花守り虫─5
あれほど忠告されたのに、わたしはしでかしてしまいました。
五日目の夜会の最中です。
先日の古城探険の際に落し物をして、それを今夜どうしても取り戻したい、テオドールさまへ渡す物だから自分の手で、と懇願され、わたしは一人のご令嬢と共に暗がりの中を古城までやって来ました。
令嬢の侍女も一緒でしたし、警備の者らしき人影も見えましたので問題ないかと思ったのですが …………はい。リリアに要注意と言われていたソフィアさまでした。
「………あの、ソフィアさま?」
古城の中に入ったとたんにお姿が見えなくなったと思ったら、背後で扉の閉まる音と
驚いて呼びかけてみますと、まだそこにいらっしゃるらしいお声が聞こえました。
「………目ざわりですの。エリアーナさま。年上のお姉さま方はどうしてかあなたに手を出そうとはされないけれど、私は違うわ。私の方がテオドールさまにも、クリストファー殿下とも───王家の一員として相応しくふるまえます。『虫かぶり姫』なんかとは違うわ」
幼さの中にも意志のこもった力がありました。大丈夫です、と笑う声はあどけないようでいて、少々陰湿です。
「少ししたら他の者たちと迎えに来て差し上げますわ。怖くないように、ちゃんと別の殿方をお呼びしてありますので、どうぞ、その方との仲を深めていらして」
笑いながら遠ざかる音がしました。侍女や警備の者、辺りからひとけが絶えた様子がわたしにもわかります。
あらまあ、とさすがのわたしものんきな慨嘆を吐く余裕がありません。以前までの見せかけと思い込んでいた婚約関係ならともかく、いまは国中や各国へも成婚の日取りが発表された、王太子殿下の婚約者なのです。クリストファー殿下以外の方とあらぬ醜聞が立てられたら、わたし一人の不名誉では済まされません。
どうしましょう、と立ち尽くしていたところに、背後から声がかかりました。
「───なるほどな。おかしいと思ったんだよな。あんたからの呼び出しが来るなんて」
「あんたに手なんか出さねえよ。あの蹴りは俺でも恐ろしい」
言葉ほど感情のこもらない口ぶりで肩をすくめ、わたしをうながしました。他の出口から退参して夜会にもどろう、と。
少しためらいましたが、他に方法がないのでわたしも従いました。
「しっかし、あんた迂闊にも程があるな。よくそれで王太子殿下の婚約者が務まってきたもんだ」
少なからず、わたしも落ち込みます。
今思い返してみれば、婚約者に上がったばかりの頃、一室に閉じ込められたりドレスを汚されたりと、嫌がらせと思われる行為は多々ありました。その都度、従姉妹たちやテレーゼさま、殿下の助けがあったように思います。
あの頃は気付くことができませんでした。でも今は、自分の意志でクリストファー殿下のおそばにいようと決めたのです。それなのに、皆がいないととたんにこんな不注意をしでかしてしまうなんて。
………なんだか、自分のいたらなさをよくよく思い知らされる狩猟祭です。
沈んだ気分のわたしは足もとにも不注意で、とぼしい灯りの中で段差につまずいて転んでしまいました。
「おい───大丈夫か?」
「はい………」
手を借りて立ち上がったわたしをアーヴィンさまはしばし見つめると、苦笑するような息を吐かれました。
「なんかホント、予想外だったな。うちとの戦回避を提言したご令嬢だって言うから、どんなに聡明で気高く、威厳あふれる王太子婚約者かと思ったら───辺境伯に諫言もらってへこんでるし、不埒な男は肩書じゃなく蹴りで退治するし、無謀なご令嬢にたやすく嵌められてるし」
ククッとアーヴィンさまはおかしそうに笑い出しました。
「うちを救ったのは、こんなどこにでもいそうな娘だったんだな」
“うち“と指摘される単語にわたしが目をしばたたかせると、それが伝わったように野性的な笑みを閃かせました。
「───俺は、マルドゥラ国の人間だ。エリアーナ嬢」
ハッと息をのんだわたしのつかんだままの手に力がこもりました。角灯の灯りの中で、鋭さを秘めた黒い眸が光ります。
「戦回避を提案したあんたでも、マルドゥラの人間は恐ろしいか?常にサウズリンドを狙う、蛮勇頼みの、恩義を恩義と受け取れない頭の悪い好戦国。───あんたを手にかければ、さすがのサウズリンドも人道的な仮面を脱ぎ棄てて戦に踏み切るかな」
息をのんで見つめ返した眸がぶつかり合いました。
フッとアーヴィンさまはわたしにではなく、あさってに向かって笑って手を離しました。
「冗談だよ」と。
ほら、とまるで下町の少年のような気安さでハンカチを貸してくれます。ありがたくお借りして手についた土と埃を払いました。
「………マルドゥラ国の、方なのですか?」
貴賓が出席しているとは聞いていませんでしたが。しかし、関係者の方ならば、わたしに逢うのが目的だったのは理解もできます。
アーヴィンさまはかるく口の端を上げました。
「半分な」
「………半分?」
「親父はマルドゥラの人間だが、母親はサウズリンドの人間だ。まあ、あまりない組み合わせだろうが───俺がどんな環境で育ってきたかは、あんたでも想像つくだろ?」
わたしも少し口をつぐみました。
たしかにアーヴィンさまのおっしゃる通り、常に好戦的なマルドゥラに対してサウズリンドの民の心証は決してよいものではありません。それはおそらく、逆も同じはずです。
アーヴィンさまのご両親がどんな状況に置かれたか、そして彼がどんな環境で育ってきたかは、わたしにも容易に想像できました。
「………政略的な、ものだったのですか?」
「いや。偶然出逢って、恋に落ちたんだと。うんざりするぐらい聞かされて育ってきたぜ」
ほんとうにそう言ったお顔でしかめられています。そして息をつきました。
「親父はまあ、それなりに地位のある人間だったから周りからあれこれ言われても、たいして問題はなかったらしい。だが、母親は生まれ故郷から追い出されたと聞いた。同じ国の人間に、それこそ、マルドゥラ人に対するものより手酷くな」
「…………」
同じ国の人間だからこそ、敵国の人間に心をゆるした者は拒絶されたのでしょうか。国を愛する思いは時として、同国人をも排するものになるのでしょうか。
アーヴィンさまは皮肉げに口の端を持ち上げます。
「まあ、多分に非は親父にあるだろうな。状況もかえりみず他国の女性に手を出した見境ナシ。───あんたらの歴史談議はなかなか興味深い」
先日のアンナさまとの話を聞いていたのでしょう。皮肉げな笑みの中にも、真剣な眸の色がありました。
「俺はどちらの国の血も引くかぎり、どちらの歴史も背負うものだと思ってる。自国の罪を美化する気はないし、蓋をする気もない。マルドゥラが過去、サウズリンドに幾度も戦を仕掛けたのは史実だし、サウズリンドがマルドゥラを野蛮国と見ているのも知ってる。───だから、うちへの支援を提言したあんたの話を聞いた時、ホントに驚いた」
アーヴィンさまは裏のない、あざやかな笑みを浮かべました。
「あんたに礼を言う。エリアーナ嬢。あんたの提言があったおかげで、母親の祖国との戦が回避できた。辺境伯はあんたの考えを夢見がちな理想論と言ったが、俺は別にいいと思う。国の頂点に立つ人間が理想を追わずに、国はどこに向かう」
その言葉はドキリとわたしの胸を打ちました。あざやかな眼差しがわたしを捕らえます。
「それが誤った理想ならともかく。あんたの周りにいる人間はそうは言ってないだろ。だからあんたの案は採用され、サウズリンドの民はあんたを支持する。───もっと胸張れよ。王太子の婚約者だろ」
………これは一応、励ましていただいた、ということでしょうか。
わたしもしぜんと頬がゆるむのを感じました。
「ありがとうございます」
かるく笑み返したアーヴィンさまが気持ちを切り替えるように、強い視線をわたしの後ろへ投げました。
「ってところで、そろそろ、いつまでも睨み合ってないで出て来いよ」
驚いてふりかえった暗がりの中に、ジャンともう一人、見知らぬ青年が姿を見せました。
………男性、と言っていいのでしょうか。服装や体型はたしかに殿方のものですし、腰に剣も佩いています。けれど腰にまで届く、染めたように真っ白な髪と優美とさえいえるお顔立ちが、女性と言っても間違いではないように思われました。
しかし今はそのお顔も険しくアーヴィンさまを睨まれています。
「この軽率者。予定外な行動は取るなと、あれほど言ったでしょうが」
「まあ、いいだろ。おかげでこうしてエリアーナ嬢と話ができた。王太子婚約者の周りは警戒が強くって、困り果ててたところだ」
気やすく応じてわたしに視線を戻されました。
「こいつが古城の亡霊の正体だ。俺の従者なんだが、この通り目立つんで、隠れてろって言ったら亡霊にされてたな」
クク、とおかしそうにアーヴィンさまは笑われていますが、従者の方の目付きはさらに険しさを増しています。美人な方だけに迫力があります。
ジャンはいつも通り、あきれまじりの口調でした。
「お嬢。なんでそう閉じ込められるのが好きなんッスか」
………別に好きなわけではありません。
間近に来たのんきそうなジャンにアーヴィンさまの鋭い視線が向けられて、わたしが断りを入れます。従僕のジャンです、と。
すると、従者の方と二つの険しい目が向けられました。
「従僕───?冗談だろ」と。
わたしが首をかしげた時、離れた部屋からただならぬ物音が響きました。
大きな家具が倒れたような地響き、ガラスの割れるような音と、咎めるような女性の声も。
それと同時に、突如として暗がりに複数の人影が現れます。暗がりの中でも鋭利に光る刃物の輝きがありました。