『キャラ』ではなく『方』では?

作者: 北見晶

 悪役令息もので転生者ざまぁギャルゲー版です。


「お前も物好きな奴だな」

 傍らに並ぶ少女に、ヤマニュール・マーベッタ準男爵は語りかける。

 肌は青白く、腰までの髪は灰色、切れ長の瞳は鉛色。細面で身体にも余分な肉はなく、同じ年頃の男子に比べて上背がある。

 かつてドラグライ伯爵家の長子として生を受けた彼、王立学園で学術や剣術の研鑽に励んでいたが、十八になって卒業し、同時に故あって生家から籍を抜いた。冒険者か傭兵として生計を立てようかと考えていたら、元実家が持っていた準男爵の爵位と領地をあてがわれたのだ。

 かつて祖父が賜ったがいいが、中ぶらりんのまま放って置かれたもの。捨てるよりはマシの感覚やもしれないが、ありがたく頂戴しておいた。

 

 伯爵家は義弟のアビゲイルが継ぐ。やや頼りない部分はあるだろうが、両親や家庭教師がいるのだ。大丈夫だろう。

 それに、一家から書類上でも物理的にも関係が失せたヤマニュールが、あれこれ言う筋合いはない。

「それはあなたの方では? 清楚で可憐な婚約者さんではなく、大柄で女らしくないわたしを選び、結婚しようとするなど、普通考えないですよ」

 話相手は口を櫛形にしてみせる。上下に並ぶのは健康的な白い歯だ。

 本人も認めた通り、身長は女性の中でも高く、男性でも長身なヤマニュールを超えている。

 丸顔で、瞳は胡桃を思わせる色と円かさ。焦げ茶色で若草の質感をした髪を、耳が出るくらい短く切っていた。

 全体的に程よく肉を纏い、胸や尻は豊か。だが過剰な色気はなく、例えるなら熟した桃より実りのときが来たグレープフルーツ。その膂力を生かし、時にサーベルタイガーを一撃で屠り、時に一抱えある岩を運んできた。

 ティグル・サバッカ。それが彼女の名前だ。

 平民であるティグルは、王立学園ではなく試験式学校で習いながら、冒険者として働き、病弱な母親の治療費を稼いでいた。

 試験式学校とは、通学の義務はなく、数回の試験に合格すれば卒業したのと同じ権利が与えられる学舎だ。王立学園より位は下だが、学校は学校である。


 二人が出会ったのは、ヤマニュールが入学して一年が経ったある日のこと、剣術の腕試しを兼ねてギルドで魔物退治を受けたときだ。

 ティグルと他数人の冒険者と目的の場所に向かったところ、真っ先に異変に気づいたのが彼女。一声かけるや、地面にあった石を投げた。

--不覚にも、ヤマニュールは違和感すら抱かなかった。討伐対象が唸りながら出てくるまで。

 不意打ちが失敗していきり立った魔物。正体はドラゴンゾンビ。ドラゴンにも色々種類はあるが、それが何らかの理由でゾンビ化したモンスター。

 お貴族様の息子は書物でも見たか見ないかの感じで、まして実物との遭遇なんて初の初。五体が意志を離れ、同行者も震え上がって使い物にならない。

 だが、ティグルは違った。

 我こそが真の強者とばかりに迎え撃ったのである。他の者に的確な指示を出しながら。

 結果、一人の犠牲者も出さず、ヤマニュールたちはドラゴンゾンビを倒した。


 正式な手続きをして依頼を終えたのだが、その最中、チグハグな空気が王立学園生徒の肌を撫でた。一番の功労者として歓声を浴びても当然の立場に値するティグル、だが彼女の実力を目の当たりにしたメンバーたちの目がそぐわない質である。まるで化け物を観たような感じだ。

 さらに妙なことに、理不尽な態度を返されている当人は、むしろヤマニュールを不思議そうに見ていた。

「あなたはわたしを恐ろしいと思わないのですか?」

--思う方が愚かしいだろう?

 なぜそのように訊くのか問うと、彼女曰く、その体型と怪力ゆえに、他人に距離を置かれたとのこと。優しくしてくれたのは母と、今は亡き父だけだったという。そして唯一の肉親である母は、サナトリウムで療養中だそうだ。


 刹那、ヤマニュールは心臓が跳ねるのを自覚した。

 彼は五歳で実母を亡くし、数年後、父は子連れの未亡人ヴォリエラと再婚したのだ。

 新しい母もヤマニュールを慈しんでくれたが、それでも心から甘えられなかった。あくまで「父の再婚相手」。

--なぜ、唇が紡いだか今でも答えは出ない。我に返って口を押さえても、なかったことにはできない。

「……なら、お前と結婚すれば、お前の母親を養えるか」

 直後、少女冒険者は目を見開き、頬を朱に染めた。

「あ、ありがとうございます。嘘でも嬉しいです」


 その日、邸宅に戻ったドラグライ伯爵家長子(当時)は考えていた。

 伯爵令嬢、リルアイラ・ゼノアとの間に結ばれていた婚約を。

 彼女を伴侶にするつもりであったが、身も蓋もなく言えば家同士の契約だ。情はあとからついてきた形。

 叱責を覚悟で撤回、もしくは白紙にできないか、ヤマニュールは父であるジョフロイ・ドラグライ伯爵に尋ねた。

 息子に問われた父は、ただ聴くだけか実行に移したいのか質問を返す。ヤマニュールは正直に応えた。

--第三者の視点で見れば、あまりにも短絡的である。だが、当時のヤマニュールはまったくもって真剣であった。  

 相手側と話し合ってみないと無理、とはジョフロイの弁。ことのきっかけは、双方の家の祖父が戦争中に交わした約束だったそうだ。

 異性が産まれたら許嫁にする。彼らは生き延び、誓いを形にした。

 二人の中でかなりの比重だと理解している。だが、王命ではないので両家の話し合いで決まる事柄だ。

 ヤマニュールから話そうと決意していたが、ジョフロイが告げると買って出た。

 塩をかけられたナメクジみたいに唇をわななかせていた祖父だが、どうにか承諾してくれた。まあ、向こうが認めたらといった感じであったが。


 結果、ヤマニュールとリルアイラの婚約は白紙に戻った。

 実父いわく、「そもそも与太話の延長みたいなもので、少なくとも二人の人生が壊れる可能性があると考えたならば、ゼノア伯爵家としても悪くない結果だろう。あちらも訳ありのようだったからな」。


 すぐさまティグルの元に行こうと考えたが、重大なことに気づく。伯爵令息は彼女の家も居住地も知らない。

 壁にぶつかった少年だが、閃いた。

 ギルドに向かえばいい。

 小物を持って、足早に向かった。踊る心臓を宥めぬままに。

 目的地に着いたエセ冒険者は、受付嬢に尋ねる。長身怪力女冒険者の情報を。

 断られはしたが、別の方法を提案してくれた。依頼書に必要事項を記して出すとのこと。

 即座に書類にペンを走らせていたら、目当ての人物が現れた。

 婚約者との関係を清算した事実を説明し、ヤマニュールはティグルに告白した。

 結婚してほしい。ただそれだけを。

--踏まえる段階をいろいろすっ飛ばすにも限度がある。だが、それしか頭になかったのだ。本人も未だ理屈をたてられないが。

 当たり屋に遭遇したに近しき心情だったやも知れぬが、長身女子は顎に手を当て、思案する。前後左右にかたむけていた頭が真っ直ぐに戻るや、意見を述べた。

 ヤマニュールの実父ジョフロイ、義母ヴォリエラ、ティグルの母ジャラナの三人が承諾したら、契りを結ぶそうである。


 早速、未来の花嫁を連れて、ヤマニュールは自邸に取って返した。

 経緯を実父と義母に話す息子。

 前妻との間にできた息子を眺めていたドラグライ伯爵は、深い深いため息をついた。だが、我に返るやドラゴンの咆哮をぶち当てた。

 鼓膜が破れそうな大音声。息子のヤマニュールも体感するのは初めてだ。

「……お前、勝手に一人で決めてティグル嬢を巻き込むとは何事だ。まったく恥ずかしい。思い人がいるかもしれないだろう」

 それまで黙っていたヴォリエラは、真っ直ぐに義理の息子を見た。

「ヤマニュール、あなたが“理想の母親”を求めている気持ちはわかるわ。でも、だからと言って物事には順序があるし、相手の気持ちも重要なの」

 視線はティグルに移る。質が変わった上で。

「ティグルさん、あなたはどうなのかしら? あなたにして見れば、病弱な母親を盾に結婚を迫られているわけでしょう? 嫌なら断っても構わないわよ」

 気遣わしげな義母の発言を横で聞き、息子は冷水を頭から浴びせられた心持ちに変わる。

 だが欲が押さえられるわけもない。

「……あの、わたしとしては、伴侶として支えてくれる人がいれば、正直ありがたいと思っています。ただ、ヤマニュールさんの人生が台無しにするようになるのは避けたいです」

 遠慮がちなティグルの口上に、ヤマニュールは発言者を凝視していた。


「それはわたしと結婚しても構わないということか?」

 声調が高くなってしまう。 

……ため息はどちらのものか。

「ところでヤマニュール、お前、私たちが賛成した場合、どうやって金を稼ぐつもりであった?」

「冒険者か傭兵になって依頼をこなして報酬を得るつもりでしたが」

 ジョフロイの問いかけに、ヤマニュールは迷いなく返した。

「--なるほど、確かにティグルさんに野心は見られないわね」

 ヴォリエラもうなずいている。

「……ヤマニュール、私たちはお前たちの結婚を許すが、ティグル嬢のご母堂には話したのか? そうでないなら話さなければならないし、こちらとしても色々手続きがあるからな。そこは覚悟しておけ」

 実父の口述は一言一句重々しい。

「はい」

 短い返事に、ヤマニュールは真剣味を凝縮させていた。


 ジャラナの方は目をしばたたかせていたものの、最終的に娘が嫁ぐのを了承してくれた。自分のことは気にしなくていいと微笑んでいたが、彼女がいたからこそ婚姻一直線に突き進んだのだ。

 すでに方向は定まったが、ヤマニュールは学園に所属する学生である。ごく稀に、王立学園を中退して結婚する者もいるが、家から籍を抜く前に出来ることをやっておけとジョフロイから忠告された。さすれば妻に勉強を教えられるとも。



 新たなる目標に邁進していたヤマニュールであるが、彼が学園の門をくぐって切磋琢磨している間に、学舎内外で活躍する一人の男子がいた。

 ブライディッツ・レシャーヴォ。平民でありながら類い稀な才能を持ち、複数の女性を虜にしてきた男。

 隣国の間者によって置かれた、瘴気を生み出す石がとある山で発見したのは彼が入学してすぐのことだ。仕入れた情報と自らの仮説を交え隣国が王国の弱体化を狙っていることを看破し、さらに攻め入る可能性を示唆した。

 無論、民の血が流れる事態を未然に防いだブライディッツが称賛されるのは当然である。

 だが、ことはそこで終わらなかった。大聖国で幾重にも封印されていた魔王が復活し、魔族たちの軍勢で国が落とされてしまった。

 大聖国の生き残りは、命からがら王国へ亡命した。聖王は王国に助けを求め、ボロボロの身体に鞭打ってやって来た。

 なぜ王国に救いの手を求めたか? それは神託で、英雄と彼の仲間がこの地にいるから。

 それこそがブライディッツだったわけである。

 

 神に愛された者たちによって、魔王を筆頭とする闇の勢力はその悪しき目論見を存在ごと土に還された。大聖国を人のもとに取り返すだけでなく、被害ゼロという信じがたい、否、奇跡としか言い様のない結果と共に。

 英雄--

 称号を見事に証明したわけだ。

 報奨として、国王陛下が伯爵位と一夫多妻の権利を与えるのも瞭然たる理である。

 余談になるが、ブライディッツの同胞は皆女性。リルアイラもパーティーに入っており、ゆくゆくは婚礼を行うはずと噂されていた。


 英雄と目された男が奮戦していた頃、ヤマニュールやティグルたちも冒険者や傭兵たちの混成部隊の一員として、魔物たちと剣を交えていた。黄泉の幻影を拝む戦士もいたが、死闘の果てに勝利を得た。

「貴族という色眼鏡で見ていた自分が恥ずかしい」

 すべてが終わり、隊長は伯爵家長子に詫びたが、気にしないでほしいと告げた。

 サナトリウムに直行したところ、ジャラナは顔中をしわくちゃにして涙を流した。ありがとうございますと言われたが、それは違う。ティグルが側にいたからこそ、心が折れずにいた。

 伯爵家に戻ると、二人の生還を認めたジョフロイは、息子の嫁に頭を下げた。平民の自分にそれは大袈裟だとティグルは慌てたが、ヤマニュールとしては足りぬくらい。


「……見なくていいのですか?」

 柔らかな語調でティグルが訊いてくる。

 今頃王都では英雄と仲間たちの婚礼が大々的に執り行われ、会場に入りきらない大勢の観衆が押し寄せているだろう。ヤマニュールは口角を緩める。

「見てどうする? 野次馬にもみくちゃにされるのはお断りだし、結婚相手の元婚約者の顔を拝むなんて英雄様(あちら)も望まないだろう」

「なるほど」

 あっけらかんと未来の伴侶は認めてくれた。

「--お二方、仲良きことは美しいですが、早く行きましょう」

 それまで傍観に徹していた人物の声に、ヤマニュールとティグルはそちらを向く。

 執事服に身を包んだ老年の男性。

 エディム・ゴーン。ヤマニュールの実母に仕えていた執事であり、彼女が亡くなってからは息子の世話をしている。

 そう、伯爵家から籍を抜いた少年と共に行くと決めてくれたのだ。

「そうだな、お前の母親も待っているだろう」

「ヤマニュールさんの母さんにもなってくれますよ」

 ティグルは屈託なく顔をほころばせる。

「でしたら呼び方も考えないとですね、ヤマニュール様。さ、ティグル様も行きましょう」

 穏やかに目を細める執事に従い、ヤマニュールはティグルを馬車に案内し……

「待ちやがれーーーーーーーーーーーー!!!!」

 空が波打つ如し大音声が響き渡った。


 見上げると、上空に何やら妙な影が。それは落下を通り越して攻撃と呼びたくなる勢いで、地面にぶち当たった。

 やや離れたところに着地したそれ、ヤマニュールにはしばし判断に迷う。

 砂煙が散り、閃いた。数名の人間だ。

 近づいてきた彼らに、準男爵の口の真ん中は上がる。

 目を疑う事実、現在進行形で寄ってきたのは、王都で結婚式を挙げているはずの英雄様。一歩後ろに、彼の仲間たち--いや、すでに妻となった女性たちだ。


「これはこれは、英雄ブライディッツ・レシャーヴォ伯爵。一体どうしましたか?」

 ヤマニュールが丁寧に尋ねるも、相手はティグルとエディムに視線をせわしなく揺らしている。だが、準男爵がみつめていると悟ったか、顔を向けると、

「一体どういうことだよ!? こんなキャラ見たことも聞いたこともないぞ!」

「お言葉を返すようですが、『キャラ』ではなく『方』では?」

 準男爵が訂正するも、英雄の黒い瞳には険が宿ったまま。『怒髪天を衝く』なんてことわざがあるが、短い黒髪も逆立ちそうだ。

「そんなことはどうでもいいんだよ! なんでお前についてくるキャラがいるんだよ!? 明らかにモブの見た目じゃないだろ!? しかもイベント台無しにしやがって! お前が敗走しないかったから予定が狂ったんだぞ!!」

 まったくもってわけがわからない言いがかりであるが、聞き捨てならない成分が混じっていた。

「……お待ちください。もしわたしが敗走していたら、どうなっていたと言うのですか?」

「攻略対象全員の好感度大幅アップに決まっているだろ? こっちはパラメータMAXだから負けるわけがない」

 まぎれもなく返答は得たが、準男爵の求めとは違う。敗北から得るものもあるが、魔族との闘争は生きるか死ぬか、生半可な覚悟ならまず砕けるのみ。

「ブライディッツ様、それは違うのではありませんか? ヤマニュール様たちがあそこで魔物たちを食い止めてくれたからこそ、わたくしたちも消耗があれくらいで済んだのですから」

 夫となる男に異を唱えたのは、かつてヤマニュールの婚約者であったリルアイラだ。癒しの力で分け隔てなく味方や民衆を救ってきた聖女。

「は? 俺がいれば大丈夫に決まっているだろう?」

 ふてぶてしい態度のブライディッツに、ヤマニュールは内心疑問符を満たす。偉業を成し遂げ、相応の礼賛を浴び、周りが持ち上げたことを差し引いても、少々傲慢が過ぎるのではなかろうか。


 彼の後ろでは、男女の絆を育んだ乙女たちが手持ちぶさたで立ち尽くしていた。彼女らの姿と名前は、新聞の号外で広められたのを知っているし、ヤマニュールもティグルも読んだ。

 とんがり帽子にローブを纏った、魔道師のヴィーナ・ウェッテル。

 金髪を縦ロールにし、赤いドレスを着こなした武道家のノーシェ・イアラス。

 丸メガネをかけ、白衣を羽織った薬剤師のタティラ・ゼッテ。

 水着のタンキニを連想させる鎧と、サイハイブーツを着用した鞭使いのエレツェア・トトイ。

 全身に魔道文字を刻まれた、人造人間にして大槌使いのトゥア・パノド。

 被った仮面と鮭の皮を縫い合わせた貫頭衣が目を引く、修行僧(モンク)のバルネラ・ネムエル。

 皆、相応の実力者だ。

「ブライディッツ様、あなたの実力を過小評価する必要はありませんが、一歩間違えれば大切な方々を侮辱しているように思われますよ」

「だから噛ませ犬の悪役令息の分際でゴチャゴチャうるせぇんだよ!!」

 ヤマニュールは眉間に深いシワを作る。悪口は覚悟でしていたが、いかんせん内容が意味不明かつ支離滅裂で、付き合う理由も義理も義務も見受けられない。

「……ヤマニュール様。もうそろそろ行きましょう。時間も押してますし」

 エディムがヤマニュールの耳元に唇を寄せてくる。実のところ、明確な時間は決めていないが、意図は読めた。

「--申し訳ありません、ブライディッツ様。わたくしたちはこれからサナトリウムにティグルの母親を迎えに行ってから、領地でいろいろ些事をこなさないといけないので、話の途中ですが失礼させていただきます」

 次の瞬間、英雄は準男爵をねめつけると、

「待てよ、もしかしてタイプの違う女がいるのか?」

「わたしの母ですよ、母」

 念を押すようにティグルが言うも、

「ふざけるな! 長身巨乳の娘と病弱な母の親子丼なんてどこのエロゲだよ! 悪役令息の分際でハーレム作ってんじゃねーよ!!」

 マナー違反は承知で、三人は馬車に乗り込む。雄叫びを無視して。

 そして、本来の目的地に進み始めた。



 二年後--

 猫の額を顔くらいの面積に開拓した領地。村かどうにか町くらいの数しかいない領民だが、変に広大になったり人口が増加しても大変なので、これくらいでいい。

 四人を待っていたのは、傾きかけた屋敷と荒れ放題の土地。どうにか使い物にするため、家屋は大工に依頼して修繕してもらい、辺りを埋め尽くす伸び放題の雑草は片っ端から抜いていった。

 その他、時に人を雇って細々とした仕事をこなし、時に猛獣を倒してその肉や牙や皮を利用し、どうにか準男爵業が軌道に乗りかけたところに手紙が届いたのは半年前だ。

 差出人はリルアイラ。なんでもブライディッツが盗賊団を率いて暴れまわっているとのこと。


--ヤマニュールたちが遁走したあとも、いきり立つブライディッツ。彼を落ち着かせながら、リルアイラたちは新居に向かった。 

 英雄とその伴侶たちに国王陛下から賜った、城に匹敵する豪邸。

 はじめ、奥方一堂は辞退したのだ。戦争が終わったばかりで国庫、もっと言えば血税を使うより重要なことがあると。だが英雄は譲らず、贅を尽くした邸宅をものにした。


 それからというもの、ブライディッツは一日中自らの欲を満たすのみ。

「ブライディッツ様、見回りに行った方がよいのでは?」

 リルアイラが真正面から見据えて提案しても、

「ブライディッツくん、何か南の森に魔獣がうろついてるみたいだよ。あたしと一緒に行こうよ。ね、お願い」

 ヴィーナが両手を組んでねだっても、

「ブライディッツ様、そんなに食べたら太ってしまいますわ。そうだ、わたくしと手合わせしません?」

 ノーシェが袖を引いて気遣っても、

「ブライくん、ボクと一緒に療養所へ薬を届けに行かないかい?」

 タティラがメガネを上げて誘っても、

「ダーリン、エレ久しぶりにダーリンの剣技が見たいな。ね、見せてよ」

 エレツェアが飛びついて声を弾ませても、

「……マスター……お酒……飲み過ぎ……ダメ……」

 トゥアが首を横に振って注意しても、

「ブライディッツ、きみのしんねんはどこにきえたんだい?」

 バルネラがうつむいて嘆いても、

「--うるせぇ、黙ってろ」

 この一言で全てを押し通す。


 ある日、聖女代表で伴侶たちが抗議したところ、罵声が返ってきた。

「ゲームキャラの分際で人間様に逆らうんじゃねえ!!」

 実際、悪口をぶつけられるのは予想できた。気を張っていたのだが、理解を越えた中身を消化できず、目をしばたたかせるばかり。とりあえず説明を求めたところ、次のように言われた。


 今リルアイラの住んでいる世界は“ブレイブ&ラブ ~そばに君がいるから~”なる“ぎゃるげー”とやらの舞台。

“ぎゃるげー”とは、女の子との疑似恋愛を軽やかに味わう、強いて言えば参加型人形劇のようなもの。体験希望者は、ブライディッツを操って話を進行させるそうだ。

 しかし神の悪戯か悪魔の慈愛か、別世界で物語を堪能していた一人の男がこの世界に転生し、ブライディッツに成り変わった。

 さらに付け加えるなら、現在のブライディッツは“ちーとはーれむるーと”なる人生を歩んでいた。完璧な実力を持ち、恋愛可能な女の子全員と結婚できる運命だったそうだ。

 つまり、英雄様には、あてがわれた事件を賞味するだけに過ぎなかった模様。

 だが、予想外の出来事が。


 本来引き立て役どころか噛ませ犬で、最終的に孤独な底辺生活を送るはずだった悪役令息、つまりヤマニュールが花嫁を迎えられたことだ。

 伯爵家の元長子からすれば、ブライディッツは充分な幸せを得たのだからそれで満足すればいいだけ。だが、英雄様にとっては目の上のタンコブだった模様。

 だからこそヤマニュールに不平不満を吐き散らしたのだが、当の本人が蛙の面に水を地で行く反応だったため、無数の血管が切れたとのこと。


 それはさておき、一方的に頭に血を上らせたブライディッツは、屋敷を飛び出してしまった。

 リルアイラたちがツテを頼りに捜索を進めた結果、次のような情報が。

 ならず者たちやゴロツキたちを引き連れて、規模の大きな盗賊団の親玉になり、あちこちで略奪や暴行で手を汚している。

 そのままヤマニュールの元を目指している公算が高い。

 すでに形式上の伴侶となった、かつて英雄と共に闘った仲間たちもどうにか食い止めるつもりだが、万が一のことを考えて、逃走も視野にいれてほしい。

 そう締めくくられていた。


 読み終わった文を、受取人はレターボックスにしまった。

 貴族の中でも下の下だが、準男爵も一応は領主。民を守るのが仕事である。

 ヤマニュールを狙っているならば、逆に彼が出ていくことで、家族や領地に住まう者たちが危険に遭うリスクは減るのではないか。幸い、鍛練は続けているし、そこそこ魔法も使える。

 まぁ、ギルドで荒事向きの人物も雇うつもりだが。

--だが、準男爵の覚悟は予想外の方向で無に帰した。

 ブライディッツが捕縛されたのである。あまりにもあっけなく。

 話によると、タティラが作った身体強化の薬を飲んだリルアイラが、大槌を振り回して突進し、元英雄が対応に迷っているところを、他のメンバーで集中攻撃したそうだ。それも、メンバー各々の得意技ではなく、あえて他の分野で。

 ブライディッツの固定観念を利用した作戦は、個々が自分の頬をつねるぐらい効果的であったそうな。

 なお、盗賊団の手下たちは散り散りに逃げそうになったが、彼らもしっかり取り押さえられた。


--ここからは、元婚約者から直に聴いた話。

 さて、元凶を捕らえたはいいが、問題は処置。何せ、世界を救った英雄様が盗賊団を率いて人々を苦しめた、なんてことがこれ以上広まったら、不安や混乱の助長につながり、暴動が起きる可能性もある。

 国王陛下及び王族との協議の結果、事件の首謀者はブライディッツの名を騙った偽物。本物は魔王軍の残党を征伐していることにした。

 そこで戦死……が台本らしい。

 なぜかというと、ブライディッツがリルアイラたちにのたまっていた、“ぎゃるげーの世界”うんぬんが狂人の戯言にしか思えず、彼の態度から思考修正は不可能。強制労働所行きや奴隷剣士落ち、幽閉でも生ぬるいと判断されたからだそうだ。

 いくら駄目男に成り下がったとはいえ、かつて愛した男を間接的に死に至らしめる結果に到達してしまったわけだが、聖女に感慨は欠片も現れていなかった。

「あの瞬間、わたしたちの中で何かが折れてしまったんでしょうね。“不細工”や“馬鹿”だったら人間に対する悪口ですが、“げーむきゃら”は所詮人間じゃないって意味でしょうから」

 だから、それまで抱いていた思いも、育んできた絆も失せたのか。ヤマニュールは口を小屋根型にしていた。


「--どうしました、マニ?」

 ヤマニュールは顔を上げる。

 そこには嫁になったティグルが。

 ブライディッツの騒動が一段落してから、二人は身内だけのささやかな結婚式を挙げたのだ。ちなみに、ドラグライ伯爵にも一連の出来事について知らせておいた。

「いや、なんでもない」

 そう口にしたものの、ふと思った。

「ありがとうティグル。お前を愛して結婚したわけではないが、お前を愛しく思える今に感謝している。これからも頼んだぞ」

「それはわたしもです。あなたがわたしの母のために結婚したのはわかっています。でも母を助けてくれる人を、何よりわたしを認めてくれる人を、わたしは望んでいました。わたしもあなたを愛しています」

 朝日を浴びたひまわりさながらに、ティグルは笑ってみせた。

 二人の鼻を、甘い香りがくすぐる。

「……あら、お邪魔だったかしら? ホットビスケットってやつを焼いてみたんだけど」

「せっかくですからティータイムなんていかがです? ビスケットが冷める前に」

 いつの間にか、菓子を乗せた皿を持ったジャラナと、ティーポットを担当しているエディムが来ている。

「そうするか」

「そうですね」

 そして、四人はガゼボに向かった。  

  

  










 

 

 


 



  

 

 主人公の相手役を長身女子にするのにためらいましたが、「どんなに個性的な容姿でも、ゲーム内で名前がでなければモブ」。結婚理由を「病弱な母親持ち」にしたのは、悪役令息はだいたい母を幼い頃になくし、母を求めているイメージがあるためです。自己中な理由は「悪役令息」を免罪符にやってみました。