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お邪魔虫─2




 三度ほどドレスの試着を強いられたわたしは、結局当初の春を先取りした山吹色のドレスに身を包み、落ち着いた品のよい銀細工の装飾品に、花の意匠をあしらった髪飾りに彩られていました。


 これだけのことでも、わたしは少々ぐったり気味です。しかし、いつもに比べたら数倍マシなのです。


 普段ですと、王妃さまのお取り巻きのご夫人方があれもこれも、と意見を交わし合い、衣装一式を決めるのにも数倍の時間がかかり、そしていまの倍は試着の数が増えていたのですから。

 皆さま、女親のいないわたしに親身に心を砕いてくださっているのはわかるのですが……時々ふと、自分が着せ替え人形にされているような錯覚に陥るのです。

 不敬にあたるでしょうか……。



 商会の方々がアンリエッタさまとわたしに辞去のあいさつをするのに応え、片付けられていく室内の合間、わたしは一人の侍女にそっとお礼を告げました。


「サラ。先日のミルル貝の件、ありがとうございます。ご実家の方々にもお礼を伝えておいていただけますか」


 明るく好奇心にあふれた雰囲気の侍女が、やはり周囲を慮ってそっと返してきました。


「たいしたことではございません、エリアーナさま。おかげさまで、アズール地方の村が活気付くかも知れない状態です。お礼を言うのは、村の者たちだと思います」


 はて? と首をかしげたわたしにサラが笑みを深めた時、「エリアーナ」と隙のないお声がかかりました。

 ハッとあらためるわたしと同時に、サラが後宮勤めの者らしくお辞儀をして下がっていきます。室内が落ち着き、王妃さま付きの女官一人と古参の侍女数名でその場は占められていました。



 テーブルをはさんだ向こう側から、パラリ──と趣きある風情で扇が開かれ、わたしは知らず息をのんで居住いを正していました。


 真向かいのアンリエッタさまは、御歳四十三才。細身の身体付きからは驚くほど隙のない威厳をあふれさせた、相対する者の背筋をしぜんとあらためる方です。

 優雅な仕草で扇を操り、その向こうから茶褐色の双眸がいつも通り、厳しくわたしを見つめてきました。


「エリアーナ。毎度話して聞かせることですが、あなたはこのサウズリンド王国の次期王太子妃──いずれは、王妃という重責を担う立場です。いつまでもクリスに守られ、本ばかり読んでいては、いざという時にあなた自身が困ることになるのですよ」


 ごもっともなお言葉でしたので、わたしは厳粛な気分で、はいとお答えしました。

 王妃さまとは公式行事やその他、他国から賓客が見えられた際に王太子婚約者としておそばに控えてきましたので、二人だけの時間を過ごしたこともあります。


 アンリエッタさまは他者に厳しく、甘えをゆるさないお方である、と一般的にそう認識されていますが、その分、おのれに一番厳しいお方であると、わたしは見ております。


 どれだけ緊張と威厳を求められる場であろうと、隙を見せずに気品を保たれるその姿勢に、わたしも幾度、憧れを覚えたか知れません。ですので、その方から嘆息をつかれてしまうと、どうしようもなく自身がなさけなくなってしまうのも、致し方ありませんでした。


「ほんとうに……春の令嬢たちの行儀見習いの件にしても、本来はあなたの、この先の側仕えを決める意図もあったというのに。あの子はいつも通り、あなたを私たちから遠ざけて、話もおかしな方へ流れる事態になって──。あの子の不甲斐なさも問題ですが、過保護すぎるのにも困ったこと」


 お小言はクリストファー殿下へも飛び火してしまいました。

 アンリエッタさまがわたしとクリストファー殿下が当初に交わしていた取り引きをどこまでご存知なのかはわかりませんが、殿下がわたしの社交界への出席を必要最低限にとどめてくれていたのは、いまならわかります。


 成婚の日取りが決まって以来、そして──一年の終わりと新しい年を迎える、サウズリンドの聖夜の祝宴が近付いてからは、さすがにわたしも読書の時間より社交と身支度に時間を取られることが増えていました。


 わたしの対応は、いつだってクリストファー殿下の評価に繋がるのです。

 一年前とは違う自身の想いと心構えをあらため、わたしは殿下の擁護のため口を開こうとしました。そこに、パチリ、と扇を閉じたアンリエッタさまの、厳しくも鋭い眼差しが向けられます。


「エリアーナ。あなたはこれまで、具体的な王妃教育は免除されてきました。それはもちろん、あなたの優秀さや功績が皆を黙らせてきた面が非常に大きいのですが。けれど、正式に成婚の日取りが決まった以上、いままでのような甘えは許されません。王家の一員となる以上、人の裏を読み、百戦錬磨の狐狸こりたちとも渡り合う術を身に付けるのは必須です。あなたはその点、社交の面に置いて、遅きに失した感があります。自分でもわかっていますね、エリアーナ」


 それはまるで、覚悟を問うかのような威厳あるお声でした。わたしも、気持ちを引き締めてうなずき返します。


「──はい。アンリエッタ王妃さま」


 と、ふいに王妃さまの眉宇がかすかにひそまりました。エリアーナ、と口にされるお声もどこか気分を害した様子を含んでいます。

 わたしがなにか対応を誤ったかと、小さく息を呑んだ時、アンリエッタさまは眸を細めてわたしを見やっていました。


「先日も言いましたね。二人だけの時にはなんと呼ぶのですか」

「え……」


 わたしはにわかにうろたえました。まるでクリストファー殿下が口にされたようなお言葉ですが、ただよう空気が正反対です。


 甘い殿下と厳しい王妃さま。


 アンリエッタさまのお言葉は二人だけの気安さを許容しているような……けれど、つい今し方、裏を読むようにと言われたばかりでお言葉を額面通りに受け取ってよいものか、わたしは試されているような、思考が空転する思いでした。

 それでも──。


 どうしようもなく胸がはずむ気持ちになったのは、わたしがその呼び名と離れて久しかったからです。


 わたしにとって、なによりもなつかしく愛しく、呼び起される想いは、かけがえのないやさしさに包まれています。たとえ王妃さまの言葉に裏があるのだとしても、あふれだす想いをとどめることはできませんでした。


 知らず眸は伏せられ、頬にも熱が上るのを感じます。淑女らしくないのは承知していながらも、膝上の手が落ち着きない様相を示していました。

 わたしはふたたびその呼び名を口にできる喜びと、心にある思慕を込めて、そっと口にしました。


「…………お義母かあさま」


 瞬間でした。

 ミシッ──、と鳴った不吉な音にわたしは驚いて目を上げ、そこにカッと目を見開いて喰い付くような形相で厳格な口元をわななかせた王妃さまを目にしました。


 わたしはさらにビックリして身を引きます。不吉な音を立てたのは、王妃さまの手の中の扇のようです。先日と同じ光景に、わたしはやはり対応を誤ったのだと、一瞬で青ざめる思いにかられました。

 しかし、謝罪の言葉を口にするより早く、アンリエッタさまの背後に控えた女官がそっと耳元に言葉を添えました。


 王妃さま、お顔が──と。


 ハッとしたようにアンリエッタさまは姿勢をあらためると、小さく咳払いをして扇を開きました。……微妙に骨組みが歪んでいるようです。


「エリアーナ。先日も言いましたが、私を義母ははと呼ぶたびに恥じらうものではありません。まるで私が強要しているみたいではありませんか」

「はい……申し訳ありません」


 わたしはなにを叱られているのかいまいち理解できませんでしたが、萎縮して謝罪しました。

 先日、アンリエッタさまにいつも通り王族のたしなみを教わっている際、唐突に言われたのです。

『春になったらあなたは義娘になるのですから、私のことも義母と呼びなさい』と。うれしくて素直に聞き入れてしまったわたしですが、やはり王妃さまに対しておそれ多い行為だったようです。



 すると、アンリエッタさまはもうひとつ咳払いをし、空気をあらためるように扇の影で息をつきました。


「ともかく──。今日はあなたに、大切な話をしなければなりません」

「はい」


 王妃さまのお取り巻きが本日不在なのは、おそらくその話のためなのでしょう。わたしもあらためて背筋を正しました。


「いま、アイゼナッハ家にミゼラル公国からの客人が滞在していますが、あなたは私とミゼラル公国の関係は当然、承知していますね」

「……はい」


 アンリエッタさまは国内の貴族の出ですが、そのご生母さま──つまり、クリストファー殿下の祖母君にあたるお方が元はミゼラル公国の公女さまでした。友好国であるサウズリンドの公爵家へ降嫁されたのです。そうしてお生まれになられたのが、アンリエッタさまでした。


 そのため、アンリエッタさまが陛下のもとへ嫁がれた時には、両国を挙げての祝賀に包まれたそうです。以来、二国間の友好はさらに深まり、過日のクリストファー殿下の式典出席もそういった事情が元になっていました。


 そこまでは、貴族のみならず、国民の大多数の者が承知している事実です。

 しかしいま、アンリエッタさまが話されようとしているのはどこか含みが込められていて、わたしもそれと思い当たりました。



 ──以前、クリストファー殿下はアンリエッタさまが外交を苦手としている、とおっしゃられていましたが、隙を見せられないお方ですので、そんな素振りはおくびにも出しません。わたしの目には苦手……というより、一線引いて対応されているように見受けられるのです。


 積極的でもなければ、血縁関係のあるミゼラル公国に近寄り過ぎることもない。

 おのれの立場を理解して、一国と懇意になり過ぎないよう、あえて戒めている印象でした。


 アンリエッタさまは静かにうなずくと、眸を重たげに伏せました。


「あなたにはそろそろ、きちんと話さなければと思っていたところです。ミゼラルから客人が来ていますから、ちょうどよい機会でしょう。……エリアーナ。あなたは、十五年前の灰色の悪夢を覚えていますね」


 鋭く、鼓動が打ち鳴りました。一瞬、息も止まるような思いでした。


 “灰色の悪夢”──それは、十五年ほど前にサウズリンドの北東から発生した死の病です。感染力が強く、発生源や有効な治療薬がいまもって確定していないその病は、肌に灰色の斑点が表れる特徴から、通称“灰色の悪夢”と呼ばれました。


 サウズリンドを一時期席巻したその魔の手は、ついには王都のアンリエッタ王妃さまへも届き──そして、わたしの母の命を奪って、三年ほど猛威をふるって膨大な死者を出し、季節の移り変わりとともに終息していきました。


 ……十五年も前のこと、とは言え、一定の年齢にある者にはいまだに生々しい記憶で残されている悪夢です。


 罹患した当時、アンリエッタさまは二十九歳。クリストファー殿下はわずか御歳七才でした。王家の方々へ病を移さないため、アンリエッタさまは王宮から離され、地方の静寂閑雅な地で長く闘病の身に置かれたと聞き及びます。

 病を克服されたいまのアンリエッタさまに、当時の面影はありません。言われなければ忘れている者の方が多いでしょう。


 アンリエッタさまの言葉は、感情を消したように淡々としていました。


「──私が病に罹ったために、それまでもあった声がなおさら強まりました。私は陛下に嫁いでからクリスが生まれるまで、少し時間がかかったものですから、周囲からそれは色々と言われたものです」


 わたしは身を固くしました。

 王家の事情は、サウズリンドの貴族ならば承知の事実でもあります。わたしもクリストファー殿下の婚約者としておそばに上がった際、女官からあらためて話されました。話してくれた女官は、アンリエッタさまの背後に控える、アグネスという王妃さまの腹心でもある女性です。


 現在、サウズリンド王家が抱えている問題。

 それは、直系の跡継ぎがただお一人、クリストファー殿下のみだということ。


 そのため、本来なら陛下が即位されると同時に、不要な争いを避けるために継承権を返上して臣籍に降っていたはずのテオドールさまが、いまだに王弟殿下の立場におられるのです。

 実際、わたしが殿下の婚約者に上がったばかりの頃は、テオドールさまを擁立する派閥とクリストファー殿下を推す派閥、そして中立を保つ派と、宮廷内は三分化されていたそうです。

 しかし、テオドールさまは王位に色目のある方ではなく、どこの家とも婚姻を結ばずに独身を通したため、擁立する派閥も拠り所なく空中崩壊状態だったのだとか。


 そして──。

 これはわたしの推測ですが、テオドールさまはそうした状況を踏まえた上で、王宮書庫室という、権力からもっとも離れた地位にいまもおられるのではないかと。


 それはもちろん、書物が好きだから、という理由もあるのでしょうが、優秀なお方であるにも関わらず目立った能力を示されず、優位な家と婚姻を結ばれることもなく、悪く言えば王族としての義務を放棄しているとも取られかねない立場にあえて身を置かれているのは、不要な王位継承権争いを回避しているのではないかと、推察することもできるのです。


 当時、クリストファー殿下は弱冠七歳という幼年の身。対してテオドールさまは成人されたばかりの青年盛り。

 テオドールさまと対抗する勢力ならば、安全策を取るために、王家直系の血筋を守るために、クリストファー殿下以外の御子を得ようと画策してもおかしくありません。


 当時のアンリエッタさまの置かれた立場を思って、わたしは小さく息を呑みました。


「……ご側室を、ということでしょうか」


 クリストファー殿下以降、御子に恵まれなかったアンリエッタさま。そこに襲いかかった病。次子は望めないと、周囲には見られたのではないでしょうか。

 扇の向こうで眸を細めたアンリエッタさまが静かにうなずきます。わたしは思わず、でも、と言いつのっていました。


「アンリエッタさまには、ミゼラル公国の後ろ盾が──」


 口にしてハッとわたしも気付きました。アンリエッタさまは外交時にものぞかせる冷ややかな様でわたしを見つめ返します。

 肯定するように話されました。


「当時のミゼラル公国大公は、一小国に過ぎなかったミゼラルを一大海洋国家へ押し上げた、海洋王とも称された手腕の持ち主です。サウズリンド王家に食い込む機会をみすみす逃すはずがありません。あの国はむしろ、私が王妃の務めを果たせない替わりに──と、自国の公女を差し向けてくる勢いでしたよ」


 そんな、とわたしは愕然とする思いでした。死の病に罹り、生死も危うい状態に置かれたアンリエッタさまに、さらに追い打ちをかけるかのような所業に鋭く胸が痛みました。

 アンリエッタさまはそんなわたしを静かに見つめると、同じ静けさで問いかけて来られました。


「ひどいと思いますか? 病と闘っていた私に、あまりにも思いやりのない仕打ちだと? ですが、これが王家に嫁いだ女性の宿命でもあります」


 パチン、と鋭くアンリエッタさまの扇が閉ざされました。

 わたしを見返す眸はいつもの厳しさとは異なって、わたしの内を見透かすかのような静けさがありました。


「エリアーナ。社交の面よりもなによりも──あなたに足りないのは、王家の人間に嫁ぐという覚悟です。私の身に起こったことは決して他人事ではありません。いつ、あなたの身に降りかかってもおかしくはないのです」


 わたしも息を呑んで身体を強張らせました。アンリエッタさまの茶褐色の双眸がじっとわたしを見つめていました。


「サウズリンドの王太子、クリストファーの隣に立つ者として、あなたにその覚悟はありますか。エリアーナ」


 静かなお言葉はわたしの胸にさざなみを立て、次第に大きなうねりとなってわたしを呑み込むかのようでした。


 不安、という名の波でもって。






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