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3 九月 リレー選抜候補

 九月はまだ暑い。まだ暑いので、うちの高校の体育祭は練習をしない。練習はしないが、誰が何の競技に出るかは事前に決める必要がある。

 なので、今日の体育は各団に分かれて出場種目を決めるらしい。二年が全員集合し、緑、橙、紫の三団に分かれ、体育委員主導で話が進んでいく。


 一学年に九クラスあるため、各団はそれぞれ三クラスずつだ。二年B組は橙団。

 団Tシャツは、明るいオレンジ色。表には左胸のところに小さく校章がプリントされ、背面にはデカデカと美術部が考えたデザインイラストが描かれている。


 今年の団Tデザインは動物がテーマのようだ。橙団はカッコ良いヤギだった。

 崖の淵に立って、今にも飛びそうな瞬間を捉えた、ヤギ。Tシャツ生地の橙とインクの白のニ色しかないのに勇敢さや気高さを感じる体躯の、ヤギ。三団の中では一番オシャレなデザインだと思うけど、ヤギ。

 どうしてヤギなのだろうか。


 純のG組は緑団なのだが、緑団は虎の親戚っぽいネコ科の動物が描かれていた。噂によるとヒョウなのだとか。

 動物は動物でも、ネコ科の動物ほうが可愛い。緑の団T、いいな。


「やっぱ紫の団Tが一番かっけえよなぁ」

「オオカミ? いやどれでもよくね?」

「いや一番かっけえだろ! オオカミだぞ!」


 男子のほうから聞こえてきた不快な獣声がした。オオカミが良かったとわんわんわん。イヌ科がかっけーと吠える犬、うるさい。


 橙団のモチーフであるヤギは、ネコでもイヌでもなく……何科かも知らないが、それはさておきオレンジ色のTシャツは可愛いと思う。

 Tシャツの色が可愛い。ヤギはさておき、Tシャツの色だけで見れば、橙は鮮やかでみずみずしいオレンジ色。三色の中では特に派手だが、目に痛くない柔らかな暖色だ。

 可愛い可愛いオレンジTに免じて、まぁ、多少は頑張ってあげようか、という気持ち。


「じゃあ、まずは選抜リレーから決めるぞー。団別は男女各三人、クラス別は男女各四人だから、各クラス足速い男女を五人ずつよろしく。そのあと男子は騎馬戦、女子は借り物に出る人決めて、残りは綱引き。わかったかー?」


 さらに橙団を取りまとめる団長のF組の体育委員長が、背格好も顔も性格も全てにおいてイケメンなので、まぁ、結構頑張ってあげようか、という気持ちになっている。

 心なしか、イケメン団長の団T背面のヤギの絵は他の人のよりも勇ましく見える。それに比べてB組の体育委員は、


「B組ー、今から呼ぶ人前においでー」


 呑気で間延びした覇気のない声で何かわんわん言っている。大きめのサイズをだぼっと着ているのか、ヤギはよれよれ。

 きっとあのヤギから崖でジャンプできない。そんな弱々しさを感じる。イケメン団長ヤギの、爪ならぬ角の垢を煎じて飲ましてやりたい。


 犬がスポーツテストのときの結果一覧でも載っているのであろう名簿を見ながら、首をかしげて名前を挙げていく。


「優太ー、もっちー、その次はー、奏ー」


 バスケ部の人、野球部の人、その次も野球部だったか。走るのが速い人が呼ばれて前に集まっていく。やがて女子も呼ばれ始めた。


「次は野口ー。野口ー? ちょお、聞いてるー? ももー! 前に来ーい! んで次は、ええと、たな、あ」


 たな、あ? 誰だ。顔を上げればわんころと目が合う。来い来いと手招き。


「あたし?」

「そうそう。おいでおいでー」


 嘘だ。あたし、そんな速かったっけ。犬が持っている名簿を見せてもらう。五〇メートル走のタイムが表になっていた。田中ひよりは……。ため息が出た。


「もうちょっと安藤さんが速ければ……」

「ぴったり五番目おめでとー」


 あたしから名簿を取りながら、犬がにっこり。なーにがおめでとーだ。ギリギリ五番目ざんねーん。


「うわあ、露骨に落ち込むじゃん。リレー嫌だった?」

「綱引きとか楽そうなやつに出るつもりだった」

「リレーも楽じゃん? 走るだけ」


 じゃんじゃんうるさい。犬のくせに。


「テニス部のももと同じタイムなのすごくね。運動部だっけ?」

「ううん」

「なら吹部とか? 肺活量すごい的な」

「あたし、部活入ってない」

「あー、へー」


 うわ。聞いておいてなにその反応。けっ。


「んじゃ、団別とクラス別で同じ人は出れないんでー、どっち出るか決めてこー。女子は女子でよろしくー。男子カモーン」


 リレーに選ばれし人たちを集合させた犬が、ぱんっと手を叩いて仕切り始める。こいつは体育委員だけど、真面目に体育委員面されると癪に障る。犬のくせに。


 女子のリレー選抜候補者は、運動部が多く、陽気な人間が多かった。すなわち、あたしがあんまり話したことのない部類の人たちばかりだった。

 同じ橙団でも別のクラスの人なんて知らない人ばかりだ。誰が仕切るんだろう。女子たちが集まる後ろでうろちょろうろちょろ。

 不意に、ぽんっと肩が叩かれた。


「ひよちゃん走るの早いんだねー! 私びっくり」

「あ、野口さん」

「桃香って呼んで! ねー、一緒に頑張ろ頑張ろー!」


 同じクラスの野口のぐち桃香ももかちゃんだった。身長はちょっぴり低めで、チワワみたいな可愛い子だ。今まで話したことはあっただろうか。少なくとも「ひよちゃん」と呼ばれたのは初めてだ。

 桃香ちゃんの隣に、というより影に隠れて、橙団女子による作戦会議を見守る。


「順番どーするー? てか、みんなはどっち出たい?」

「どっちでもいいけど、強いていえば友だちが多いほう」

「他のとこは誰出んの。見に行かない?」

「偵察行こ、偵察!」

「ありあり! ね、みんなで行こ!」

「なに、えっ、ちょっと」


 桃香ちゃんに連れられ、大して話したこともない足速集団とともに、紫、緑団のリレー選抜偵察に向かわされる。

 振り返れば、顔馴染みのあるクラスメイトたちが小さな輪になって話をしていた。おそらく借り物に出る人を決めているのだろう。

 ああ、あたしもそっち側になる予定だったんだけどな。

 



 結局、あたしはクラス別リレーの女子二番目の走者になった。どこでもいいと言ったらそうなった。最初でも最後でもないから、選抜リレーといえど特に目立たない。あたしにはなかなかお似合いではなかろうか。

 着替えを済ませて教室に戻る。次の授業はなんだったっけ。スマホで時間割アプリを開いていたら、隣の席に犬が座った。 


「ねね、実はリレー出たくなかった?」


 珍しく小声だった。あたしには気付くくらいの、でも周りに聞こえないくらいの。犬って小さな声出せたんだ。

 あたしはスマホから目を離さずに答えた。あ、次は古典か。


「どっちでも」

「わあ、やる気なさそー」


 やる気がないのはどっちなんだか。どうせこいつは今日の古典も寝るんだろうな。


「でもまぁ、リレーはマシなほうだから安心してよー。今年の借り物えぐいし」

「へえ」

「今年は団Tと合わせて動物テーマなんだよ。やばくね?」

「はあ」


 どこがやばいのか。省略されすぎててわからない。


「ねえ」

「なに」


 いつまで話しかけてくるんだ。手を止めて隣を見る。腕を組んで机に伏した犬が、静かな上目遣いでこちらを見ていた。


「リレー出るの、ほんとに嫌だったら俺に言ってよ。今なら六番目……安藤さんだっけ? チェンジできるし」

「うんうん、わかったわかった」


 答えたのに、まだじーっと見てくる。まだ何か用? 目を細めて首をかしげたら、あちらも首を傾けた。サラサラ金髪、長めの前髪の隙間から覗く目がきょとんとしている。


「…………」

「……なに?」

「もしかして、そんなにリレー嫌がってない?」

「あたし、嫌だなんて一言も言ってない」

「そうだっけ? でも楽なの出たがってたじゃん」

「リレーも楽なんでしょ。走るだけだって」


 そっちが言ってたくせに。借り物よりリレーのほうがマシとも言っていたくせに。今さらチェンジだなんて。

 犬はぽかんとあたしを見上げる。数回瞬きするも、目線はズレない。


「それって」

「なに」

「……いやー? へー、そっかぁー」

「なんなの」

「俺、リレーの係だからさー、応援するわー」


 体を起こしながら窓のほうを向いて、両腕を上げてぐっと伸びをしたと思えば、ばっと腕を降ろし再びこっちを見てきた。先程とは違い、いつも通りのうるさそうな顔に戻っている。


「ねね、次の授業なーに?」

「古典。今日も寝てれば?」

「えー、どうしよっかなー」


 へへっと笑う声は犬そのまんま。前世も前前世も来世も来来世も、きっとこいつは犬だ。今世だけ間違えて人間に生まれてしまったのだろう。笑顔が犬々しすぎてムカつく。


 わんこのだる絡みをあしらいつつ、古典の先生が来るのを待つお昼前。晩夏の日光が強く差し込む教室、最後列のあたしたち。

 日差しには依然として夏の気配が残っている。まだ九月、まだ九月だ。

 …………いつの間にか、普通に話をするようになっている。

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