小泉進次郎とかいう存在にみる地球市民的理想主義という絶望的クソ思想

作者: 岡座 道糞

まじめな話、現実って奴のリアリティ離れは凄まじいものがある。なろう小説というと、敵が接待してるみたいに馬鹿ばかりで、ご都合主義的だのリアリティが無いだのとボロクソに言われているが、実はそういうのは改革ゴッコしてる人間の感性としてはかなりリアル感のある話なのである。小泉進次郎君を例にしてこの狂った精神性の一端を解説していこう。


小泉進次郎君の環境問題への関心の高さは、このコロナ不景気でレジ袋を有料化したその舌の根を乾かぬうちに、今度はプラスチックのスプーン&フォークの有料化を断行するレベルでお高い。我々、凡庸な下々の者たちは、彼の深謀遠慮を理解する事など出来ないだろう。


”そもそも、これ等の有料化政策というのはゴミの削減を目的としていないのである”



 小泉君は、各種媒体で「目指すはプラスチック全廃だ」とぶち上げており、レジ袋やプラスプーンを”狙い撃ち”にしたのではなく、全てのプラスチックが対象であると述べている。では何故にレジ袋やプラスプーンなどをターゲットにした政策を実施したのかというと、インタビューで「環境政策は、一部の産業界だけが取り組むべき問題ではなく、国民全体で考えて欲しいので、使い捨てスプーンのような身近なアイテムから注目してもらおうと例に挙げました」と答えているのだ。


要するに、愚民どもに対する”痛みを伴う教育”としてこれ等の政策は実施される訳である。小泉君の中で、愚民どもが環境問題にどれだけ関心が無いかと言うと”プラスチックの原料が石油だって事すら知らん”という事だから相当のもんだろう。小泉君は間違いなく国民の事を愚民だと思っている。そもそも、なぜ国民はプラスチックの原材料を知らないかというと「プラスチック製品には石油の臭いや色が無いから」だそうだ、彼の脳内国民ってのはほとんど野生児と変わらないのだろうね。



 実はこのような文法というのは、この手の改革キチガイにおいて定まりのテンプレートなのである。例えば、鳩山由紀夫”元”総理大臣の舌禍ベスト10にランキングするであろう伝説的暴言といえば「日本は日本人だけのものではない」である。この発言は外国人参政権の話においてでた発言なのだが、彼は外国人参政権に国民が反対する事について、「日本人は自信が無いから反対するんだ~」という趣旨の事を語っている。門戸を開放するの拒むのは、おびえているとか自信がないからの一言で済ましてお終いである。


鳩山由紀夫にとって、この手のグローバル政策における在来の国民と外国人で発生する摩擦の問題というのは”国民の自信や度量の問題”とのことである。自信のあるなしの問題ではないのでは? と問われて「そうではない! 自信があるなしの問題である」答えているのだから、国民の存在など考慮の対象外なのだろう。「外国人によろこんでもらえるような土壌にしなきゃダメ(・・)ですよ!」というクソみたいな理想以外に見るべき事は無いという訳だ。



 小泉進次郎は「悲観的な考えしか持てない人口1億2千万人の国より、将来を楽観し自信に満ちた人口6千万人の国の方が、成功事例を生み出せるのではないか」と公的な場で発言している。彼はこの論理に自信があるのだろう、色々な場所で述べている。何のことは無い、ダイナモ人材だのGAFAだのイノベーションだの、結局はノンコストで勝たせてくれるSSS級人材が欲し~のォ~と言うだけの浅慮極まりない意見に過ぎない。ホント、新自由主義者の経済提言というのはこんなのばっかりである。鳩山などに代表される「日本人の事などどうでも良い」とハッキリ主張する従来のおパヨク系グローバリストの方が主張が明白なだけマシですらある。結局のところ、グローバリストたちの結論は左右の両者ともに同じなのだ。結論は『外国人によろこんでもらえるように日本人を奴隷にしよう』である。



 まあ、新自由主義者を擁護するならば、日本人を狙い撃ちにして奴隷化を進めているという解釈は正しいとは言い難い。「日本人狙い撃ちではありません。全世界全ての労働者階層の奴隷化が目的です。薄っぺらな甘言で奴隷船の鎖に繋がれたがる馬鹿が世界に先駆けて奴隷化されてるだけです」という感じだろう。財界に蔓延っているデフレ勝者の主張なんて完全に”コレ”である。例えばユニクロ会長の柳井正などは、年収100万と1億に二分される世界同一賃金が理想であると述べているし、竹中平蔵なんて口を開けば「賃金が高すぎるから~」とか言って”改革”なるものをやっていた訳である。アトキンソンはもう少し賢い、年収100万の人間の話をせずに年収1億の話だけをすることで、あたかも全員が1億になれると主張している。だが、その年収1億の人間を生み出すために大量のリストラと倒産を実行しようとハッキリと言っている訳である。


で、その年収100万の人間がどう生活すんの? という議題になると彼らが語る経済提言が「株とか副業すれば良いんじゃないの?」である。まるで鼻でもほじりながら言っているとしか思えない内容の事をマジメ語っておられる訳である。上がりの人間が老害剥き出しでこういう事を言ったり支持したりするのは、まあ~歴史は繰り返すという感じであるが、現役世代でこんなもんを支持しちゃう人間は何を考えているのか? 淘汰論者というヤツ本当に不思議なモノで、自分が淘汰される側になるとは微塵も思っていないのである。魔女狩り然りユダヤ人狩り然り。



 だいたい国際社会ってなんだ? 各国のエゴと自国第一主義しかそこには存在しない。だが本邦で好き放題絶頂に活動しているグルーバリストたちの意見からは、素晴らしい国際社会! バスに乗り遅れるな! という意見しか存在しない。ともすれば、”日本が世界に先駆けて国家主権を放棄するんだァ”ぐらいの勢いである。本当、理想()と現実の違いは憲法9条教徒やらが唱える、自衛隊廃止やら市民がゲリラになれば正規軍なんて要らない説と何にも変わらんだろう。


そもそもの問題として、政治家・官僚はおろか日本国民自体に、日本国の利益を重視する意見が脆弱に過ぎる。主権と言う概念が欠片も理解出来ていない。それ故に政治家はマスコミが”国際協調”とかいう美辞麗句を並べてりゃ平気でヴェルサイユ条約にサインしてくる有様である。国際的な相場言えば外交的敗北としか言いようが無い代物に平気で何度も何度もサインする日本は最早カモ扱いだ。寧ろ、こんなクソ書類に嬉々としてサインする日本という存在の方が理解不能であろう。



 外交問題におけるこういう意味不明さの例として、韓国が帝国時代の半島統治に対し”真の謝罪”なる代物を要求しているが、植民地支配に対する謝罪・賠償の相場からすれば意味不明な要求である。欧州基準の植民地統治の謝罪がどんな相場かと言えば、ベルギーはコンゴにたいして、謝罪も賠償もしていないというレベルだ。なんか最近になって王室がコンゴに送った書簡に「過去の傷について、遺憾の極みと伝えたい」という語句が含まれていたから謝罪したとか言われるレベルである。


韓国が日本に求めていやがる”真の謝罪”とやらが何なのか、何故に日本がそれを求められてるのか、まったく理解不可能だろう。北朝鮮が要求している戦後賠償なんぞ、寧ろ日本が北に対して要求するべきレベルの話である。欧米諸国からすればこんなもんにマジメに対応している日本の態度の方が理解不能。「あんな無茶苦茶な要求に右往左往するんだから、やっぱ、ベルギーよりヒドイ事を半島でしたんやろうなぁ~」って感じである。



 ハッキリ言って、我が国に蔓延るグローバリズムの有り様と言うのは、こういう「日本が中韓ともめるのは植民地時代の清算してないからだァ~」とか「欧米のようにジョブ型雇用にすべきなんだァ~」とか物事を何にも見てない妄言を真に受けた代物に過ぎない。しかし、そういう思想はとっても力を持っており、それが世の中を動かしている。


結局のところ、物事を決めるのは政治力なのである。新自由主義者が散々に語っていた”土建屋や族議員や労働組合の利権のない新しくて清潔な未来の暮らし”と言うのはとっくに実現された。しかし、全然理想の暮らしになどなっていない。では、そういう事を言っていた人たちが言動を変えるかと言うと変えないのだ。


 そもそも、”土建屋”と”利権構造”のどちらの問題なのか?


問えば「利権構造が問題なのだ」と誰でも言うだろう。だが利権構造なんてモノは実態の無い代物でしかない。法的な話を抜きにすれば、パヨクが大好きな”忖度”とか思想の共有とかの話にしかならない。「俺は忖度なんてしない!」などと言うのは、その場面の上下関係を尊重しないという以上の意味を持たない。思想的多様性なんてモノに至っては、知識人が実際に口にしている事とは「俺正しい、お前間違い」レベルの意見である。


人間は本能的にイエスマンを周囲に置きたがるものである。議論なんて面倒くさい事一々したがるのは度し難い変人でしかない。周囲の人間からしても、上司に睨まれるリスク考えりゃイエスマンやってる方が楽だし、その方が遥かに利益になる。上司が正しければ嫌われ、上司が間違っていても嫌われるだろう。人間は何かしらの上下関係に服属している、当たり前の話である。そのうえで、俺は利権の醜さと無関係だぜ! とか言うのは、とても幸福な組織に属し、理解と度量のある上司の基にいる幸福を得ているか。周囲の人間は”あなた”という狂人に手を焼き戦々恐々と日々を過ごしているか。単に無頓着なだけというに過ぎない。



土建屋や族議員や労働者の利権は大きく後退した。代わりにどうなったか? 土建屋の利権許さないマンの利権が拡大したわけだ。彼らは自分たちを攻撃するのか? 勿論、そんなわけはない。政治と言うのは所詮は、各々の政治的嗜好や利益の調節に過ぎない。そんなことも判らない人間が「政治は正しい事を行うモノだ~」とか吹き上がり今に至る。


「正しい事」を行う事なんて、とっても簡単で人類は何度も実践している。『正しい』と認定された事をひたすらにやればよい。それに反対するモノは当然”悪”だ。小泉進次郎君は、レジ袋・プラスチックに続いて、お次は太陽光パネルの設置義務化を推進するそうだ。環境保護ォ~と叫べばどのような愚行も善行として定義される。


国民がどれだけ品行方正を努力しようとも、このイカレタお目目キラキラ野郎は認識すらしないだろう。彼の脳ミソの中の国民というのは、シバキ上げないとどうしようもない愚民なのだから、彼の誇大妄想が実現しない限り「国民は努力していない」と言い続ける。そして、妄想故にゴールポストはひたすら動き続けるのだ。アキレスと亀のパラドクスのように、妄想が実現する可能性など始めから存在しない。実に空虚な”努力”である。