お邪魔虫─14
クリストファー殿下と名を呼ばれて進み出ると、近くの方々からのざわめきが波状のように伝わっていくのが、手に取るようにわかりました。
ひるむ思いが走ったわたしですが、殿下の力強いエスコートに支えられて、歩を進めます。
ざわめきはやはり、赤いドレスに対する賛否両論に分かれているようでした。
まずは、目を奪うあでやかさに感嘆する者と、公式行事の場での派手派手しさに眉をひそめる保守的な者。
それらは次第に、歩を進めるごとにきらびやかな夜会の灯りを受けても仰々しい赤には映らず、深みのある神秘的な色合いで、口さがない者たちの声を封じていくようでした。
着用しているわたしがどうしても緊張のあまり、笑顔より固い表情だったのも功を奏したのかも知れません。
大輪の薔薇にはなれませんが、殿下が称賛してくれたように──一輪の花でも、コルバ村のミルル貝で染められた色を誇りを持って披露したいと、その思いでのぞみました。
隣の殿下は変わらぬきらきらしい笑顔で、どこかいつも以上に誇らしげな様子がわたしにも伝わります。それに励まされる思いで、わたしも徐々に顔の強張りを解くことができました。
貴族の方々が並ぶ列を進む合間、先日から話題の老齢のダウナー伯爵と、その娘である、ふくよかな夫人を見かけます。
夫人のドレスは先日と同じ、胸元を大胆に開いてそこをレースで覆った黒紫色のものでした。ご息女のマティルダさまの姿は見えません。
殿下は先日、牢で一晩反省を、と口にされていましたが、貴族籍にある令嬢を命に関わる重大事件でもないかぎり、早々に牢に入れることはできません。戒めも含めた言葉だったと思うのですが、貴族令嬢にはやはり身に堪える扱いだったのでしょう。もしくは、身内の方が世間体を慮ったのか……そのお姿を見ることはありませんでした。
複雑な思いを抱いたそこで、数歩先を陛下と歩むアンリエッタさまが、昂然と胸を張る様子を見せられました。
それはどうも──、わたしのドレス姿にあからさまに歯軋りする様子の、ダウナー夫人に向けてのものだったようです。
老齢の伯爵もまた、憎々しげな表情を隠そうとしてかなっていませんでしたが、軍部の重鎮という傲然とした様子も今はなく、どこか周囲の目を気にする小心な様子も見えました。
アンリエッタさまの、声なく鼻を鳴らす様が伝わったように、手を添えた殿下がクッと笑いをこらえた様子があります。
……わたしが王家の方々に対してどのような感想を抱いたかは、王家の名誉のためにも伏せさせていただきたいと思います。
玉座にたどり着いた陛下と王妃さまにならって、殿下とわたしも貴族の方々と向き合う形になりました。テオドールさまは恒例になりつつある、親戚筋の高齢のご婦人をエスコートされています。
貴族の方々を見渡された陛下が朗々としたお声で一年の安寧と平穏を言祝ぎ、皆の尽力を労い、新しい年の繁栄を願います。
そして。
「──音楽を!」
陛下のお声で華やかな音楽がいっせいに流れだし、陛下と王妃さまに続いて、わたしも殿下に手を取られ、はじまりのダンスに加わります。
予想通り、花びらが舞うような広がりを見せるドレスに、わたしは内心気が気ではなかったのですが、近くのアンリエッタさまの満足そうなお顔がくすぐったく、しぜんと笑顔が浮かんでいました。
殿下ももれる笑いがこらえきれないようです。そしてふと、青い眸に静かな気配をただよわせました。
「エリィ──ごめんね」
突然謝られて、わたしは目をしばたたきます。殿下は表面上は笑顔を浮かべたまま、眸だけで謝罪の気持ちを伝えて来られました。
「はじめに約束したのは私なのに……近頃は全然、約束を守れていないね」
青い眸にすい込まれるような思いで見つめ返し、わたしは四年前を思い出しました。
『──エリアーナ嬢。あなたは私の隣で本を読んでいるだけでいいよ』
そう言って、わたしの読書する時間を守ると約束してくださったのは、たしかに殿下でした。しかしここ最近は、アンリエッタさまとの王妃教育や、聖夜の祝宴の公務などで自由の時間が少なかったのも事実です。
けれどそれは……と思ったわたしは、きちんと言葉にして殿下に伝えました。
「わたしが自分で、殿下のおそばにいることを決めたのです。そのためにやるべきことなのですから……大丈夫です。ちゃんと、頑張ります」
少しだけ、ひっしな思いがつのりました。殿下は小さく微笑して、うん、という風に応えます。
「エリィが私のために頑張ってくれているのは、わかっているよ。……きみが頑張っているのに、無理していることにも気付かず見過ごしてしまう、ダメな婚約者なのにね」
「そんな……」
「しかも、きみに約束したことも守れず、辛抱ばかりさせている。……母上の言う通り、ほんとうに不甲斐ない王子だね、私は」
「殿下は、格好いいです」
反射的に、口を突いて出ていた言葉でした。青い眸に見つめ返されて、赤面する思いでうろたえながら視線を伏せました。
いやに耳朶が熱く、熱を持っている気がします。
「……殿下は、わたしにはもったいないほど、素敵な方です。いつも……いつだって、わたしの、一番の王子さまです」
とたんに、周囲の空気が明るくなるほどの華やかさにあふれたのがわかりました。
わたしの腰を支える手と、片手をにぎる手にも熱い力がこもります。ターンをする合間、何気なさを装って耳元にささやきが落ちました。
「もう一回言って。エリィ」
「……もう、言いませんっ」
かろうじて小さな反論で返すと、クスクスと、うれしそうな殿下の笑いがこぼれます。
エリィ、と呼ばれて眸を上げ、想いのこもったあざやかな青の双眸に逢いました。
「好きだよ、エリアーナ」
一瞬、焦点を見失ったような錯覚を覚えました。
ここは、王宮の夜会の場で、今は聖夜の祝宴のはじまりのダンスを踊っている最中で──わたしにも少し、場をわきまえない言動があったかも知れませんが……。
それにしても。
動揺のあまり、動きが止まりがちなわたしを、殿下が巧みなリードでステップを踏ませました。変わらぬ余裕と微笑に、わたしは幻聴を聞いたような気すらします。
クスリと想いをかたむけてくる殿下の微笑に、幻聴などではない事実に、息も止まる思いでした。
「エリィ──。私も褒美が欲しいな」
瞬くわたしに、殿下の微笑は甘く、誘いかけるようなやさしさです。
「私も、エリィとの時間が欲しい。……ダメかな」
「ダメ、などでは……」
「ほんとうに?」
はい、と浮かされた気分のままうなずいたわたしは次の瞬間──ニヤリと、一転した殿下のもうひとつのお顔を目にしました。
それはすぐに消えて、いつものきらきらとした微笑でわたしに確約をさせます。
「約束だよ、エリィ」
……わたしは、自分が悪魔の罠にはまったような気がしてなりませんでした。
殿下とのダンスが終わると、他国の大使や外交官の方々とのダンスになります。話題はやはり、わたしのドレスに集中していました。
ありのままにお話すると、皆さま興味を惹かれた様子で感心しており、ドレスの元となった染料の話が徐々に広まっていきます。
サウズリンドの貴族たちの中には、やはり、マティルダさまのように忌避する印象を持つ者も多く、眉をひそめる空気もあり──それを、ここぞとばかりに声高に主張するのが、ダウナー伯爵家のお二人でした。
お二人はそれが、絶対の正義でもあるかのようにアズール地方の忌まわしさを説き、それを身に付けたわたしと、後押しをした王妃さまを暗に批判する口ぶりでした。
お二人にとっては、それが根付いた信念であり、後のない立場を巻き返す唯一の取っ掛かりに見えたのでしょう。
──しかし。
「とても素晴らしい色だ。ぜひとも、我が国の王への献上品にしたい」
他国の大使や使節団の方々が称賛し、王への貢ぎ物にと望む声に批判的な空気は薄れ、ダウナー伯爵らに賛同する者は皆無になっていました。
そして、十五年前のことや、“灰色の悪夢”をほとんど知らない世代にはなおのこと、わたしはドレスの入手方法を聞きたがるご令嬢たちに囲まれて、一時、身動きもままならないほどでした。
アンリエッタさまもめずらしく壇上から降りて、わたしとともにミルル貝の染料を宣伝してくださいます。
途中、挨拶に見えられたアイゼナッハ夫人は、わたしとアンリエッタさまの共同作業のような話を聞いて、うらやましそうなため息をついていました。
「うちの愚息の縁談はどうやら流れる雰囲気ですし……ほんとうに、どこかに可愛い義娘は落ちていないものでしょうか」
……アイゼナッハ夫人の中では、可愛い義娘というのは落ちているものなのでしょうか。
アンリエッタさまが扇の下で機嫌のよさそうな声を紡いでいらっしゃいます。
「グレンはクリスの近衛騎士で先のことも見据えなければなりませんからね。私も気に留めておくようにしましょう」
……グレンさまの試練は、この先も続くようです。
挨拶に見えられた方の中には、兄のアルフレッドにエスコートされたアンナさまの姿もありました。今夜のアンナさまは藍色の華やかなドレス姿ですが、ところどころに入っているレースと刺繍が品が良く、アンナさまの控えめな性質ものぞかせて、好印象で人目に映りました。
そのアンナさまはなぜか、少しくやしそうな様子でつぶやいていらっしゃいます。
「……賭けに負けました」と。
兄に目をやれば、いつも通り柔和な笑顔で返されます。
ミルル貝の染料の話からトッティの洞窟壁画に話は及び、よいものを見つけたね、と兄にほめられて、わたしも素直にうれしい気持ちがこみ上げました。
兄のタイの色はアンナさまの眸と髪の色と同じ濃紺色で、その兄を見るアンナさまの頬もわずかに赤いようです。
自分が想像した近い未来を思って、わたしの心もあたたかくなる思いでした。
他の方々の挨拶も受ける中で、突進する勢いの従姉妹や叔母たちに囲まれ、なぜもっと早くその染料を教えなかったのか、と責められてわたしは目をしばたたかせます。
どうやら、ストーレフ家の女性陣は年明けに別の色のドレスを注文したばかりで、取り消しをするよりも、早くもドレスに合う赤い色の制作に意見を交わし合っていました。
エリィと同じドレスを着ても新鮮味はないわ──とふしぎな意欲を燃やして。
そんなにぎやかな人たちに囲まれ、宴も半ばを過ぎた頃です。
「──エリアーナ」
アンリエッタさまと離れ、叔母と同年代のご夫人方に囲まれていた時です。
ふり向くと、ご夫人の周囲にはなぜか年頃の貴族令息たちの姿が見え、そして、まるで彼らを圧するかのようなクリストファー殿下の姿がそこにありました。
「今夜の特別な趣向の準備ができたんだ。おいで」
「はい」
進み出るわたしに向けた笑みが、周囲のご夫人方へも向けられます。
「麗しいご夫人方もぜひ、ご一緒にどうぞ。聖夜の祝宴が今まで以上に心に残るものになることは間違ないと、私、クリストファーがお約束しましょう」
まぶしい自信にあふれた殿下の微笑でした。
それにつられて、ご夫人方が笑いさざめきながら続き、その波につられるように、周囲を囲んでいた令息方や、彼らに注目する視線を送っていたご令嬢方も続きました。
そうして多数が移動すれば、他の方々も注意を引かれます。
会場から続く王宮庭園に面した露台の数々は、いつしか、会場にいた人々であふれかえっていました。
「少し寒いけど、ごめんね。エリィ」
先頭に立つ殿下がやさしくわたしにほほ笑み、あらわになっていた肩を温めるように、エスコートしていた手をそこに乗せます。
素肌にふれられてドキリと鼓動がはねるのと同時に、そのまま冷気からかばうように引き寄せられました。
「で、殿……」
公式の場での一定以上の近さにわたしはあわてます。反論の声を上げる前に、近くから陛下とアンリエッタさまのお声も聞こえました。
「おまえがテオと準備した趣向とやらを、堪能させてもらおうか」
「私が考案した、エリアーナのドレスほどではないと思いますがね」
と、すましたお声に、殿下が悠然とした微笑で返します。
「どうぞ、瞬きを忘れてお楽しみください」
少しいたずらっぽい様子ものぞかせて、殿下は庭園内にいたテオドールさまへ片手を上げて合図します。
庭園内には大きな
そうして暗がりに沈んだ庭園内で、樅の木に覆われた布が反対に取り払われました。
とたん──。
露台に詰めかけた人々からは、驚きの歓声が上がりました。わたしも、冷気を思いっきりすい込んでしまったほど驚きました。
暗い樅の木に、鳥や蝶などの絵が仄明るく、幻想的に浮かび上がっています。それらはまるで踊りだすように、自ら光を発していました。
「これは……どういうことだ」
陛下の驚きの声に、わたしはまさか、と思い当りました。
「殿下。あれって……」
「うん。エリィが作った夜光性のインク」
夜光性? と陛下にたずねられ、わたしは少し身がすくむ思いでした。
ミルル貝のインクを作るにあたって、今回協力を求めたのが、薬学室の方々でした。彼らはもちろん、ダウナー伯爵のような偏見の持ち主ではなく、コルバ村の住人が“灰色の悪夢”から生き延びられた原因を、医学と薬学の方面から調べている人たちでした。
生活習慣から食べ物、その土地の気候風土、めずらしい風習まで、ありとあらゆるものを調べ、そこから病に対する特効薬なり──法則を見付けようとしていた人たちです。
ミルル貝もそこでとうに調べられていたものでしたが、インクを作りたい、とお願いするわたしに、研究の行き詰まりを感じていたのか、息抜き気分で手伝ってくださいました。
その時、取り寄せたミルル貝の中にカイガラムシのついたものがあり、カーミンカイガラムシの例を思いだしたわたしは、試しに作ってみました。
途中、アズール地方から採れる鉱物が混ざってしまいましたが、試作品ゆえにさほど気に留めてはいませんでした。
そうして出来上がったものは無色に近い乳白色のもので、紙に落としてもまったく見えず、失敗だと思ったのでそのままにしていたのですが……数日経って、王宮の薬学室に亡霊が出る、という噂話が出ました。
夜な夜な薬学室の中を浮遊する、研究半ばで亡くなった研究者の無念の霊だ、いや、薬学室へ入り浸る方への執着が貴きお方の生霊となって現われているのだ──等々、様々な噂が飛び交いましたが、正体はこのインクでした。
わたしが作りだしたインクは、どうやら夜になると光り出す性質を持っていたようなのです。
しかし……わたしは古文書のインクを再現したかったのであって、これはほんとうに偶然の産物でした。しかも、暗い中でしか字を書けないインクは使い道が今一つ思い浮かばず、殿下にその話をして亡霊の正体を渡し、今の今まですっかり忘れていました。
その殿下はざっと経緯を話すと、絵が浮かんでいる細工の種を明かしました。
「──研究者の話によると、燐光、という物質に値するそうです。液体状のものははじめて見たそうですが。……アズール地方は細工物が有名ですから、ミルル貝に鳥や蝶の絵を彫ってもらい、合わせ貝の中に夜光性インクを塗りました。それで、絵が浮かび上がっているように見えるんですよ」
なるほどな、とうなずかれる陛下のお声を聞きながら、わたしはあの、と殿下に怪訝な思いでたずねました。
「わたしが殿下にお渡ししたインクは、少量だったと思うのですが……」
「うん。足りなかったからね。薬学室の者たちに大量生産してもらった。エリィと一緒に仲良くインク制作していたから、作り方も知っていたのは彼らだけだったしね」
さようですか、と返しながら、なにか引っ掛かるものを覚えたわたしですが、深く訊いてはいけない気もしました。
殿下はさらに用途を話します。
「王家から無償で出ているヴァン・ショーの屋台にも、叔父上の手配で王家の印を描きました。民の間にも今頃噂が広まっているでしょう。まだ使い道は模索中ですし、弊害も見えませんから、今しばらくは王家の管理下に置こうと思います」
陛下も少し考えるようにうなずかれました。
「それがいいな。……しかし、これがおまえの出した冬場の燃料費高騰の打開策か?」
「そうですね……。毎年、聖夜の祝宴が近付くと薪や炭が高騰しますからね。寒村など貧しい村は悲鳴を上げています。これを名物にして、少しでも高騰を抑えられれば、とは考えました。他にも考えている案はありますが……まあ、これはエリィの発明のおかげですね」
そう言って殿下はわたしにほほ笑みかけます。アンリエッタさまのあきれたような、けれどどこか楽しげなお声も出ました。
「これでまた、エリアーナとおまえの名声が高まるわけですね」
たしかにな、と答える陛下と目を交わして笑い合っていらっしゃいます。
わたしはいまだに、少々ついていけない展開にぼうぜんとしていました。
他国の大使や外交官の方々が驚き冷めやらぬ様子で正体を知ろうと問いかけて来ます。殿下はその対応を陛下やアンリエッタさまに任せると、騒ぎから少し離れて視線をめぐらせ、ぼうぜんと庭園の光景をながめるダウナー父娘に目を止めました。
「エリィに無断で申し訳なかったけれど、この夜光性インクの独占販売権を条件に、ドルード商会を引き込んだんだ。私は専制政治を敷く気はないし、私の政策に反対する者も必要だと思っている。でないと、欠点も見えないからね」
でも、と殿下は力強い覇気を眸に込めました。
「偏見に濁った目で、治水の必要性よりも軍力賛美をし、それを自分の力だと勘違いする輩には、これ以上要職の席は預けられない。今回、私が手を打つのが遅くなったせいで、エリィにも迷惑をかけた。……ごめん」
先日のように真摯な眼差しで謝られ、わたしは急いで首をふりました。殿下はフッと、やさしい微笑になります。
「でも、エリィの発想のおかげで、今回、とてもたすけられた。ありがとう」
「お役に、立てたのですか……?」
青い眸が面白そうな色で輝きます。
「もちろんだよ。ミルル貝の染料や夜光性のインクは間違いなく話題になるし、国内外からも注目されるとなれば、アズール地方の橋梁工事の必要性も高まる。ベルンシュタイン侯爵がもう少し予算をまわしてくれるとありがたいんだが……しまり屋だからな」
父の仕事ぶりをのぞかせられて、わたしも思わず笑みがこぼれました。
殿下の微笑はやさしく、わたしを包み込むように片手が頬にふれます。
「エリィ。いつもきみが、私に力と追い風をくれる。ありがとう。……私の虫かぶり姫」
そっと、宝物のように額に殿下の口付けが落ちました。
うれしさと気恥ずかしさ、両方の想いが胸いっぱいにこみ上げ、その想いのまま、わたしも殿下に返していました。
「お役に立てて、よかったです。……わたしの王子さま」
青い眸が大きく瞬きました。そこにヒラリ、と白い影が降ります。
まあ、雪、とまわりから声が上がり、わたしと殿下も誘われるように夜空を見上げました。そして、舞い散る雪の中でも幻想的に光る樅の木をながめます。
殿下のやさしい微笑がもう一度、わたしに向けられました。
「来年もまた、一緒にこの光景を見ようね。──新しい年もよろしく。近い未来の私の奥方どの」
わたしの返す言葉はもちろん、ひとつしかありませんでした。
「はい。新しい年もよろしくお願いします。近い未来の旦那さま」と。
幸せな気分で笑顔を交わし合ったこの時のわたしは、近い未来に待ち受けている大きな試練と騒動を、予想だにしていませんでした。
わたしが再現した顔料が後に、『アズールの赤』と呼ばれ、サウズリンドのみならず、大陸中を席巻するものになることも。
この時のわたしには、想像することもできませんでした。
~・~・~・~・~
後日、めでたく婚約話が白紙になって人生の春を取り戻されていたグレンさまですが、わたしのところにやって来て、こっそりとたずねられました。
「子豚がどうなったのか、教えてほしい」と。
わたしは目をしばたたいて、グレンさまの気まずげな、けれど物語の先を知りたがる真剣な表情を見つめました。
グレンさまの近衛騎士らしい実直な中に見え隠れする少年のような好奇心が、女性に好かれる要因なのかしらと思いながら。
わたしはほほ笑んでこう返しました。
「それはまた、別の物語でお話することに致しましょう」──と。
※ヴァン・ショーはホットワインの仏語ですが、イメージでしたのでそのまま使用させていただきました。
大変時間がかかりましたが、これにて『お邪魔虫』は完結です。
ここまでお付き合いいただいた皆様、本当にありがとうございました(*^^*)