第七話 逃げ出した先に
確かに僕は望んだ。異世界に行きたいと――。
けれど、僕の想像していたのは、ありきたりのファンタジー世界で、モンスターがいて、剣と魔法で戦って冒険する――そんなものを考えていた。
しかし、ここには、人間しかいない。
他人の命を狙う人間しかいない。
外に出たら殺そうとしている人間がどこかに潜んでいるし、夜になれば闇の者が目を光らせて徘徊する。
家に閉じこもっていても、いつかは闇に飲まれてしまう。
元の世界だったら、とっくに逃げ出していた。
どこか遠くにでも――。
でも、ここには逃げる場所なんて何処にもない。
人を殺して生き残っていくしか、選択肢がない。
地獄だ――ここは。
もう怖い思いは嫌だ。
死にたくない……殺したくない……。
帰りたいよ……。
声が聞こえてくる。
リビングでアイ達の話す声だ。
「彼のアビリティは強力だ。あの力があれば私達が元の世界に戻れることも夢じゃ無い」
「射程距離は短いが、接近戦では無類の強さを誇るな」
「あとは、彼自身の問題だ。今回のことでだいぶ参っているようだから」
僕を兵士にするつもりか!?
嫌だ――、嫌だ――。
僕は戦いたくない。
もう、誰も殺したくない。
嫌なんだ――。
血を見るのも、死体を見るのも。
だから、もう僕に銃を握らせないでくれ――。
僕は部屋が日差しで明るくなるまで、部屋に閉じこもっていた。
今は誰とも話しをする気分じゃない。
もうすっかり目は覚めているが、ベッドの上で天井を見つめていた。
僕は受け入れるしかないのか?
生き残るために、他人を殺さなければならないということを……。
それ以外に、本当に元の世界に戻る方法は無いのか?
階段を上がってくる足音が聞こえる。
足音は、僕の部屋の前で止まり、やがてそれは扉を叩くノックの音に変わった。
「気分はどうだ?」
アイの声だ。
僕はなんて答えようか考えて、暫く黙っていた。
アイは僕の答えを待っているのだろうか、彼女もまた黙っている。
「できれば……戦わない方法があれば……そうしたい……」
僕は小さな声でそう呟いた。
ドア越しだから、はっきりアイに聞こえたどうかは分からない。
でもそれは、僕の本心で間違いなかった。
「ハイジが食事を作ってくれた。冷めないうちに食べにこい」
アイは僕の言ったことには何も触れずに、ただそれだけ言って階段を下りていった。
ベッドで横になっていると、窓越しに遠くにうごめく闇が見えた。
やがてこの世界は闇に飲まれる。
ここでじっとしていれば、僕はあれに飲み込まれる。
そしたらどうなるのだろうか?
いや……闇に飲まれる前に闇の者に襲われて、僕も同じ姿に……。
そうなったら、もう元の世界には戻れない。
この世界では、どんなに嫌なことがあるとしても歩き続けるしかなかった。
僕はベッドから起き上がった。
扉のノブに手を掛ける。
でも僕は、決して人殺しにはなりたくない。
机の上に置いてある拳銃に目を向けた。
あれはもう……触りたくない。
そして、ゆっくりと扉を開けて、リビングへ続く階段を下りた。
「なんだビリー、起きてこないならお前の分の飯、俺が食おうと思ってたのに」
普段はうっとおしく思えるペーロの陽気さが、今の僕の沈んだ気分を和らげてくれる。
テーブルには一人分の食事が置いてある。
「それ、ビリーさんの分です」
台所で洗い物をしていたハイジが、声を掛けてくれた。
薄く伸ばして焼いた乾パンの上に、様々な野菜がふんだんに乗っている。
まるでピザのような料理だ。
僕は黙って口に運んだ。
今まで食べてきたどんな食事よりも美味しく感じた。
それは、ハイジの料理の腕がいいのもあると思う。。
けれど、楽しいことが何もない無い世界だから、せめて食事の時だけでも心の安らぎが欲しい。
その思いが、食事をいっそう美味しく感じさせていたのかもしれない。
ハイジが台所で片付けをしながら、心配そうに僕を見ているのがわかった。
僕は平らげた皿を台所まで持って行った。
「ごちそうさま、美味しかった」
「よかったです」
ハイジは笑顔を向けてくれた。
「昼前にはここを出発する。準備しといてくれ」
アイは奥の部屋でパソコンを打ちながら、僕に言葉を掛けてきた。
「もう余り時間はない。食料はキッチンの戸棚に入っているから忘れるなよ」
僕の隣でハイジが水筒を差し出してくれた。
「お水、準備してあります。お弁当のサンドイッチは、みなさんの分これから作るので、もう少し待っていてください」
ハイジは本当に気が利く。きっと言いお嫁さんになるな――そんなことを考えてしまった。
「ありがとう」
僕はハイジに礼を言って、準備のために自室に戻った。
10分位で荷物はまとまった。
準備と言っても、必要なものはバックパックにしまったままだし、特にやることはない。
あるとしたら心の準備だろう。
これからまた戦場に向かうのだから。
命が危険に晒される場所に――。
僕はバックパックを肩に掛け、部屋の扉の前で立ち止まった。
机を見ると拳銃が置きっぱなしだ。
拳銃は家に忘れてきた――そういうことにすれば、戦わずに済むかも知れない。
そんな子供じみた言い訳を作って、僕は部屋の扉を閉めた。
僕達は拠点を後にした。
太陽が真上から照り続ける中、ひたすら山道を歩き続ける。
次の目的地に向かって――。
次に殺す相手を探しに――。
僕はみんなと少し離れて歩いていた。
前からペーロとハイジの笑い声が聞こえてくる。
今はそんな気分じゃないから、会話に入らなかった。
笑える気分なんかじゃ無い。
「よう、どうだ?」
ハイジとの話が一区切りついたのだろうか? ペーロが声をかけてきた。
「多少は落ち着いたよ」
「まぁ、初めての実戦だもんな、仕方ないさ。その内慣れる」
その内慣れる……か。
人を殺すことになんて、慣れたくないな……。
一時間程すると、アイが全員に向かって告げた。
「あそこが、次の目的地だ」
アイが指差す方を見上げると、山の頂上に垂直に切り立った崖が見える。
至る所に、掘り起こしたであろう石が山のように積み上げられていた。
採掘場だろうか? 石を運ぶ台車もいくつか転がっている。
その近くには小屋があった。
高所にあるし、拠点にするには最適だろう。
山の麓までくると、先頭を歩いていたアイが立ち止まって振り返った。
「一端ここで待機してくれ。索敵してくる」
アイは石の上に腰掛け、ホバリングドローンを操作し始めた。
僕たちは目立たないように木の陰に隠れて、索敵が終わるのを待った。
それから数分後――。
アイ主体で作戦会議が開かれた。
僕は黙って作戦に耳を傾けた。
「聞いてくれ。闇の縮小範囲を考えると、明日中にあの鉱山を越えなければならない。あの山の頂上付近に小屋が見えるだろう?」
「今夜はあそこで休むというわけか?」
ペーロが口を挟んだ。
「そうしたいところだが、既に別チームに占拠されている」
「まじかよ……どうすんだ?」
「奪い取る」
ペーロは舌打ちをした。
「ち、やるしかないか」
また、殺し合い……。
「やらなければ、闇に飲まれるのを待つしか無い。どちらが良いか」
闇に飲まれ、闇の者になったら、もう元の世界には戻れない……。
なんでこんな選択肢しかないんだ……。
「ほかに対案がなければ、奇襲作戦に同意したものとする」
ペーロは首を横に振り、ハイジは俯いている。
黒マントも目を閉じて、木に寄り掛かっているだけで何も言わない。
アイの意見に対して、誰も何も言わなかった。
「まぁ、やるしか無いだろうな……」
ペーロはそう呟いた。
「このまま山道をまっすぐ登るのは、待ち伏せの可能性もあり危険だ」
「どうすんだ?」
「この道の先に坑道がある。そこを抜けて奇襲を仕掛けるのがいいだろう」
アイの言う坑道は、この場所からは見えなかった。
「ドローンで確認したが、今家の中には三人いる」
「なんだ、人数有利じゃねーか」
「あんた、ここから家の中を狙えるか?」
アイは黒マントに向かって言った。
黒マントは狙撃銃のスコープを覗き込んだ。
「障害物は無いので狙撃は可能だが……」
「狙撃は可能だが、なんだよ?」
ペーロが口を挟む。
「見えていないものを撃つことはできない」
「なんだ? その言い方だと、スコープに映りさえすりゃ、どんな獲物でも射抜けるってことかい?」
ペーロの嫌味に黒マントがにらみ返す。
アイが続いた。
「敵を窓際に立たせれば狙えるか?」
「当然だ」
「ふん」
ペーロは腕を組んで鼻を鳴らした。
この二人、いつか争い出さないといいけど。
「なら話は早い……誰かが突入して、敵を窓際まで追いやればいい」
「そんな危険なこと、誰がやるんだよ?」
「敵に気づかれないようにして、家に近づく必要がある」
「隠密スキルか……」
皆の視線がペーロに集まった。
「……だよな」
ペーロはため息を吐き、残念そうな表情を浮かべた。
「できるか?」
「あぁ……」
ペーロは小さな声で返事をした。
「隠密スキル……ここで使わなきゃ、いつ使うんだって話だよな……」
「ペーロ、同意してくれて感謝する」
アイは皆を近くに集めた。
「よし、作戦はこうだ。ペーロが家の表からグレネードを投げ込む。敵に命中させる必要はない。これはあくまで陽動だからだ」
「敵の注意を引きつけるためのもの……隠密スキルの俺に目立てだなんて、とんだ皮肉だな」
ペーロは悪態をついた。
「敵を家の外、最悪窓際に立たすだけでいい。敵の姿を捉えたら、すかさずフラッシュを投げろ。後は、こいつが仕留めてくれる」
アイは黒マントに顔を向けた。
「あぁ、間違って俺を撃たないでくれよ?」
ペーロも黒マントの方に視線を向ける。
「貴様が射線に入らなければ命は保証する」
「ちっ、へたに動き回るなってことか……」
「何か質問はあるか?」
「実質一対三か……」
ペーロは不安そうに口ずさんだ。
「あんたらはいいよな、やばそうだったらすぐに引けるし……俺見つかったら、袋叩きだよ」
「ペーロ一人に突入させる形になって申し訳ない」
心が痛んだ。僕には何の作戦指示も無い。
昨日の状況を考慮してくれてなのか……、或いは戦いには使えないと思われたのか……。
僕自身も作戦に参加したくなかった。
もう人殺しは嫌だから。
だから、作戦指示が出ないようにと願っていた。
「フラッシュが効いていないと思ったら、すぐに引け。無理に戦う必要は無い」
「あぁ、安全第一で行動させて貰うよ」
「安全のためにスモークも持って行くんだ。逃げるための時間稼ぎにはなる」
「スモーク使う前に殺されなきゃいいけどな」
アイはペーロの肩を軽く叩いた。
「この作戦の成功はペーロに掛かっている。頼んだぞ」
「期待されるのって嬉しいけどよぉ、複雑だよなぁ」
僕は終始何も言えず、ただ俯いていた。
そして、作戦が割り当てられなかったことにほっとしていた。
それぞれが、作戦の準備に取りかかった。
黒マントは、木の陰から狙撃銃で狙いを定めている。
ペーロは一人坑道へと入って行った。
アイはそれを確認して話始めた。
「ペーロには隠密スキルがある。足音と気配は悟られない。問題なく家まではたどり着けるだろう」
僕たちの前に置かれたモニターに、家の映像が映し出された。
「家の側に止めたドローンの映像だ」
映像には、家だけが映り、そこに人の姿はなかった。
それから15分ほど経っただろうか、家のわきにある坑道の入り口からペーロが姿を現した。
無線からペーロの声が聞こえてくる。
『今から始めるぜ』
「あぁ、よろしく頼む」
ペーロは家に向かってグレネードを投げ入れた。
ドーン――。
轟音と共に、家が爆発する映像が流れた。
その影響で映像にノイズが走る。
ペーロは、続けてフラッシュを投げ入れた。
家の窓から強烈な閃光があふれ出す。
しかし、映像には、まだ敵の姿は映っていない。
おそらく黒マントにも見えていないだろう。引き金を引こうとしない。
アイはペーロに無線で連絡している。
「ペーロ、敵はどこにいる?」
『しまった……何も見えねぇ』
「自分がくらったのか? あれほど注意しただろう!?」
この間に敵の攻撃を貰わなければよいけど……。
「すぐに隠れるんだ!」
『もう大丈夫だ……けど、なんか変だ……』
「どうした?」
『家の中に……誰もいない』
敵はいったいどこへ消えてしまったのか!?
⇒ 次話につづく!
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