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冬下虫の見る夢─24

※前話ラスト、内容を改稿していますm(__)m

 



『人が持つ、とても恐ろしい生きもの。それがなんだか──きみは知っている?』


 柔和な顔と声音で微笑する青年がいた。それは新年早々の王宮内、秘密裏の会合。


「あなたの答えには敬意を払いましょう。──エリアーナに手掛かりを託すと決めた、あなたの判断に」


 そう口にした、サウズリンド王宮内屈指の狸──いや、やり手の大臣ベルンシュタイン侯爵。

 あの時、自分が仕える王子はこれ以上ないという憤怒の気配を見せたが、自身は別の考えに捉われていた。侯爵は淡々と、陛下にはすべての了承を得ている旨を話している。それは、譲歩を示してはいないか……?


 おのれが決めた主君以外、本音も本気も見せない──隠し名の実態を見せもしない呑気な一族。それが、王子には本気で対峙してはいないか。


 そうだ、と自身の中で頭をもたげるものがあった。もう五年近くも前になる婚約時の条件。それを提示された時からすべてははじまっていたのだ。ベルンシュタイン家の人間なら、どうにでもつぶせたであろう話に、条件をつけた時から。


 機会があるのだ、と面に出さないようこらえたが、主君と侯爵は相も変わらず舌戦を続けている。張り詰めた緊張感から、互いを陰険狸、青臭いボンボンと言い出すに至って、抱いた思いも霧散しそうになった。


 眸が静かになったところで、困ったようにやり取りを見ている青年と目が合う。引き出せるか、と問い掛けた。


「そちらの珠を出す。ということは、同じ船に乗る──そう思ってよろしいのでしょうか」


 この先も交じり合わず、いがみ合い続ける者同士でも、時として同じ船に乗る時がある。共通の目的のために。

 青年がふと笑んだ。いつもと変わらない、つかみどころのない柔和な様で。返す声も同様だ。アレク、と自分を親しく呼ぶ同年代の文官仲間。


「船に乗るからには、運賃を支払わないと」


 小さく口元が引きつるのを感じた。同乗するには力不足だと、そう言われた気がした。では、と自分の声もいつも通り低くなる。


「お望みの運賃をご提示願いましょうか。アルフレッド・ベルンシュタイン」


 柔和な青年はあからさまな怒気を示さない。常に穏やかで静かだ。だが、やわらかく嫌味を込めたりするあたり、彼が静かに怒っている予想はつく。


 それもそうか、と自身で納得した。彼はその昔、妹が次期王太子妃になるのを快くは思っていない様子だった。王子が条件を乗り越え、妹が決めたのなら仕方ないけれど、とあきらめの風情ではあったが。


 そうした上での、この状況。彼の表情をうかがいながら言葉を紡ごうとして、フレッドのほうが早かった。小さな、声に出した笑いで。


「僕らにもこの性質上、向けられる敵意があるんだよ」


 どうしようもなく、と込められたものに、ふと察するものはあった。


 自身にも経験はあるが──王宮勤めの文官、それも王太子や大臣など中枢で国を動かす者、そこに仕える役人もまた優秀であることを求められる。当然の事実なのだが、自分のように家柄血筋とそろっていると、人の思いとして、それで選ばれたのだろうと思われる。


 覆すには、能力を示すしかない。しかし──ベルンシュタイン一族。


 一部の者を除いて、当初、彼らに向けられていた世間の評価は弱小貴族だ。権力、栄華、出世にも関心はなく、その興味を惹くのはただ書物だけ。隠し名を知らぬ者たちから見たら、王太子婚約者の身内とは言え、抜擢された役職に反発のほうが大きかっただろう。なぜ、あんな者たちが、と。


 それも、この四、五年の間に実力で黙らせてきたはずだ。今のベルンシュタイン家に、面と向かってその能力を疑う者はいない。


「……軍部、ですか?」


 財務大臣であるベルンシュタイン侯爵と軍部の軋轢は有名だ。


  口にしてしまってから、いやしかし、と改めた。

 サウズリンドの頭脳。その名で隠されてきた一族。決して表立たない、むしろ、その呼び名とひそむ称賛すら厭う、影に徹してきた者たち。その彼らが、あからさまに向けられる敵意と嫉妬を敵、と言うだろうか。


 そうじゃない、とさらに考えを深めるそこに、殿下と嫌味の応酬をしていた侯爵が鼻を鳴らした。


「我らの敵は今も昔も、読書の時間を邪魔する者──それ以外あり得ないですな」


 もっともだ、と変に納得してしまった思いを、近くのグレンが馬鹿正直につぶやいた。


「だよな。だからクリスが敵なんだし……」


 主君のこの上なく、青く冷えた目を向けられた阿呆は置いておいて。侯爵が軽口を紡ぐのは、会合終了の合図だと察した。内心つのった焦燥のまま、真っ正直に切り込む。


「あなた方を狙う者がいるのなら、教えていただきたい。それがこの先、殿下の敵と関わってくるのなら」


 なおさら、と踏み込んだ思いに、アルフレッドははんなりと笑んだ。


「僕は、きみのそういうところが好きだよ。アレク」


 チッと口中で舌打ちした。嫌味も真っすぐな必死さも通じない。この男は──この一族は、こうしていつも相手を煙に巻いてきたのだと改めた。そして、相手が焦れて諦めるか怒りだすのを待っている。

 切り口を変えよう、と別の視点を考えたところで、アルフレッドが苦笑で先んじた。


「正確に言うと、敵、ではないね。僕らは少なくとも、そう思ったことはないんだ」


 だけど、と口にしかけたのを、父親の侯爵が止める。フレッド、と静かな声で。それ以上は余計だという雰囲気に苛立ちがつのったが、冷静になろうと考えを改めた。


 アルフレッドの言葉に答えがあるはずだ。ベルンシュタイン家の敵は、あからさまな相手ではない。そしてまた、彼らも敵と思ったことはない。目に見える相手ではない。それはつまり……オーディン公爵ではない。


 侯爵が意味深に見やる殿下との様子に、ピンと来るものはあった。殿下は察している。ベルンシュタイン家の敵を。そしてそれは、殿下に近しい者か……?


 考えをめぐらす前で、侯爵が時間だ、と切り上げかけた。明確な答えがない状況に焦燥がつのった時、アルフレッドが呼び掛けた。

 アレク、と気安い口調は知り合って間もなく、気が置けない仲だと認識するようになった友人の声。


「今回の件に関して、僕らは他人事じゃない。エリィも渦中にいるしね。彼女の手助けになるよう、すでに一族は動いている。必要だったら、使ってくれて構わない」


 ベルンシュタイン一族──サウズリンドの頭脳。その手の者が動く。それはなぜ──いや。


 それほどの事態なのだと、否が応にも実感させられた。侯爵は話し過ぎだというように眉宇を寄せたが、アルフレッドの眼差しは変わらない。


 ベルンシュタインの一族でありながら友人の立場で譲歩できること。それを示してくれた彼に感謝の念を抱きながら、ありとあらゆる予測と推測が浮かんだ。

 そして最後につぶやかれた、アルフレッドの言葉。


「人が持つ、とても恐ろしい生きもの。それがなんだか──きみは知っている?」


 怪訝な思いが浮かんだが、それが分かれば、これから起ころうとしている事態──その黒幕もわかるのだと、そう理解した。

 そのまま会合は終了し、殿下もそれ以上は口を開かなかった。考えをめぐらす自分の中で、いやにアルフレッドの問いだけが頭に残った。


 人が持つ、おそろしい生きもの。それは、自分の中にもあるものだろうか──と。





 そして今。

「エリィ姉さま……!」


 医師団と物資が続々と並ぶ先頭の馬車で、停車ももどかしそうに飛び降りた少女がいた。かけ寄った少女は、だがしかし。中央広場、高台に設えられた仮小屋の人物に制される。


「リリア。この先に踏み込む前に、まず手洗いうがい、それからあちらで口元を覆う赤い布を受け取って」


 泣きだしそうな表情でかけ寄った少女は、少し高台の仮小屋で指揮する女性に止められた。抱き付こうと両手を差しだした姿勢は、相手も同じようにかけ寄ってくるのを見越してのものだったろう。


 表情ごと固まった様子は、少女が昨日口にしていた、生きた彫像のようだ。そこを小走りに付いてきたメイベルが一礼して少女を引っ張っていく。

「ちょっと……、メイベル!」と憤懣を上げるリリア嬢を余所に、メイベルの態度は変わらない。


「ご無事なお姿は確認しました。あとは、私たちにできることでエリアーナさまの力になりましょう」


 状況をわきまえた言葉に、なによ、とリリア嬢の率直な言葉が出る。「あなただって、泣きだしそうな顔のくせに」と。


 エリアーナ嬢が命を狙われてより、誰よりそのそばにいて苦難を共にしてきた者だ。囮役として迎えに赴いた際、彼女にあったのは決意と緊張。


 この作戦に綻びがあってはならない。エリアーナさまの志を成就させる──それは、引いては未曽有の疫病、それに苦しむ人々を救うことにも繋がる。


 医師としての想い。侍女として、主人の想いを汲むあるべき姿。けれどきっと──、なによりその存在を守りたかった。そんな思いが、あの時のメイベルには見て取れた。自身の命を危険にさらす不安よりも、確固とした決意が。


「今は、ここに来た目的です。私たちが今、やるべきことです」


 きっぱり言い切るメイベルの後ろ姿に、エリアーナ嬢も高台から動きかけた。眸には、二人の姿を目にした時から安堵する光がたしかにある。

 が、現状は一瞬の気のゆるみも許さないのだとわかった。


「──嬢さん! フューエルの一家が薬を寄越せと言い張って聞かん。薬さえもらえればいいと思ってるみたいだ。あそこの一家は八十超えた長老から町役人の長男一家まで、総勢十三人の大所帯だ。何人か症状が出てるみたいなんだが……どうする?」


 報告をもたらす人のよさそうな中年男性に、荷物が集まる中心部で彼女の眸は一瞬でぬり替わる。厳しく、ひとつの些細な情報も見落とさない険しさで。


「薬は無闇な配布ができません。そのお宅の病人確認を。難しければ、無料の炊き出しを行っていることを伝えてください。まずはそこに来てくださいと。断られても諦めずに。まずはこちらに出てきてもらうように」


 病への対処法も現状も、直に目にしてもらわなければ実感できない。伝わらない。家族の一人にでも現状が伝われば動かすこともできるはず。それでも難しいようであれば、わたしが行きます、と強く励ます声と眼差し。

 了解、と返す男にエリアーナ嬢のそばで周囲に目を光らせていた一際大きな男が言葉を投げる。


「ベルント! 何度言っても聞かないようならオレが行く。オレの名を出して、だれか一人でも引っ張って来い」


 わかってる、と返す声にかぶせるように、次の情報が届く。確かに猶予はないようだと、挨拶は後回しに医師団の代表者と部下の一人に物資の一覧表を持って彼女に届けるよう言い、自身は身を清める場所へ急いだ。



 脈拍や熱も計られてから許可が出て、口元を覆う布を受け取る。これがメイベルの話していた、エリアーナ嬢考案の予防対策か、と。


 雪の止んだ朝焼けの中で町を見渡すと、炊き出しの煙がいくつも上がっているのがわかる。多少の混乱はあるようだが、無秩序な事態には陥っていない。病人と健常者は分けられており、病人が出た一家はまとめてこの町に送られてきていたため人口も増えているが、きちんと分けられている。健康で、労働力として借りだせる者と。


 そして、無料の配給所。食料がある。温かい食事が直に差し出される、という事実は町の住人に安堵と信頼をもたらしているようだ。


 政治的な面で見れば、よい手だ、と思う。


 冬場のこの時期。十日以上立てこもっていたおかげで、食料もギリギリの状態だったろう。人は空腹だと、気持ちが乱れたり感情的になったり、思考もまわらなかったりする。お腹が満たされることで安心感も生まれ、次に動く活力もわいてくる。


 町が活性化していく有様を──それも、灰色の悪夢の病人が集められた町、死の町と忌まれた場所が、住人たちの底力と手でよみがえっていく。それを目の当たりにした思いだった。


 それをもたらした、エリアーナ・ベルンシュタイン。彼女はクリストファー殿下の婚約者だ。


 今まで王家に批判的だったラルシェン地方が、ここから変わっていくかも知れない。ぞくりとした思いと、的確に指示を出し続ける女性を見て、これがほんとうに、王宮書庫室で静かに本を読むばかりだった女性と同一人物だろうかと思った。


 彼女には、以前から人を動かす力が確かにあった。けれどそれは決して自分が表に立たない、周囲を活かしていく力だ。だが、今。彼女は自ら先頭に立ち、こまやかに、時には厳しく、声を張り上げている。


 その凛とした姿が、未来の王妃の姿と重なる。これは意識してのことか、無意識下か。


 ともかくも身を改めた部下とともに急いでかけ寄り、彼女の指示下に入ろうとしたそこで、大岩のような巨漢に立ちふさがれた。ぎろり、と眼光鋭く見下ろされて息を呑む。名乗るより先に、エリアーナ嬢の声がかかった。


「ラッカさん、その方は王太子クリストファー殿下の右腕、アレクセイ・シュトラッサーさまです。問題ありません」


 彼女の声で大岩が声もなく道を空ける。目を白黒させる思いでたずねかけ、先手を打たれた。


「アレクセイさま。ご無事でなによりです。物資と人手もたすかります。先にお伺いしたいのですが、カール・ラルシェン伯爵はご無事ですか?」


 は? と虚を突かれる思いだったが、この一行には加わっていなかったと改めた。


「カールと黒翼騎士団は後始末兼、後続隊です。追ってやって来る手筈ですが……ああ。皆無事ですよ」


 何を聞きたいのかを遅まきに理解すると、エリアーナ嬢は近くの侍女にレイチェルさまに伝えて、と告げた。休まれているとは思うけれど、ご無事なことを知ったほうが心労も和らぐでしょうから、と。

 はい、と勢い込んでお辞儀した侍女が急いで走っていく。次に口にされた言葉もまた、自分をとまどわせた。


「アレクセイさま。指示は飛ばしたのですが……救援に来てくれた医師団は二手に分けてください。すべての医師と看護人を一度に集会場へは入れないように」


「それは……なぜ?」


「ジーンさまから……薬師と医師の方から言われています。集会場にいる病人は皆重症者です。外から持ち込まれる何かでさらに悪化する可能性もある。引継ぎもしなければならない。手は欲しいけれど、交替は慎重に、と」


 少し高台を作って建てられた仮設小屋。そこから見晴るかす先で、確かに病人のもとへ向かった医師団が身を清めながら分けられているようだった。


 それに──とエリアーナ嬢の声は低く落とされながら、先を見据えた厳しさをはらんでいた。

 医師団が全滅する事態だけは、避けなければなりません、と。


「……っ」


 灰色の悪夢。その治療薬ができたとはいっても、なにより病に罹らないことが肝要なのだ。


 メイベルも言っていた。エリアーナ嬢が考案した予防対策。これはまだ仮説に過ぎなく、確実なものではない。頼り過ぎる危険性も視野に入れていた。


 彼女たちは──いや、彼女は、この数日間でどれだけの成長を果たしたのだろう。静謐な図書館で本を読み、時おり意見を口にする日常から、喧騒が入り混じり、人の生死がかかった緊迫感ただようこの場所に立つまで。


 どれだけの挫折と、くじけた心を立て直してきたのか。


 胸が詰まる思いで改めるのと同時に、死の町がよみがえる予測をたやすく立てた自身を反省した。政治的な打算を考えたことも。

 ここは、まだ予断を許さない場所なのだと。


「わかりました。医師団と看護人の管理は私のほうで請け負います。二手に分けて、もう一つは集会場以外の、どこへ?」


 彼女の手元には扉大の台座に広げられた、手書きの町の地図がある。空き家を示す黒印と検査済みの赤文字、いくつも書き込まれた情報。その近くでは別の机で住人の一覧表を片手に、病人と健常者とを分けて記す役人たちがいる。


 ザッとそれらを見て取って指示を請うと、彼女の眸に少し、ホッとする色が走った。荷を分かち合える存在だと思ってもらえたらしい。


「医師団、看護人、日頃から薬草も煎じている方はそちらの手伝いにまわってほしいんです。薬師も足りていない。素人が手伝っても、それを管理検査する専門家がいないと、無闇に許可は出せません」


 病人に投与するものだ。徹底的な管理下に置くのはもっともなこと。確かに、医師や看護人、薬草を集めるほうに重点を置いていた点は否めない。


 クソ、と自身の穴に歯噛みしながら彼女が指す地図上の箇所に、今度こそどんな穴も許さない戒めでうなずいた。


 館から連れた自身の部下に指示を出して周囲をあらため、屋根だけの吹きっさらし小屋前にあった、小さな鐘を一度叩け、と命じた。これは喧騒が入り混じる中で、何か決定的な指示を出す時のためのものだろう。


 とまどう役人に彼女がうなずいて、真冬の朝焼けに透き通る音が響く。周囲の注意が向けられたそこで、自身も声を張り上げた。社交界はもちろん、自身の執務室でも上げたことのない、伝え聞かせたい声を。


「私は、エリアーナ・ベルンシュタイン嬢の補佐役、アレクセイ・シュトラッサーだ。先ほど到着した救援部隊は、医師団、看護人合わせて二十。救援物資、食料、薬草、衣類、その他生活物資、薪と火石、合わせて三日分だ。人数が増えた分、これらの減りは早い。だが、追って後続の救援物資、人手も届く手筈だ。追加された役人は王家の腕章をつけている。指示系統の乱れがないよう、注意を払ってくれ。そして──エリアーナ嬢が休む時は私、アレクセイまで情報を届けてほしい。よろしく頼む」


 最後にかるく頭を下げた自分に、横のエリアーナ嬢が目をみはったのがわかった。そんなに驚くことかと、内心口元が引きつる。


 たしかに自分は、今まで部下や目下の者に頭を下げて何かを依頼したことはなかった。が、今は自身の矜持など二の次だ。

 それに対する力強い響きは、エリアーナ嬢のさらに横から響いた。大岩の男から。


「王家がオレたちに、さらに救援の手を差し伸べてくれてるってことだな。──おまえら! 遣わされた役人の数は多くねえ。しっかり顔と名前を憶えろ。邪な者が成り代わったら、ウルマ鉱山夫の名にかけてとっちめてやれ!」


 おう! と勇ましい声が朝焼けの中で響く。鉱山夫の朝は早いと聞いていたが……いや、そうではなく。

 大男の言葉は自身を認め、指揮系統が移るのを認めたも同然だ。そこには確かに、一人ですべてを背負っているエリアーナ嬢を休ませたい思いが見て取れた。


 エリアーナ嬢はたったの一日足らずで、どうやってこの屈強な男どもを従えるに至ったのか。あらためて驚かされながら、反論してくる言葉を彼女のように先んじた。


「その彼が言う邪な者とは、どういう意味ですか?」


 指示系統を乱す者は頭に入れておかねばならない。

 それは……と、今まで歯切れのよかった彼女が、とたんにためらうものになる。その、アーヴィンさまが、と口にされた名前に、彼も見定めておかねばと改める。


「アーヴィンさまは、仮設小屋の建設に携わってくれています。その……彼が、わたしは命を狙われているから、周辺に注意をしてやってくれと、皆様に言ったので……」


 それで、見るからに荒くれな鉱山夫たちがものものしく仮役所周辺に目を光らせる事態に至ったのか。その他、理解して聞いておかねばならない要点のみをいくつか問う。

 とまどったように返す彼女がいつものエリアーナ嬢だと安堵してうなずいた。


「我々はここに来るまで、馬車の中で仮眠を取っています。興奮して眠れないというリリア嬢も……まあ、少々強引に眠らせました。今のあなたよりは、十分体力があります。交替しましょう。少し、休まれてください」


 あなたが負っているものは、私が請け負います、と告げると、張り詰めていた眸がフッとほどけるのがわかった。堰き止めていたものがあふれ出しそうな勢いで。しかし、それをグッとこらえる意志があった。まるで、自分の弱い部分は彼にしか見せないのだと、彼女の確固たる自我をのぞかせたように。


 まだ、やることが、と言いかけたそこを、大男がひょいと肩に担いでいく。さすがにそんな事態ははじめてだったのだろう、言葉を失った彼女があわてて大男を止める。


「ラッカさん、ちょっと待って。……ちょっとでいいです!」


 言葉を聞かない男をようやく止めて、彼女がおかしな目線からたずねてくる。


「アレクセイさま。……ウルマ鉱山の封鎖は」


 鉱山夫であるらしい大男がぴくりと反応する。鉱山町の役人らしい周囲の人間も、突然静まり返って聞き耳を立てた。その中で言葉にするのはさすがに勇気がいったが、彼女の眸には迷いがない。それに自分もならった。


「──封鎖しました」と、迷いなく。


 うなずいた彼女に、大男がそれ以上の問答はまた後だと、無言で運んでいく。その姿にもうひとつ声をかけた。


「母にも、薬は投与済みです。館にいた、病の罹患者にも。それから──」と、これは口にするのをためらう情報だった。だが、言うべきだろう。


 彼女の身を案じ、守る姿勢を見せている鉱山夫たちには、なおさら。


「我々を襲撃した首謀者一名、他、手負いの二名を取り逃がしました。申し訳ありません……」

 告げる声はどうしても固くなる。


「二名の内──一名は、ジャンです」

 休めと言いながら、心労になるだろう事実を。






お知らせ。

「虫かぶり姫」コミック5巻が5月31日、本日発売です。

喜久田先生のあざやかなブルーの表紙が目印です。

よろしくお願いします(*´▽`*)

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