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花守り虫─6




 アーヴィンさまの従者が剣を抜くのが早いか、襲いかかってきた者と突然の剣戟がはじまりました。


 わたしは一瞬でジャンに小脇に荷物のように抱えられ、その場から離脱します。夜会服で丸腰のアーヴィンさまが襲撃をかわしながら叫んでいました。


「レイ!俺の剣は」

「知りませんよ。ご自分でノコノコと賊の真っただ中に来たんだから、ご自分でどうにかなさって下さい」

「ああ、なんて心優しい従者だ、おまえは!」


 ふしぎな会話を交わして襲撃者を避け、わたしたちは一室へ追い込まれました。その中の光景にわたしはハッとします。


 外れた鎧戸から差し込む夜明かりを背景に、数人の人影が浮かんで見えました。


 落ちて割れた角灯と、倒れた書棚に散らばった書物。それを足蹴にしていたのは、襲撃者の仲間でしょう。その内の一人に羽交い締めにされて蒼白顔のアンナさまの姿がありました。


 お名前を呼びかけたわたしの口をジャンがふさぎます。理由は襲撃者の次の言葉でわかりました。


「ッチ。この女かと思ったのに、もう一人いやがったか。どっちがエリアーナ・ベルンシュタインだ」


 狙いはわたしのようです。懸命に訴えかけるような眼差しのアンナさまに、わたしはうなずきました。


 わかっています。だれに何を言われずとも、その正体は一目瞭然です。

 わたしはまるで、託宣を受けた神官のようにおごそかな気持ちでした。その思いのまま、ジャンの手を外して口にしました。


「───あなた方は人類の敵ですね」

 はたのジャンの膝から一瞬力が抜けたようです。

 しかしわたしは、これまでにない怒りを目の前の光景に覚えていました。アンナさまに対する仕打ちも許し難いですが、それにも比して、書物を足蹴にするとは何事ですか!


 そこに、アンナさまが気丈な声で男たちの注意を引きました。

わたくしがエリアーナ・ベルンシュタインです。あなたたちは何者です。目的を言いなさい!」


 気丈なアンナさまにわたしもそれと察することができました。ジーク近衛隊長から警戒するよう忠告された場に居合わせたアンナさまです。わたしのこともそれとなく注意を払ってくれていたのではないでしょうか。

 そして───予想するのなら、ソフィアさまがわたしの評判を貶めようと、殿下以外の殿方とわたしが密会していると触れまわられていたら、先回りしようとして人類の敵に捕らえられてしまったのかも知れません。


 鼻を鳴らして嘲笑った、アンナさまを捉えた男が驚愕の言葉を告げました。


「なあに。ちょっとした扇情的な醜聞を起こすだけだ。───サウズリンドの王太子婚約者と、マルドゥラの王子が密会中に死体となって発見。犯人はどちらの国の人間か。王弟殿下が害されるより、よっぽど醜聞沙汰だろ。再度両国の間に緊張が走るな」


 ───マルドゥラの王子。


 アンナさまとわたしの驚きの目が男の視線の先、不敵な笑みを浮かべたままのアーヴィンさまに向かいました。

 アーヴィンさまは動じずに鼻先で笑われています。


「それが目的か。マルドゥラの王子がサウズリンドの人間に害されたと、この国に攻め入る大義名分を作り、サウズリンドにも義憤を持たせる。エリアーナ嬢が戦回避の立役者なのは有名な話だしな」

 まったく、とその声は怒気よりもあきれまじりです。


「なんかがチョロチョロしてるなとは思っていたが、俺の方の客か。マルドゥラの急進派はつくづく、考えナシな輩ばかりだな。お国柄と言われたらそれまでだが、エリアーナ嬢の顔も知らないお粗末さと言い………別に推奨するわけでもねえけど、もうちょっと頭の回るヤツはいなかったのか?同国人としてちょっと恥ずかしいぞ」


 横でジャンがぼそりとつぶやきました。

「おちょくり加減はお嬢といい勝負ッスね」と。


 まあ。わたしはおちょくってなどいません。これほど真剣に怒りを覚えたのは、ここ数年なかったかも知れないというのに。


 苛立ったように襲撃を仕切っているらしい男が顔をしかめました。

「サウズリンドの血を半分引いてる人間に、同国人だなどと冗談でも口にしてほしくねえな。虫唾が走る」


 アーヴィンさまは言われ慣れているように肩をすくめただけでした。

 マルドゥラは少々閉鎖的なところがあり内情はあまり伝わってきませんが、王家の王子は五人ほどいたはずです。彼はその内の一人、ということでしょうか。


 優位を確信しているように男は残酷な笑いを浮かべました。

「サウズリンドの血を引くマルドゥラ王家の汚点。こんな時でなければ国の役に立つこともできないだろ。最後に役目が回ってきたことを光栄に思うんだな」


「痴れ者が」

 舌打ちするようなアーヴィンさまの低い声音でした。


「他者を認められない、そんな凝り固まった考えの輩がいるから、マルドゥラはいつまでも頭の悪い蛮勇国扱いなんだ。自国の評判を貶めているのが自分たちなのだと、なぜわからない。どうせ、第三王子あたりの手の者だろうが───他国に来てまでお家騒動の恥をさらすのはよせ。みっともない」


 男の顔が屈辱にゆがんだのがわたしにもわかりました。

「あんたはマルドゥラに不要な人間なんだよ!」

 合図された周囲の男たちが剣を手にこちらへ向かいます。アーヴィンさまの従者が彼の前に出て臨戦態勢に入った時でした。



 突如として男たちの背後にさらに複数の影が躍り出ると、一瞬で彼らは昏倒させられました。わたしたちの背後を取り囲んでいた者たちも同様です。

 瞬時の出来事でした。

 後に残っていたのはただ一人。アンナさまを捉えたままの男だけでした。


「な、な………」

 あまりの光景に男はうろたえています。アーヴィンさまは予想していたかのような落ち着きぶりで小さく口笛を吹いていました。


 聞きなれたお声はそこへかかりました。


「───少し私が留守にしただけで、ずいぶんと慮外者がわいて出たね」


 ふりかえったわたしは驚きに目を瞠りました。暗がりの中でも輝くような金色の髪。晴れ渡った青空色の眸。麗しく整ったお顔立ちに周囲を圧する存在感。

 きらきらしい微笑がいつも通り、やさしくわたしに向けられました。


「───ただいま。エリィ」


 わたしは夢でも見ているのでしょうか。他国の式典に出席中のクリストファー殿下がここにおられるはずがありません。夢ならば、「おかえりなさいませ」と答えるべきでしょうか。


 驚きに固まったままのわたしに歩み寄られると、殿下は場違いなほど甘い微笑でわたしを見つめられました。


「お帰り、と言ってくれないの?エリィ」


 ふるえる声で口を開こうとした時、アンナさまの小さな悲鳴が響きました。ハッと目を向けたわたしの視界に、男が自暴自棄になったような様相でアンナさまを盾にわめき散らしている光景が映ります。


 男の狙いはわたしです。わたしが足を踏み出すのと、殿下が小さくつぶやいてその手がわたしの視界をふさぐのは同時でした。彼女じゃないようだね、と。


「───ジャン」

 我が家の従僕の名が呼ばれた気もします。その後に、男のうめき声と人が崩れ落ちる物音がした気も。


 けれど、それよりもなによりも、不謹慎なことと思いますが、殿下の手の暖かさを感じて夢ではなく現実だと実感することができました。

 視界をもどされた後に殿下のやさしい眼差しがあったために、なおさらわたしの胸に焼き付きました。


「………殿下。なぜ、ここに」

「私がエリィの危機に馳せ参じないわけがないだろう?」


 にこりと笑まれるそのお姿はたしかに旅装のままで、急ぎ駆け付けられた様子がにじんでいました。そして、どこか冷たさをはらんだ目をアーヴィンさまへ投げられます。


「それに、非公式に他国の賓客が来ているとか、小耳にはさんだものでね。ならば王太子の私がもてなさないわけにはいかないだろう」


 やれやれ、とあきれまじりの声が戸口の方からかかりました。テオドールさまがジーク近衛隊長やヘイドン伯を連れて姿を見せたところでした。


 気付けば賊の男たちはグレンさまたち殿下の近衛の者に捕縛され、辺りは騒然としていました。アンナさまのご無事な様子にホッとし、影に躍り出た人影の姿がどこにもないのに内心首をかしげました。


「おまえに知らせたらややこしくなるから、兄上と時期を見計らったというのに。ホントにどこから聞き付けてくるんだ」

「解せませんね、叔父上。私に内密にしてエリィと逢わせる意図がどこにあるんです?」


 クリストファー殿下はいつも通り微笑を浮かべてにこやかなご様子でしたが、どことなく怒ってらっしゃる雰囲気がわたしにもわかりました。

 テオドールさまもそれがわかったようにかるく息をつきます。


「彼は昨年亡くなられた母親の故郷を見に来ただけだ。───彼の母親、シルヴィア・スレイド嬢の代わりに」


 目線を移されたアーヴィンさまは肩をすくめました。もうご令嬢、って歳じゃなかったけどな、と。


 なにかが色々と噛み合うような、けれどまだ足りないような、混乱する気分でした。

 暴れる男から解放され、ヘイドン伯と無事を確かめあったアンナさまがわたしの様子をうかがって、わたしもあらためました。


「アンナさま。お怪我は」

 わたしの身代わりになろうとする気丈さは、さすが辺境伯の血を引いているだけはあるのでしょうか。


 大丈夫です、と答えたアンナさまはなぜか近くのジャンにおびえたお顔を見せました。アーヴィンさまが揶揄るように笑われています。

「正規の飼い主は王太子か」と。


 首をかしげたわたしはクリストファー殿下の外套にくるまれて引き寄せられました。いつにない強引な様子に苛立ちが見えます。


「本当に、あり得ないね。私のエリィが他の男と密会?その相手が他国の王子で、なんだか知らないけれど、お家騒動やお国事情に巻き込まれて命を狙われるだって?本当にあり得ないですね、叔父上」


 冷ややかな怒りを向けられたテオドールさまはなだめるような口調でした。


「あー、一応言っておくが、賊がはじめに狙っていたのは私だぞ。狩りの最中、何度か不穏な気配があったからな。それに、エリィにはおまえの影がついていたし、私も気を配っていたぞ」


 さらに口を開かれようとした殿下をジーク近衛隊長が穏やかに諭されました。ひとまず場を移しましょう、皆この騒ぎに気付いています、と。


 小さなため息で苛立ちを逃がしたような殿下でした。打って変わったにこやかな笑みでわたしをのぞき込まれます。


「歩ける?エリィ。抱き上げて行こうか」

「あ、歩けます」


 それよりも、抱え込まれている状態をどうにかしていただけないでしょうか。人前でとても恥ずかしいのです。


 殿下は少し不満そうなお顔をしましたが、わたしを抱えた手は離さず、古城の出口に向かいました。

 指示を残されたグレンさまたち近衛の者にはどことはなしに疲弊の色が見えて、ジーク近衛隊長がさすがに憐憫の眼差しを向けていたのが印象的でした。





 ~・~・~・~・~




 古城の外は警備の者と近衛隊、夜会に参加していた貴族たちで騒然としていました。


 殿下は他の方に気付かれずに帰国されたようですが、賊が侵入したことは知れ渡っていたらしく、皆が出てくる者に注視していました。

 そこにクリストファー殿下のお姿が現れたのですから、皆の驚きも並大抵のものではありません。そんな中、令嬢たちの中からかけよってきた姿がありました。


「───エリィ姉さま!」

 従妹のリリアです。違う色で血相を変えたリリアは、わたしの無事をたしかめると殿下が隣におられても関係なく小声で叱りはじめました。


「私ちゃんと、要注意だって言ったでしょう。この耳は飾りなの?アンナさまが先に知らせてくださるって言うからお願いしたけど、なんでこんな事態になってるのよ!?」


 ………リリア、痛いです。反省はしていますから、耳と頬を引っ張るのはやめてもらえないでしょうか。第一、しゃべれません。


 隣の殿下が小さく笑ってリリアを止めてくれました。


「リリア嬢。エリィはこの古城に、何者かにおびき出されて閉じ込められたんだ。賊が侵入していたことと言い───だれかがエリアーナの身を狙っていた事実に間違いはない。彼女が古城にいると触れ回っていたのは、だれかな」


 クリストファー殿下の言葉は静かでしたが、遠巻きにした人々の耳に入ったのは明らかでした。皆の視線が一様に一人の令嬢に向かいます。


 夜目にも真っ青になってふるえ出していたソフィアさまでした。

「わ、私………そんな、そんな」


 さすがにわたしもお気の毒になりました。彼女はおそらく、その年齢ゆえの無鉄砲───いえ、一途な想いにかられて行動を起こしただけでしょう。それが賊の襲撃事件と重なるとは、夢にも思わなかったのでは。


 殿下の言う通りわたしの身を狙ったのなら、自分が犯人であることをわざわざ言いふらすはずがないのですから。


 わたしが口を開く前に、はいはーい、と明るい声が割って入りました。人垣の間からアランさまが警備の者と捕らえた女性を伴って姿を見せました。


「ロナ………!」

 ソフィアさまの驚いた声がします。わたしを古城へ導いた時にいた、ソフィアさまの侍女でした。

 アランさまの飄々とした声が説明をはじめます。


「えーと、ご令嬢は無関係ですね。賊と繋がりのある者が潜り込んでいる疑いがあったんで、テオドールさまやエリアーナさまの周囲に注意を払っていましたが、ご令嬢は侍女にそそのかされて利用されただけみたいです。エリアーナさまが閉じ込められた後、賊に密告しに行った現場を押さえました」


「そんな………」

 力なくソフィアさまはその場に崩れ落ちてしまいました。信用していた侍女だったのかも知れません。

 それに、アランさまはそう言われましたが、賊と繋がりのある侍女を雇っていたのは事実です。伯爵家の落度やソフィアさまへの疑いは残るでしょう。


 警備の者やアランさまに指示を出される殿下の横で、わたしはそっとリリアにソフィアさまのことを頼みました。

 リリアは怒ったような顔でわたしを見返します。


「一歩間違えば身の危険だってあったし、不名誉なうわさを立てられるところだったの、わかってるの?エリィ姉さま」

「でも、そうならなかったわけだし………」

「っもう。人が好すぎるわ」


 プリプリと怒りながら、それでもわたしの頼みを聞いてソフィアさまのほうへ向かってくれました。


 アーヴィンさまの正体は一部の者しか知らない非公式なもののようですし、今回の騒動がマルドゥラの急進派の仕業ということは内々に処理される可能性が高いです。そのために、ソフィアさまや伯爵家に疑いが向いてしまい、結果、彼女のこれからの人生に影が差すのはさすがにお気の毒だと思ったのです。若気の至り、という言葉もありますから。



「───エリィ」


 わたしは一瞬、背筋がビクリとなるのを感じました。この感じは以前にも覚えがある気がします。

 隣の殿下が微笑んでいるのに、どこか逆らえない怖さをはらんでいました。


「リリア嬢に賛成だな。エリィらしさはわかっているつもりだけれど、もう少し危機感をもってね。男性と女性では違うんだ。私以外の男とのうわさなんて、立てられたらダメだよ?」


 ………なぜでしょう。言葉は優しく微笑まれているのに、許さない、と言われている気がするのは。

 コクコク、とうなずいたわたしと殿下はテオドールさまに呼ばれて屋敷の一室へ集まりました。






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