お邪魔虫─13
1/2です。
ええ、1/2です。
王宮の会場からは、すでに大勢の人の気配がしていました。
人々を迎え入れるやわらかな音楽の音。優雅に歩きまわる給仕たちの様子と食器の音。ざわめきの中に時折り混じる異国の発音は、他国の使節団のものでしょう。
それらから切り離された控えの間にクリストファー殿下と入室したわたしは、室内にいた陛下とテオドールさまの感嘆の声に迎えられました。
気恥ずかしさからどうしても腰が引けてしまいましたが、先に身支度を終えて室内にいたアンリエッタさまがスッと立ち上がると、間近からわたしの支度を検分しました。
「……少し赤味が強すぎたかしら。重ね合わせるときれいな深みが出ますが、まだ改良の余地がありますね。スカートのボリュームももう少し抑えるべきだったかしら。デザインも少し、古い気がするわ……」
ブツブツとつぶやかれるアンリエッタさまは真剣な表情で、どうやらアンリエッタさまなりのこだわりがあるようです。
隣の殿下が苦笑まじりの声をかけました。
「母上。そんなにダウナー夫人が、エリィの発想でドレスの流行を作ろうとしたのが気にさわったのですか」
すると、アンリエッタさまの茶褐色の眸が怒ったように上げられました。
「当たり前でしょう。あの家は、人の発想を平然と自分のものにして流行を作ろうとしたのですよ。自力でなにかを生みだすのならともかく、その努力もせずに、盗み取ったもので人気を得ようなどと」
それ以上の言葉は控えられましたが、アンリエッタさまの口調にはめずらしく、嫌悪する様子もありました。そのまま腹立たしそうにつぶやかれます。
「しかも、エリアーナの知識をさも、自分のもののように吹聴するなど。厚顔無恥とはあの者たちのことを言うのです」
手厳しく切って捨てる口調で告げると、叱咤する視線はわたしにも向けられました。
「エリアーナ。あなたもあなたです。自分の発想が盗用されたのに、オロオロと手をこまねいている者がありますか。あんな趣味の悪いドレスに仕立てられて……女神の慈愛もそっぽを向く有様だったではないですか」
アンリエッタさまは憤然と息をつかれると、その心情を示すように扇を手のひらに打ちつけました。
「あなたの発想が元でしたから、あのドレスも肯定せざるを得ませんでしたが。──エリアーナ。あなたは、他人を守る時に発揮する力を、きちんと自分のためにも使いなさい。自分を大切にできない者が、他者を守れるとは思えませんよ」
厳しく叱られてわたしは反射的に、はい、と答えていました。
そうしてやっぱり、胸があたたかくなる思いでアンリエッタさまを見つめ返し、「はい」ともう一度返していました。
わたしの発言が盗用されたことに、我が事のように怒り、憤ってくれる。わたし自身のことを考えて、叱ってくれる。
宮廷がおそろしいところだとおびえていたあの時のわたしは、ほんとうにまわりが見えていなかったようです。──わたしには、こんなに頼もしい味方がいたのに。
心からあふれてくる思いで、思い出の中にいる人へ向けるのと同じ思慕を、今目の前の方へ向けていました。
「ありがとうございます。……お義母さま」
とたんに、アンリエッタさまのお顔が強張りました。その頬に見る間に血の気が上り、厳しい目付きがクワッと見開かれて、やっぱりわたしはたじろぎます。
間違ったことを言ったとは、もう思ってはいなかったのですが……。
すると、アンリエッタさまは貴婦人らしくなく音を立てて扇を開くと、顔のほとんどをおおって目線をそらしました。
「私は叱っているのです。礼を言う者がありますか」
「はい」
少し身をすくめると、隣の殿下が横を向いて失笑をかみ殺していました。とたんに険しい目が殿下へも向けられます。
「そもそも──、おまえが自分の政敵にきちんと対処していれば、このようなことにはならなかったはずです。ほんとうに……私がエリアーナを着飾らせたおかげで、ノルン国の話題も消せるのですよ」
ピクリと殿下の整った眉が上がったようでした。
「言ってくださいますね、母上。軍部を抑え込む手なら、私は他にも持っていますよ。今回の件だって、話題を一新する手筈はすでに整えてあります。エリィを着飾らせたいのは、単なる母上の趣味の延長線上でしょう」
「無粋な息子だこと。エリアーナの新しい魅力を引き出したのが私だからと言って、男の嫉妬は醜いだけですよ。くやしいならくやしいと、素直にそうおっしゃい」
「は? なぜ私が母上の少女趣味をうらやましがらなければならないのですか。ほんとうに、人は見かけによりませんよね」
「まあ。私のどこが少女趣味だと言うのです」
「母上がエリィに選ぶドレスは、いつも装飾過多なんですよ。ああいうのを着せたがるのは、お人形遊びをする幼児だけです」
まあ、と声を上げた王妃さまと殿下の言い合いが、止めようもなく白熱しだします。エリアーナには似合っているのですよ、似合っていればいいってものじゃないでしょう、と自分が引き合いに出されているようなのですが、ちょっと……会話についていけません。
困惑の思いでたじろいでいますと、ソファに腰掛けてくつろいでいたテオドールさまが、小さく手招きをしました。ためらいましたが、わたしはそっとその場を離れ、陛下とテオドールさまの前で淑女の礼をします。
陛下は紺青色の双眸をやわらかく細めて、テオドールさまは群青色の眸にいたずらっぽさを乗せて、それぞれにわたしのドレスと出で立ちを称賛してくださいました。
わたしも、はじめて着る赤いドレスで、しかも聖夜の祝宴という大きな夜会でのお披露目ですから、どうしても緊張とひるむ思いがあったのですが、殿下に自信をもらい、また、王家の皆さまに称賛されて、やっと挑む思いも芽生えました。
笑顔でお礼を返したわたしに、陛下が期待する表情で身を乗り出してきます。
「エリアーナ。アンをお義母さまと呼ぶのなら、私のことはなんと呼ぶのだね」
「え……陛下は陛下です」
とたんに失望の表情で眉を下げる陛下とは反対に、テオドールさまは面白そうにわたしに笑いかけてきます。
「エリィ。私のことは、渋くてやさしくて魅力的な叔父さま、でいいぞ」
はい?
「──なに、図々しいことをおっしゃっているのですか。独身のまま孤独死を迎えそうな叔父上」
ぐいと腰を引かれて、わたしはテオドールさまから離れたソファへ殿下と隣り合って座らせられました。
わたしの正面に腰掛けたアンリエッタさまも、扇の向こうから冷ややかな目を隣の陛下へ送っています。
「私とクリスが四年もの時間をかけたのですから、あなたも同じくらい時間をかけたらいかがですか」と。
陛下の凛々しい眉はやはり下がったままです。
「ずいぶんと壁の高い呼び名なのだな……」
殿下とテオドールさまは隣でいつもの仲の良いケンカをはじめられています。
「私が孤独死するはめになったら、まず間違いなく、おまえのせいだからな、クリス。ただでさえ忙しい年の瀬に、極秘趣向の制作管理まで押し付けてくれて。薬学室の者たちなど可哀想に、何かにとり憑かれたような作業風景だったんだぞ」
「間に合ったのですから、重畳です。これでアズール地方も活気付くでしょうし、彼らもさぞかしやりがいがあったでしょう」
「……おまえは一度でいいから、聖職者から訓戒を受けて来い。思いやりといたわりという言葉の意味を乞え」
「失礼ですね。私はこんなに思いやりを持って、王宮の穀つぶしになりそうな叔父上にも仕事を振って面目躍如させてあげたじゃないですか」
「言ったな。それなら私にも考えがある。報酬はきっちり、エリィでもらうからな」
「はぁ!? なにふざけたことを言っているんですか。妄想癖が出るにしても、もう少し猶予があると思っていましたが?」
「なに、別にたいしたことじゃない。おまえが画策していた離宮滞在に同行して、お邪魔するのも一興だと思っただけだ。まあ、もっぱら、エリィと書物談議するのは私になると思うがな」
「……馬に蹴られたいのですか。叔父上」
殿下の地を這う声にもテオドールさまは飄々と返しています。陛下とアンリエッタさまの内輪の中でしか見せられない会話も聞こえ、胸があたたかくなる思いとともに、わたしはあらためて、自分が王家の方々に受け容れられている現状をかえりみました。
そうして──ふいに、父や兄のことが思い浮かびます。
来年からは、この光景が当たり前のものになり、わたしの居場所は育った家ではなく、この王宮になります。家に残していく父と兄や家人を思い、気懸りを覚えるのと同時に、もしも──と考えました。
もしも、そこにアンナさまが入ってくださるのなら、さみしさよりもきっと、安心とうれしさが勝るのではないか、と。
これはわたしの身勝手な願望です。実際にどうなるかはわかりません。けれど──もし、そうなったら素敵だなと、まだ見ぬ未来に思いをはせました。
そこで陛下がわたしに呼び掛けてきます。
「今回、エリアーナはアズール地方の件で色々と尽力したと聞く。その功績をたたえて、なにか褒美を取らせようと思うのだが……望みはあるかい」
「とんでもないことでございます」
わたしはあわてて首をふって固辞しました。実際になにができたのかは、わたしにもまだよくわかりません。
わたしが見付けたのは、貝殻を加工した顔料ですが、それを王妃さまがドレスの染料に使用しました。ミルル貝でしか出せない深みのある赤は、たしかに貴重なものになると思います。ですが……流行りは、いつかは廃れるものです。
それに、染料職人などの染め物技術はやはりトール地方のほうが優れており、一時アズール地方の染め物が目立っても、長い目で見れば、生活を安定させるには程遠いと思うのです。
根本的な解決には至っていないとわたしがそう言えば、いや、とクリストファー殿下がやさしい笑みでわたしに返してきます。
「エリィが見付けたインクはもうひとつあっただろう? あちらは私が活用させてもらったよ。来年以降も、聖夜の祝宴の名物のひとつにしたいね」
え? とわたしが瞬くと、殿下はあとでのお楽しみ、といたずらっぽいお顔です。
「エリィの功績は、たしかに大きいものになるよ。遠慮せずに褒美をもらったら?」
「でも……」
ためらってひるみましたが、皆さまのうながされる空気におそるおそる口にしました。「ほんとうに望みを言ってもいいのでしょうか……?」と。
陛下は鷹揚な仕草でうなずかれます。
「サウズリンド国王の名に置いて、私に叶えられるものなら、叶えてみせよう」
自負にあふれたお声、というより、娘のおねだりを待つ父親のような表情でした。
おそれ多い思いを抱きながら、……では、とわたしは意を決します。
「聖夜の祝宴が終わったら、少し……お休みをいただけませんか」
「休み?」
陛下が紺青色の眸を瞬かせます。なぜか、アンリエッタさまと隣の殿下が顔を輝かせました。
アンリエッタさまは扇の向こうでゆったりとうなずかれます。
「それはいいことです、エリアーナ。今回のドレスでデザイナーも新しい案が浮かんだと言っていましたし、たまには私と王都の商会まわりをするのもよいでしょう。今は大陸各地から商人が集まって、めずらしい布地も手に入る時期ですからね」
は? と殿下が優雅な態度を崩さず、反論します。
「なにをおっしゃっているんです、母上。こっちだって、なんのために寝る間も惜しんで仕事を片付けたと思っているんですか。文官たちだって、そのために頑張って働き詰めになってくれたんですからね」
テオドールさまがなにやら、おそろしい者を見る目で殿下につぶやいていました。
「……どの口がそれを言う……」
なおも言いつのりかける殿下とアンリエッタさまを、陛下がやわらかな仕草で止めました。
ほんとうに休暇でいいのか、とたずねられるので、わたしは殿下方の顔色をうかがいながら、はい、とうなずき、……実は、と話しました。
昨日のことです。
聖夜の祝宴を控えて準備と公務にふりまわされ、あわただしいわたしのところへ、シャロンさまがエレンさまに付き添われてやってきました。
ほんのわずかな面会でしたが、シャロンさまは一晩置いて自身の発言をあらためたように、謝罪の気持ちを伝えてくださいました。
……彼女の気質でしょうか。意地っ張りな様子で、謝罪という態度とは少々異なる様子でしたが。
悪かったと思ってるわ、と口にされました。
「感情的になってちょっと色々……言い過ぎたと思う。私の態度もよくなかったと思うわ。だから……ごめんなさい」
潔く頭を下げる様子には、令嬢らしい礼儀正しさよりも、彼女の誠実さが表れているように感じました。
そしてシャロンさまは、なぜ自分が反省するに至ったのかを、ためらいながら言葉にしました。
「私……自分の容姿が好きじゃないの。こんな赤毛だし、クセっ毛だし、そばかすもあるし……他の人から笑われたことだってあるわ。だから、ミレーユ姉さまみたいなきれいな乳白色の肌色に髪に、海の色みたいな青い眸に憧れていたの。ミレーユ姉さまは私にとって、理想のお姫さまなの。……でも、自分の憧れと理想をミレーユ姉さまに押し付けていただけなんじゃないか、って……あなたの話でそう思ったの」
「わたしの……ですか?」
首をかしげたわたしに、シャロンさまは少し唇をとがらせながらも、うなずきました。
「私は──貧しい民がいることは知っていても、彼らがどんな生活環境にいるのか、家族とどんな風に過ごしているのか、知ろうとしたことはなかった。……同じように、ミレーユ姉さまの表面的な人気だけを見て、ほんとうの望みを知ろうとはしていなかった。それって、あのいやらしい側室とずる賢い公爵家の考え方と一緒なんだな、って気付いたの」
自分の望みと理想だけを押し付けて、その通りであることを願う。当人の気持ちは置き去りに。
……しかし、それは王侯貴族の階級にある者には、課せられる役割であるとも言えます。それでも、シャロンさまのように相手の望みを知ろうとしてくれる方がそばにいるのなら、ミレーユさまは幸せなのではないかと、そう思いました。
すると、シャロンさまからも同じ言葉が出ます。
「あなたに守られるサウズリンドの国民は、とても幸せだと思うわ。エリアーナさま」
小さな少女の真剣な眼差しがうれしく、わたしもゆっくりほほ笑んで返しました。
シャロンさまは少し頬を赤らめ、やはりツンと顎をそらします。
「でも、ミレーユ姉さまだって、あなたに負けないくらい、素敵な姫君なんだから」
「はい」
クスクスと笑うわたしとエレンさまの声が重なります。シャロンさまは少しふくれた様子で、手荷物からそれを差し出してきました。
「これは、お詫び。色々と……失礼なこと言っちゃったし、あなたの考えは、私自身、とても勉強になったと思うから」
鋭く息を呑んだわたしは、やはりそれに目が釘付けになりながら、かろうじてエレンさまとシャロンさまを見比べました。
「……よろしいのですか?」
エレンさまは優美な微笑を浮かべて言葉を添えます。我が国から、次期王太子妃であるエリアーナさまへ、お詫びとお祝いの気持ちです、と。
シャロンさまは変わらず、すました様子で続けました。
「お貸しするだけよ。私、聖夜の祝宴が終わったらすぐにミゼラルへ帰るつもりだから。ミレーユ姉さまが心配だし。だから、それまでに読んでね。読み終わらなくても、持って帰るから」
なんだったら、一緒に付いて来ても──という言葉は聞いていませんでした。
諦めかけていた憧れの人に再会できた喜びでいっぱいで、わたしは差し出された書物をふるえる手で受け取り、ひしと胸に抱きしめました。
「必ず──必ず、シャロンさまがお帰りになるまでに読み終えてお返しいたします。ありがとうございます。……ありがとうございます、シャロンさま! エレンさま!」
感情が昂ったあまり、わたしは淑女らしくない声を上げていました。ビックリしたように目を見開いた二人より、わたしは未知なる世界を胸に抱えて、心が躍りだすような気分でした。
「……ですので、休暇をいただきたいのです。陛下」
実は、公務にふりまわされながら、わたしの心の半分は、ずっと私室に置いてきたヴィーゴ船長の航海日誌に捉われたままでした。
これからはじまる夜会に緊張はあるのですが、どうしても早く終わらないかと、そればかりを思ってしまいます。
──終われば、ヴィーゴ船長に逢える。大好きな本が読める。
それが、陛下の許可のもとで許されるのならば、どんなに素晴らしい至福の時間でしょう。
「他にも読みたい本がたくさん──たくさん、たまっていて……。本が、読みたいのです。そのための休暇をいただけるのなら、これ以上の褒美はありません。陛下」
知らず、わたしの両手は懇願する形でにぎりしめられていました。
目前のアンリエッタさまと隣の殿下が愕然とした様子で、……おねだり、とつぶやいていましたが、わたしは心を占める思いに捉われて、申し訳ありませんが二の次でした。
陛下は苦笑を浮かべながら、鷹揚にうなずかれます。
「よいだろう。私の名に置いて──エリアーナ・ベルンシュタイン嬢。そなたに休暇を与え、何人たりとも、それを邪魔することあたわず──と約束しよう」
わたしも思わず、心からうれしい思いで声がはずみました。
「ありがとうございます、陛下!」
心はすでに、この後の夜会より、室内に置いてきた宝の山に思いをはせていました。
ゆえに、周囲で交わされていたやり取りも、わたしにはどこか壁一枚隔てた世界になってしまっていました。
アンリエッタさまが陛下に「あなたはエリアーナに甘すぎます」「いや、アンほどでは……」などというやり取りや、
「……グラールの離宮には、白鳥が飛来する湖があって、婚前旅行に最適……」
というつぶやきに、テオドールさまのあきれ混じりの声がとどめを刺していました。
「まさに、泡沫の夢だな」と。