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花守り虫─1

 




 初秋の空に高く澄んだ、鐘の音が響きました。

 いっせいに飛び立つ鳥の羽ばたき。犬たちの吠え声。歓声混じりの人声と入り混じる馬のいななき。馬蹄音に器具の音。


 ───狩猟祭のはじまりです。


 殿方同様、興奮した気色の女性陣に囲まれ、わたし、エリアーナ・ベルンシュタインも恒例の光景を見守りました。



 一際目立つ集団は王弟殿下、テオドールさまと貴族子弟の方々です。その後を追って馬に乗る、貴婦人やご令嬢の姿がはなやかです。

 テオドールさまは王家の一員でありながらいまだに特定の恋人を作らない魅力的なお方ですので、慕われる女性達も多く、その年齢層もいっそう華やかに目に映ります。


 わたしは乗馬が得意ではありませんので、一行を見送った後は年配のご夫人方と屋外に設置されたお茶の席へ着きました。





 ~・~・~・~・~




「今回は残念でしたわね、エリアーナさま」

 一人のご夫人の声にわたしは顔を上げます。扇で口元を隠した女性がにこやかにわたしを見られていました。


「クリストファー殿下のご活躍を拝見できずに、私共もそれは寂しく思っておりますのよ」

 ほんとうに、とまたお一人が続きます。

「去年のように、クリストファー殿下とグレンさまの競い合いを拝見したかったわ」

 笑い合われるご夫人方に付き合って、わたしは少し微笑を浮かべました。


「殿下はご公務がおありですから」


 狩猟祭が開催されているここ、エイデル領は王家の直轄地です。良質な狩り場であるエイデルの森はむかしから有名で、秋の狩猟祭はここを皮切りにはじまります。


 王領地の狩猟祭ですから、当然王族が参加します。

 ですが、今回クリストファー殿下は他国の式典の日取りと重なったため不在で、王妃さまもご実家に病人が出て見舞いのため不参加であり、陛下が王都を空けるわけにもいかず───王弟殿下であらせられるテオドールさまと、クリストファー殿下の婚約者であるわたしに名代が課せられた次第でした。


「まあ。エリアーナさまは聞き分けがよくていらっしゃる」

「ほんとうに。殿方にはすこしぐらい甘えて我儘を言われたほうが喜ばれるのですよ」


 はい、とわたしは素直に返しました。クリストファー殿下と来年の春に成婚の日取りが決まって以来、叔母をふくめた既婚の女性たちから様々な助言を受けます。


 夏のテレーゼさまの一件もそうでした。そのテレーゼさまは先頃めでたくご懐妊が判明し、心配性なアルドリーノ伯爵によってご自宅に留め置かれているため、今回は欠席です。

 グレンさまは殿下の護衛でやはり不在。アレクセイさまや兄たちも王都で仕事があるために不参加でした。



 今年の狩猟祭は殿方の華が少ない、とご夫人方は思われているようです。

 話題は今年はどの殿方が一番の腕前か、品評がはじまっていました。


「やはり近衛隊のジークさまが一番ではないかしら。アイゼナッハ家は武勇に優れていますもの」

「オーエン男爵のご子息は?狩りの腕はなかなかのものだと聞き及びますわ」

「あら。あの方がお得意なのは別の狩りですわ」

「まあ、ワイラー夫人。エリアーナさまがいらっしゃいますのよ」

 ホホホ、とご夫人方は扇の下で笑い合っておられます。


「そういえばクライス夫人。はじめてお見かけする殿方がおいででしたわね。黒髪に黒い眸の………少し野性的な感じのするお方。クライス家のお客様だとうかがいましたが」


 視線が集まったのは、エイデル領の管理を任されているクライス公爵夫人です。五十代頃のふくよかな体型をした、柔和な印象のご夫人でした。扇で口元を隠されることなく、にこやかに笑まれています。


「他国に嫁いだ古い友人の子息ですわ。母親の祖国が見たいというので、今回お招きしました。アーヴィン・オランザという者です」

 まあ、どうりで異国の香りのする殿方だと思いましたわ、とご夫人方の評判は上々のようです。狩りの腕前は、と質問が上がって、夫人はやわらかく笑み返されました。


「若者の功に逸るクセが出なければ、よい線を行くかも知れませんわね。ですが、今回はやはり、テオドール王弟殿下とジーク近衛隊長、それからヘイドン辺境伯との勝負でしょう」


 そこで視線を移された女性がいました。濃紺色の髪に同色の眸をした、二十代後半と見られる控えめな女性です。

 社交界に自信のないわたしでしたが、それでもおそらく、はじめて見るお顔ではないかと思いました。


「アンナさま。お父上のヘイドン伯爵さまの今年の狩りの腕はいかがなものかしら」


 そのお言葉でわたしも気付きました。ヘイドン辺境伯は、マルドゥラと国境を接する、サウズリンドの守護の要であらせられるお方です。めったに王都へ上がって来られることはないため、わたしもお逢いするのははじめてでした。


 アンナさまと呼ばれた女性は、表情にとぼしいわたしと同等の愛想のなさで答えられます。


「いつもと変わらないかと思います」


 少し、場が沈黙しました。一人の夫人が取りつくろうように話を繋げます。

「まあ、でも辺境伯領は昨年からお忙しくていらっしゃるでしょう?大手の商会が領地に乗り出されているともお聞きしておりますわ」

 ほんとうに、と悩ましげなため息が他からももれます。

「特殊な技法ゆえに限られた職人しか織れないだなんて。エリアーナさま。お力をお借りすることはできませんか?」


 話を振られてわたしも思い当たります。スイラン織のことでしょう。去年流行ったものですから、とうに流行からは外れていると思ったのですが、いまだに人気のようです。数に限りがあるところが人を惹きつけるのでしょうか。


「申し訳ありません。わたしは生産には関わっておりませんので………」

「エリアーナさまはスイラン織をよみがえらせて広められた立役者ですものね。現地のことはやはり、その土地の方のほうが詳しいのではないかしら」

 別の夫人が微笑でアンナさまに話をもどされました。


「アンナさま。なんでも昨年から、アンナさまには求婚者の列が出来ているとか。商人の方や貴族の方など、それはよりどりみどり。アンナさまがどなたを選ばれるかで、スイラン織の注文先を考えている者も多いと聞きますわ。実際のところはどうなのかしら」


 なるほど、とわたしは二つのことに気付きました。一つは、スイラン織の弊害によって、アンナさまの周りにはそれが産み出す利益目当ての者がいるらしいこと。二つ目は───失礼ながら、アンナさまが適齢期を過ぎていまだ未婚でいらっしゃるらしい、ということ。


 注視の中でもアンナさまは変わらない平素さで返されました。

「ありがたいお話ではありますが、私は今現在、どなたとも婚姻に至る予定はありません」

 まあ、と夫人方は扇の下でなだめるような、たしなめるようなお声を出されます。

「そう頑なにされずに、視野を広げてみたらいかがかしら」

「そうですわ。ヘイドン伯も一人娘の行く末をきっと案じられていてよ」


 他人ごとながら、わたしはなんだかアンナさまがお気の毒になりました。世の風潮は未婚の女性には手厳しいものです。貴族社会ではなおさら、適齢期を過ぎても未婚でいるのは、なんらかの問題があるのではないかと邪推されてしまいます。

 わたしもクリストファー殿下の婚約者にならなければ、きっとアンナさまと同じ立場に立たされていたことでしょう。


 なにか別の話題を、と思っている時でした。森の方が騒がしくなり、兵士たちの動きがあわただしくなりました。なにかあったのでしょうか。



 見守っているうちに、森からテオドールさまのご一行が姿を見せられました。狩りを終えられるにはずいぶんと早いのでは、と思っていますと、テオドールさまの騎馬に同乗されたご令嬢の姿が見えます。


 どうやら、乗馬に慣れていなかったご令嬢が狩りの喧騒に巻き込まれて落馬されたらしく、居合わせたテオドールさまが気遣って付き添われてきたようでした。

 ご令嬢を周囲の者へ託すと、テオドールさまはご夫人方の賞賛と労いのお言葉に柔軟に応じられています。そのままわたしの方へ歩み寄って来られました。



 テオドールさまは王宮書庫室の責任者という立場から、ややもすると武官の方々からは脆弱な印象で受け取られがちですが、王家の一員らしく辺りを払う風格と鍛えられた体躯はだれに侮らせることもありません。

 クリストファー殿下よりも濃い金褐色の髪。群青に近い青の双眸は気取らず、けれど他者に礼節を保たせる気品があります。身にまとう雰囲気は若手の青年にはない、壮年の魅力的な経験値をうかがわせました。


「───エリアーナ嬢」


 いつも通り低く心地のよい、それでいて遊び心のひそんだお声です。

 首をかしげたわたしの手を取ると、いたずらっぽい、大人の余裕を感じさせる微笑で告げられました。


「クリスの代わりに、私があなたを今年のエイデルの姫君にしてみせよう」


 そう言って指先に口付けられました。周囲からは悲鳴まじりの声が聞こえます。


 エイデルの姫君に特別な意味はありません。強いて言えば、狩猟祭で目立った腕前の殿方が特別な女性へ捧げる花冠を模したものでしょうか。その年によって、王妃さまに捧げられることもあれば、身内の女性へ渡されることもあります。

 わたしへのそれも、身内同然のものなのか、気遣ったご令嬢とのうわさを先んじて牽制する目的があるのか。


 わたしは少し違和感を覚えました。テオドールさまはクリストファー殿下や気心の知れた者以外の前で、あまりこういった態度を取られることはありません。

 疑問符が浮かぶわたしに、テオドールさまは表情を変えずにそっとささやきました。


「───エリィ。決して一人で行動しないように」と。


 わたしの間近にはアンナさま、そしてにこやかな微笑を浮かべたクライス夫人がおられました。






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