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花守り虫─4




 図書室を出たところで、回廊の先から女性たちの悲鳴が聞こえて来ます。

 テオドールさまとアーヴィンさまが率先して向かわれ、わたしたちも後に続きました。


 すると、年若いご令嬢たちが声を上げてかけてくるところに行き合います。その内の一人がわたしたちに気付きました。


「エリィ姉さま!テオドールさま!」


 従妹のリリアです。回廊の先にいたのに、数回瞬いた後にはわたしの眼前に興奮した従妹の顔がありました。人のことは言えませんが、淑女のたしなみはどうしたのでしょう。


「出た出た出た………!出たのよ、エリィ姉さま!」


 リリアの剣幕に圧されてわたしは目をしばたたきます。するとなぜか、リリアはハッとしたように一人で考え込みはじめました。


「待って。エリィ姉さまがここにいる………ってことは、さっきの亡霊、エリィ姉さまじゃなかったのね」


 ………失礼な従妹です。


「───亡霊?」

 同じようにご令嬢方にしがみつかれたテオドールさまが訊き返して、一番に取りすがっていた金髪の少女が答えました。


「エイデルの亡霊ですわ。先のご領主さまの姫君が、浮かばれずにいまもエイデルの古城に現われる話は有名ですもの。見てしまった者には恐ろしい呪いがかかるという話もありますわ。テオドールさま───」


 怖い、と訴えかけられるご令嬢の涙ぐまれたお顔は、見るからに庇護欲をそそるものでした。テオドールさまは安心させるように微笑み、事情を聞かれています。



 リリアの話によると、どうやら同年代の彼女たちはお茶会やおしゃべりにも飽きて古城の探険に乗り出したそうです。そうしたところ、古城の中に髪の長い人影が現れ、ぼんやりと彼女たちを見下ろしたかと思うと、次の瞬間には姿をかき消していたのだとか。


「まさか、ほんとうに出るなんて思わなかったわ。あれがエイデルの亡霊なのかしら」

「エイデルの亡霊?」

「エリィ姉さま、ご存知ないの?このエイデル領は以前はご領主さまがいたでしょう。でも、たしか…………反逆罪で罰せられて家名は断絶。一族も罰せられて、その中の、若くして亡くなられたご領主さまの姫君がいまも浮かばれずにさ迷っているという話よ」


 わたしは少し考えます。亡霊話は知りませんでしたが、エイデル領が王家直轄地になった事件は学んだ記憶があります。


 周囲は徐々に騒がしくなってきました。ご令嬢たちの悲鳴を聞き付けた大人たちや家人、クライス夫人などが集まっています。テオドールさまが冷静に場を収拾されていました。


 ご令嬢たちはひとまずクライス夫人に預け、落ち着かせるように指示されています。はじめに取りすがっていたご令嬢がテオドールさまに懇願されていました。


「私とても恐ろしいのです。テオドールさま。どうか安心できるまでおそばにいさせていただけませんか………?」

「ソフィア嬢。皆と一緒にいれば怖いことはなにもないですよ。温かいお茶をもらって落ち着かれるといい」


 最初の驚きと混乱から冷めると落ち着いていたリリアに声をかけられています。皆を頼むよ、と。

 リリアに続こうとしたわたしをテオドールさまは呼び止められました。


「エリアーナ嬢。ちょっと来なさい。アンナ嬢も」


 一瞬、ソフィアさまと呼ばれたご令嬢の燃え上がるような眼差しがわたしに向けられました。瞬いた後には愛らしいお顔にもどっています。目の錯覚だったのでしょうか。


 移動をはじめた最中、アーヴィンさまがすれ違いざまに小さなささやきをわたしにこぼしました。


「見事な蹴りだった。エリアーナ嬢」

 黒い眸は楽しげな光で踊り、その様子をじっとソフィアさまが見ていたことに、わたしは気付きませんでした。





 ~・~・~・~・~




 別室に移ってテオドールさまは近衛隊長であらせられるジークさまと警備体制について話し合われています。


 リリアたちが見た人影が亡霊かどうかはさて置き、不審者がまぎれ込んでいるのだとしたら、要人が滞在しているお屋敷にはなにより警戒が必要です。

 クライス公爵へもその旨伝言が向けられて、テオドールさまがかるく息をつかれました。


「───エリィ。一人で行動しないよう、言ったはずだが」


 わたしは小さく首をすくめました。

 たしかに、王太子婚約者のわたしが他家のお屋敷で一人でふらふらするのは、軽率な行動でした。わたし付きの侍女はいるのですが、先のレネックさまがおっしゃっていたように少なからずわたし宛ての面会人がいましたので、侍女にはその対応をお願いしていました。従僕のジャンはそばにいたのですが、読書をはじめたわたしにあくびでどこかへ行ってしまいました。


 勤怠に問題アリとして減棒に処すべきでしょうか。それとも、先の対処法への報酬を与えるべきでしょうか。


「───まあ、それがエリアーナさまの持ち味だからさ」

 気やすい口ぶりでクライス家の従僕が本の修繕をしていたわたしとアンナさまにお茶を淹れてくれます。わたしはかるく首をかしげました。わたしと顔見知りの方だったでしょうか。


 すると、黒髪を無造作に散らした、よく見れば甘く整ったお顔立ちに油断のならない翠緑の眸をした男性が、見るからにガックリとしょげかえりました。


「気付いてないとは思ったけどさ………髪を染めたぐらいでわからなくなるって、ボクの存在感どんだけ?………アランデス」

「まあ………アランさま。クライス家に職を移されたのですか?」


 今度脱力したようなのはテオドールさまもでした。クツクツとジーク近衛隊長が間近で笑いをかみ殺しておられます。


 ジークさまはテオドールさまと同年代の殿方で、グレンさまの兄君にあたるお方です。アイゼナッハ家の特徴である赤髪に少したれ目がちなところが、武人らしさの中にも親しみやすさをにじませました。


「エリアーナ嬢。クリストファー殿下たちはおそらく、これを機会にあなたに近付こうとする者をそれと見極める腹積もりだったのではないかな」


 ビックリして瞬くわたしに、テオドールさまが小さな嘆息で同調しました。


「クリスがそばにいないエリィなら与し易しと見る者がいるからな。どうせ考えたのはアレク辺りだろうが。………まあ、しかし。ヘタにエリィに手を出そうとすると思わぬ反撃に合うのは、同じ男として身にしみる思いだったよ」


 しみじみと言われてわたしは赤面する思いでした。まさか、テオドールさまたちに見られるとは思いませんでした。隣のアンナさまも控えめに笑いをこらえていらっしゃいます。

 少し訝しそうなジークさまでしたが、口調をあらためてわたしに向き直りました。


「ともかく、エリアーナさま。いたずらに不安を与えるつもりはないのですが、今回の狩猟祭は少々きな臭いのです。御身を大事に、行動にはくれぐれもご注意ください」


 強い視線に圧されてわたしも神妙にうなずきました。アンナさまも真面目な声音で返されています。


「父にも話を通した方がよろしいでしょうか」

「ヘイドン伯はすでに嗅ぎ取っておいでです。さすが、辺境の守護神と謳われる方だ。グレンや近衛の若い者らを一度、鍛え直すのにご助力いただきたいですね」


 なんとなく、グレンさまに同情を覚えたのはわたしだけでしょうか。ジークさまはテオドールさまに一礼すると足早に室内を後にしました。



 気を取り直すようにテオドールさまが息をつかれます。長い脚と膝の上に、書庫室勤めらしい書物を繰るしなやかな───けれど男性のものらしい、骨張った手が置かれました。


「エリィ。きみを呼んだのはなにも、お小言を言うためじゃない。アンナ嬢に同席願ったのも」


 わたしもあらためました。あの場にテオドールさまたちが現れたのは、偶然ではなかったようです。同時に抱いた疑問を思い出しました。アーヴィンという若者とテオドールさまはお知り合いなのでしょうか。


「エイデル領の歴史を、きみたちは知っているかい───?」


 思わず、アンナさまと少し目を交わしました。亡霊話を口にしたリリアもそこに触れるのはためらっていました。

 わたしが代表して口を開きます。


「王家直轄地になる前、この地を治めていたご領主さまがマルドゥラ国と通じて王家へ謀反を起こし、その結果、一家はお取りつぶし、一族の方はほとんど罰せられたと習いました」

 小さく静かに、テオドールさまはうなずかれました。


「二十数年前のことだ。当時兄上も───現王も即位されていなかった先王陛下の時代だ。エイデル領を治めていたスレイド公爵に謀反有りとして摘発された。マルドゥラ国と通じて機を狙い、マルドゥラがイーディア辺境領に攻め入るのと同時に、エイデル領から蜂起して王都へ攻め上るという計画だったらしい」


 少し息をのんだわたしの横でアンナさまが静かに言葉を添えました。


「父に聞いたことがあります。イーディア辺境領は万が一にもその防衛を破られたとしても、第二の防衛としてエイデル領の砦跡が活きるのだと。これがあるために、王都は英雄王時代に今の場所に据えられたのだと」


 防衛上の重要性はわたしにも理解できました。そして万が一にも内と外で呼応して攻め込まれていれば、王都も辺境領もひとたまりもありません。それが現実に、たったの二十数年前に起こりかけたとは。


 テオドールさまの眼差しはなにかを痛むかのようでした。

「スレイド公爵家は自分の一族こそが英雄王の直系の子孫だと常々主張し、王家との対立も顕著だった。私は当時、十にも満たない子どもだったが、政略上の観点からスレイド公爵家の十五になる姫君と縁組も考慮されていたよ」


 わたしはそっと、うかがうように訊ねました。


「テオドールさまは………その姫君にお逢いになられたことがあるのですか?」

「ああ。私は子どもの頃少し身体が弱くてね、地方の気候が温暖な地へ療養に出ていたことがある。そこでお逢いしたよ。………エリィに少し、似ていたかな」


 わたしとアンナさまは静かに沈黙しました。その方がおそらく、リリアたちの言っていたエイデルの亡霊と言われる方なのでしょう。国家反逆の罪を犯した家の方ですから、その最期は推して知れるものがありました。


 テオドールさまはふっとかるく微笑みます。

「まあ、そういう歴史ある地だということだ。ヘイドン伯はその時の記憶があるからこそ、毎年エイデル領の狩猟祭には参加しているようだな。父君から聞いていたかな?アンナ嬢」

「いえ………なにも。…………あの、スレイド公爵家が謀反を起こそうとしていたのは、間違いなかったのですか」


 見つめたわたしにアンナさまはためらいがちに付け足しました。


「今のお話で思い出したのですが、先のエイデル領の奥方は賢夫人として領民に慕われていたと、聞いたことがありましたので………」


 テオドールさまも静かに息を吐かれました。それは心の重みを感じさせるものでした。


「スレイド公爵夫人は事件が起こる前に亡くなられている。だが───謀反が発覚したのは、公爵家内部からの密告があったからだと聞いている。私も成長して後、自分で調べ直してみたが、間違いはなかったよ」


 アンナさまは納得したようにうなずかれました。軽い調子でアランさまが割って入られます。


「まったく。テオドールさまは女性相手に無粋な話題ばっかりで困っちゃうね。───エリアーナさま。クリストファー殿下から伝言。エリィはエリィらしくあればいい───だってさ」

「殿下が………」


 ほんとうはくさいセリフがその後に続くんだけど端折るよ、とアランさまはいたずらっ子のようです。裏のないやさしい翆緑の眸がわたしに笑いかけました。


「ボクがここにいるのは、殿下の心だよ。エリアーナさま」

 そのお言葉はなによりわたしを力付けました。その日はじめて、わたしは心から笑みを浮かべることができました。

 覚えた疑問を口にすることは、すっかり失念していました。






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