニーは眉を顰めながら、それでも主人に対する礼を守り、頭を下げた。
「女性の使用人を呼んで、ウィスティリアお嬢様の看病にあたらせます」
「ああ……」
父親は、去れと、手を横に動かし、アンソニーを退室させた。
ウィスティリアは、自室のベッドに運ばれたあとも、ひどく咳き込み続けた。
「お水っ! 飲めますか、お嬢様っ!」
ダフネがウィスティリアの背中をさすり、メアリーが手にしたコップをウィスティリアの口元に近づける。
「あ、りが……」
礼を言おうとして、ウィスティリアはまたもや激しく咳をした。
「ああ、お礼なんていいですからっ! まずはお水飲んでくださいっ! のどを湿らせれば、少しは咳も楽になるかも……」
コップの水を飲もうとするが、うまく飲み込むことができない。口元からこぼれた水は、ウィスティリアの胸元を濡らした。
モーリンがそっとタオルで拭う。
「大丈夫ですっ! ゆっくり飲んで下さい……っ!」
肩で息をしながら、なんとか一口、水を飲んで。
そうして、少し咳が収まりを見せたので、そのまま、ウィスティリアはベッドに横になった。
目を瞑り、呼吸を整える……。そうしているうちに、ウィスティリアは、落ち着いたのか、それとも体力的に限界だったのか、半ば気絶するように、眠りに落ちた。
父親からの絶望と、使用人たちの優しさ。
その二つを感じながら……。