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四幕─1




 放心状態が抜けないまま、殿下に腰を抱かれていつもの執務室へ続く回廊を歩いていました。

 殿下はお疲れのご様子のグレンさまから現場の状況を聞き、さらに指示を出されています。

 途中で待ち構えていたようなテオドールさまとアレクセイさまと合流しました。



 お二人があの舞台劇のような場に居合わせられなかったことに、いまさら気付かされます。殿下に近しい者が揃い踏みでは、いかにも仕組んだ筋書きに見えることを懸念されたのでしょうか。


 叔母に読まされた本では、主要人物は必ず舞台に揃っているものでしたのに。



 ………いえ。

 舞台はいったい、いつから幕を開け、そしてどんな筋書きが用意されていたのでしょうか。


 わたしの配役は「虫かぶり姫」ではなかったのでしょうか。どこかで台本を読み違えたのでしょうか。



 グルグルと、わたしの頭の中は混乱も極地でした。

 そこに殿下から返却本を手渡されたテオドールさまが、気遣わしげにわたしをのぞき込まれてきます。


「───エリィ?大丈夫か」と。


 いつものテオドールさまにわたしも目をしばたきました。

「はい………」

「クリスにしてやられたな。あの状況を利用して、成婚の話を推し進めるとは」


 どこかですべて見ていらしたのでしょう。隣の殿下があざやかな笑みを浮かべておられます。


「先手必勝です。最後の難関だったカスール伯爵も落としました。これでベルンシュタイン翁も文句ないでしょう」


 突然出た祖父の呼び名に思わず殿下を見上げます。テオドールさまはなににか意地悪く笑んでいらっしゃいました。


「そろそろ大詰めかと思って、エリィを呼び出した私に感謝しろよ、クリス。───まあ、私個人としてはあのままこじれてくれても全然かまわなかったんだが」


 すると、殿下の気配がふいに毛羽立ったように乱れました。

「甥の婚約者に横恋慕するような真似はおやめ下さいと、何度も言っているはずですが。………だいたい、エリィといくつ歳が離れてると思ってんですか」


 この少女愛好者ロリコン、と殿下らしくない言葉が聞こえた気がします。きっと気のせいでしょう。


「貴族同士の結婚で歳の差なんてありふれているだろう。それに、エリィと一番話が合うのも私だ。だれかさんはしょっちゅう、ものすごい目付きで睨んできていたがな」

「叔父上が馴れ馴れしすぎるんですよ!それに、エリィエリィと気安く連呼しないでいただきたい!」



 …………先ほどまでの冷静沈着に罪を暴かれていた殿下はどこに行ったのでしょう。


 わたしが目をしばたいてそのやり取りを見ていますと、不機嫌をふくんだ冷ややかな声が割って入りました。


「じゃれ合いはその程度でお収め下さい。後始末と殿下の発言のおかげで新たな仕事が山積みです」

 あー、と疲弊しきった様でグレンさまがうなだれていらっしゃいます。


「ホント………マジ勘弁しろ。いくら期限切れだってせっつかれてたからって、いきなり巻き巻きにしやがって。オレの隊から配置替え希望者が続出したら、マジ恨むぞ」


 まったく、とアレクセイさまも苛立ちを隠そうともされません。


「数世代ぶりに表舞台へ引っ張り出した『サウズリンドの頭脳』を、またも隠棲させるところだったではないですか。四年もの時間がありながら、麗しの王子さまはいったい、なにをされていたんですかね」



 容赦ないアレクセイさまの嫌味でした。殿下はとても渋いお顔をされています。

「私は、エリィがベルンシュタインの人間だから伴侶に望んでいるんじゃない」


「承知ですよ。初恋云々の告り合いはお二人の時になさって下さい。馬鹿らしくて聞いていられません」


 アレクセイさまはいつも通り冷淡な様で紙束をっていました。そこに明るい声で新たな顔ぶれが現れます。



「───ホーント、麗しの王子が実はこんなヘタレだったなんてね。知ってれば、アイリーンも違う攻め方があったろうに」


 いたずらっぽく笑んだのは蜂蜜色の髪の宮廷楽師、アランさまでした。


 回り込んで来られると素早くわたしの片手を取って、そこに口付けを落とされます。油断のならない翠緑の眸がわたしを捕えました。


「改めまして、エリアーナ・ベルンシュタイン嬢。ボクはアラン・フェレーラ。あなたのことを妖精姫の愛称で広めたのはボクだよ。これからはアレク達同様、親しくしてくれるとうれしいな」



 妖精姫?

 わたしは思わずまたたいて否定しました。ないでしょう、と。


 実を申しますと、領地にいた頃のわたしにはもうひとつのあだ名がありました。『図書館の亡霊』───というものです。


 わたしの髪は亡き母ゆずりの色素のうすい金髪で、細かくクセがあり、ポワポワとまとまりなく広がっています。室内で本ばかり読んでいますので肌は白いというより青白く、また、人より本を相手にしているので表情にも乏しいです。


 それらがより一層、亡霊のイメージを高めているようです。


 領地の子どもたちの度胸試しにされたこともありますし、いつかは天気のよくない夕暮れ時、書斎の暗がりにいたわたしを見て新人の小間使いが『で、出た───!』と叫んで逃げ出したこともありました。



 ………わたしの幽鬼っぷりはどれほどなのでしょう。そんな人外のものにたとえられるぐらいなら、『虫かぶり姫』のほうが断然マシなのです。人であり、しかも姫なのですから。


 妖精姫なんておそれ多い愛称をわたしが内心で否定していますと、スパン───と見事な潔癖さでクリストファー殿下がアランさまの手をはたき落していました。


「あの状況になる前になぜ止めなかった。結果よしとしても、おまえが今回公然と出てきたせいで、この先やりにくくなっただろう」


 えー、とアランさまは悪びれた様子なく反論されます。

「殿下だって子爵呼び出して決着つけようとしてたじゃん。娘にも同じようにさせてあげないと、彼女、思い込みが解けなさそうだったからさ。それに、ボクの正体だっていい加減もう潮時でしょ。王妃さまやその周りのご婦人方、聡いご令嬢方なんかには、とっくにバレバレだったし。むしろ、ボクがいるたびに殿下の過保護っぷりとデキア───」


 ムガ、とアランさまの口が乱暴にふさがれました。それを行った殿下にわたしは先から目をしばたいてばかりです。


「あの………」

 それでも気になる単語を思い出して、わたしはアランさまへ謝罪しました。彼が殿下の腹心であり、影ながらわたしの周囲に目を光らせてくれていたのなら、お礼も申し上げるべきでしょう。


「今まで気付かずに、大変申し訳ございませんでした。以後は気を付けさせていただきます。宮廷楽師さま」


「…………アランデス」



 ………やっぱりボク、四年間一度も気付かれてなかったんだ………これでも、殿下以上に年齢層問わず女性受けする役柄なのに…………ハハハ、とアランさまはどこかうつろな、自信を見失ったような目つきをされます。


 わたしは大変申し訳ない心持ちになりました。わたしが社交界を苦手とする理由がここにあります。人様のお顔を覚えるのが苦手なのです。

 本であれば、どれだけ多岐にわたった分野であろうと覚えられるのですが。



 フンと鼻を鳴らされた殿下に、アランさまがムッとしたお顔をされます。気が置けないように半眼を返されていました。


「まあ、でもボクはどっかのヘタレ王子とは違って、彼女の叔母にまで協力を仰いでおきながら、結局は誤解させて愛想尽かされる真似なんてしないから。───なんでも?エリアーナさまに本を突っ返された時には吹けば飛んでく紙───いや、灰みたいに真っ白になってたとか?」


 とたんに硬直した殿下の前で、ほう、と面白そうなテオドールさまの合いの手が入ります。

「ベルンシュタインの人間が本を突っ返した?それはまた………太陽が西から昇ったような現象だな」


 げっそりしたお声はグレンさまでした。

「ヤ………勘弁して下さい。それが切っ掛けで、なんかが降臨したっつーか」

 素が出た、っつーか………と、今度はグレンさまが涙目でどこかうつろな眼差しです。よほど、今回の件で奔走させられたのでしょう。


 同情と労わりを覚えたわたしも内心反省します。あの時の自分が大人げない行動をしたのは、いまならわかります。

 結局は、わたしの誤解と思い込みだったようなのですから。わたしもアイリーンさまのことを責められはしないでしょう。



 その時「───エリィ」と呼ぶ声が背後からかけられてふりかえりました。兄のアルフレッドが足早にかけてくるのに、わたしもつられてかけよります。

 知らず、色々と緊張していたのが家族の顔を見て解けました。


「お兄さま」

 近くに来たわたしの顔を見て、兄はうかがう眼差しをします。

「騒ぎがあったと聞いたが………大丈夫か?」


 心配そうに額髪をかき上げるようになでられました。子どもの時から変わらない、顔色を確かめる仕草にわたしも表情をゆるませます。


「はい」


 アイリーンさまには複雑な思いがありますが、彼女の思惑どおりに事が運んでいたら、わたしはこの兄や父にも多大な迷惑をかけていたところでした。

 これは舞台劇じゃなく現実だと、兄の手のぬくもりにようやく実感することができました。


「まあ………クリストファー殿下がおられて、おまえになにかあるとは思えないけれどね」


 そう言って近くに来られた殿下に目を上げられます。殿下はきらきらしい笑顔を取り戻されていました。


「ベルンシュタイン翁と侯爵に伝えてくれ。条件はすべて満たした、と。………多少、期限が過ぎたのは目をつぶってもらえるとありがたい」


 兄はこぼすような微苦笑でうなずきました。伝えましょう、と。

 続いて───ただし、と声音があらためられます。


「もしまた、妹にあんな顔をさせたら、ベルンシュタインの頭脳を総動員してでも許しませんので、そのおつもりで」


 殿下のお顔が小さく引きつりました。───心得ている、と返されるお声も固いです。

 アレクセイさまが吐息で割って入られると、書類のいくつかを兄へ渡しました。それから、と。


「───申請されている休暇の件ですが、フレッドがいないと三日で宰相閣下が過労で倒れます。財務室も同様ですね。間違いなくしかばねの山が出て、持ち直した国庫がまた傾きます。───ということで、申請は陛下の権限をお借りして却下させていただきました」


「まあ………そうなると思っていたけれどね………」


 あきらめまじりの口調の兄です。アレクセイさまとは同じ文官同士、気安い仲なのはわたしも知っておりました。


 書類を見て肩を落とす兄は、心のどこかで父と同じように休暇をもぎ取って読書三昧したい気持ちがあったのでしょう。わたしだけがその立場を得ていて、なんだか申し訳ない気分です。


 と、アレクセイさまの蒼氷色の双眸が兄の心中を見抜いたように鋭くなりました。

 そもそもベルンシュタインの人間は───、と言いかけるアレクセイさまを、兄はあわてた様子でさえぎります。


「あー、え───殿下。エリィも。陛下と宰相閣下が二人をお呼びです。事の仔細を報告せよ、と」


 すると、今度はクリストファー殿下が若干じゃっかん、あわてられた様子でわたしを引き寄せられました。


「火急の用にて、少し時間をいただくと伝えてくれ。王家の存亡に関わる一大事だと。───叔父上、アレク、先に説明を頼む」


 早口にそう告げられると、わたしをつかんだまま、その場から逃げるように立ち去りました。

 後にする親しい方たちのどこかあきれた視線に見送られて、わたしの頭の中には再度疑問符が浮かびました。


 王家の存亡に関わる一大事───?





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