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繰り返す死の影



私は家族と関係が悪かった。

いや、相性が悪かったのかもしれない。

物心つくころには4つ上の兄から暴力を受けていた。

私も幼いながら、大好きなお母さんとおじいちゃんに心配かけたくなくて隠れて沢山泣いていた。

地獄は終わらなかった。

体の傷と心の傷は時間に比例し、とても深いものになっていく。

私の存在を否定するため兄に吐かれた言葉は、今でも刃のように心に刺さって抉り続ける。

「お前なんか死ね。」「消えろ。視界に入るな。」

私を使用人のように扱う父と兄。機嫌次第で、兄から毎日暴力を受ける日々。

父はその場で発言を聞いていても、兄に同調する。

「お前がダメだから言われるんだ。今からそんなんじゃ、どこの会社にも勤められないな。」

お母さんは私をかばってくれたけれど、そのお母さんの行動に嫉妬した兄からの復讐は、激しく苛烈を極めた。母の力が及ばないところでの暴力が、兄からの復讐になった。


母の父。私の最愛のおじいちゃんだけが、兄からの理不尽に対抗できていた。かばうのではなく、守ってくれた。兄から私へ発せられる言葉を軽視せず、聞くたびに諭し怒ってくれていた。

「この子が、お前に軽々しく「死ね」と言われるような事をしたのか。違うだろう? なぜたった1人の妹を大事にできない?」

普段お母さんから何を言われても、全く聞く耳を持たない兄は、おじいちゃんの言葉だけは過度に激怒しなかった。だが、もう限界だった。


年月を重ね、おじいちゃんの勧めで耐えきれなくなった母と共に見知らぬ土地で暮らし始めた。

兄と父の呪縛から逃れるために。


20歳をすぎて職につき、束の間の平和なひとときを母と2人で過ごしていた。


そんな日々は突然終わりを告げた。


夕方仕事から帰ってくると、夕陽に照らされている兄の姿があった。家の玄関の前に待ち伏せしていたようだ。全身が震え上がる恐怖を感じた。


家を出る前からお母さんを脅し続けて、家のお金を巻き上げていた兄。

高校生の私には財力もなくて、アルバイトをしてためたお金で必死に母と2人で逃げることしか出来なかったのに。

おじいちゃんの病状が芳しくなく、人目を忍んで家や病院へ行き来していた事がバレたのか..?


なんで、どこで見つかってしまったんだろう。


それからの暮らしは孤独との戦いだった。

お母さんと、おじいちゃんに会わせてもらうことも出来なかった。声を聞くことも、姿を見ることも。無事を確認することも全てを禁止された。

全ての行動を監視されていて、逃げることが出来なかった。 

それからは色んなことをされた。

「逆らえば、母さんとじいちゃんを殺す」と言われた

2人の名前を出されたら、私に逆らう事なんかできない。2人に会いたいなら金を稼げと言われて、2人に会いたいがために必死に頑張った。


無理矢理借金させて、全部お金を巻き上げられた。

「こんなの払えない」って言ったら「お前自身が売り物になれ」って。


よく血の繋がった兄妹に言えるよね。

検分と言われ、数十人に素肌をさらされ触れられた。

自分は手も、体も綺麗なままで。己の手も体も汚さない。

なのに、2人に会いたいと懇願すると「汚い手で触るな」なんて言って容赦なく突き飛ばされる。

誰のせいでこうなったのか、まるで分かっていない。


涙なんか出なかった。希望なんてなかった。

なんの対策もせず体を売って、ずっとお金を稼ぎ続けることはできない。

いつの間にか病気になってしまった。

なんの対処もされる事なく、ギリギリまで働かされた。動けなくなるまで。

「病院に連れていく金が勿体無い」と言われた。

「お前に利用価値はない。野垂れ死ぬまでここにいろ」と放り込まれた。


栄養源も絶たれた今、遂には動けなくなり痩せ細った身体は床からピクリとも動かせない。

「何のために生まれてきたんだろうなぁ...。私。」


(いつからここにいるんだっけ?)


まるで独房。粗末な衣服に不潔な身体。

(いつから食事をもらえてない?)

(いつからお風呂に入れてない?)


「前は死ぬのが怖かった。でも今は怖くない。

おじいちゃんが待っていてくれるから。」


思い出すおじいちゃんの優しい声。

笑うときゅっとあがる口角。

お酒が好きで、いつも頬を真っ赤にしてた。

走馬灯のように記憶が流れていく。


「ジュースと、お菓子買ってきてある。一緒に食べようか。」

おじいちゃんはひどく甘党で、お菓子を食べるための口実に私を使っていた。でも、いつも私の大好きなものをたくさん買って待っていてくれた。ビスケットにチョコレート、大好きなアイスに大好きなくだもの。おいしい炭酸ジュース。


「今日のお昼はおじいちゃんが作ってやるからな!」

まめなおじいちゃんは、お料理がとってもうまかった。

煮物に炒めもの、お菓子と器用になんでもできた。

それと同じくらい教育熱心だった。

作った料理を、どうやったら綺麗にお箸だけで食べられるか。

どこが食べられる場所で、どこがダメなのか。

子供の興味を惹くのが、とても上手かった。

幼稚園の頃お箸が上手く扱えなかった私に、

「お茶碗に残したご飯粒は残しちゃダメだぞ。

おじいちゃんの時代は食べる物がなかったからな。

勿体無いだろう?作ってくれたお百姓さんに申し訳ない。」

そう言っておじいちゃんがお箸でお米を集めて、私に食べさせてくれた記憶がある。


「またいじめられたのか? しょうがないなアイツは。」

兄にいじめられ泣いている私を宥めて、話を聞いてくれた。

「間違った事を言っている奴には、道理を説くんだよ。」

「物事の道筋を正すんだ。」

おじいちゃんは正しい事を教えてくれる。

今の私が居るのは全ておじいちゃんのおかげだ。

おじいちゃんだけが私に正面から向き合って、私を認めてくれた。信じてくれた。

おじいちゃんみたいになるのが目標になっていった。


「俺が入るお墓を決めたんだ。一緒に見に行こう。」

おじいちゃんと散歩がてら見に行った場所に、お墓はあった。綺麗な緑に囲まれて、花々が咲き誇っていた。まるで植物園のように管理が行き届いていた。


「ここにお前も入るんだ。もしお嫁に行ったとしても、次男と結婚すればここに・・・おじいちゃんと一緒にいられるぞ。」


当時小学生の私は、おじいちゃんを失う事が怖くて不安だった。でも今はわかる。本当に私の事を想ってくれていた。心の底から心配してくれていた。だから、

「死んでも一緒にいよう」って言ってくれたんだと大人になってから気付いた。


「私が結婚したら結婚式でスピーチしてね!」

高校生になってからした、おじいちゃんとの約束。

本当にそれが嬉しかったみたいで、季節を跨いでも年月を経ても私に言ってくれた。病に犯され身体が動かなくなっても。

「結婚式のスピーチをするんだからな。元気でいないと!」

その約束は叶わなかったね。私がこんな風にされたから、結婚どころじゃないし。好きな人も前はいたけど、もうそんな事すら考えられなかった。あんなに喜んでいたおじいちゃんに悪いことしちゃった。


走馬灯が消えると、いつの間に見慣れた真っ暗な場所。


「私ね、おじいちゃんみたいにはなれなかった。」



(ああ、どうか。どうか。お願いします。)



(こんなに辛いなら、何にも生まれ変わりたくない。)



(ずっとずっとおじいちゃんのそばにいたい。)



(私の最期の願いくらい、聞いてください。)



頬に一筋の雫が流れる感覚がした。

(ああ、私。まだ泣けるんだ。)


覆うような暗闇に誘われるまま目を閉じた。

意識が戻らないようにと、切実に願いながら。



あろうことか、私は目が覚めてしまった。

私が描いた物語の、()になっていた。


鏡台の鏡を見て確信した。女性にしては高身長で色白の肌。絹糸を思わせるホワイトパープルのロングヘア。冷たく冷酷な氷を思わせるアイスブルーの瞳。




悪役の公爵令嬢 アイリス・ナスタチウム。

幼い私が受けた痛みを、分かち合うキャラクター。

非道な振る舞いをしたと兄に吹聴され、婚約者であるエリンジウム王太子に学園の卒業パーティーで17歳の時断罪される。そして婚約は破棄に。唯一の幼馴染である、カルミア・クロームス伯爵令嬢に裏切られて。そして私は断頭台へと登った。

汚名を着せられ、家族から嘲笑されながら死を迎える。


「あぁ・・・。また私は繰り返すんだ。姿を変えても。」


深い深い絶望を映し出す瞳。


シナリオ通りに進んでいくなら、それは()だ。

高校生の私が願って描いた救済は、死だった。

誰にも期待していなかった。ただ、死を望んでいた。


この物語は、自分の心を守るために描いた。

未来に希望を抱かないように。

これ以上私が傷つかないように。

助けてもらえることを期待しないように。

酷いこと全てが、当たり前の日常だと思い込むように。


まるで、呪いの戒めのように紡いだ物語。


物語に憑依したとしても生きる価値は、まだある。

この世界のおじいちゃんが、まだ生きているはずだ。


アイリスになった私は、会いたいという一心で今はまだ生を繋げることに決めた。


(どうせ死ぬなら、おじいちゃんの隣で一緒に死にたい。)


それが前世での望みでもあった。おじいちゃんの存在は前世の生きる価値そのものだった。


望みを叶える為には、乗り越えなければいけない壁がある。


兄のテッセン・ナスタチウム。

父のコロンバイン・ナスタチウム。

婚約者のエリンジウム・ピオニー。 

前世と同じ環境におかれ、同じ憂き目に合うことは確定していた。だからこそ、疫病神のようなこの3人を失脚させねばならない。


アイリスは政略結婚により、幼少期に結ばれた王太子であるエリンジウム・ピオニーとの婚約を遵守するため父から厳しい体罰を受ける。

周囲から疎まれながらも、父と兄に怒られないように、常に完璧であるため必死で勉学に励んだ。

学園でも指折りの成績もおさめるほどの実力に成長した。

でも、そんなアイリスを誰も褒めてはくれない。

騎士として優秀なテッセンは、外面がよく国内外から評価が高い。

武闘大会に出場すれば、選抜騎士に選ばれる。

優秀な兄と、取り柄のない妹。前世と同じだ。

テッセンに協力を持ちかけられたアイリスの幼馴染であるカルミア伯爵令嬢は、アイリスの婚約者であるピオニー王国王太子のエリンジウム・ピオニーに急接近した。


その結果アイリスは、無実の罪を着せられ断罪のうえ婚約破棄。そしてその直後、この世界の祖父隣国ルドベキア帝国の現公爵で祖父のフォンテーヌ・エーデルの死が訪れる。地下牢にいたアイリスは死に目に会える事もなく、断頭台へと登った。

前世でもそうだった。身体を売り物として使い始めてから、祖父の死を兄から告げられた。


「おじいちゃんを看取りたい。」

きっと、アイリスもそう思っているはずだ。


前世で実際に起こったことそのままを、高校生の私は物語として描いた。同様の事象を、今世でも体験しなければならない事実を受け止める事は容易くない。


いらぬ思考振り切り、死を迎える前にやりたい事を書き記すことにした。前世で見聞きしたいわゆる、エンディングノートというものだ。


自室のデスクへ腰掛け、引き出しの中にある手近なノートを手に取った。ページを開くと、新しい筆跡で日付の記載がある。

そこから逆算するとアイリスが断罪されるのは、学園卒業パーティーまでの2ヶ月後

そして断頭台に上がるのはその数日後。


ひどく憂いを帯びた表情で、筆をとった。 


開いた白紙のページに、何れ来たる最期の時に前世のような後悔をしないよう目標を綴る。


お母さんに感謝を伝える。

おじいちゃんを看取って自分も死ぬ。


これを達成するためには、なんとしても断罪を回避する必要がある。

アイリスが地下牢に幽閉されている間に、領地に隠居している祖父のフォンテーヌは亡くなってしまう。

看取ったあと自分が死を迎える為には、原作通りに断罪されると成立しない。


断罪を回避するためには、カルミア伯爵令嬢と兄のテッセンが結んでいる利害関係を切らせるため、手を打たねばならない。

アイリスがそれを証明するためには、2人の悪事を明るみにする必要がある。


カルミアは婚約者がいる王太子を手に入れ、王族との血縁を目的としている。

テッセンはアイリスに対して非常に強い嫌悪感を抱いている。政略結婚だが出来の悪い妹と、王家との繋がりが非常に気に入らない。そのため公爵家から追い出そうとしている。

自分より価値がないと信じてやまぬ人間が、自分が使えないと馬鹿にしている人間が、己より上の立場につく事が気に入らない。


悪事を暴くためには、他者に証言してもらう必要がある。

そこで友人の2人だ。

ベルフラウ・ストレリチアと、ミモザ・サイネリア。

2人とも学園内で常に一緒に過ごしている仲で、お互い格式の高い公爵家の令嬢だ。

2人はカルミア伯爵令嬢に裏切られ、傷心していたアイリスを救った恩人だ。3人でしか話せない事もあった。仲が深まるのは必然だった。

最期までアイリスの無実を信じて訴えてくれていた。既に世論が傾き、確実な証言ができないためその訴えは退けられてしまうことになるが。

前世でも私の事を酷く心配して、憂いてくれていた唯一無二の親友が2人いた。その2人を思って作ったキャラクターだった。


常に私が友人と一緒にいたら、短気なテッセンは必ず尻尾をだす。

だが途中でこの目標が露見した場合、躊躇なくテッセンはアイリスを殺すだろう。

己の悪評が、世に出る事を許しはしない。




(搾取されて死ぬのはもう嫌。)


(物語を変えてみせる。)


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