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お邪魔虫─12





 王都、サウーラの街の一角に、灯がともりました。


 朝から澄み渡った晴天が広がっていた証でしょう。貴族の邸宅が連なる区画から、商業区、一般区、その先の近在の街まで、夕暮れの薄薔薇色に染まりながら、夕空の下、くっきりとした軒並みを王城から見はるかすことができました。


 その家々に、徐々に灯りがともりはじめます。


 王都サウーラを西から東南へ横切るネヴィル川。その川沿いの家々と川筋には、今日一日のために用意された薪がふんだんに振る舞われており、その橙色の灯りが川面に反射しだすと、夕暮れの最中でも宝石を散りばめたように、王都サウーラが輝きだします。


 聖夜の祝宴の名物、暁の川でした。



 催事のために設けられた王城前の広場には、真冬の最中にも関わらず、ひしめき合うような人々とその熱気が充満しているようです。


 広場にせり出す形でしつらえられた露台へ、クリストファー殿下とエスコートされたわたしが姿を見せたとたん──。


 夕暮れに染まった空が揺らいだのではないかと思われるほどの歓声が上がり、たじろいだわたしは数瞬、頭が真っ白になりました。


 聖夜の祝宴のはじまりにあたって、王家の方々が国民の前に姿を見せ、それによって一年の安寧を言祝ぎ、また、新しい年もそうであるようにとの願いを込めて開催の合図をするのは恒例行事です。


 今年はじめて、それに参加することになったわたしは緊張のあまり、全身が氷室庫で忘れられていた万年氷のように凍りついていました。


 今までは、日が落ちてからはじまる夜会に殿下のパートナーとして参加するのみでしたが、成婚の日取りも決まった今年はそうもいきません。承知していますが、やはり、このような大舞台で緊張するなというほうが無理な話です。


 そして、そんなわたしにさらに追い打ちをかけてくださったのが、近衛大将軍のアイゼナッハ伯爵でした。



 アイゼナッハ家の特徴である赤髪を短く刈り込んだ将軍は、その重職にある方とは思えないほど、豪放磊落な気質を体現した人物です。

 将軍はまったく悪びれた様子なく、控えの間で待機していたわたしに明るく告げました。


『いやはや──。今年はエリアーナさまがはじめて姿を見せられるというので、例年以上の人出ですぞ。近在の街からも人が押し寄せていると、警邏隊の報告がありましたからな。私共も警備に気が抜けません』


 と、まったく悪気のない豪快な笑顔で、楽しそうに警備の確認をされていました。

 隣の殿下はぼそりと、

『グレンのよけいな口は、間違いなく父親譲りだな』と、つぶやいていらっしゃいましたが。


 わたしがさらに緊張をつのらせ、血の気の引く思いになったのは言うまでもありません。そんなわたしに、殿下はやさしく呪文をかけてくださいました。


「…………」


 真っ白になった頭で思い出そうとして、添えた手を包み込まれ、目を上げました。

 青い眸がやさしく笑いかけて、口元がエリィ、と呼びかけてきます。この歓声の中ではまったく聞こえませんでしたが。

 それにホッと落ち着く自分がいました。


『民はきみの味方だよ。それに、隣にはエリィの一番の味方がいるからね』──と。


 殿下の呪文と眸に励まされ、思わずほころぶような笑顔が出ると、一際歓声が上がったようでした。

 笑顔のまま、殿下と民の歓声に応え、続いて登場されたテオドールさまへも等しく声が上がります。


 そうして──。


 いよいよその方がアンリエッタ王妃さまと姿を現すと、鼓膜がしびれるほどの歓声が、集まった民衆から上がりました。


 サウズリンド王国、現国王。ウィリアム・カースティン・アッシェラルド陛下。


 御歳四十七歳になられる、壮健で美丈夫な面影を残された方ですが、華やかさよりもどちらかと言えば内に秘めた覇気と、相対する者の(こうべ)をしぜんと下げさせる、王者の威厳にあふれた方でした。


 陛下と共に姿を見せられたアンリエッタ王妃さまへも同様の歓声が送られ、お二方はにこやかにそれに応じています。

 露台に王家の皆さまとその予定者がそろい、民の歓声に応えることしばし。


 ひとしきり民衆の歓声に応えていた陛下ですが、頃合いを見計らって露台のわたしたちを見まわし、そして眼下の民たちへあたたかく、力強い眼差しを向けられます。


 陛下のその眼差しに見渡されて行くと、歓声は徐々に波が引くようになり、変わって高まる興奮の空気が広がっていきます。


 それが最高潮に達したのを見計らったように、サッと片手をふり上げた陛下の動きに合わせて、王城の灯りが一斉にともりました。


 夕暮れの中で重たくそびえるようだった城が、瞬きを数えるうちに華やかで豪奢な王城へと変貌します。


 それは、目をみはる様でした。


 集まった民衆からは、爆発的な歓声が上がります。サウズリンド王国の、聖夜の祝宴のはじまりでした。




 サウズリンドは多神教の国ですが、その中でも主神と崇められる大神ドーラがいます。そのドーラ神が神々を集めて、一年の終わりとはじまりを祝う宴を夜通し開いた──という神話から、聖夜の祝宴ははじまったとされています。


 この日ばかりは、王都サウーラは眠らない街になります。


 街の至るところに一晩中灯りがともされ、真冬の最中でも人々の往来が絶えません。

 神々の祝宴を模した寸劇や大道芸、この日のために大陸各地から集まった商人たちの開く市場。


 そして、王家から無償で提供されているヴァン・ショーの屋台。ほろ酔い加減で並ぶ大人たちに、甘い香りに誘われて、味見をさせてとねだる子どもたち。あしらわれて唇をとがらせ、成人したら絶対に味わうのだと、心に決めるのが王都育ちの子どもです。


 お祭り騒ぎはそれこそ夜通し続きますが、おおよその家庭はにぎやかな喧騒を聞きながら、家族の団欒を尊ぶ一日でもあります。


 そして、そんな聖夜の祝宴を陰ながら支える功労者が、王都の警邏隊でした。

 この日のためだけに人員は大幅に増やされ、祭りゆえのケンカ騒ぎやもめ事を静めたり仲裁したり、真冬の道端で酔っ払いが寝込んで凍死しないよう、人の流入がはげしい王都に隅々まで目を配らせ、治安維持に尽力します。


 聖夜の祝宴を盛り上げようとする人々と、陰ながら支える者。

 そういった人々の存在があって、サウズリンドの聖夜の祝宴は、アルス大陸でも有名な祭りの一つに数えられていました。




 いまだ静まらない歓声を背後に、室内に戻ったわたしは、大役を終えてホッと一息つきました。

 エスコートしてくださっていた殿下がクスリと小さく笑い、労うように口を開きかけて──。


「エリアーナ。時間がありません。さ、行きますよ」


 アンリエッタさまに忙しなく急かされ、わたしは殿下と言葉を交わす間もなく侍女や女官に囲まれて、あわただしく控えの間を後にしました。


 実は、今日は朝からこの調子です。


 この日ばかりは、わたしは本を手に取る隙すら与えられず、日も昇り切らぬ未明から侍女たちの手によって全身を磨き上げられる苦行にはじまり、英雄王が祀られている王家縁の神殿での祭事に、他国の使節団を招いた会食に歓談におもてなし──。


 数日分の公務が凝縮されたような目まぐるしさです。


 そして、もう一つの苦行が、本日何度目になるかわからない、衣装替えでした。


 アンリエッタさまと共に王宮の一室に移ったわたしは、先ほどまでの気品と華やかさと、防寒性を兼ね備えた衣装を脱がされ、ひとまず簡易なガウンをまとって一息ついています。


 これから、貴族階級の方々にとって最重要催事である、聖夜の祝宴という名の夜会が待っているのです。冬の日は落ちるのも早いですから、アンリエッタさまが支度に急かしたのは、そういったわけもありました。


 夜会でわたしたちが食事を取れることはめったにありません。ゆえに、わたしとアンリエッタさまは、早めの軽食の席についていました。


 紅茶を淹れてもらうのを何気なくながめ、少々不慣れな手付きに気が付きます。王宮務めの侍女がめずらしい、と目線を上げ、驚きのあまり声を上げてしまいました。


「リリア……!?」


 (はしばみ)色の眸が、してやったり、とでも言うようにいたずらっぽく笑います。

 わたしの母方の従姉妹、ストーレフ伯爵家の末娘、リリア・ストーレフでした。


 なぜここに、と言いかけた言葉が、王宮務めの侍女のお仕着せに収まっている様子から、わけがわからずに混乱します。

 リリアはわざとらしくすました顔を作ると、かしこまった口調でわたしに挨拶をしてきました。


「王宮に上がって、まだ二月弱の見習いでございます。いたらぬ点もあるかと思いますが、なにとぞご容赦くださいませ。エリアーナさま」

「は……い?」


 目をしばたたくわたしにリリアが吹きだしかけて、アグネスの厳しい視線にかしこまった顔つきになりました。

 アグネスはアンリエッタさまの許可を得て、「今のうちに説明なさい」とリリアをうながします。目線で再度お伺いを立てたリリアがかるくお辞儀をして、くだけた口調でわたしに話しました。


「実はね、狩猟祭の後、クリストファー殿下からお誘いを受けたの。エリィ姉さま付きの侍女になって、王宮で働かないか、って」

「まあ……」


「エリィ姉さまが王太子妃になって、王宮に慣れるしばらくの間だけでもかまわないって。生真面目なエリィ姉さまは、絶対色々と気張りすぎちゃうから、気軽にものを言える相手が近くに必要なんですって」


 たしかに、とわたしも先日の出来事を思い返して、王宮内で裏を考えずに話ができる存在をありがたく思いました。

 でも、とやはりリリアの年頃を思いやって、ためらいを覚えます。


「なにも、未婚の──ストーレフ家のあなたが、わざわざ侍女にならなくても……」


 王家の人間のそば近くに仕える者は、身元の確かな人物に限られます。アンリエッタさまの腹心のアグネスも、伯爵家の出でした。


 しかし、アグネスはご夫君に先立たれ、未亡人になった後、アンリエッタさまの女官に上がったと聞いています。まだ年若いリリアをわたしに縛り付けるのは、彼女の可能性を摘み取ってしまうことのように感じました。

 ところが、リリアはなんでもないように笑って返してきます。


「ストーレフ家は長女のクレア姉さまが婿を取って跡継ぎも生まれているから安泰だし、次女のジュリア姉さまも子爵家にお嫁入りが決まっているから問題ないわ。私はどちらかと言えば、お婿さん探しより、アンナさまみたいに働く女性に憧れていたの。だから、クリストファー殿下のお誘いは願ったり叶ったりって感じよ」

「まあ……」


 従妹にそのような夢があったとは知りませんでした。

 瞬くわたしに、リリアは伯爵家の皆は了承して応援もしてくれている、と告げます。それに、といたずらっぽく。


「社交界はお母さまや姉さまたち、テレーゼさまがいらっしゃるから、私の出番はあまりないわ。だから、違う方面から役に立ってみようかな、って思ったの。なにより──」


 端っこそうな眸がそれは楽しそうな色で輝きます。


「エリィ姉さまの近くなんて、お婿探しの夜会や令嬢たちとのお茶会の毎日より、絶対、何倍も面白そうだもの」


 ……なにやら、どなたかを彷彿とさせるリリアの人生観です。


 彼女なりの目的や生き甲斐を見出しているのならよいのかしらと思ったそこで、王妃さま付きの侍女長の咳払いも聞こえました。リリアはあわてて背筋を伸ばし、再度かしこまった様子で口を開きます。


「そのようなわけで、侍女としてはまだ見習い中ではございますが、これからよろしくお願いします。エリアーナさま」


 丁寧に一礼する作法は、わたしの身内と言えど王宮務めの侍女になるからには公私の区別をつけるように、と厳しく躾けられたようです。


 ほんとうに大丈夫かしらと案じながら、年下の従妹の存在に気分が軽くなるわたしは、やはり、まだまだ至らないようです。

 アンリエッタさまの小さな嘆息がもれ聞こえました。


「あの子はほんとうに、あなたには甘いこと」


 わたしも背筋を伸ばして卓に向き直ると、アンリエッタさまはカップをソーサに置き、変わらぬ厳しい口調で続けました。


「エリアーナ。サラのことですが」


 ドキリと胸を突かれて、打って変わった緊張の面持ちではい、と答えます。


 サラには止むにやまれぬ事情があったのだと、彼女を庇いたい気持ちもありましたが、どのような事情があったにせよ、わたしの部屋にマティルダさまと侵入した事実は事実です。個人的な感情で規律を乱せば、王宮に務める者たち全員の意識に影響するのは、わたしも理解していました。

 アンリエッタさまは静かな嘆息とともに決定事項を告げます。


「後宮の侍女の違反は、私の落度でもあります。後宮に出入りする商会の人間の身元調査など、不手際があったことも、私の管轄下で起こったことですから、あなたには詫びなければなりません」

「そのような──」


 あわてて口を挟むわたしに、アンリエッタさまはいいえ、とめずらしく感情的に否定されます。


「あの子に嫌味たらしくこちらの落度をつつかれて干渉を制限されるくらいなら、潔く非を認めたほうがマシです。ほんとうに……古狸から学ぶべきところは、陰険試合ではないでしょうに」

 はい……?


 首をかしげるわたしに、アンリエッタさまはどこか感情的な息をつきました。

 カップを優雅に口元に運んで香りに気を落ち着ける様子は、クリストファー殿下に似通った雰囲気があります。そうしてもう一度、吐息をつかれました。


「──サラは、侍女から外して、降格処分とすることになりました。下働きの立場で一からになりますが、あの意欲があればまた侍女の職を得ることは可能でしょう」


 王宮から追い出されなかったことに、わたしはひとまずホッとしました。王宮勤めを首になったとなれば、次の職に困窮するのは目に見えていたからです。

 しかし、アンリエッタさまの続けての言葉には、わたしは大きく目をしばたたかせました。


「サラが侍女に戻れば、あなたはまた一人、忠実な侍女を得ることになりますね」

「え……」

「サラが降格処分で落ち着いたのは、彼女が深く悔いて、解雇処分になることも辞さない覚悟が見えたからです。自分は、あなたの思いを裏切ってしまったと」


 どう反応したものか、困惑の思いでいるわたしに、アンリエッタさまは静かに息をつきました。


「エリアーナ。あなたの目が常にどこを向いているのか、この四年の間に王宮に仕える者たちで知らぬ者はおりません。あなたを王太子妃として迎え入れる日を心待ちにする者は、とても多いのですよ。クリスがよけいな気をまわさずとも、あなたは自分で、あなた自身に仕える者を作っています。もっと自信をお持ちなさい」


 叱咤激励されているようで、わたしも思わず、もう一度背筋を伸ばし、「はい」と答えました。同時に、胸があたたかくなる思いでアンリエッタさまを見つめ返しました。


「ありがとうございます。……アンリエッタさま」


 アンリエッタさまは次いで、コホンと小さく咳払いされると口調を変えずに続けました。それから、と。


「今回の件ですが、家に逃げ帰る前に、あなたには相談する人間がいたでしょう。同じ経験を積んだ者から助言を受けなくてどうします。あなたは私の義娘になるのだと、あれほど言っておいたでしょう」

「え……あ、はい」


 反射的に答えて、わたしは首をかしげそうになりました。

 アンリエッタさまに相談しなかったことを叱られているのでしょうか。しかし、あの時のわたしは──と、考え込みそうになって、やはりアンリエッタさまの叱るような声が続きます。


「あなたは頭が良すぎる分、よけいなことも考えすぎです。もっと素直に、人に甘えることも覚えなさい」

「はい……」


 甘えるとは、どなたにでしょうか……。


 リリアや、周囲の侍女からは小さな笑いがもれており、アンリエッタさまはかすかに頬を染めると、それから、と厳しい声を意識して紡いだようでした。


「今年のあなたのドレスは、あなたが見つけたミルル貝の染料で染めたものです。あなたの言葉を元に、私専属のデザイナーと仕立てました。布地はトール地方の新しい素材ですが、コルバ村やアズール地方を豊かにできるかどうかは、あなたの宣伝にかかっています。精一杯おやりなさい」

「え……」


 思わず固まったわたしに、アンリエッタさまはすましたお顔で告げました。


「クリスやストーレフ家ばかりでなく、たまには私があなたの発想を活かすのもよいでしょう」と。


 そのまま固まったわたしは忙しない軽食を終えて、追い立てられるようにアンリエッタさまと別々の部屋で身支度との戦いにのぞみ──いつも通り、気力、体力を奪われたのでした。





 ~・~・~・~・~




 衣装の微調整をされながら、鏡の中のエリアーナがぼうぜんとした顔を直せずにいます。


 アンリエッタさまがご自身のデザイナーと相談して秘密裡に仕上げたというドレスは、それは素晴らしいものでした。


 トール地方で新しく開発された生地は、薄物仕立で肌の色が透けて見えるような風通りと軽さが特徴です。夏場によいのではないかと思っていましたが、アンリエッタさまのデザイナーはそれを何枚にも重ねることで冬用のドレスに仕立て上げました。


 その染料に使用されたのが、ミルル貝の顔料です。


 紙に落とすと薄い色付きだったものが、トール地方の生地に染められると、きれいな薄薔薇色になります。

 その生地を何枚も重ねられて、腰回りは深みのある深紅色に、夜会ゆえに大胆に肩を出した肌がのぞく部分は一枚、二枚、と薄く、肌の色に透ける淡紅色に彩られます。


 裾の部分にだけ金糸銀糸が組み込まれているのでしょう。身動ぎするたびに灯りをはね返して、光の欠片がこぼれるようです。


 その素材の軽さとあいまって、きっとダンスをする時には花びらが舞うような広がりを見せるのではないかと思わせました。


 まるで、薔薇の花びらを一枚一枚丁寧に重ね合わせたかのような、そんな見事なドレスです。


 なにより──。


 従来の赤いドレスと異なっていたのが、その色味でした。一枚一枚はよくある薄薔薇色でも、それが重ねられていくことによって増す艶やかな深みは、見たこともない神秘性を秘めて人目を奪いました。


 その色合いが、ともすれば着る者の品性によって評価が分かれる赤い色を気品高く、穢れのないものへと押し上げているようです。

 わたしは、ミルル貝の顔料にこのような活用方法があったことに驚いていました。その点では、アンリエッタさまに感服です。


 ──着用しているのが、わたしでなければ。


「…………」


 赤いドレスに映えるように、いつもより濃い目の化粧をほどこされ、ポワポワとしたまとまりのない髪も複雑に結い上げられて、自分の髪なのにどうなっているのかわかりません。こぼれる後れ毛の量さえも調整されているような、侍女たちの執念に近いこだわりも感じます。


 鏡の中のエリアーナは、わたしの知っている虫かぶり姫ではありませんでした。


 ぼうぜんとしたままのわたしは、その方がいつ入室されて近くまで来ていたのか、気付くのに遅れました。


「……エリィ」


 呼ばれてふり向くと、夜色の王子さまがそこにいました。


 深い夜の色を写し取ったような、黒に近い濃い藍色の礼装。夜会にふさわしく金銀の刺繍が華やかに衣装を彩り、しかし、それさえも抑え込んでしまう存在感が、なによりその方を輝かせています。


 まばゆい金の髪。晴れ渡った青空色の眸。麗しい容貌に、鍛えられた体躯を誇示しない均整の取れたたたずまいとお姿。


 サウズリンド王国が誇る、輝かしい次世代を嘱望された、クリストファー殿下でした。


「殿下……」


 見慣れたお方なのに、やっぱり見惚れてしまったわたしは、驚いたように見開かれた青い眸にハッとしました。


 わたしは今まで、赤一色のドレスというのは着たことがありません。叔母や従姉妹たちも勧めてきたことはなく、わたしには合わない色だと避けられていたのだと思います。


 それに。

 『図書館の亡霊』の異名を取ったわたしが赤いドレスを着たら、まず間違いなく、ドレスだけが浮いて見えるのではないでしょうか。そうしたら殿下に、『赤いドレスの亡霊』がまとわりつく怪談話が出来上がりかねません。


 アワワ、とあせるわたしの前で、殿下の大きな息が吐かれました。


「そうか……。エリィが赤を着るとこういう印象になるのか」


 これは母上にしてやられたな、と少しくやしそうなつぶやきももれます。

 わたしは殿下の視線から逃れたくて仕方ありませんでしたが、最終調整をしてくれている侍女たちの、無言の圧が足をその場に縫い止めています。思わず、半分泣きそうな思いで口にしていました。


「……はっきり言ってくださいませ。殿下」

「え?」

「目がチカチカしませんか? ドレスはほんとうに……申し分ないくらい素晴らしいものだと思いますが、わたしには似合っていないように──」


 そこで、調整に余念のなかった侍女たちが、いっせいにそろえたようにわたしに目を上げてきました。皆、その目付きがつり上がっているように見受けられます。

 口を開きかけた一人を、殿下が小さく笑って制しました。


「エリィのことだから、まあやっぱり、本気で言っているんだよね」


 面白そうな殿下は、やはり再度、しげしげとわたしの様子をながめます。そして「ほんとうに正直に言っていいの?」とたずねるので、わたしも覚悟を決めてうなずきました。


「はい」


 調整を終えた侍女たちが空気を読んだように下がります。眼差しが打って変わって生温かったことに、気付いていないのはわたしだけでした。

 にっこり笑った殿下は、異国の言葉のようなものを次から次へと発しました。


「──パッと見て連想したのが、薔薇の花。ドレスが素晴らしい出来なのは確かに認めるけれど、エリィだって負けていない。いやむしろ──、エリィだからこそ、このドレスの良さが生きている気がするね。

 咲き染めの──一輪の薔薇のようだよ。朝露をはじく、初々しくも凛とした一輪の薔薇。だれの手にも触れられていなくて、蕾の中に秘めていた香りが、知らぬ間に咲きほころんだ──そんな、かぐわしい印象」


 わたしの頬が、急速に熱を持っていくのがわかりました。

 殿下の青い眸は真剣に、けれどいたずらっぽさも込めて続けてきます。


「エリィの顔立ちが可愛いのもわかっていたけれど、今日はドレスに似合って、どこか小悪魔みたいだ。女性は化粧ひとつで印象がガラリと変わるから怖いね。小悪魔なエリィになら、ふりまわされてみたいけれど」

「で、殿……」

「ああ、でも。私以外の男も惑わされそうで心配だな。肩も肌を出し過ぎな気がする。……かがんだら、もっと危なさそうだ。ダンスの相手は今晩は私だけだ。いいね、エリィ」

 はい……?


 殿下の真剣な眸は、徐々に違う方向へ走りだしているようでした。


「だいたい──こういう場では、青鋼玉(サファイア)を付けるのが定番なのに、赤いドレスでは合わないじゃないか。……母上の策略か? それならこっちにも考えがある。だれの目にもそれと分かる印を付けるなら、ほかにも手段が──」


 眸に走る危険な色に、わたしがおじけて後ずさった時でした。


「──クリストファー殿下」

 王妃さまの意を受けて、わたしの身支度の采配をしていたアグネスが厳しい声音で殿下に制止をかけました。


「女性の支度部屋に、なぜあなたさまがいらっしゃるのです。ほんの少しの辛抱もできない子どもですか、あなたさまは」


 ……さすが、王妃さまに長年仕えてきた女官です。その口調には、殿下を幼少時から叱責し慣れた雰囲気がありました。


 殿下の整ったお顔もいやそうに引きつっています。どうやら殿下は、アグネスが小用で室内を外した一瞬の隙をついたようでした。

 いたずらを見咎められた子どものように、どこか開き直ったため息をつきます。


「今日は全然、エリィと二人で話す時間が取れなかったんだ。少しぐらい大目に見てもらいたいね」


 それに、と今度は甘さを含ませてわたしを見つめ返してきます。


「こんなにきれいに着飾ったエリィを一番に目にするのは、やはり私の特権だ。エリィ。断言してもいいよ。年明けからは、まず間違いなく、ミルル貝で染めた赤いドレスが流行りだすよ」

「殿下……」


 歩を詰めた殿下が、しぜんな仕草でわたしの腰に手をまわしました。青い眸は甘く、からかう色も乗せています。


「でも反対に──だれの目にもふれさせたくなくなってきたな。閉じ込めて、私だけの宝物にしたい」

「で、殿……」


 殿下の指先がやさしく、わたしの頬にふれてきました。青い眸はきれいにほほ笑み、想いをこめて言葉が紡がれます。


「エリィ──そのドレス、とてもよく似合っている」


 わたしの頬も、瞬時に薔薇色に染まった気がしました。

 胸の中に灯りがともったようにあたたかく、そのあたたかさが全身に、自信となって満ち渡っていくようです。


 うれしい思いがしぜんと笑顔になって応えると、殿下の微笑もさらに深まり、青い眸がやさしくわたしに近付きかけて──咳払いが挟まれました。

 アグネスの動じない叱責がかけられます。


「辛抱なさいませ、と言ったのが聞こえませんでしたか。殿下」


 わたしも人前であることに今さらあわてだすと、目前の殿下の小さな舌打ちがもれたようでした。






あぁぁ……またラストまで行けなかった……次話できっと!たぶん……m(_ _)m


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