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お邪魔虫─5





「──トッティの洞窟に残っているのが、ゲル文明最古といわれる壁画だね。特に神々の宴を描いた豊穣の間は有名で、今なお、色あざやかな色彩と、それまでの美術史を塗り替える技法があって注目された。ゲル文明の名を世に知らしめた壁画としても有名だ。なぜなら、ゲル文明はそれまで空想上の文明として認識されていた。それと言うのも──って、これは河童に水練だね」



 興奮気味な口調から抑えて、苦笑をたたえた男性が手の中のカップを口元に運びます。

 言葉を受けて、にこりと控えめに笑む女性がいました。ゆるぎない口調で続きが紡がれます。


「アルス大陸歴82年、北の大国カイ・アーグ帝国がアルス大陸制覇に乗り出し、敗戦国はことごとく帝国のライザ教に改宗させられました。ライザ教は一神教の教えであり、偶像崇拝を戒めています。そのため、当時、既存の宗教の象徴である神殿や神像、壁画などはすべて壊され、燃やされてしまったと歴史書にあります。もし──残っていれば、ゲル文明発祥の由来を解く鍵になったやも知れず、また、大陸史上最大の謎と云われている、リムル人解明の糸口になったかも知れませんのに……っ」


 くやしそうに唇を噛む女性に、同意を示してうなずいたのは、兄のアルフレッドでした。



 場所は王宮書庫室の休憩所です。

 時間の空いたわたしが書庫室でぼんやりしていたところへ、資料を返しに来た兄とアンナさまとかち合い、三人でお茶をいただいていました。


 アンナさまは、イーディア辺境領を治めるヘイドン伯爵家の一人娘です。

 秋の狩猟祭で知り合った彼女は、今冬からめでたく王宮内の歴史編纂部署に勤めだし、わたしとも書庫室の休憩所で歴史談議をする仲になっていました。

 そこに兄が加わるようになったのは、知識を有する者に惹かれるベルンシュタインの性でしょうか。


 柔和な顔立ちも、歴史談議をする時は生真面目に面が引き締まっています。


「帝国が周辺諸国を侵略し、全盛を極めた百余年あまりは、アルス大陸の文明にとって最も過酷な時代だったと言わざるを得ない。おかげで、どれだけの美術品が破壊されたか──。一神教の考えが悪だとは言わない。けれど、おのれを全とし、他を排除する考えに同調することはできない」


 アンナさまが静かにうなずいて言葉を重ねます。


「他文化が入り込むことによって開かれた新しい文化がある──歴史的には、そういう一面もありますが。既存の文明を廃絶し、存在を消し去るほどの教えは、狂気といってもいいと思います。帝国の支配が百余年に渡って続いたのは長かったのか短かったのか──諸説ありますが、肥大しすぎた帝国の富と支配が瓦解したのは、しぜんの成り行きだったと私は思います」


「うん──。帝国の支配が終わるに至ったのは、当時の情勢や帝国内部の問題もあったけれど。支配下に置かれた各国が力を蓄えはじめていたことも要因のひとつだね。現にその後、帝国の大陸制覇を真似した王がサウズリンドにも現われたし」

「ルドルフ王ですね」


 そう言ってアンナさまはわたしに共通した思いをこめた笑みを向けます。わたしも小さく笑みを返しました。

 兄のやさしい灰色の眸がわたしに向けて苦笑がこぼれます。


「帝国史に話が流れてしまったけれど──。ノルン国にあるトッティの洞窟に残っていた壁画が元で、ゲルーガ神話が実在したものだったことも証明された。……エリィが壁画に興味を示すのは少しめずらしいね。いよいよアンドリュー叔父さんの影響が出てきたのかな」


 やわらかな微笑にわたしはゆるく首をふりました。

「……少し、調べものをしていたので」

 ふしぎそうな顔のアンナさまに、兄が微笑で説明します。


「父の弟に、考古学者がいるんだ。大陸各地をめぐって遺跡探査や発掘に生きがいを見出している人がね。顔を見せるのは一年に一度ぐらいだけれど、僕もエリィも、昔から彼の話を聞くのが大好きだった。僕も嫡男って立場じゃなければ、叔父のように遺跡をめぐる旅に出てみたかったよ」


 まあ、とアンナさまは少し目をみはってクスクスと笑います。それも面白そうですね、と。

 そしてそう言えば、と少し深刻そうな顔つきになりました。


「ノルン国は、ここ数年、情勢が危ぶまれているとお聞きしました。旧カイ・アーグ帝国領内の紛争が拡大の一途をたどっており、ノルン国が巻き込まれるのも時間の問題だろうと……」


「あちらの先の王妃が旧帝国領内から嫁いだ方だからね。昔から、アルス大陸の北東一帯は帝国の支配下に置かれたり独立したりと、情勢が不安定な地でもある。──サウズリンドは幸い、北方連山が盾となって、旧帝国領内の紛争に巻き込まれることはないけれど」

「そうですね。……エリアーナさまは、ノルン国が戦に巻き込まれ、トッティの洞窟が被害に遭うかも知れない危惧をされているのですか?」


 アンナさまの真摯な眼差しに、わたしは少し胸を突かれました。

 歴史的遺産を尊ぶ姿勢と、戦によってそれが損なわれるかもしれない情勢を危ぶむ思い。


 ──もし、わたしの不用意な発言が元で戦を加速させるやも知れない事態になっていると知れば、彼女はどう思うのでしょう。

 幾度となく、戦禍に遭った歴史を持つ、イーディア辺境領の生まれであるアンナさまは。


「…………」

 色々な言葉が頭の中でかけめぐって、今までなら歴史談議にも進んで発言していたわたしですが、今は何かを口にするのがとても怖くなってしまっていました。


 アンナさまが少し怪訝そうに眉を曇らせ、その前で立ち上がった兄がカップを置いてわたしの顔色をうかがってきました。


「エリィ?」


 やさしい手がわたしの髪をかき上げ、変わらぬあたたかさでのぞき込んできます。やわらかな灰色の眸が、心配そうな色を帯びていました。


「元気がないね。どうした?」

「兄さま……」


 王宮に滞在している期間中、兄は多忙な身なのに、毎回こうしてわたしの様子をうかがいに来てくれます。父はさすがにそんな余裕もなさそうですが、年末の時期は毎年、家に帰ることもできずに忙殺されているため、同じ王宮内に留まっているのは知っていました。

 兄に心配をかけてはいけないと、首をふりかけたわたしの動きは、兄の微笑に止められます。


「エリィが僕とココアを飲みたがる時は、たいてい元気がない時だよ。言ってごらん。なにがあった?」


 ふいに、幼い頃のようにがむしゃらに泣き付きたい思いにかられて、けれど、今のわたしはもうそれはしてはいけない立場だとあらためました。


 アンナさまが気遣うようにそっと席をはずそうとしているのに気付いて、二人に向けて声をかけます。


「大丈夫です。あの…………殿下に、ご相談しようと思っていることなので……。あの、ごめんなさい。お兄さま」

「そう……」


 少しさみしそうな色を浮かべた兄ですが、わたしをなぐさめるようになでる手は止めず、ぼそりと小さくつぶやいていました。


「……日取りが決まったからって、安心しきっているのかな」


 首をかしげたわたしに、兄がやさしく笑いかけてきます。


「エリィに頼ってもらえないのは少しさみしいけれど、僕にできることがあったら、なんでも言うんだよ。僕も父も、宮廷勤めにこだわりはないんだからね」


 わたしは少し目をしばたたきました。兄はすでに宰相補佐役としてなくてはならない存在であり、将来の大臣候補と見なされていると聞きます。立身出世を望む者からしたら、羨まれて仕方ない立場でしょう。なのに、相も変わらぬ権力欲のなさに、わたしの心も軽くなる思いでした。


 立場よりも、わたしを気遣ってくれる想いが心にしみ込みます。アンナさまの控えめな声がさらに力付けてくれるようでした。


「私も……お力になれることがあったら、なんでも言ってくださいませ。エリアーナさま」


 二人にはげまされ、肩から力がぬけた気分で、わたしはようやくしぜんな笑みで返すことができました。


「はい。……ありがとうございます。お兄さま。アンナさま」


 二人の微笑があたたかく、わたしの心もなごやかな気分で落ち着きました。






 ~・~・~・~・~




 休憩時間の終わったアンナさまが仕事に戻り、それより早く、泣きそうな顔をした部下の方に兄は引っ張って行かれ、わたしは職員の方々と書庫整理に加わっていました。


 管理責任者のテオドールさまはこの時期、さすがに王弟殿下の立場にふりまわされるようで、他国のお歴々方との会談や民の代表者との面会、聖夜の祝宴の手配等で繁忙なため、不在がちです。

 クリストファー殿下はそこに、携わっている政務や手掛けている政策、さらには成婚の儀に向けた準備が加わっているのですから、どれだけ忙殺される身の上なのか、わたしも案じる思いでいました。


 ほんとうならわたしも、王妃さまのお取り巻きのご夫人方を含めた女性の交流を広げて、春に向けた準備を進めなければならないのですが、昨夜の一件で商会の方々とのやり取りはいったん中断とされていました。


 喜んではいけないと思いながら、どうしても、きらびやかな装飾品に囲まれるより書物のにおいに包まれているほうが、どれだけ心が安らぎ浮き立つものなのか、あらためさせられる思いです。


 率先して古書整理をしているそこへ、アレクセイさまが書類の山を抱えて現われました。

 殿下の側近ゆえに忙しさに輪がかかっているアレクセイさまは、どこか鬼気せまる迫力があります。逆らうことに否やを言わせない雰囲気で、わたしは雑用を仰せつかっていました。



 書類や文書を手に各部署をまわったわたしは、お忙しい役人さまたちの実情を身を持って体験中です。


 皆さま、次から次へと書類や書簡の言付けを頼んできます。見る間にわたしの両腕にはいつもの通り、返却本や書類の山が積まれ、視界も危うくなってまいりました。


 おそらく皆さま、相手がわたしということに気が付いていないのでしょう。そういった切羽詰まった様子が各部署にありました。


 この時期は臨時で人手を増やすべきではないかしら……しかし、自分のように情報が漏えいする危険性もはらんでいるし……しかしやはり、殿下の政策は……と、つらつら考えながら回廊を進んでいた時です。


 華やかな声が聞こえてきて、書類の間から見ると幾人かのご令嬢の姿が見えました。どうやら、冬場の間、貴族の方向けに開放されている王宮内の温室へ向かうご一行のようです。

 少しためらいましたが、わたしは宮廷務めの女官のようにそっと回廊の端に寄りました。


 明るい笑い声に聞き覚えがある、と思い見ると、一昨日お逢いしたばかりのシャロン嬢です。会話を交わす相手に、はて? と思う先で声が響いてきました。


「──では、シャロンさまはグレンさまの婚約者として見えられたのではなかったのですか?」


「はい。伯爵夫人が私をそのように受け容れてくださっているのは大変ありがたく思いますが、グレンさまに申し訳ないですわ。グレンさまはとても女性に人気のあるお方とうかがっていますし、私のような子どもが相手では、物足りなくなってしまうでしょう」

「まあ……そうでしたの」


 女性たちのささやき交わす声がはずんだ色を帯びたのは、わたしにもわかりました。

 グレンさまは近衛大将軍の父君を持つ伯爵家の方で、王太子殿下の護衛を務める近衛騎士です。血筋も将来も確約された男性として未婚の女性にたいそう人気があるのは、周知の事実でした。


 先日のアイゼナッハ夫人のご様子から両家の婚約はほぼ決定事項なのかと思っていましたが、どうやら当事者同士が乗り気ではないようです。それならグレンさまにも逃げ道はあるのかも、と思うわたしとは反対に、女性たちの声は色付いて交わされていました。


 聖夜の祝宴のパートナーに、と色めく気持ちはわかります。サウズリンドの一年の終わりとはじまりを祝う宴は、貴族階級の未婚の方々にとって特別な意味を持ちます。


 そこでのパートナーはふだんの夜会のパートナーとは異なって、将来を約束した相手である──と見なされるのが慣例なのです。

 くったくのないシャロンさまの声が女性たちを後押しします。


「グレンさまには私のような子どもより、マティルダさまたちのような、大人の女性がふさわしく思いますの。私にできることなら、なんでもご協力したいと思いますわ」


 まあ、と女性たちの好意的な声がさざめきます。会話の相手はマティルダさまだったのかと、わたしは少し目をしばたたきました。

 昨夜のドレスの印象が強すぎて、お顔を失念していました。そのマティルダさまは、少し警戒するように声を紡がれています。


「では、シャロンさまがサウズリンドへいらしたのは、聖夜の祝宴に参加してみたいというお気持ちからだったのかしら」


 ええ、とはずむような声でシャロンさまが返されます。それからもう一つ──と。


「──私がこの国に来たのは、害虫退治のためですの」


 しん、とした沈黙と数拍のち、甲高い笑声がマティルダさまから上がりました。

 書類の山の後ろ側で、わたしも思わずビクッとしたほどです。マティルダさまはこらえきれない笑いを押さえるように、扇でひっしに隠されていました。


「そうでしたの。シャロンさま、私たち仲良くできそうですわね」

「はい。マティルダさま」


 無邪気に答えるシャロンさまの斜め後ろで、護衛のエレンさまが困ったような苦笑を浮かべていました。

 その深緑の眸が、回廊の端に控えたわたしを捉えて、ぎょっと見開かれます。申し訳ない思いでわたしは縮こまりました。


 王太子婚約者としてあるまじきふるまいなのも、令嬢としてあり得ない光景なのも承知していますが、ただいま人手不足なのです。

 皆さまに注意を引かれるのではないかと身を固くしたわたしですが、エレンさまは驚きから笑いをかみ殺す様でていねいに目礼すると、そのまま一行に付いて立ち去りました。


 少なからず、わたしもホッと息をつきます。エレンさまに感謝と複雑な思いを抱いて、他部署へ足を向けました。


 シャロンさまはその年齢からまだ夜会への出席は控えられているはずですが、いつマティルダさまと知り合われたのか、わたしがぼんやりしているだけで、世の中はもっと目まぐるしく情勢が移り変わっているのではないか──そんなとりとめもない思いがめぐります。

 そして──。


 ミレーユ・オルフェーヌ・フランさま。


 現ラモンド夫人と呼ばれるお方が、昔、クリストファー殿下と婚約寸前だったのは、わたしも存じ上げておりました。

 殿下が十五歳で立太子となられた際、婚約者が未定なのは問題があるとして、候補に挙げられた女性の中で最も有力だったのが、ミレーユ大公女さまだったそうです。


 四年前、殿下の婚約者に上がったばかりの頃、教えてくださった親切な方がいました。


『殿下はなぜ、ミゼラルの真珠姫ではなく、虫かぶり姫を選ばれたのかしら──』と。


 あの頃のわたしは殿下の見せかけの婚約者であると思い込んでいましたので、『殿下のお考えがあるのだと思います』と、心を騒がせることもなく答えることができました。


 今は、どうでしょう。

 ミレーユさまと殿下の繋がりを感じ取って、どうしようもなく心が騒いでいる今は。


 そっとため息を落としたそこへ、ふいに手前から声をかけられました。


「──重たそうですね。お手伝いしますよ」


 書類の間から見えたのは、宮廷務めの方らしいお仕着せの服を着た青年です。わたしはあわてて身を引きました。


「いえ、大丈夫です。ご親切に、ありがとうございます」


 アレクセイさまから言付かったのは殿下宛ての書類もあり、機密性を考えて見知らぬ方の手に渡すことはできませんでした。

 遠慮なさらずに、いえ大丈夫です、と押し問答がはじまりかけて、ふいにその方がガックリと嘆きの声を出しました。


「変装している時ならともかく、本職の格好をしても気付かれないボクの存在感っていったい……アランデス」

「え……」


 書類の間からあらためて見ると、蜂蜜色の髪に翠緑の眸をした宮廷楽師、アランさまがしょげきった態でそこにいました。


「まあ、アランさま。……申し訳ありません。考え事をしていたので」


 ハハ、とアランさまからはかわいた笑いがもれます。

「……エリアーナさまの中のボクって、どんなんなんだろ……」


 悲しげな吐息をついて、わたしの手から書類の半分を受け取りました。その量の多さに、これって無言の抗議かな、とふしぎなつぶやきを口にされています。

 そうして油断のならない翠緑の眸がわたしを見返しました。


「考え事って、クリスさまのこと?」


 直球の指摘に言葉が詰まり、同時にもしかして、と思い至りました。

 殿下の命でわたしの身辺に注意を払ってくださっているアランさまです。今のタイミングで現われたのは、マティルダさまか、ミゼラルからのお客人の様子をうかがっていたのではないかと。


「あの……」

 とたんになさけない思いでわたしは口ごもりました。

 お忙しい殿下の手をわずらわせてばかりの婚約者──。


「殿下には、お伝えしないでもらえませんか」


 アランさまの翠緑の眸がきょとんと瞬きます。

「エリアーナさまのことで隠し事すると、ボク、クリスさまに叱られるんだけど……」


 ハッとわたしも、とっさに口をついてしまった言葉にうろたえました。アランさまにはアランさまの任務があり、それにわたしが口をはさむなど、権力の濫用もいいところです。


「申し訳ありません……」

 沈んだ気分で眸も落とすと、えーと、とアランさまは深刻になりすぎない口ぶりでわたしをのぞき込んできます。


「エリアーナさまがクリスさまに知られたくないことって、困ったご令嬢方のこと? それとも、もっと別のなにか?」


 問われてわたしも気が付きました。

 わたしが殿下に自身の不甲斐なさを知られたくないと思っても、自分でアランさまのお役目に思い至ったように、昨夜の夜会でのことは、とうに殿下はご存じなのかも知れません。

 なおさらなさけない思いで気分が沈み、心が向いた方向から逃げるように、わたしはアランさまに別のことをたずねました。


「ダウナー伯爵は、発言を強められていたりしますか?」


 マティルダ嬢の祖父──ダウナー伯爵が軍部の強硬派の一人であるのは有名な事実であり、先日、殿下も口にされていた問題の人物です。彼が一人で国を左右するほどの強権を持っているわけではありません。けれど、その発言力は軽視できないものがあるはずです。


 うーん、とアランさまも困ったような苦笑をこぼされました。

 やはり、とそこに答えを見つけて、わたしは胸がふさがる思いで眸を伏せました。


 わたしは──自分の発想が国を豊かにするものであるのならば、だれがそれを広め、自身の功績にしようと厭うものではないと、そう思っていました。


 けれど、それが軍部の強硬派であるダウナー伯爵家に連なる方に利用されてしまうと──それが、情勢の危うい国と親交を深めるものであると周囲に認識されてしまうと──。


 サウズリンドが北東の紛争地帯へ軍事介入する向きがあるのかと、他国の方々に思われてしまうのです。


 ただでさえ、今は春の成婚の儀に向けて例年よりも多くの外交官の方がサウズリンドに滞在しています。いつも以上に、言動には注意を払わなければなりませんでした。

 なのに、わたしの発言が元でこのような事態になるだなんて──。


 わたしは自分の不用意な言葉が悔やまれてならず、それが使われたことにも、少なからず衝撃を受けていました。

 ──なにより、殿下の政策の邪魔をしてしまった事実に。


「あー、エリアーナさま」

 明るい口調でアランさまが声をかけてきます。


「ボクらも、ちょっと他のことに気を取られてて、見落としちゃった面があるんだけどさ。大丈夫だよ。ボクらがまお……えーと。クリスさまが、エリアーナさまのことでやられっぱなしになるわけがないんだから」


 それではいつものように、わたしは殿下に守られてばかりです。そんなことではいけないと、アンリエッタさまにも注意されたばかりなのに。


 落ち込むばかりの思考に、わたしは歯止めをかけるようにきゅっと唇を引き結びました。アランさまの困ったような笑いがふりかかります。


「エリアーナさまは生真面目だからなぁ。クリスさまみたいに鼻先であしらわれても困るけど……もう少し、どっしりかまえてもいいのに」


 どういう意味かと目を上げた先で、アランさまの少年っぽさを残した表情がありました。


「ボクもクリスさまの許可がないと話せないことがあって申し訳ないんだけどさ。エリアーナさまが遠慮することなんてないよ。クリスさまが今忙しくしているのは、自業自得だから。気にせず押しかけてやって」


 それに、とアランさまの眸はいたずらっ子のようです。

「そういう顔は他の男の前でしないほうがいいよ。ボク、クリスさまに殺されちゃうから」

 そういう顔とはどんな顔でしょう。


 困惑の思いで瞬き、それでもアランさまが兄たちのようにわたしを気遣ってくれている思いは伝わってきます。

 後悔から気弱になっていた泣きだしそうな思いを押し込めて、わたしもひっしに気力をふるい起こし、笑顔を作って返しました。



 アランさまはその後、他愛もない話でわたしの気分を引き立たせてくれ、手分けして書簡を届けるために、途中で別れました。


 皆からもらった気遣いを胸に、わたしは一人、殿下の執務室へ向かいます。

 昨夜の光景がずっと脳裏にあって、殿下にお逢いするのが怖くて、きちんとご相談しなければ、と思いながら、実は朝から殿下の執務室を避けていました。


 今やっと勇気が出て執務室の前に立ったわたしですが……やはり、殿下とはすれ違いでした。


 扉前に控えた衛兵は気安く扉を開けてくれます。おそれ多いことですが、部屋の主が不在でもわたしが読書や書類のやり取りで入室することは許可されていましたので、衛兵の方にも躊躇はありませんでした。


 安堵と気落ちと、両方の思いを抱えて足を踏み入れたわたしは、主が不在の室内に少しさみしい思いをします。

 書類の山が乱立する執務机を見て、殿下にお休みする間はあるのかと、眉をひそめました。


 邪魔にならないように新たな書類を置くと、空気の動きでひとつの山がなだれます。あわてて押さえたわたしは、一瞬でそこに目が釘付けになりました。


 ──クリストファー・セルカーク・アッシェラルドさま。


 書類の山の間から現われた、品を感じさせるきれいな女性の


 わたしはその手紙がだれからのものなのか、直感的に悟りました。目を離すことにおそれを抱くような思いで、ただひたすら、封の切られたお手紙を凝視していました。







~今更なご報告~

おかげさまで、『虫かぶり姫』2巻が2月2日に発売されました。お話をいただいた時には本当にビックリしました。(@@;)

これもひとえに、いつも読んでくださっている皆様あってのことだと思います。

本当にありがとうございます(*^^*)


どうかこれからも『虫かぶり姫』をよろしくお願いします。m(_ _)m


※2巻のカバーイラストを活動報告に載せています。エリィとクリスが今にもしゃべり出しそうな雰囲気がお気に入りです。

よろしければ覗いてみてやって下さい。

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