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お邪魔虫─4





 事が起こったのは、翌日の夜会でした。


 七日後には聖夜の祝宴が控えていますが、それが終わると王宮内のお役所等も新年の休業期間に入ります。狩猟祭後は領地へもどった貴族の方々も多いので、社交界も休止期間に入っていました。


 そのため、聖夜の祝宴前に、とかけ込まれる他国の大使さまや外交官、役職をお持ちの方などで夜会は一時のにぎわいを取り戻しています。


 離宮で開かれた王妃さま主催のそれは、前夜祭に近いものでしたが、老若男女、華やかな顔ぶれでにぎわっていました。



 クリストファー殿下は昨日、「また後で」と言ってくださいましたが、政務で多忙な殿下と、公務にふりまわされるわたしとではすれ違うことが多く、なかなか時間も合いません。

 夜会のエスコートも間に合わず、同じく多忙な陛下不在のアンリエッタ王妃さまと共に会場入りしたわたしは、主賓席の王妃さまのそばに控えさせていただいていました。


 挨拶に来る方々に応え、会話を交わしながら慣れない笑顔を浮かべていた時です。やってきた女性二人組に、あら? と疑問を覚えました。


「──ご機嫌うるわしく存じます。アンリエッタ王妃さま。エリアーナさま」


 アンリエッタさまの膝上の閉じられた扇の上で、指先がトン、と小さく上下しました。

 四年の間に、わたしもそれはアンリエッタさまの要注意人物、とうながす合図だと承知しています。

 そして、そのお相手に納得もしていましたが、今日は別の意味で内心首をかしげていました。


「ご機嫌よう。──ダウナー子爵夫人。ご息女のマティルダ嬢」


 アンリエッタさまはいつも通りの冷静さで対応されています。

 挨拶に見えられたのは四十代半ばのふくよかな夫人と、正反対の、背が高く痩身の二十代前半と見られる女性でした。

 アンリエッタさまのお言葉に続いて淑女の礼を返したわたしが頭を上げるよりも早く、ダウナー夫人の笑声が上がります。


「王妃さま。私この度、娘がデザインしたドレスを仕立ててみましたの。娘のドレスもマティルダが自分でデザインしたものですのよ。私、娘にこのような才能があるとは思いもよりませんでした。年明けの春には娘がデザインしたドレスが流行ることは間違いなく思うのですが、いかがでしょう。率直なご意見をお聞かせ願えませんか?」


 ダウナー夫人の高らかな声に周囲からも注目が集まります。マティルダ嬢と二人で誇らしげに胸を張るドレスに、わたしは目をしばたたきました。


 夫人の艶やかな紫色のドレスには、ふんだんに宝石とレースがあしらわれ、女性の優美な曲線を造ろうとしてふくよかな体型に押され、少々崩れ気味です。

 胸元を大胆に開き、レースをあしらったデザインには目を奪われましたが、……いかんせん、レースの縫製の粗さが逆に目立って、のぞき見える肌と言い、……申し訳ありませんが、品がなく映って見えました。


 遺憾なことに、マティルダさまも同様です。


 痩身の身体に合わせた淡い淡紅色のドレスは、そのお年頃ときつめの細面が特徴の容貌にはいささか不釣り合いに映り、さらにドレスを彩る花の刺繍が一見毒々しく、まるで可憐な花が毒蛇に絞められているような印象を受けてしまいました。


 かえって興味を惹かれたわたしはよくよく目をこらしてみたのですが、どうやらその刺繍はユールの花をモチーフにしているようです。


 ユールの花は五弁の先が鋸状で反り返って開き、雌しべの先端が渦のように丸まっているのが特徴です。刺繍やモチーフにするのは難しい花としても知られているのですが、マティルダ嬢のそれは急いで仕上げた感がうかがえる粗雑さでした。


 どう反応したものか、困惑の思いのわたしとは反対に、アンリエッタさまはゆるやかな微笑でうなずいて返されます。


「少々奇抜なようにも思えますが、発想としては悪くはないのではないかしら」


 その言葉に、眉をひそめていた周囲の方々が驚きの様相を示しました。視線が王妃さまに向かう中で、したり、と笑みを浮かべられるダウナー母子の様子があります。

 夫人はさらに胸を張って高らかに話し出しました。


「マティルダは東のノルン国の歴史にも詳しく、あちらの有名なユールの花をデザインにすることを思い付きましたの。娘の博識にも、私、驚かされてばかりですわ。女神に愛された花の由来や、それを題材にする発想など──。我が家では、ユールの花を仕入れるために、大手の商会とも商談がはじまっているところですのよ。きっと、ノルン国との友好にもお役に立てること、間違いありませんわ」


 その言葉に、政情に機敏な他国の大使や貴族たちが関心を引かれたようにサワサワと顔を見合わせました。

 ダウナー夫人の顔がさらに力を得たように輝き、わたしは困惑から忍びよる内心の焦燥に懸命に表情をとどめていました。


 王妃さまの声は、それは頼もしいこと、と変わりなく響きます。


「マティルダ嬢は外交に役立つことをお望みかしら。それとも、これまで決まったお相手がいらっしゃらなかったのは、デザイナーとして身を立てる夢をお持ちだったのかしら」


 マティルダ嬢はおそれながら、と少し甲高い声で答えます。セリフとは裏腹に、お声と眸には自信が満ちあふれていました。


「非才なこの身はいつでも国の役に立つことを望んでおります。ですが、私ふぜいがお役に立てるのは、せいぜい、嫁いだお方の憂いのないよう、血筋を繋いでいくことぐらいでしょう。──女性の役目を果たすことこそが、その身に生まれた者の誉れだと思っております」


 誇り高く言い切られるお言葉に、先日の今日でしたので、わたしも胸を突かれる思いでした。

 娘の言葉を推すように、ダウナー夫人が高らかに笑声を上げます。


「我が娘ながら、淑女の心得を身に付けた、どこに出しても恥ずかしくない娘ですわ。私も鼻が高く存じます。やはり、母親の教えの有無によって娘の性質も異なってくるのでしょう。知識が偏り過ぎては、今はものめずらしくとも、いつ、嫁いだ方の鼻に付き、疎んじられる原因ともなりませんもの。淑女は出しゃばり過ぎず、殿方を立てるのが、あるべき姿かと存じますわ」


 貞淑な貴婦人の見本のような言葉に、保守派の幾人かが追随してうなずきます。王妃さまが鷹揚にかまえていらっしゃると、夫人はさらに身を乗り出してきました。


「王妃さま。──僭越ではございますが、よろしければ、王妃さまのお召し物に娘のデザインを加えさせてはいただけないでしょうか。娘の才能はこの通り、目にしていただいたことと存じます。きっと、王妃さまのご希望にかなうものをご用意できると、私も自信を持っております」


 堂々とした声音に、わたしはふいに、まぶしいものを感じました。


 ダウナー夫人たちの思惑や意図は差し置いても、母親が娘の才を誇りに思っているようなのは、ひしと伝わってきます。マティルダさまも控えめに視線を落としていましたが、そのご様子には自信に満ちあふれた色がにじみ出ていました。

 王妃さまは優雅に開いた扇を口元に当てられます。ゆるやかにうなずかれました。


「──考えておきましょう」


 ザワッ──と、今度は先よりも大きく、周囲の人々に衝撃が走ります。

 それはつまり、王妃さまのそば近くに控える権利を手に入れたと──王家の方に近しく侍る可能性がある人物と、認められたも同然だったからです。


 幾人かの困惑の眼差しと同じく、わたしもアンリエッタさまの思惑が読めずにとまどっていました。

 その前で、チラリとマティルダさまの視線がわたしに向けられます。そこにはたしかに、嘲りが込められていたようでした。



 王妃さまの御前を辞されたお二人は、一角ににぎやかな社交の場を広げます。

 女性の最大の関心事である装い事に関する話題なのは間違いなく、そして、外交に有用な才を見せたマティルダ嬢に繋がりを持とうとする、機を見る者たちの群れでした。


 それを視界の隅に、アンリエッタさまが扇の陰でふっと息をつかれます。挨拶に来る方々が途切れた、ちょうどその時でした。


「──虫がわいたようね」


 先日から何度目かわからず、わたしの鼓動ははねました。

 アンリエッタさまのつぶやきに、そば近く控えた女官のアグネスが動じた様も視線も動かさずに応じます。


「手を打たれますか」

「そうね……」


 扇の骨組みを指先でなぞると、静かに答えました。少し様子を見ましょう、と。

 そうして、たたずんでいたわたしへ一度視線を向けられます。わたしをながめた王妃さまは、ごくかすかに、嘆息を吐かれました。


「……エリアーナ。髪がほつれています。直していらっしゃい」

「王妃さま……」


 とっさに言葉を重ねかけましたが、なにを言うべきか言葉に迷い、また周囲の目もありましたので、わたしはそれを呑み込みました。

 困惑と焦燥の思いを抱えたまま、近くの侍女にうながされてそっとお辞儀をし、その場を後にさせていただきました。





 ~・~・~・~・~




 会場から離れた化粧室で一人腰掛け、重たいため息を落としました。


 王妃さま付きの侍女はわたしを化粧室へ案内すると、「お戻りになる際にお呼びください」と一礼して下がりました。


 おそらく──。

 アンリエッタさまは、わたしに一人で考える時間をくださったのだと思います。主賓席でなさけない顔をさらさないように。

 かすかに届く夜会の華やかな音楽を耳にしながら、そのなさけない表情を鏡の中に見つけました。


 『虫がわいた』──と、アンリエッタさまは口にされました。

 そうおっしゃるのは、わたしがダウナー夫人たちに感じた疑問の答えでもあるのでしょう。夫人たちのドレスは気のせいでも偶然でもなく、先日、わたしが何気なく口にした発言が元になっていたようです。


 そして──それはつまり、わたしの身近に、わたしの情報をもらす者がいる、という証左でもあります。


 王家御用達の商会の者、後宮の侍女たち。王妃さま付きの侍女女官、警護のための衛兵──。

 疑いだしたら、きりがありません。


 考えて、とても嫌な気分に襲われました。

 聖夜の祝宴が終わるまで王宮に滞在しているわたしですが、その身のまわりの世話をしてくれている者たちを疑ってかかるなど。


 けれど、これが後宮を統べていく者の試練のひとつなのでしょうか。

 それとも、わたしにその能力がないゆえに、起きてしまった出来事なのでしょうか。


「…………」


 思考が暗く落ち込むと、心細くて仕方なくなりました。


 心にかかるのは、王妃さまの視線と嘆息です。こんなになさけないわたしでは、クリストファー殿下のおそばにふさわしくないと、思われているのではないかと──。


 きゅっと膝上の手をにぎりしめて、夜会の音楽に混じって近付く声に気付きました。幾人かの女性の気配を感じ取ってわたしはとっさに立ち上がります。


 思考と感情が入り乱れた、今のなさけない顔で他の人に逢うのはためらわれます。

 とっさに続き部屋へ入ったつもりが、使用人たちの使う専用の通路だと気付きました。しかし、今さら後戻りもできず、かさ張るドレスを持ち上げてわたしは通路を進みました。



 人の気配を避けて通路のような部屋を通り抜け、気分はまるで、暗部を好むネズミのような心境です。

 回廊や木陰を止める者なく、なにかに追われるように進むうち、わたしはいつしか離宮から王宮近くまで一人舞い戻ってしまっていました。


 キンと、射すように冷たい真冬の空気が火照った喉に差し込みます。その冷たさと、暗闇に白い息を吐きだして、戻らなければと我に返った時でした。

 かすかな人声が耳朶をふるわせました。


「……でしょう。クリストファー殿下」


 今までで一番、鼓動が飛び出しそうになったわたしです。

 反射的に声のするほうを求めて、表に面した二階の回廊から階下をのぞき込みました。夜陰の中、建物からもれる明かりに反射するのは、まばゆい金の髪の持ち主です。


 少し離れたところにはお付きの近衛兵の姿も見え、ちょうど回廊を通りがかったところで呼び止められた──そんな風に見えました。


 立ち話をするそのお相手は、ミゼラル公国の女騎士さまです。お名前を、エレンさまとおっしゃられていたはずです。

 無意識に身を乗り出したわたしですが、対角の階下であり、近くからはお役人方の執務室があって、もれる喧騒にかき消される声を途切れ途切れに届けさせました。


「……する答えを、私はお持ちしたつもりなのですが……」


 エレンさまの艶やかな声は、宵闇を突いてわたしに届きます。返される静かな失笑が、暗がりの雪をさらに凍て付かせるようでした。


「私が? どんな疑問を持って答えをお待ちしていたと? ミゼラルの女騎士どの」


 エレンさまのそれよりも、艶然とした凄味を感じさせる殿下の声音でした。エレンさまは殿下の冷ややかな空気をかわされるように、かるく肩をすくめます。


「私に当たられるのは、筋違いというものですよ。私はただの使者ですから」

 そう言って、懐から一通の手紙を差し出されます。


「──ミレーユさまからです」


 ひゅっ、と息を呑んだ音が自分のものだとは、すぐには気付きませんでした。


 殿下は差し出されたそれを静かにながめるだけで、まるで他人事のような素振りです。近くの執務室からもれる、年の瀬ゆえの切羽詰まった役人たちの喧騒がその場に流れました。

 ククッ、とエレンさまのこらえきれないような笑いがもれます。つぶやかれた言葉は喧騒にまぎれて聞き取れませんでした。


 かろうじて耳が拾ったのは、やはりエレンさまの声です。

「……ミレーユさまも、同じお考えですよ。クリストファー殿下」


 沈黙の後、殿下の手がその封筒を受け取ったのを、わたしは見届けました。

 息を呑んだ時に喉を刺した冷たさが、まるで氷塊のように胸に残ります。

 お声をかけることもできずに、わたしはただその光景を見守るばかりでした。






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