冬下虫の見る夢─9
うわっ、という声と不吉な音は一緒でした。
雪深い山中。案内人の方を先頭に、わたしたち一行はそこをせっせと雪かきし、あるいは騎馬で踏み固め、時には通りやすいよう枝を剣で打ち落とし──いわゆる、道均しをしておりました。
「なんでたった一晩で、こんなに雪が積もってるんッスか」
ぶつぶつと不平が多いのは、当然のように従僕のジャンです。
わたし、エリアーナは戦力外と馬上におり、馬の轡を取ってくださっているのが、アーヴィンさまの従者、レイでした。
まったく、とそり型の木枠を手に雪かきをしていたアーヴィンさまが、同じような不平を同士に向けます。
「口数の多い従僕だな。レイじゃないが、口より先に手を動かしたらどうだ。いくら文句を言ったところで、この雪が溶けて消えるわけじゃないだろうが」
「わかってても文句を言いたくなる庶民の気持ちは、お坊ちゃまにはわかりませんかね」
「上に文句を言うのは、税を収める民の権利だ。どんどん言え。だがおまえは、俺に税を収めてるわけじゃないだろうが」
「へえ、すんません。これはまったくもって、オイラの僻み根性ッスよ」
「たいした根性だ。その口数減らして汗水たらせば、ちょっとはマシな性根になるんじゃないか」
「そっくりそのままお返ししますよ」
口数が多いながらも、息の合った二人のようです。応酬を交わすほど、矛先を向けるように手を動かす速度も上がるので、従者の方も静観する構えでした。
わたしの後方には、「ボク、力仕事担当じゃないんでー」と騎乗したアランさまがジャンの馬を引き連れ、同じく戦力外のメイベルがあきれた顔を隠そうともしていません。
そこで上がった、先の不吉な声でした。
雪のふきだまりにはまったジャンの姿を見て、アーヴィンさまが、「日頃の行いがモノを言ったな」とせせら笑えば、「大きなお世話ッスよ」と返すジャンが近くの枝をつかんで身体を引き上げるのと同時に手を離し、しなった枝が狙ったように積もった雪をアーヴィンさまに直撃させました。
「……やりやがったな」
「あー、すんません。わざとじゃないッスよ」
飄々と返すジャンと一瞬の睨み合いの後、子どものような雪合戦がはじまりました。
……この二人は、事態の深刻さを理解しているのでしょうか。アーヴィンさまの従者とわたし、どちらが口を開くのが早かったのか。それより前に飛び火──いえ、飛び雪がわたしを襲っていました。
どちらかの投げた雪がわたしの頭上の枝にぶつかり、雨だれのように雪を降らせます。馬が驚いていななき、ふいの馬足踏み替えと乗馬が得意でないわたしは──ボテッ、となさけない音で積もった雪の上に落馬していました。
「エリ……エル!」
あわてて馬から降りたメイベルがかけよって雪の上に人型を残したわたしを救出してくれ、「とろいッスねー」「運動神経のなさは相変わらずだな」と他人事の二人に怒りを向けています。
言い合いがはじまる最中でも、我関せずといった風情で一人黙々と雪かきをしている案内人の方が素晴らしいです。従者のレイは大きなため息をもらし、アランさまは、
「今日中にたどり着けるのかなー。魔女のもとに」と曇天の空につぶやいていました。
わたしもまったくです、と思いながら、雪まみれになった冷たさに、小さくくしゃみをしました。
~・~・~・~・~
殿下からの手紙を読み、明かされた事態の流れにしばし言葉を失い──そして、託された重みに気持ちが引き締まる思いでした。
マルドゥラ国との開戦の動き。それを止めるために灰色の悪夢の治療薬、その手掛りを得なければならず──。しかし、わたし自身を狙う者にセオデンおじいさまたちを傷付けられ……と、不安と焦る思いばかりがつのっていました。
でも、殿下は様々な事態を想定して、わたしに情報と手掛りを伝えてくれた。
手紙を胸に抱きしめたい思いで気持ちをあらためていると、「……ひたってるところ悪いが」とアーヴィンさまのからかう声がかけられます。
「この事態に関してはオレたちも関係者だ。あんたが判断した情報を開示してくれるか」
口調とは反対の真剣な眸に、わたしも思い直しました。
アーヴィンさまたちが話された、マルドゥラとサウズリンドの国交を阻止しようとしている者の存在。その情報を欲してもいるのでしょうが……なによりも。
自国の民が苦しんでいる病に関する手掛り。アーヴィンさまたちはそれを最優先にわたしに接触してきた可能性もあるのだと、その事実を胸に刻みました。
考えながら口を開こうとして、アランさまに止められます。
「部屋に戻ってからにしましょう。まずは食事食事」
あ、とわたしも気付きました。戯曲を紡いでいた歌い手のアランさまがここにいるのですから、人々の注目もこちらへ向いています。囃す声も落ち着いてしまった今は、内談に不向きでしょう。
殿下からの手紙を胸にしまい、話す内容を頭の中で整理しながら食事を済ませました。
そうして宿泊のために借りた一室へ集まり、わたしは自身の判断と殿下からの手紙の内容を皆に伝えます。
わたしが判断したのは二つ。
まず、政治的な情報を取り引きするのは、わたしは不向きです。アーヴィンさまたちは黒幕の情報も得たいのでしょうが、それに関しては殿下が一手に引き受けてくださっている。……アレクセイさまがこの場にいれば、話はまた違ったのでしょうが……。
殿下が伝えてくれた事態の流れから、わたしにもそれと察するものはありました、ですが、はっきりと明記はされていません。
それはおそらく、殿下も今は証拠固めに動かれている最中であり──また、迂闊に名を記すのは憚れる相手なのだと推察することができました。
なので、そちらに関しては殿下にお任せし、わたしはわたしに託された手掛りに集中する。そのために、皆の協力が必要でした。
すべての事態の、解決の糸口になるかも知れない治療薬に関しての情報。これに関しては、できるだけ包み隠さず話しました。
説明をするわたしに、揶揄するような口ぶりで返してきたのがアーヴィンさまです。
「ヒューリアの壺、ねえ……」
伝説上の書物の名ですので、他国の方ならなおさら半信半疑でしょう。自国の人間で医学の知識のあるメイベルでさえ、難しそうに眉を寄せています。
わたしは殿下の手紙からもたらされた情報を、さらに言葉を添えて言いつのりました。
「伝説上の書物ではありません。実在した方の研究書です。──王宮薬学研究室のナイジェルさまは、今の薬草学界で第一人者と言われる方です。その方が師と仰いだ、疫病とその治療薬に関して、いまだに優る者はいないと言われている博士。その方が残された研究書が、治療薬の手掛りになるかも知れないのです」
薬草学を収める者にとっては、ヒューリアの壺に等しいその書物。そこにわたしは可能性を見ていました。
殿下の婚約者として王宮に上がるようになってから、薬学室の方々とは触れ合い、灰色の悪夢に関してもその研究の進み具合を間近で見てきました。だからこそ、先にバクラ将軍を解き伏せることもできたのです。
今、とわたしはあらためて皆を説得します。
「サウズリンドには、灰色の悪夢を見分ける薬、そしてその症状を抑える薬があります。あとひとつ。──おそらく、あともう一歩。治療薬の完成まで、あともう一歩のところまで来ているはずです。ナイジェル薬室長たちも、今ひっしに治療薬の研究に取りかかっていらっしゃるはず。そのためにヒューリアの壺が必要なら、わたしはなんとしてでも、この書物を手に入れたい」
こんなにも自ら欲した書物は、幼かったあの時以来かもしれません。本好きの一族なのに、なぜヒューリアの壺がないのかと、泣いて父を困らせたあの時。
でも──と、わたしは考えをあらためます。
わたしが欲しいのは、万能の書物ではない。人の知恵と努力と、研究の成果が詰まった書物。それがヒューリアの壺と呼ばれ、希望の書となるのなら。
薬学を学ぶ者にとって、活字が綴られ、数多の知識や物語を尊ぶ書物好きにとって、こんなにも誉れとなるものはないのではないか。
だから、とわたしは皆にあらためて協力を求めます。セオデンおじいさまと対峙した時、手掛りは雲をつかむようだった。でも、殿下は確実な情報をこうして伝え、託してくれた。
治療薬への手掛り。希望は確実にあるのだと。
「研究書の著者であるファーネス博士。その方のご家族がこの町にいる情報がある。──その手掛りを得たいのです。皆さまの力を、貸していただけませんか」
ナイジェル薬室長が師と仰いだファーネス博士はとうに故人です。そして、とある件によって、ファーネス博士に繋がる方々は姿をくらませてしまった。
殿下とナイジェルさまは、ようやくその行方がハーシェの鉱山街にあると突き止められました。しかし、そこまで。
あとは現地で地道に訊き込んでいくしかない。だから、世知に疎いわたし一人よりも、皆の協力が必要なのだと。
そう懇願するわたしに、アーヴィンさまのどこか見透かしたような、皮肉げな笑いが向けられました。
「サウズリンド王家と国が、大々的にその家族を探せない理由がありそうだな」
グッと小さく息を呑みました。
ファーネス博士一族と、王家の因縁──。それに関しては、手紙に経緯が説明されていましたが、殿下はわたしなら大丈夫、とそう締めくくられていました。今は、それを信じるしかありません。
立場上、話せることと話せないことがある。その上で協力を求めるのは、厚かましい行為でしょうか。
わたしを見透かすような黒い眸と対峙して、フッと、その眸がやわらぎました。
「いいぜ。貸しにしといてやる」
とたんに、キッときつい目と言葉を投げたのがメイベルでした。
「病の治療薬に関して情報を得たいのは、あなた方も一緒でしょう。何を恩着せがましい」
「お願いをされたのは、俺たちのほうだぜ。貸しになるのは当然だろうが」
根本のすり替えをしないでください、と言い合う二人をよそに、あ、と声を上げたのがアランさまでした。
「あの薬師見習いっていう子ども。あの子なら何か知ってたりしないかな」
わたしも内心の歯痒さを押し込めて、うなずきました。こんなことなら、引き止めてもっと色々と話を聞いておくのだったと。
可能性はありそうですね、と同意する従者のレイと話を進めます。夜も更けた時刻ゆえに明日からの具体的な方針を定め、横では言い合うアーヴィンさまとメイベルにジャンが一人、
「大丈夫ッスか、このバラバラな協力体制……」とつぶやいていました。
そうして、明くる朝から動きだしたわたしたちですが、事はそう簡単にはいきませんでした。
まず、昨夜の子どもから薬師の話を聞こうと宿屋のご主人にたずねようとして、ご主人は早朝から留守にされていました。それも、急遽増えた仕込みのためだと聞かされては、原因を作ったわたしも気まずい思いです。
薬師見習いの子どもは町から離れた山中に住んでいるそうですが、詳細はご主人しか知らないとのことで皆の口は重たげです。なにやら疎んじられる雰囲気がそこにはあり、詳細は得られそうにありません。
ならば、今はひとまず保留にするしかないと、次に正規の手段としてアランさまが町役場の住人台帳を確認したのですが……、そこで見付かるようなら、殿下も現地で探るよう託したりしないでしょう。
そのため、わたしたちは手分けして薬師に関しての情報を集めにまわりました。しかし……、どこかで想像した通り、ほとんどの方が医師と同じくウルマ鉱山の病人のもとへ赴いており、不在でした。
そして聞き込みにまわるほど、人々の不安も手にとるように伝わります。
病に感染した人の情報や、ウルマ鉱山麓の深刻さ。それは近場の宿場町という場所だからこそ、身近に迫った恐怖でした。
いくら感染の対策を広めたとて、致死率の高い病は人の心に根差した恐怖をぬぐえない。だから、人々は病の予防と効果があるとされる、ポメロの実にすがる。
今の時期、乾燥したそれに効果がないと、たとえ知らされても──おそらく。
「…………」
あせる思いと急かされる思いに突き動かされながら、わたしは胸に抱いたお守りと手紙に、どうにか希望を失わずにいられました。
そして、人々の不安と直に接するからこそ、心にあらためる思いも強くなります。
──必ず、治療薬に繋がる手掛りを見付けてみせる、と。
町中を足が棒になるほど歩きまわって、夕暮れ間近。わたしたちは元の宿屋へ集まり、各々の成果を報告し合いましたが、かんばしくはありません。
疲弊と重たい空気がただよう食堂の卓で、それを吹き飛ばすように明るい声を発したのがアランさまでした。
「とにかく。今は食べて精力をつけましょう。一日やそこらで見付かるようなら、とっくにクリスさまが見付けていたはずです。あまり時間をかけられないのも事実だけど……ボクらがヘコんでたって、病人が回復するわけじゃないんですから」
もっともです。
アランさまの言葉にはげまされる思いで、わたしは辛味の効いた料理をそっと押しやるジャンの前に料理を戻して、自らも匙を手にしました。
周囲では宿の客人たちが、「今夜は歌わないのか」とアランさまに声をかけています。昨夜よりも食事処に人が多いようなのは、どうやらアランさまの評判を聞き付けてきた人たちのようです。
「あまり目立つのも、良し悪しなんだけどなあ……」とつぶやきながら、アランさまも得意の弦楽器を手にしました。
そうしてわたしにたずねて来ます。
「エル。ご要望の曲は?」
え、と驚きましたが、アランさまなりの気遣いだろうと少し考えて伝えました。冬の冷たく固い地面の下から、希望を失わず、あたたかい春を待ちわびる曲──。
「冬下虫の見る夢を」と。
北国の民謡曲に、アランさまは了解、と気軽に応じます。そして皆の歓声を受けながら昨夜と同じく紡がれる歌声に、食堂のだれもが聞き入りはじめました。
わたしたちもアランさまの歌声に癒される思いで耳をかたむけ、そうして明日からの動きを確認し合います。このまま手掛りがつかめなければ、ウルマ鉱山へ向かい、そこで情報を得ることも視野に入れはじめ──そして、そこにやって来た宿屋のご主人でした。
「すまん。オレを探してたと聞いたが?」
仕入れから戻られたその足で、わたしたちのところへ来てくれたようです。
顔を輝かせたわたしに若干引きつった様子なのは、また宿の改善点を指摘されると思ったからでしょうか。
そうではない、とわたしが薬師に関しての情報と昨日の子どもの話をたずねて、ご主人はとたんに難しい顔になりました。
……やはり、触れられたくない話題のようです。
ご主人はしばし迷う様子を見せられたのですが、「あんたらには恩もあるし」と近くの椅子を引いて腰掛けながら話してくれました。
人嫌いの魔女の話を。
昔、人嫌いの魔女がいました。
町はずれの森の中に棲んでいる魔女は、いつも怪しげな実験をしていると噂され、人々から遠巻きにされていました。
魔女には、娘夫婦がいました。
娘夫婦は魔女と違って、町の人々とも親しく交流し、信頼を築いていました。
しかし、十六年前──。
国中を悪夢のような病が襲います。それは知らぬ間に人々の生活に入り込み、営みを一変させ、病への疑心を生み──、人々の心をきしませました。
病に罹った者はたすからない。病は人から人へ移る。
そんな恐怖が浸透していた中、魔女の娘夫婦が突然、おかしな声を上げました。──ウルマ鉱山を封鎖せよ、と。
鉱山から出る有毒な空気が、病の元になっている。それは、ウルマ鉱山が元である、と。
ハッと、わたしは何かに思い当たったように、考え込みました。宿屋のご亭主は静かに続けます。
「まあ結局、それは世迷い事だと取られ、だれも耳を貸さなかった。当然と言えば当然だ。それまでなんともなかったのに、突然病の原因が鉱山にあると言われてもな。鉱山で働く全員が感染したわけでもなし。だれも信じやしなかった」
たしかに、とわたしも考えさせられます。鉱山はこの辺りに住む人々にとって生業と収入の元です。そこに原因がある、封鎖せよ、と闇雲に言われても、従うことはできないでしょう。
それで、と話を続けたご主人の顔が、ふいに曇ったようになります。
「病は蔓延していたが、皆変わらぬ生活をしていた。そうしたら、娘夫婦が何を思ったか鉱山に入り込んで……岩盤事故で命を落とした。魔女は、町の人間が娘夫婦の言葉に耳を貸していればこんなことにはならなかった、協力していれば事故には遭わなかった──そう言って、町の人間を恨んだ。まあ……娘夫妻の行動は無謀だったが、たしかにだれか一人でも鉱山に詳しい者がついていれば、事故には遭わなかったかも知れん。町の人間も負い目があってな。魔女のことにはだれも触れたがらねえんだよ」
「……でも、あんたは関わりを持ってるんだな」
アーヴィンさまの指摘に、ご主人は苦い笑みを浮かべます。
「オレは息子を十六年前の灰色の悪夢で亡くしてる。その時に色々、あの夫婦には世話になってな。残されたジーンのこともまあ……代わりに気にかけてるんだよ」
亡くなられた娘夫婦の子どもが、あの薬師見習いのジーンという子だったようです。
あんたも人が好い、とアーヴィンさまはからかう口調ですが、わたしはとても大事なことを聞いた気分で考えながらたずねました。
「その……魔女と呼ばれる方と夫妻は、薬師だったのですか?」
ああ、とご主人はこれにも困ったような顔を見せます。
「魔女はこの町にやって来た時から、薬師だって話だったな。娘のほうも多少知識はあるようだったが、本職にはしていなかった。旦那はたしか教師……、地質学者でもあったはずだ」
そう事情を説明して、ご主人は小さくないため息をつきます。
「魔女はこの町に来た時から偏屈で人嫌いだったが、娘夫妻の一件でますます頑なになっちまった。だから、病に関してあの人に協力を求めるのは、不可能だと思うぞ」
灰色の悪夢に関しては学んできた、と公言したわたしが魔女の情報を求めるのは、それが目当てだと思われたようです。
わたしはあらためて、宿屋のご主人にお願いをしました。手掛りと希望は、きっとそこにある、と確信して。
「──魔女の方のもとへ、案内していただけませんか」