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男たちの舞台裏

※ゲテモノに関する記述があります。苦手な方はご注意下さい。





 その少女をはじめて見た時、意表を突かれたことは確かでした。



 銀に近い白金色プラチナの髪。フワフワと空気に溶けるように軽やかで少女をはなやかに彩り、しかして日に透けるような神秘さが少女の可憐な顔立ちをも引き立たせていました。


 けぶるような睫におおわれた青灰色の眸。小作りな鼻梁、口唇。白い肌に華奢な肢体。───お人形のような美少女。


 それが私、アレクセイ・シュトラッサーの第一印象でした。


 正直、意外でした。この深窓のご令嬢のような娘が、ほんとうにあの『サウズリンドの頭脳』と呼ばれるベルンシュタイン家の人間なのかと。



 彼女の社交界デビューの時のことはあいにくと、私はほとんど記憶にありません。ただやたらと、従兄弟であり、幼馴染であり、この国の王太子殿下であるクリストファーが落ち着きをなくしていたのは覚えています。

 彼が昔からこの少女に固執していたのは知っていましたが。


 彼女の社交界デビューから約一月後には婚約者の肩書を与えていたのには、驚くよりもあきれ───いえ、その手腕に感服したものです。政務にもそのくらいの意力で臨んでいただきたいものですが。


 彼女が王宮に上がるようになって間もない頃、家に帰ると妹のテレーゼがいやに興奮した様でかけ寄って来ました。


「───お兄さま!」

 大声を出さなくても聞こえています。それよりも年頃の公爵家令嬢が家族相手とはいえ、そんなに感情をあらわにしてみっともない。


「ああ、もう!またそんな怖いお顔して。それだからお兄さまの片頭痛は治らないのよ」


 頭痛の種を増やしているのはだれですか。

「それより、ねえ!今日王妃さま主催のお茶会だったでしょう。私、婚約式以来はじめてエリアーナさまにお逢いしたのだけれど………」

 言われてみればそんなものもありましたねと、私も思い出しました。


 妹のテレーゼは今年十五になったばかり。私と同じ黒髪に父ゆずりの明るい鳶色の眸をした、身内の欲目を差し引いても凛とした美しさを備えた娘です。


 クリストファー殿下と歳が近しいことと家柄的に、エリアーナ嬢が現れるまで妹が殿下の婚約者候補筆頭でした。ただ、母が現国王陛下の姉にあたることから、血が近すぎるとして敬遠されてもいました。


 のらりくらりと婚約相手を決めなかった殿下の思惑がここにきて明らかになり、宮廷内はなにかと騒がしくていけません。それはおそらく、妹たち、殿下の婚約者候補とみなされていたご令嬢方も同じことでしょう。


 今日のお茶会にはその、元婚約者候補たちが招かれていたのではないかと思い至ると、妹はなぜか顔を真っ赤にしてふるえています。

 私がいぶかしんだ時、こらえきれないように笑いだしました。


 ………テレーゼ。明日は作法の教師に倍の時間を費やしてもらいましょう。


「お兄さま………!その陰険な目つきやめて。大魔王の腹黒参謀みたいだから!」

 失敬な。

 笑いをどうにかおさめた妹から聞くところによると───。



 お茶会で、エリアーナ嬢を囲むテーブルは見事に殿下の婚約者候補としてあげられていた令嬢方で占められていたのだとか。

 そのご令嬢方は茶会がはじまるや否や(───妹には鐘の音が聞こえたそうですが)、エリアーナ嬢への一斉攻撃に移ったのだと。


 曰く。───侯爵家とはいえ、末席の身分に過ぎない者が厚かましいにもほどがある。身の程知らずな鄙の者。そのおとなしそうな外見でいままでどれほどの男性をたぶらかしてきたのかしら。まるで毒虫のよう。王宮にはびこる毒蛾のよう。いまはまだ幼虫のようですけれどね───。


 ホホホと合わせたように令嬢方が笑い合って、エリアーナ嬢は口を開かれたのだとか。


『幼虫の時期は過ぎておりますね』


 は?と一人の令嬢が聞き間違いかと目をしばたいて、エリアーナ嬢は淡々と説明し出したとか。


『いまはすでに新緑の時期に入っていますので、毒蛾は幼虫から蛹になっているはずです。あと半月ほどもすれば成虫となって外灯などの灯りに集まるようになります。気を付けなければならないのは、これから産卵期に入ると卵にも毒を添付し、外敵から身を守る種類です』


 はあ………?と隣のご令嬢は扇を口もとにかざすのも忘れた様子だったとか。


『成虫が卵に毒針の毛を付着させるため、種類によっては触れるのも危険なものもあります。毒蛾は主に、バラ科の植物に卵を産み付けますね』


 そう言って正面の一番高慢にエリアーナ嬢を嘲っていた令嬢の髪の毛に目をやったのは、はたして故意なのか偶然なのか。


 ひっ、と令嬢はあわてたようにきれいに整えた髪型から薔薇の花をはらい落としたそうです。自身が身に付けた薔薇に虫の卵が付いている想像をしたのか、蒼白になって。


 エリアーナ嬢は気にされた様子もなく、言葉を続けたそうです。

『毒蛾の幼虫はそのため、孵化後まもなく毒針毛が付着し、そのまま集団で越冬するそうです。体毛があるその種類を一般的に毛虫と呼びますね。毒のあるものとないものがいますが。───ちなみに、その反対が芋虫です』


 それからエリアーナ嬢は毛虫と芋虫の生態について仔細に話し出し、しまいには南の島のとある部族は樹木の中に住む幼虫を食す習慣がある話をしたところで、『もうやめて!』と令嬢方から悲鳴があがったそうです。


 テーブルに会したご令嬢方の様子は惨憺たるものだったとか。


 とある令嬢はこの日のために整えた髪型を見る影もなく乱して憔悴し、テーブルの半数のご令嬢は吐き気をこらえて顔を青ざめさせ、残りの方々は涙をこぼして、お願いだからもうやめて、と泣きじゃくっていたとか。


「……………」

 さすがに私も言葉を失くしました。そして、その出来事に対して「傑作よ、お兄さま!」と嬉々としている妹もどうなのかと。


「お茶会が終わった後、私エリアーナさまとお話してみたの」


 お見事でしたね、とテレーゼとしては心からの賛辞だったそうです。元候補者たちを正面から撃破し、なおかつ、あの面子を一つのテーブルに集めた王妃さまの思惑にも打ち勝ってみせたのだから。


 エリアーナ嬢はなんのことかわからないように首をかしげていたので、テレーゼも遠回しに先の一件に水を向けてみると───。


『皆さま、虫に興味がおありのようでしたので』

 わたしの知っていることをお話させていただいたのです、と生真面目に返すエリアーナ嬢はほんとうに本心からそう思っているようで、ことさら妹の興味を引いてしまったようです。


「あの方、悪意をそうと感じ取っていないのよ。かと言って、喜怒哀楽を知らないわけでもないみたいだわ。面白いわ、お兄さま。エリアーナさまに私を紹介してくださいな」


 爛々と眸を輝かせる妹に、私は頭の痛くなる思いでした。


 エリアーナ嬢の性質は私にもまだ未知なところですが、そんな騒ぎを起こしても平然としているご令嬢と、あからさまに喜ぶ妹を合わせるなど、愚の骨頂です。なにが起こるかなど、想像したくもありません。


 私がけんもほろろに冷たくあしらうと、妹は不満げにしながらもぶつぶつとなにやらつぶやいていました。

「いいわよ。エリアーナさまはストーレフ家の三姉妹と仲が良いと聞いたわ。そっちから………」


 テレーゼをしばらく家庭教師詰めで家に閉じ込めたほうがよいと、父と母に進言しておきましょう。




 ~・~・~・~・~



 またある時。

 グレンが何気なく、英雄王の竜退治の話題をエリアーナ嬢に振ってみると。

『───ああ。盗賊物語ですね』

『と、盗賊………?』


 サウズリンドの男性ならだれしもが少年時代、夢中になって読む冒険活劇です。グレンは一瞬聞き間違いかと間の抜けた顔になり、エリアーナ嬢はその前であっさりうなずきました。


『その昔、平和に静かに暮らしていた竜のもとに人間たちが押し寄せ、この土地は豊かだから自分たちのものにする、竜は出て行け、と言った所、怒った竜に火を吹かれ、そこに勇者と名乗る盗賊がやってきて、なにもしていない竜をいじめて追い出し、さらには竜が大事に守ってきたお宝までをも奪って、『おまえのものはオレのもの。オレのものはオレのもの』とうそぶいたという、盗賊物語のことでしょう?』


 憐れ、グレンの中の少年心がポッキリ折れた音が私にも聞こえました。………殿下。ひっしに顔をそむけていらっしゃいますが、腹を押さえた手と肩がふるえていますよ。



 妹の話からも察せられましたが、とかく規格外なご令嬢であることは確かなようです。


 殿下曰く。エリアーナ嬢が王宮付きの女官達にも非の打ちどころがない礼儀作法を身に付けたのは、ひとえにそのために時間を割かれて読書を邪魔されたくなかったからだと。


 その価値観はどうなのかと思いましたが、活字という活字を片っ端から読み漁ってしまうようなところがあるのは驚かされました。ベルンシュタインの血のなせる業でしょうか。


 ためしに書類整理を手伝わせてみせると、なまじな補佐役よりも使えます。この案件にはなんの書類が必要なのかがパッと出てき、さらに陳述書をまとめるのも要点を押さえていて的確です。令嬢らしからぬ腕力も使えます。


 殿下の婚約者でなければ下に置いて使いたいものですが………殿下がはげしく睨まれていますので無理ですね。


 しかし殿下。ほんとうに彼女でいいのですかと、疑問を覚えることもしばしばです。


 彼女はお人形のように表情に乏しいですが、読書をしている時だけは、生き生きとした顔になります。

 ですが、殿下がほほ笑ましげにながめている令嬢が頬を紅潮させて読んでいる本の題名は、『密林に棲む野生動物たちの生態』ですよ。

 年頃のご令嬢が頬を紅潮させ、眸を輝かせる要素がどこにあるのでしょう。


 私はここ最近増えた頭痛の種にため息をつきました。




 ~・~・~・~・~



 その後、『サウズリンドの頭脳』という名の片鱗を様々見せられ、なるほど、と感心させられることもありました。


 殿下や私が使っている筆という種類も、殿下が剣の稽古中に誤って手首を負傷し、苦心して書類書きしていたのを見たエリアーナ嬢が殿下に差し上げたのがはじまりです。

 はじめは慣れない風に練習していましたが、呑み込みの早い殿下のこと、あっという間にものにして愛用し出しました。それを見た侍従から広まって行ったように思います。



 先のマルドゥラ国の案件も片付き、お茶の合間に今年の浮いた軍備予算について殿下と話しており、ふと、エリアーナ嬢にも同様の問いかけをしてみました。


 ところが、この令嬢は一度読書に集中し出すと、他のなににも関知しない、意識の外へ追い出すという特技をお持ちです。

 いつだったかはその真横でグレンが茶器を割る粗相をしたにも関わらず、ピクリとも身動ぎしませんでした。その集中力には感嘆を覚えます。


 間が悪かったかと私は話題を変えかけましたが、殿下が声をかけました。


「───エリアーナ」


 白金色の睫が静かに瞬き、青灰色の眸がゆっくり上げられました。

 なにかに呼ばれたのがわかるように、それでもまだわからないように瞬いています。殿下がやさしく笑んで注意を引きました。


「今年の軍備予算が浮いたんだ。エリアーナなら、なにに使う?」


 突然投げられた質問と書物の世界からまだ抜け出しきれないように、瞬きを繰り返しています。


 これでなぜ、いまだに相思相愛の仲になっていないのか、殿下付きの侍女女官たちの七不思議に数えられるのもわかります。………殿下は若干、わかっていて楽しんでいる風情が見られますが。


 私の口からは思わず吐息混じりのあきらめ声が出ました。

「学問所を増やすべき、とかそういう提案ですかね」


 すると、エリアーナ嬢は読んでいた書物を閉じてかるく首をかしげました。

「国民の識字率を上げるのは、大切なことだとは思いますが………」


 ベルンシュタインの人間ならなによりそこにこだわるだろうと思った私も疑問を覚えます。続きをうながすと、考え考え口にしました。


「たとえば、地方の貧困に喘ぐ村では、字が読めても、書物があっても、1ドーラにもならないのが現状です。そういう村ではまず、その日食べる物がなにより大事であり、字が読めてもなんの腹の足しにもならないのです」


 まるで見てきたように話す彼女に私も意表を突かれました。殿下も同様のようです。彼女は少し、首をすくめるようにしました。

 ダン・エドルド著の旅行記にありました、と。

 私は少し苦いものを覚えましたが、それで、と返しました。

「余った予算はそういった村の支援に回すべきだと?」


 エリアーナ嬢は難しげに眉根を寄せました。

「それも大事なことだとは思いますが………。まずは、領主の判断に任せるべきです。国の予算を使うのなら、わたしはクルグ地方の医療技術更新へ充てるべきだと思います」


「クルグ地方?」

 クリストファー殿下が虚を突かれたように口にしました。


 クルグは北方連山の麓に位置する、これといって目立った特徴のない、可もなく不可もない、話題に上るのも稀な地方でした。


 エリアーナ嬢は神妙にうなずきます。

「十年前に出たマクス・ワイズ著の『冬の谷』という風土記によりますと、あの地方では昔から土着の信仰や観念が根強くあり、男尊女卑の風合いが色濃いとありました」


 傾聴する姿勢の私たちにちょっとたじろいだようですが、そのまま続けました。それで少し調べてみたのです、と。


「クルグ地方は他の地域に比べて、圧倒的に出産率が低いのです。これはおそらく、土着の信仰や観念が影響しているのではないかと思われる節があります。そのすべてが、悪しきものと言うわけではありません。


 ───出産は女性にとって、命をかけた大事業と聞き及びます。だからこそ、命を育み、産む行為が死に直結するものであってはならないと思います。………根強く染みついた観念を溶かすのは一朝一夕にはいかないと思いますが、それでも、なにもしないで手をこまねくよりは、サウズリンドの民に国の意志を示すべきだと思います」


 土着の信仰があろうと、サウズリンドに住む以上自国の民であり、生命の危機があるのなら救いの手は差し伸べられなければならない。

 それがこれから生まれるサウズリンドの未来の子どもなら、なおのこと。


 私は内心、感心しました。彼女の稀有なところはこういう面です。

 理想や正論を語りながら、しっかり現実も見つめている。その感覚はどうやって身に付けたのかと。


「お嬢さんは前からそういうことを考えてたのか?」

 同様に感心した口ぶりでグレンがたずねました。エリアーナ嬢はかるく首をかしげます。


「前から………と言いますか、ワイマール地方の地域回覧版を見てから思ってはいました」

「と言うと?」

 殿下がうながされて少し表情をゆるませます。


「あの地域回覧版から感じられたのは、女性がとても元気だと言うことです。短評欄コラムもそうでした。一家の主婦が元気にその家を切り盛りしていますと、子どもたちも健やかです。ご主人はその家族のために精を出します。そうして活気が生まれ、地域全体がにぎわっていきます。料理の趣向を考えているのも女性たちでした。その女性たちでも出産時は動けなくなったり、出産後も体調を崩す人がいます。女性を支援するのは地域の活性化───引いては、国の繁栄にも繋がるのではないかと思いました」


 『サウズリンドの頭脳』───その言葉をあらためて思い知らされた気がしました。女性ならでは、という発想もあるのでしょうが。


 クリストファー殿下も考え深げに熟考されています。意見ありがとう、と言うと、話は終わりと悟ったように読書にもどりました。


 私はこれからやることが増えた予想で少しく息をつきました。

 グレンは感心したようにエリアーナ嬢を見られていますし、私も敬服を覚えたことは否定しません。


 ───しかし。

 ひとつだけよろしいでしょうか。


 いまの話題よりも熱心に彼女が目を落としているのは、

『食べられる野草の見分け方。これであなたも今日から自給自足生活!』という本です。


 侯爵令嬢、王太子殿下の婚約者である彼女がなぜ野草………いや、自給自足生活………と、ツッコミどころ満載の光景に、私は今日も頭の痛い思いをするのでした。





この話を書くために、見たくもない毒蛾や毛虫の生態を調べました………。私もエリィに泣かされた1人かも(ノД`)


『男たちの舞台裏』というより、『アレクセイ君の頭の痛い日常』になってしまって………(汗)


ともかくも、初投稿作品をここまでお読みいただいた、すべての方に感謝を捧げます。

ありがとうございました(*^_^*)


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