花守り虫─8
狩猟祭、最終日。
後半に参加された殿下は狩りに加わることはなく、にこやかに社交に加わっていらっしゃいました。目ざましい狩りの腕を見せられたのは前評判どおりヘイドン伯で、彼は今年の花冠をアンナさまでもわたしでもなく、
「───レディバード・シルヴィア姫へ」と捧げられました。
シルヴィアさまの名誉を公的に回復するのは、いまは難しいかも知れません。けれど、この地にエイデルの亡霊といううわさが残っていたのはなぜでしょう。領民の中にも、シルヴィアさまに対する罪悪感のようなものがあったからでは、と思うのは、わたしの願望でしょうか。
アンナさまは狩猟祭当日とは打って変わった生き生きとした目の輝きで社交に応じていました。
実はあの後、別の逸話がありました。
皆が三々五々引き取る中、アンナさまは意を決したようにヘイドン伯へ向きあわれていました。「───お父さま。お話があります」と。
「私はやはり、今は婚姻よりも歴史を学ぶ道に進みたいのです。シルヴィア・スレイドさまのように、歴史には隠された真実がある。それを学び、広め、同じ過ちが起こらないよう、尽力を尽くしたいのです。それがイーディア辺境領、ヘイドン伯爵家の娘として生まれた私の使命だと思うのです」
「おまえは私のただ一人の娘だ。我が家を継ぎ、次代を残す使命は二の次、ということか」
厳しいお言葉にアンナさまは少しひるんだようでした。グッと力を込めて敢然と立ち向かわれる様は、わたしも見ていて憧れを覚えました。
「女性の生き方は、一つではありません。シルヴィアさまやエリアーナさまが教えて下さいました。自分の信念を守ることの大切さを。───私は、お父さまの望む道には進めません。どうぞ、伯爵家から勘当して下さいませ」
覚悟を決めたように頭を下げられる姿を見て、わたしは思わずハラハラしてしまいました。
アンナさまが独り身だったのは、進みたい道があったからのようです。しかし、アンナさまの身分でそれを貫くのはとても難しいことなのだと、わたしにも察せられました。
そこに声をかけられたのは、テオドールさまです。
「では、アンナ嬢は王宮で雇わせてもらおう」と。
驚いたわたしの視線に、テオドールさまは余裕のある笑みを見せられます。
「少し前から、歴史編纂の部署に女性を入れる話があってね、私からアンナ嬢を推薦させてもらうよ。もちろん、公平に試験は受けてもらうが」
アンナさまも驚いたお顔をされていましたが、クリストファー殿下のどこか生ぬるい眼差しがわたしを見つめていました。
エリィ、何を提案したの、と。
「え………」
せわしなくわたしは記憶をかけめぐり、テオドールさまとずいぶん前にそんな話をしたことを思い出しました。
~・~・~・~・~
あれは確か、王宮書庫室の一角で、テオドールさまと古代史研究の学室長と三人でお茶をいただいていた時の話だと思います。
歴史書の話になって、学室長が最近の史書は判で押したように似たり寄ったりなものばかりだと嘆いていらっしゃいました。意見を求められたわたしは少し首をかしげました。
仕方がないと思います、と。
「それはまた───なぜそう思うんだい?」
ふしぎそうにテオドールさまがたずねられて、わたしもそのまま返しました。
「書かれているのが、すべて男性だからです」
瞬いたテオドールさまと学室長に、わたしは説明しました。
「歴史は、見る側によって解釈が様々異なります。たとえば、我が国で殿方に好まれる英雄王の次に有名なルドルフ王ですが、彼はサウズリンドでは武勇の王として有名でも、東方諸国では悪鬼の侵略者として描かれています。そんな風に、国によっても異なる歴史書です。王宮に仕える者たちから出る歴史書が偏るのは、当然ではないでしょうか」
「それは………わかるが、男性が書いたものだから、というのはなぜだい?」
わたしも少し考え込みました。そう思うに至った一冊を思い出したのです。
「歴史書として出版された中で、著名なものがあります。ロルフ・メレディス著の『英雄の興亡』というものですが、あの著は英雄王本人ではなく、その周囲の、特に女性からの視点で歴史を描かれていました。女性ならではの着眼点があったのです。それで、あの方は男名を名乗られていますが、女性ではないかと思ったのです」
ふむ、と学室長が相づちを打ちました。
「歴史書などの専門書は男の書いたものしかありませんな。女性が書いたものではたしかに、受け容れがたいのが世の風潮ですしな」
程度が低い、と見られてしまい、正当な評価を受けるのは難しいのが、残念ながら現状です。
「それで男名で出版したのではないかと?」
「はい。正確なところはわかりませんし、もしかしたら女性の心をお持ちの殿方だったのかも知れませんが」
テオドールさまと学室長がお茶にむせられました。大丈夫でしょうか。
「そ、それは考えてもみなかったな。つまり、エリィが言いたいのは、女性視点を入れてみるべき、ということか」
「はい。男性から見た歴史と、女性から見た歴史は異なると思うのです。新しい視点を入れるのは、有になりこそすれ、害にはならないのではないでしょうか」
なるほど、と学室長もうなずいておられました。
「女性は娯楽小説や恋愛小説しか読まないもの、と決めつけがちですが、エリアーナさまのような例もありますからな。検討するのはよいかも知れませんな」
そういったやり取りがあったことにはありました。話はわたしの知らないところで進んでいたようです。
アンナさまは目を輝かせてうなずかれ、ヘイドン伯のお顔は心なしか、父親の憂慮をたたえた沈んだものに見えました。そしてわたしに苦笑まじりの目を向けられました。
「あなたには、最後までしてやられましたな」と。
クライス夫人はシルヴィアさまの想い出を語ってくれました。芯の強い、明るくやさしい女性だったのだと。
「私はあの当時、大切な友人のために何もできませんでした。何が起こっていたのかも、わからなかった。私の家も、貴族たちも、国中が、スレイド家との関わりを忌避して断ちました。ただ一人、彼女と心を通わせたマルドゥラ国の方が、彼女をさらうようにして国を離れたと、後から聞かされただけ………」
夫人のふくよかな手がわたしの手に重ねられ、やさしくにぎりしめられました。
「ありがとうございます、エリアーナさま。あなたのおかげで、私は友人の心を知ることができました。彼女の心がエリアーナさまやアンナさまに受け継がれるのなら、彼女は今もこの国に生きているわ」
クライス夫人の切なさの中になつかしむ思いを感じて、わたしもそっと微笑みました。
それから夫人はこっそり内緒話を教えてくれました。テオドールさまの初恋がシルヴィアさまだというのです。
テオドールさまが幼い頃療養していた土地がクライス公爵家で、夫人とシルヴィアさまが友人同士だったために、そこで出逢ったシルヴィアさまにテオドールさまは恋をしたのだと。
「お小さいながらも、ひっしにシルをエスコートされようとするお姿がほほ笑ましかったですわ」
夫人は思い出すように笑われていました。その時、たまたま近くにいたアランさまがぼそりとつぶやいておられました。
「初恋をそのまま引きずって、成就に精魂かたむけている方もいるけどね」と。
夫人のやさしい笑みがわたしに向けられました。
「今回のことでシルの名誉が少しでも回復されて、テオドールさまも陛下も、きっと安心されているのではないでしょうか」
当時は王子の身分であった陛下と、幼く力のない身だったテオドールさま。
お二人はずっとシルヴィアさまのことを気にかけていたのでしょう。ゆえに今回、マルドゥラとの戦回避を提言したわたしにアーヴィンさまを逢わせてみせようと思われたようです。
わたしがどんな判断をするのか。
次期王太子妃として試されていたのかも知れません。
内密にされたクリストファー殿下は、にこやかな微笑で怒りの気配をただよわせていらっしゃいましたが。
そんな波乱もあった狩猟祭ですが、終わりを迎えて皆がそれぞれ領地や王都にもどられる喧騒に包まれました。
様々な方の挨拶に目の回るわたしでしたが、思い出したものに急いでアーヴィンさまを探しました。
「───アーヴィンさま。これを」
お借りしていたハンカチとシルヴィアさまの刺繍本です。クライス夫人に許可はいただいていました。
アーヴィンさまはハンカチは受け取られましたが、本は断られました。男が刺繍本持ってても仕方ないだろ、と。
近くではアーヴィンさまの従者にご令嬢方が群がっています。突然現れた美貌の麗人に、すっかり話題はそちらへ移りました。
「………では、この本はわたしがいただいてもよろしいでしょうか」
正直、刺繍も苦手分野なわたしですが、シルヴィアさまが愛読されていたのなら、大切にしたいと思いました。
ああ、とうなずいたアーヴィンさまは笑ってわたしを見つめます。
「虫かぶり姫───か。そっちの方がサウズリンドの頭脳なんてご大層な呼び名より、よっぽどあんたに似合いだな」
その笑いははじめに見た揶揄るようなものでも、皮肉げなものでもありませんでした。彼の本質が見える、少年のような無邪気さがありました。
「隣国の人間を好きになったからといって、迫害されることのない国。───俺も、それを見てみたい。エリアーナ嬢」
黒い眸が真摯にわたしを見つめ、わたしもにこりと笑み返しました。
友誼を結ぶ話はまだまだお互いに手探りの状態です。けれど、決して不可能ではないと、彼の存在が可能性を与えてくれたのも事実です。
「エイデルの花は春に咲きます。ぜひ、見に来てくださいませ」
「………春になったら、あんたは他の男のものか」
ふいに声の調子が落ちたかと思うと、何気ない仕草で手が伸ばされてわたしの髪にふれました。
「親父のようにあんたをさらって行ったら、どうなるかな」
からめ取るような熱い黒の双眸でした。ビックリして瞬いたわたしですが、冷ややかなお声が背後からかかりました。
「───それは、私への挑戦ということかな」
クリストファー殿下です。わたしの頭上でなんだか、音を立てて交わされた視線を感じた気がしました。
フッとアーヴィンさまが笑って手を離します。わたしの髪についた綿毛を取ってくださったようです。
「冗談だよ」
口調はかるく、皮肉げな笑みがもどっていました。そして、その指先が彼の唇にふれます。
まるで、たった今ふれた感触を惜しむかのように。
わたしの髪に口付けるかのように。
あまりの光景に硬直したわたしの前に、クリストファー殿下の背が立ちふさがりました。
「私を怒らせたいようだね、異国のお客人」
「ほんの冗談だろ。そうカッカすんなよ」
かるく笑って、殿下の背中越しに声がかけられます。
「エリアーナ嬢。辺境の守護神に、女性を見習えと言ったあんたの度胸に敬意を表する。逢えてよかった。虫かぶり姫」
別れのあいさつで遠ざかる様子があります。殿下のにこやかな、けれど冷えたお声がその背を追いかけるようでした。
「異国のお客人。今回捕らえた賊だが、彼らを入国させた者は私もまだ捕らえていない。───道中、くれぐれもお気を付けて」
「はぁ!?なんでそんな肝心なヤツを───っつか、シャレになんねえぞ!コラ!」
反対に追いかけてくるようなアーヴィンさまを、従者の方が引っ張って行く光景が見えました。
わたしは殿下にエスコートされてその場を後にします。
どこまでが冗談で外交の域なのか、わたしにはさっぱり判断がつきませんでした。
殿下のご様子はいつもと変わらないようでいて、どこか不機嫌そうなのが伝わってきます。わたしはずっと、殿下に言いそびれていた言葉があることを思い出しました。
それを口にしかけて一度息をのみ、そっと言葉にしました。
「………クリスさま」と。
一瞬、驚いたような青の双眸がわたしを見つめ返しました。
わたしはふだん、気後れや恥ずかしさが勝ってしまって、なかなか殿下の愛称を呼ぶことができないのです。それでも今は、狩猟祭当日の心細さや、お逢いしたかった恋しさを思い出して、殿下のそばにいる尊さをかみしめていました。
それをあらためると、周囲に人がいたことも気にはならなくなってしまいました。
いまさらですが………と、ためらいましたが、思いきって口にしました。
「あの……………おかえりなさいませ」
あざやかな青の眸が瞬き、その次にはゆるやかにそれが晴れ渡っていく様でした。甘く、やさしい微笑がわたしを包み込みました。
「───ただいま。私のレディバード」と。
※レディバードはテントウ虫の英名ですが、作中では架空の虫として書いています。ご了承下さい。
今回、自分で考えていたより堅苦しい内容になってしまって、私自身、途中で迷い、試行錯誤を繰り返しました。
当初とイメージが異なる、と思われた方も多いと思います。
未熟さゆえです。本当に申し訳ありません。
反省点の多い「花守り虫」になってしまいましたが、お読みいただいた全ての方に感謝します。
ありがとうございました。