お邪魔虫─3
大変遅くなりまして……m(_ _)m × 100
あ、あけましておめでとうございます。
温室の一画は明るく、華やかな彩りと空気であふれていました。
アンリエッタさまとの話し合いから、二日経った昼下がり。
冬晴れの天候は凍て付く空気の中にも人心地つくぬくもりをのぞかせ、温室内をさらにあたたかい気温で包み込みます。
女性たちの談笑の合間にはやわらかな音楽が流れ、冬の最中でも異国の花が咲くさまは、表に積もった真白な雪との対比を鮮明にし、サウズリンドの技術と栄華をにおわせるようでした。
王宮内にある、サウズリンド自慢の賓客向けの温室です。
いくつかあるテーブルのうち、一際にぎやかなのは、クリストファー殿下とわたしのいる一角でした。対面からは明るい雰囲気をまとった少女が場を盛り上げています。
「──では、雪ウサギを壊されたのは、グレンさまだったのですね。クリストファー殿下がせっかく、ミレーユ姉さまのために手ずから作られた力作だとうかがいましたのに」
そう話されるのは、先日から話題のミゼラル公国からのお客人、シャロン・ガードウェンさまです。
幼く愛くるしい顔立ちに、クセのある紅茶色の髪、若葉色の眸が楽しげな輝きを宿している、えくぼが印象的な少女です。
けれど、実際に注目を集めていたのは、実はシャロンさまでも、サウズリンドの麗しの王太子であるクリストファー殿下でもなく、端に控えたミゼラル公国の女騎士さまでした。
凛然とした佇まいと、端麗な容姿、隙のない身ごなしは場の雰囲気を壊すことなく、目が合った相手に優美な微笑で返します。
漆黒の髪に深緑の双眸。
肩より下のクセのない髪をひとつにまとめ、すらりとした体躯は鍛えられた機敏性を思わせながら女性らしいやわらかさを損なわず──整った容姿とともに、居合わせた同性の関心をも一身に集めていました。
サウズリンドにも女性騎士はわずかながら存在しますが、貴人の護衛につくほど目立った腕前の方はいません。そのため、他国の見目麗しい女騎士さまはものめずらしく、皆の好奇心をもつのらせているようでした。
その注視の向かう先を知ってか知らずか、クリストファー殿下はにこやかにシャロンさまに応じています。
「それは、私が五、六歳の頃の話だね。ラモンド夫人も同年ぐらいだ。見て覚えていたのは、周囲の侍女か侍従じゃないかな」
「あら。私がお聞きしたのは、ミレーユ姉さまからですのよ。ミレーユ姉さまはクリストファー殿下との思い出をそれは大切に覚えて、いまでもよく口にされますの」
ドキリと、わたしは胸を突かれる思いでした。
シャロンさまが無邪気に話される話題の方は、ミゼラル公国が誇る“真珠姫”とも称された美貌と才智で有名な大公女さまです。現在は国内の貴族の方の元へ嫁がれたので、公女の位からは降りていらっしゃるそうですが。
クリストファー殿下とお歳が近いことから、グレンさまやアレクセイさまたち、殿下の側近の方々とも幼い頃より交流があるようでした。
……それは当然、あって然るべき出来事です。わたしも殿下と幼い日に邂逅していますが、それよりも以前、──ほんの一時の出逢いのわたしより、親密に思い出を築いた方がいるのは、当然のことでした。
シャロンさまはそのミレーユ姫──現在はラモンド夫人と呼ばれる女性と、身内同然のお付き合いらしく、とても慕われているご様子なのは、その口ぶりからもうかがい知れます。
シャロンさまはそこで、ふいに愛らしい面を沈痛なさまで翳らせました。
「ミレーユ姉さまも聖夜の祝宴にお誘いできればよかったのですけれど……。姉さまは、まだ喪があけていませんから……」
殿下も笑みを消して、神妙な面持ちでうなずかれます。
「ラモンド夫人には心からお悔やみを申し上げる。嫁がれて二年足らずでご夫君を亡くされるとは、不幸な話だった。友好国の民の一人として、親族の一人として、弔慰申し上げる」
青い眸が鎮魂を示すようにわずかに伏せられ、シャロンさまの大人びた声が答えました。
「もったいのうございます、クリストファー殿下。殿下がそのようにお心を寄せてくださるのなら、ミレーユ姉さまもきっと元気になるわ」
話題のラモンド夫人が先頃、ご夫君を亡くされて寡婦になられたのは、わたしも聞き及んでいました。
シャロンさまはそこで祈るように手を組み合わせると、ひたむきな眼差しとともに殿下を見つめられました。
「クリストファー殿下。不躾なお願いなのは重々承知していますが、どうか、幼馴染の
ひたむきな眸はわたしにも向けられました。
「エリアーナさま。夫君を亡くして傷心中のミレーユ姉さまに、どうか寛大なお心をお願いできないでしょうか」
わたしは少し目をしばたたきました。
シャロンさまがそうおっしゃるのは、殿下が他の女性をなぐさめても、相手はご夫君を亡くされたばかりの寡婦であり、昔馴染みでもあるのだから目くじらを立てないようにと、そういうことでしょうか。
わたしが口を開くよりも早く、隣のクリストファー殿下がにこやかに応じられました。
「シャロン嬢。ラモンド夫人はたしかに昔馴染みではあるし、此度のことはお気の毒に思うが、サウズリンドよりの弔辞はすでに済んでいる。これ以上私が心をくだけば、ご主人との思い出に浸っているラモンド夫人をわずらわせかねない。彼女の評判に瑕疵がつくのは、あなたも望むところではないだろう?」
シャロンさまが少し身を引き、でも、と言いつのりかけます。
クリストファー殿下のお声はあくまでにこやかに、言い聞かせるようにやさしいものでした。
「あなたがとても、ラモンド夫人を慕って、その心をなぐさめようと思っているのは、私にも伝わったよ。グレンはこんなに心根のやさしい、将来有望な相手にめぐり合えて果報者だな」
そう言ってほほ笑まれると、シャロンさまの頬にもパッと朱が広がりました。
静かに会話を見守っていた一人のご夫人が、微笑で殿下に同意します。
「ほんとうに。このように愛らしい方を我が家に迎え入れることができるなんて、愚息はだれにも得難い僥倖にめぐり合ったと言えますわ。我が家は良縁の女神のご加護に授かったと、皆さまにうらやまれてしまいますわね」
ホホホと笑われるのは、シャロンさまと同じく先日から話題のアイゼナッハ夫人です。
やわらかな物腰とたおやかな雰囲気のお方でしたが、一本筋の通った姿勢は殿方に対してもひるむことなく、サウズリンドの将軍家の奥方であると知らしめるご夫人でもありました。
殿下がクスリと、そこで意味深な微笑を夫人に向けられます。
「アイゼナッハ夫人も困ったお方だ。その調子で母上にも焚き付けられたのでしょう? 義娘がいる喜びが云々……と」
「あら──」
と、夫人の眸は面白そうに輝きます。
「おそれながら、殿下方、殿方にはお分かりにならないのですわ。義娘というのは、それは素晴らしいものですのよ。男所帯のむさくるしい中に咲く一輪の花。あの野太い声にガサツな態度、男の花道などとたわごとをぬかして二日酔いの醜態をさらす生ゴミ同然……あら、失礼。
そんな
身もだえするように身をくねらせたアイゼナッハ夫人に、わたしは若干身を引きました。夫人の隣に座したシャロンさまも同様のようです。
動揺も見せずに失笑をもらされたのは、クリストファー殿下でした。
「その調子で母上に義娘の愛らしさを説かれたのでしょう? エリィの愛らしさは今さらだれに説かれるものでもないのですが……、母上がそこに参戦してくるのは遠慮願いたいな」
余裕の微笑の裏側に、牽制と戒めが見えました。あまり、余計なことを吹き込まないでいただきたい、と。
わたしは殿下の言葉に首をかしげるべきか赤くなるべきか、とまどって見返しました。
わたしがアンリエッタさまとお話しているのは王家の一員としての心構えであって、義母と義娘の心温まるものではないのですが……。
殿下はわたしの視線に気付くと、目を合わせてフッとやわらかくほほ笑みます。
だれに向けるものとも違う想いのこもった眼差しに、しぜんと頬に熱が上りました。
まあ、と気を取り直したアイゼナッハ夫人が扇を広げてほほ笑ましそうにながめてきます。
「ほんとうに、殿下とエリアーナさまは仲睦まじくていらっしゃること。物語に云う──英雄王と彼が愛した最愛の乙女、セイシェーラ姫のようだわ」
「アイゼナッハ夫人。その例えは冗談でもご遠慮願いたい。あの物語はたしかに女性の好きな純愛物語だが、悲劇でもある。私は、病にも死の神にも、エリアーナを渡す気はありませんからね」
「殿下……」
赤くなってうろたえるわたしの手を取ると、殿下は確認するように笑いかけてきます。
なおさら気恥ずかしくて視線をさ迷わせたわたしは、向かいのシャロンさまの、静かに推し計るような眸に気付きました。
目をしばたたいた一瞬で、にこりと愛らしく笑い返されます。
「ほんとうに。お二人はとても仲がよろしいのですね。まるで──『ユールの恋人』たちのようだわ」
「『ユールの恋人』?」
首をかしげたわたしに、シャロンさまはあら、と意外そうなお顔をされます。
「エリアーナさまはとても本がお好きだとうかがいましたが、ご存知ではいらっしゃいませんか?我が国で今、とても流行っている恋愛物語なんですよ」
「まあ……」
わたしは少し眉を下げました。女性のお茶会ではよく恋愛物語や恋の詩集が話題に出ます。そのため、叔母や従姉妹に勧められてある程度目を通しているわたしですが、さすがに他国の流行りまでは関心が及びませんでした。
「どのようなお話なのですか?」
口を開かれようとしたシャロンさまより早く、にぎられた手に少し力が込められました。
「女神に愛された花の乙女と王子との恋物語だったかな。サウズリンドではあまり知られていないけれど、もし今後劇にでもなったら、一緒に観に行こうか。エリアーナ」
「え……」
「その時は、ユールの花束を持ってきみを迎えに行くよ」
「で、殿下……あの」
なんだか、今日の殿下はいつもと少し違う、とわたしは腰の引ける思いでした。
成婚の日取りが決まってから、人前でもわたしとの仲は隠されない殿下ですが、それでもある程度の節度は保っていたはずです。それが、今日はいやに過剰に感じられ、そこに違和感を覚えました。
問い返したかったわたしですが、アイゼナッハ夫人たちの笑声にさえぎられます。お二人にはあてられてしまいますわ、と。
殿下はてらいもなく、「私の大切な婚約者ですから」と答えますので、わたしは赤くなって言葉に詰まるばかりです。
そこに、侍従の一人が近付いて殿下の耳元でなにかを言付けました。
鷹揚にうなずいた殿下が女性を魅了してやまない、きらきらしい笑顔をふりまかれます。
「申し訳ない。麗しい女性たちとの歓談の最中ですが、政務に戻らなければなりません。心苦しくはありますが、中途で失礼させていただくことをお許し願いたい」
「まあ、とんでもありません。お忙しい殿下の貴重なお時間をいただいて、お礼を申し上げるのはこちらの方ですわ。クリストファー殿下」
アイゼナッハ夫人が代表して答え、殿下もにこやかな笑顔でそれに返しました。そうして立ち上がりざま、わたしの手を持ち上げて腰をかがめます。
見つめ返したわたしの目と、少し思案深げな青い眸が重なりました。
「……また後でね。エリィ」
そう言ってわたしの指先に口付け、やさしい微笑を残すと、女性たちの視線に見送られて温室を後にされました。
わたしも夫人たちとの談笑に戻り、シャロンさまも交えてその後は何事もなく、茶会を終えるに至りました。