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お邪魔虫─1


時系列は「花守り虫」の後になります。

季節外れ? 気にシナーイ。





「──由々しき事態だ」


 冬の厳しさが深まってゆく昼下がり。クリストファー殿下の執務室には、いつもの面々がそろっていました。


 弦楽器の手入れをしながら蜂蜜色の髪の青年、アランさまが押しせまった聖夜の祝宴で演じる曲目を話しており、それに対してアレクセイさまが書類に目を通しながら応じています。部屋の主、クリストファー殿下は執務机で決裁書類の山と格闘されていらっしゃいました。


 わたし、エリアーナ・ベルンシュタインはいつもの定位置で読書にふけっており、そこに駆け込んでこられた方の第一声です。

 近衛第二師団、分隊長の赤髪の騎士、グレンさまでした。深刻そうなその口ぶりに、部屋中の者が目をしばたたいたのも一瞬。


「──アレク。ドルード商会の陳述は却下しろ。時間の無駄だ」

「あれにはダウナー伯爵がからんでいます。根回ししないと難しいかと」

「テッセン川の橋梁工事が最優先だ。合わせて大陸商会に入札の席につかせろ。国の威信をかけた橋梁工事だ。否やは言わせない。それをもって、ドルード商会への陳情の回答にする」


「ダウナー伯爵は軍部よりです。橋梁工事より鉄鋼山への予算申請を求めていますが」

「旧時代の老害だな。戦をすれば国が活気付くとか、生まれてくる時代を間違えたんじゃないか。そんなものはいまを豊かにする努力を怠った、なまけ者の意見だ」


 手厳しく断じて殿下は書類を捌いています。年の瀬がせまると各部署で見られる忙しない光景ですが、常には余裕を保たれる殿下も、今年ばかりはそうはいかないようです。

 年が明けて春を迎えれば、国を挙げた成婚の儀が控えています。その準備や各所との調整もあって、今年は特に多忙にされているようでした。

 意見を交わし合うアレクセイさまとの間に、忘れ去られたグレンさまの声が入りました。


「……頼むから聞いてください……」



 グレンさまのお話によりますと、南西の海洋国家、ミゼラル公国から聖夜の祝宴に合わせてアイゼナッハ家にはお客様が参られているのだとか。

 その方はミゼラル公国では有名な将軍家の方で、サウズリンドの将軍職にあるアイゼナッハ伯爵とご両親の代からのお付き合いがあるため、グレンさまもおろそかにはできないそうです。


「──それのどこが由々しき事態なのさ?」


 かるい口ぶりのアランさまにグレンさまの顔色はすぐれないままです。殿下とアレクセイさまはとうにご存知の情報だったのでしょう。手は止めず、口を挟まれることもありませんでした。


「……来たのがいつもの面子じゃなかったんだ」

 ははあ、とアランさまは得たり、というようにからかう目付きになりました。

「もしかして、おめでた話?」

 グレンさまは非常に渋いお顔でうなずかれました。とたんにアランさまが笑い出します。


「それはおめでとう、グレン! 殿下の成婚の儀に続いて華を添えるなんて、さすが忠義一筋の側近だね」

「阿呆! なんで俺がクリスの成婚に合わせて身を固めなくちゃならない! 俺にはまだそんな気はさらさらないんだ!」

「それってさー、俺はまだまだ遊び足りないんだ、って言ってるように聞こえるけど?」

「なんとでも言え。ランディのやつ、この事態を見越してしばらく海軍部隊に残留するとか言って寄越した。ほんとうだったら、あいつに持ち込まれた話なんだ。そのとばっちりを、なぜ俺が受けなきゃならない!」


 ランディ──ランドルフさまはアイゼナッハ四兄弟の末っ子で、十三の歳から南方の海軍部隊に所属していると、うかがったことがあります。わたしもお逢いしたことはありません。

 んー、でもさ、とアランさまは他人事ゆえにどこまでも楽しそうです。


「アイゼナッハ家で残ってる独身男って言ったら、グレンとランディしかいないじゃん。両家が乗り気なら逃げ道はなさそうだし、そろそろ年貢の納め時なんじゃないの?」

 とたんに、グレンさまがその髪色と同じぐらいの怒気を示されました。


「冗談じゃない! なんで俺が十歳の幼女相手に、身を固めなきゃならないんだ!」


 わかっていたようにアランさまが爆笑されました。わたしは目をしばたたきます。

 どうやら、アイゼナッハ将軍が親しくされていたのは先代のミゼラル公国将軍らしく、今はご子息の代に移り、先代のお孫さんが今回グレンさまのお相手候補として挙げられているのだとか。


「なにより、母上が一番乗り気なんだ。可愛い娘が欲しかったって、義姉あね上が来た時にも同じこと言ってたくせに、いったい何人義娘をこさえれば気がすむんだ。そんなに娘が欲しけりゃ、いまからでも父上と頑張ってみりゃいいんだ」

「ちょっとグレン。殿下の執務室で家族計画練らないでよ」

「俺の人生が決まるかどうかの瀬戸際なんだぞ!だいたいだな、この俺が十歳の幼女相手になにをどうしろって言うんだ」

「いや、ナニかしたら犯罪でしょ」

 そうじゃない、とグレンさまは勢いのまま口にされています。


「俺の好みはちゃんと成熟した、出るところは出て細いところは細い、ごくごく一般的な嗜好だ。その俺が十歳の幼女を婚約者にしたなんて知れ渡ってみろ。まず間違いなく、ルーナの花街はそっぽを向く! 懇意にしてた夫人たちもだ! なにを言われるかなんて容易に想像がつく。『──美の女神のようだと誉めたたえてくださった貴方さまの真の好みは、熟し切らない天の御使いでしたのね──』とか、そんなものだ! 俺がこれまで築き上げてきた評判が一夜で崩壊だ!」


 まるで、身の破滅だと言わんばかりの嘆きようです。殿方の女性への思い入れの深さに、わたしはやはり目をぱちくりとさせました。


 アランさまがさらにからかうように口を開きかけて、カツッ──と小さな、けれど聞き逃せない音が響きました。部屋中の視線がその主に向かいます。

 羽ペンで執務机を叩いたクリストファー殿下の、にっこり有無を言わせない微笑がありました。


「──グレン、アラン。退室」


 退場、と聞こえたのはわたしだけでしょうか。そこではじめて、ハッとしたようにアランさまたちの目がわたしに向かいます。


「エリアーナさま……読書中じゃ」

 はい。少々考え事をしていて、集中が途切れていました。

 蒼白顔のお二人を見やって、わたしは少し考え、グレンさま、と向き合いました。


「殿方の野望とかけて、旧時代の老害と解きます」

「……そ、その心は」

「どちらも泡沫うたかたの夢」


 ガックリ、グレンさまが卓に手をつきました。アランさまがうつむいて小さくふるえ、アレクセイさまの慣れきったため息が割って入りました。


「ミゼラル公国からの客人なら、王妃さまとも縁が深いですね。殿下にもたしか、面会の予定が入っていたかと思いますが?」

「ああ。前回式典に出席だけして帰国してしまったからな。ミゼラルの前将軍の血筋というと、大公家とも繋がりがある。グレン、逃げ場はないぞ」

 おまえ、と若干涙目のグレンさまです。

「だから、こうなる前に内々に断っておくつもりだったのに……あの時、おまえがいきなりトンボ返りしやがるから根回しができなかったんだろ。ちょっとぐらい、罪悪感って言葉を学んでも罰は当たらないと思うぞ?」


 そうおっしゃるのは、秋の狩猟祭の一件でしょうか。そう言えば、あの時殿下が式典に赴かれたのはミゼラル公国でした。

 となると、殿下が急遽帰国された原因の一端である、わたしにも責任があるでしょうか。クリストファー殿下はかるく肩をすくめて書類を捌く手は止めません。


「少し前に、アイゼナッハ夫人が母上にグレンの女性遍歴を嘆いていたからな。身から出た錆だ。観念するんだな」

 殿下がそうおっしゃれば、アレクセイさまやアランさまが同調します。

「国内もいま、殿下の成婚に向けてお祝いの気運が高まりつつありますからね。話題が増えてちょうどよいでしょう」

「女遊びの末路ってこうなるんだね。勉強になるなあ」

 グレンさまの声はなにやら悲痛でした。


「……おまえら、そこに友情という名の青春の輝きはないのか……」


 殿下はにっこり笑顔で、忙しいんだ、と返され、蒼氷色の双眸を細められたアレクセイさまは、書類整理を手伝うなら知恵だけお貸しするのはやぶさかではありません──、ボクは面白ければどっちでも、と弦をはじいているアランさまでした。


 ますます凹んだ様子のグレンさまに、わたしは少々同情を覚えました。殿方の友情というものは女性のわたしにはわかりづらいもののようです。

 お声をかけるよりも、アレクセイさまの、冗談はともかく、という言葉が続きました。


「この頃合いでやって来るのが少々引っ掛かりますね。アラン、調査の方は」

 んー、とかるい調子で応じようとしたアランさまが、思い出したようにわたしへ目を向けました。

「エリアーナさま。そろそろお時間じゃない?」


 その言葉にまるで合わせたように、取次の侍従がわたしに迎えの者が来たことを告げて来ました。たしかに時間切れのようです。

 立ち上がって退室を述べると、クリストファー殿下が手を止めて少し案じるような眼差しを向けて来られました。


「……エリィ。なにか困っていることはない?」

 はい? とわたしが目をしばたたきますと、殿下はなにかを口にしかけてためらったように濁しました。

「いや、うん。大義名分が出来てしまったから、もうどうにも歯止めがね……。エリィが困っていなければ、それでいいんだ」


 首をかしげましたが、時間が迫っていましたのでわたしは一礼して執務室を後にしました。

 殿下に言われた、困っていること──と言うより、ここ最近、慣れない問題を抱える事態になり、赴く先に足取りが重たくなるのは否定できない事実でした。





 ~・~・~・~・~




 迎えに来た女官に連れられて後宮に足を踏み入れたわたしは、いつも通り通された一室に小さく息をのみました。

 わたしがこれから対峙する方々が獲物に取りかかるような目付きで、手に手におのれが得意とする武器を持ち、合図の時を待っていらっしゃいます。


 対するわたしは、身ひとつで立ち向かわなければなりません。

 圧倒的に不利なのです。しかし、「虫かぶり姫」のわたしと言えど、やらねばならぬ時はあるのです。人間、なせば成る、と言うではありませんか。


 緊迫した対峙をどう見て取ったのか、わたしを迎えに来た女官はいつも通り、あっさりと口にしました。


「──はじめなさい」と。


 後宮付きの侍女たちと、王家御用達の商家の方々が、嬉々としてわたしに襲いかかってまいります。

 わたしは唯一の武器である本もこの場では取り上げられてしまっていますので、ほんとうに身ひとつです。


「エリアーナさま。本日はパルミラ産のネム巻貝から取れた貴重な黄真珠をお持ちしました。エリアーナさまのお肌に映えるかと存じます」

「合わせて、新しいデザインのドレスをご用意いたしました。エリアーナさまお好みの東方渡りの素描家の意見も取り入れてみました。いかがでしょう」

「こちらの織物をご覧ください。トール地方の染め物に、最近新しく開発された新素材の生地でございます。これでドレスを仕立てれば、エリアーナさまの魅力がいっそう増すこと間違いありません」


 次から次へと発せられる言葉と差し出される色取り取りのドレスに布地にデザイン画に装飾品の山に──わたしは早くも目が回りそうです。

 侍女たちが次々にあてがってくる華やかなドレスと、初手から押されっぱなしでまごついている鏡の中の自分がなんともチグハグで、我ながらなさけなくて仕方ありません。


 いまわたしに与えられている課題は、この中からどれか一枚を選び、合わせて装飾品も決め、その商家を次期王太子妃御用達として重用するかどうか、候補をしぼらなければならないのです。

 ……はっきり申し上げて、わたしの大の苦手分野なのです。


 我が家には、女主人がおりません。着飾ることに関して、幼い頃から手本にしてきた女性がいないのです。だから、と言い訳にするのは卑怯なこととは存じますが、生来、ベルンシュタイン家の人間は身を飾ることに無頓着な性質です。……と言いますか。

 娘の婚礼衣装や装束に関して、男親ほどあてにならないものはありません。わたしの社交界デビューの時ですら、叔母に任せっきりだったのですから。


 わたしはふだん、王太子婚約者として求められる公の場での身なりにはそれなりに気を遣ってまいりました。まがりなりにも、四年間、王太子婚約者として過ごしてきた間に衣裳や装飾品を見る目は養われてきたと自負しております。

 そして、わたしの性質を知る家の侍女や叔母、従姉妹たちの助言にたすけられて、これまでを乗り越えてきた面が非常に大きいです。

 しかし、いま。

 それらから切り離されて一人直面している現状に、わたしはあらためて身の引き締まる思いでした。


 苦手だから、などという甘えは許されません。この先も殿下のおそばにいることを決めたのは、わたし自身の意志なのですから。

 わたしは内なる決意をあらためて、あてがわれたドレスを指摘しました。


「マーズ商会のドレスは襟ぐりが深く、わたしには合わないように存じます。合わせて、そちらの素描画には生花があしらわれていますが、東方のノルン国、ユールの花を元にしていますね。ユールは古代、『ゲルーガ神話』で女神に愛された乙女の象徴であり、稀少な花ですが、生花では香りがきつく、花粉が衣服から落ちないために社交の場に向きません。

 ですが……『ゲルーガ神話』の女神の衣装のように、いっそのことドレスの襟ぐりをさらに深くし、そこをユールの花をモチーフにしたレースで飾るのはいかがでしょう。女性の色香と乙女の象徴の対比が、妙齢のご婦人方に好まれるかと思います。ただし、ご商売の方向けにならないよう、細心の配慮が必要ですが。また、そちらのデザイン画は、ユールの生花を刺繍に抑えれば、社交界デビュー前後の少女に好まれるのではないでしょうか」


 押し寄せていた商会の方たちの勢いがいったん止まりました。とたんに、先よりも熱のこもった視線と我先にと詰めかける装飾品の山にわたしは埋もれかけます。


「エリアーナさま。ぜひ、私どものデザインにも助言を──」

「まあ、ナッシュ商会は昨日も助言をいただいたばかりでしょう。少しはお控えくださいな」

「なにを言う。サイナス商会こそ毎回宝石の由来を聞くばかりで、いっこうにエリアーナさまのお眼鏡にかなわないではないか」

 なんですって、と勃発する言い合いが一方で行われ、後宮勤めの侍女たちは嬉々として華やいだ声をあげています。


「エリアーナさまには、やはり、こちらの乳白色のやわらかな色合いのドレスがお似合いですわ。お顔や髪の色が映えますもの」

「まあ。それでは御髪おぐしの色とドレスが同色系統になってしまうわ。私なら絶対、こちらの深い夜色の濃紺色のほうがエリアーナさまに映えると思うわ。神秘さが一段と増すもの」

「ダメよ。神秘さばかり引き立てたら、『王都怪奇百選集』に話題を提供しかねないわ。『後宮百物語』ができたらどうするのよ」

「そんなの、王宮書庫室新七不思議があるのだから、いまさらよ。それよりも、私なら絶対、こちらの淡紅色のドレスをお勧めしますわ。エリアーナさまの可憐さが引き立つもの」

「淡紅色は卒業の頃合いよ。エリアーナさまは妃殿下になられるのですもの。落ち着いた色合いのほうがいいわ」


 あら、でも……と言い合う侍女たちによってわたしはドレスの山でおぼれそうな按配です。なにやら聞き捨てならない単語も飛び交いましたが、近い内にわたし付きになる可能性のある侍女たちの、顔と名前と性質も把握し、従えていかねばならない課題もそこにはあります。


 承知してはいるのですが、こうも不慣れな事態が次々に押し寄せますと、さすがにわたしも音を上げかけるのです。

 おぼれる者の息継ぎでドレスの波の間を泳いでいますと、ふいに部屋中の者をあらためさせる威厳あるお声がかかりました。



「──エリアーナ。まだ衣装が決まらないのですか」


 一瞬で室内が引き締まる、隙のない厳しさと気品あふれるお声でした。

 続き部屋から現れたその方へ、皆がいっせいに手を止めて居住いを正し、礼儀を示します。わたしも例外ではありません。


 布地とドレスをあてがわれた中途半端なおかしな格好であろうと、サウズリンド王国で最も高貴な女性──クリストファー殿下のご生母であらせられる、アンリエッタ王妃さまに敬意を払わない者はおりません。

 頭を下げたわたしと室内を一瞥しますと、アンリエッタさまは開かれた扇の影で静かに息をつかれました。


「毎度のこととは言え、困ったこと。エリアーナ。王太子妃の役目とは、商会の者たちへ有益な助言を与えて人気を取ることでも、侍女たちの言葉に流されることでもないのですよ。自身の立場を理解しているのですか」

「……はい」


 なさけなさと相まっていたたまれなさに頭を下げるわたしに、アンリエッタさまはもうひとつ息をつかれると、おもむろに指示を出されました。


「そちらの山吹色のドレスに花のデコルテがあるもの──。宝石はそうね……同色の黄真珠では芸がないわね。銀細工の意匠で目新しいものはありますか」


 アンリエッタさまのお言葉にすみやかに宝石商たちが群がって行かれ、先ほどまでの秩序のない有様と一変して、皆がおのれの立場をわきまえて無駄口を慎んでいました。

 わたしに対するものとは、ほんとうに雲泥の差です。

 わたしはそっと人知れぬ嘆息をつき、自分がいつか、この方のようになれるのだろうかと疑心と心許なさをあらためて抱き、もう一度吐息をこぼしました。



 今日は王妃さまのお取り巻きの方々が居合わせなくて、ほんとうによかった──と。






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