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第三十一話 僕の責任

 化け物と化したアルクは、その巨大な拳をミネットに振るった。

 鈍い音と共に血が飛び散った。

 ガリ……ガリ……――。

 アルクはミネットの首にかぶりついた。

 プッ――。

 そして、まるであめ玉を吐き出すかのように、その首を吐き飛ばした。

 グチュッ、グチュッ――。

 彼は、自分の妹の体を食い始める。

「もうよせ! やめろーっ」

 ダダダダダダダッ――。

 僕はサブマシンガンをアルクに放つ。

 カンカンカンカン――。

 しかし、僕の放った弾丸は、その硬い体に弾かれる。

 効かない――。

 僕に気づいたアルクは、食べるのをやめ、ゆっくりと近づいてきた。

 ダダダダダダダッ――。

 顔に狙いを定めて発砲するが、やはり効果は無い。

 徐々にアルクとの距離は近づいてくる。

 ドン――。

 僕の背中が壁に当たった。

 追い詰められた……逃げ場は無い……。

 アルクの巨大な手が、僕を掴もうとする。

 くそっ……これまでか……。

 僕は覚悟を決め、目を閉じた。

「ウ……ウガ……」

 アルクが苦しそうな声を上げる。

 その巨大な体が、痙攣していた。

 ドクン、ドクン、ドクン、ドクン――。

 彼の心臓の鼓動が聞こえてくる。

 ドクン、ドクン、ドクン、ドクン――。

 その音は徐々に速くなる。

 そして彼の胸は、まるで風船のように膨らんでいった。

 パァン――。

 凄まじい破裂音と共に、真っ赤な血が辺りに飛び散った。

 僕は、顔に付いた返り血を拭う。

 アルクの巨大な体には、大きな穴が開いていた。

 ドン――。

 そしてその巨体は、後方に倒れた。

「あぁ……失敗か……薬品の配合を見直さないとな……」

 テオが僕の後ろで、そう呟いた。

「お前、何をしたのか分かっているのか!?」

 僕はテオの胸ぐらを掴んだ。

「彼が望んだことだよ……彼が強さを望んだんだ……秘めたる強い意志――願望が具現化した姿だ」

 テオは、薄ら笑いを浮かべる。

「僕は力を与えたに過ぎない……自我を保てなかったのは彼自身の弱さだ……」

 そして、悪びれること無くそう言った。

 ガン――。

 僕は右手を握りしめ、テオの顔面目がけて拳を振った。

「あぁっ」

 テオは顔を押さえて蹲る。

 鼻から血を流し、手を真っ赤に染めていた。

「ぼ、暴力はよせよ……」

 彼を殴った右拳が痛い……腫れてきた。

 けれど、それ以上に心が痛かった。

 ミネットを守ってやれなかったこと。

 アルクを止められなかったこと。

 悔しくて悔しくて――涙が止まらなかった。

「くそっ! くそっ!」

 ドン――。

 僕は左手の底で、壁を思い切り叩いた。

 何が守ってあげるだ――。

 何が一緒に元の世界に戻ろうだ――。

 結局、また何一つ約束を……守れてないじゃないか!

 僕は、屈み込んでいるテオの襟を掴み立ち上がらせた。

「元に……戻るんだろうな! リスポーンしたら元に戻るんだろうな!」

「知らないよそんなこと……どうでもいいだろう? どうせ他人なんだから」

 こいつ……。

 もし元に戻ったとしても、今の惨劇の記憶があったとしたら……。

 僕は、ホルダーから拳銃を取り出し、テオの頭に突きつけた。

「な、なんだよ……僕を……殺すのか?」

 銃を持つ僕の腕は震えていた。

 僕はこれまで、こいつほど憎んだことはない。

 殺してやりたいと思った。

 引き金を引くのは簡単だった。

 これまで、何人も殺してきているから。

 いまさら、人を殺すことに何の躊躇いも無い。

 でも、こいつを殺してもミネットが生き返るわけでは無い。

 アルクが元の姿に戻るわけでは無い。

 そして、彼らの記憶が消されるわけでは無い。

 また、誰かが犠牲になる――。

 こいつは、早く元の世界に戻した方がいい。

 そう思って、銃を下ろした。


 夜、僕は砦の中を一部屋ずつ見て回った。

 しかし、屋上にいた見張りの姿はどこにも無かった。

 逃げ出したのだろうか?

 僕は屋上から一人、夜空を見上げる。

 星空の下で、ミネットとした約束……。

 元の世界に連れて行く約束は――結局、守れなかった。

 いつもそうだ……。

 僕は一度として、誰との約束も守れてやしない。

 目に涙が溢れてくる。

 もう戻りたい――。

 この世界で……ひとりは、寂しいよ。

 星は4つ――。

 僕とテオと、敵が2つ。

 ルカ……生きていて欲しい。

 きみを迎えにきたのだから――。


 翌朝、僕は砦を後にした。

 後ろからテオが付いてくる。

 彼とはあれ以来、口を利いていない。

 目的が同じだから、同じ方向に進んでいるだけだ。

 僕の目的は、元の世界に戻ること……。

 いや、ルカとハイジと共に元の世界に戻ることだ!

 決戦の場は、小高い山上だった。

 そこには、遺跡の残骸が無数に散らばっている。

 建物の原型は留めていなく、ただの瓦礫と化している。

 周りは既に闇に囲われていた。

 逃げ場は無い――元より、逃げるつもりは無いのだが。

 僕の横にテオの姿が見える。

「僕は、薬は使わない」

 僕は、テオの方を振り向かずにそう告げた。

「キミに期待はしてないよ」

 瓦礫の中から、敵が二人姿を現す。

 そこには、ルカの姿があった。

 しかし、彼は僕と目を合わそうとはしない。

 僕も、ルカに声を掛けられずにいた。

 でも、ルカが生きていて……よかった。

 僕の決意は決まっていた。

 僕がここで負ければ、ルカは元の世界に戻れる。

 だから、殺されようと思っている。

 しかし、そうするとテオをこの世界に野放しにすることになる。

 もう、あんな悲劇は起こしてはいけない。

 もし僕がシモンの剣を持っていたら――生き返ることのできない剣を持っていたら……きっと、その剣で彼を殺していただろう。

 敵はルカ以外に、もうひとりいる――背の高い痩せた男だ。

 眼鏡を掛けて、白衣のようなローブを羽織っている。

「ヘル兄さん……」

 テオは、背の高い男に向かってそう言った。

 兄弟なのか?

「お前がここまで勝ち上がってくるとはな……」

 ヘルと呼ばれた男が口を開く。

「元の世界に戻るには、俺を倒さなくてはならない……残念だったな」

「元の世界? そんなものに興味はない……」

 テオは鋭い表情を見せる。

「僕の目的は、兄さんを倒すことだ! そのために、これまで研究を重ねてきたんだ!」

 彼らは兄弟でも、仲がいい訳ではないようだ。

「兄さんに見せたい物がある……とっておきだ」

 そう言ってテオは、鞄から注射器を取り出した。

 どうするつもりだろう?

 テオは手を震わせながら、自分の腕に注射器の針を突き刺した。

 ヘルは怪訝な表情を見せる。

 まさか自分自身に薬を使うとは、思っていなかったのだろう。

 ボンッ、ボンッ――。

 テオの小さな体は、徐々に肥大化していく。

 顔は僅かに変形するだけで、体だけが大きく膨れあがる。

 腕は長く鋭く尖り、剣のような形状になった。

 腕だけ伸びたその姿は、まるでカマキリのようだった。

「醜いな……これでは兵士でなく、ただの化け物だ」

 ヘルは眼鏡を押し上げ、ため息交じりにそう呟いた。

「ルカ……」

「はい」

 ルカは、一瞬僕の方に目を向けた。

 そして、一呼吸置いて自身の腕に注射を打った。

 バキッ、バキッ――。

 服は引き裂かれ、ルカの細身の体は、まるでボディビルダーのような筋肉隆々の肉体へと変化する。

 ルカの打った注射は、おそらくヘルが作ったものだろう。

 彼もまた、テオと同じくケミストか……。

 僕は、ルカの心境を知りたかった――。

 僕のことをどう思っているのだろうか?

 依然みたく……この世界にくる前のように仲良くしたい。

 この世界が夢であったかのように、すべての記憶を無くして元に戻れたら……いいのに。

「行けベルセルク!」

 ヘルの指示の元、ルカは巨大な斧を手に取った。

 僕は銃を抜かなかった。

 一歩下がり、ルカとテオの戦いの結末を見送ることにした。

 ヘルも武器は手にしていない――戦いは、ルカに任せるようだ。

 変身したルカとテオがにらみ合う。

 体は、テオの方が一回り大きい。

 ルカは体こそ小さいが、引き締まっている体つきだ。

「さぁどうした? かかってこいよ!」

 テオは、ルカを挑発する。

「うおぉぉぉっ」

 ルカは雄叫びと共に飛び上がった。

 空中で斧を抱え上げる。

 そして、地面に着地すると同時に、その斧をテオ目がけて振り下ろした。

 グシャッ――。

 シュン――。

 何かが回転して宙を舞い、地面に突き刺さる。

「ぐあぁぁぁっ」

 テオが悲鳴を上げた。

 手刀のような左腕は、肩の先から切断されていた。

 真っ赤な血が、ドクドクと地面にこぼれ落ちる。

 しかし、それでも変形したテオの顔は不気味に笑いを浮かべた。

「うへっ……ヘヘっ」

 目は充血し、体は震え出す。

 流れ出ていた血は止まり、傷口は泡のようなものに覆われた。

「あがぁぁぁぁぁっ」

 テオの叫び声が響き渡る。

 嫌な予感がしたのか、ルカは後ろに飛び退けた。

 斧を構え、テオの様子を伺っている。

 ブチュッ……ブチュッ――。

 不快な音がする。

 テオの切れた腕の先から、新たな腕が生えてきた。

 そして、体の色が鋼色に変化する。

 変わったのは色だけでは無い――。

 その体は、まるで金属のような光沢を放っていた。

「ぼ、ぼくの体はねぇ……再生するんだ……」

 たどたどしい口調で、テオがしゃべり出す。

「そして……傷つけば傷つくほど……耐性を持ち進化する」

「ようやく、再生の法則に気づいたか……多少はできるようになったようだが……」

 ヘルはテオを見上げ、そう呟いた。

「さあどおした……もっと攻撃してみろ……エヘッ……エヘエヘ……」

 テオの瞳孔が開き、言動がおかしくなり始めた。

「うおぉぉぉっ」

 ルカは雄叫びをあげ、斧を横になぎ払った。

 ガツン――。

 斧はテオの胴体に突き刺さる。

「ウグフッ」

 テオは口から血を吐き出した。

 今の攻撃……確実に体がまっ二つになると思われた。

 進化したことで、体が硬化したのか……?

 斧が突き刺さった胴体は、泡が拭き出し、すぐに傷口が塞がった。

「あがぁぁぁぁぁっ」

 テオは痙攣し、雄叫びをあげる。

 彼の体にウロコのような模様が浮かび上がり、徐々にそれが硬化する。

 さらに変化した!?

「うおぉぉっ!」

 再びルカが斧を振るう。

 ガツン――。

 斧はテオの肩口に当たった。

 しかし弾かれて、ルカは大きく仰け反った。

 その一瞬の隙を、テオは見逃さなかった。

 剣と化した手刀が、ルカの胸を切りつける。

 ジュバ――。

 真っ赤な鮮血が飛び散った。

「うわぁぁぁっ」

 ルカは悲鳴をあげ、胸を押さえる。

「フーッ、フーッ……もう、その斧は効かないよ……」

 テオは舌を出し、手刀に付いた血液を口に滴らせている。

 その光景をみて、鳥肌が立った。

 もはや、気味の悪い、ただの化け物だ……。

「僕の体には効かないよ……フーッ、フーッ」

 テオは、手刀をルカに突き刺した。

 ジュバ――。

 ルカは横に避けたが、腕を切られた。

「あぁっ」

「ほらほら……逃げるだけかい? フハッ……フハッ……ハハッ」

 テオが高笑いを上げる。

 ルカの様子がおかしい。

 両手、両膝を地面に突いて、立ち上がれないでいる。

 それほど傷が深かったのだろうか?

「う……あぁっ……」

 ルカは叫び声をあげた。

 筋肉隆々の体は、徐々に小さくなる。

 そして、元の姿に戻った。

「なんだ……もうおしまいかい?」

 テオはルカを見下ろしていた。

「使用者の負担が大きくなりすぎないように、わざと効果が切れるようにしてある」

 ヘルがルカの元に歩み寄った。

「そんなこと……必要ないだろう? 兵士なんて使い捨て、ただの兵器なんだから」

 兵器? 使い捨てだと……?

 怒りと悲しみが込み上げてくる。

 人を何だと思っているんだ!?

 アルクが背負った罪と悲しみは、もう……決して拭いさることはできない……。

「ゲフ……ゲフ……フフフ……」

 テオは痙攣を始めた。

「ア……アアアッ……」

「制御できなくなっては意味が無いだろうに……」

 ヘルは首を横に振り、テオに背を向ける。

「貴様は所詮その程度なのだ……だから二番手……俺以上にはなり得ない……意思もなくなり制御できない物はただの化け物なんだよ」

 ヘルはフードを翻し、両手を広げ天を仰いだ。

「世界が必要としているのは、主の意のままに動く強い兵士なのだ」

 ヘルはルカに注射器を渡す。

 ルカは、迷うこと無くそれを受け取った。

 僕は急いでルカの元に向かった。

 ルカは目が充血していて、涎を垂らし、見るからに体の限界を迎えていた。

 体は、ガクガク震えている。

「これ以上はよせ!」

 僕はルカの腕を掴んだ。

「うるさい! 放せ! ぼくは、なにがなんでも元の世界に戻るんだ」

 ルカは僕を睨み付けた。

 そして注射器を腕に向ける。

 その手は震えていた。

「なんの力も持たないぼくがこの世界で生き残るには……これしかないんだ……」

 彼の目から涙が零れる。

「こんなことでもしなきゃ……生き残れないんだ!」

「ルカ……ごめん……僕のせいだね……」

 僕がそう言うと、ルカは目を逸らした。

「こんなもの……」

 僕はルカから注射器を奪い、投げ捨てた。

「なにをするんだ!」

「もう、こんなことする必要はない! ルカは絶対に死なせない! ルカは僕が守るから」

 テオが近づいてくる。

「じゃまだー」

 ドン――。

 テオの繰り出した蹴りが、僕の腹に当たった。

「うっ」

 僕は飛ばされ、地面を転がる。

「死ね……兄さんの作品なんか……もう、見たくない……」

 テオはルカに向かって、手刀を振り上げる。

 僕は地面に倒れたまま、サブマシンガンを構えた。

 その銃口をテオの体に向け、トリガーを引いた。

 ダダダダダダ――。

 リコイルコントロールもままならず、反動で銃口が上がる。

 カキン、カン、キン――。

 僕の放った弾丸は、硬いウロコに弾かれた。

 効かない……。

 テオの充血して飛び出た目玉が、僕を見下ろした。

「貴様……裏切るのか?」

「もう、お前とは仲間でもなんでもない……」

 僕は倒れたまま、テオを睨み付けた。

「僕は、ルカを元の世界に戻すために、再びこの世界にきたんだ」

「なら……貴様も死ね」

 テオの手刀が、僕目がけて真下に付き下ろされる。

 シュン――。

 僕は、体を回転させてそれをかわした。

 ジュバ――。

「うわぁっ」

 しかし、もう片方の手刀が、僕の太股に突き刺さった。

 体が熱い――左足の感覚がない。

「ビリー!」

 ルカが叫んだ。

 僕は負けない――。

 僕は立ち上がり、右足だけで体を支え、サブマシンガンをテオに向けた。

 ダダダダダダ――。

 カン、カン、カン、カン――。

 再び発砲したが、やはり弾かれてしまう。

 僕は、銃を撃った反動でバランスを崩した。

「しつこい!」

 テオの手刀が、肩口から斜めに僕の体を切りつける。

 ジュバ――。

「うわあぁぁっ」

 僕は、衝撃で後ろに倒れた。

 胸から腹にかけて出血している。

 しかし、バランスを崩したおかげで、致命傷は免れたらしい。

 僕は立ち上がろうと、地面に両手を付いた。

「ビリーもうやめて……ぼくが戦うから……」

 ルカが僕の腕を掴んでいる。

 僕は首を横に振った。

「これは……僕の責任だ……」

 意識が朦朧としてきた。

 気持ちをしっかり持たないと、失神してしまいそうだ。

 震える手でサブマシンガンのマガジンを交換する。

 僕は信念を曲げない!

 僕の目標は、ルカとハイジを元の世界に戻すこと――ただそれだけだ!

 僕はフラフラになりながらも、立ち上がった。

 ズブッ――。

 その瞬間、僕の腹にテオの手刀が突き刺さった。

 背中から、手刀の先端が飛び出ている。

「ビリー!」

 ルカの叫び声が聞こえる。

 オエッ――。

 口から大量の血が溢れ出た。

 終わりだ……。

 僕の命も……ここまでだ。

 でも……最後に……。

 僕は、サブマシンガンの銃口をテオの口元に合わせ、口の奥まで押しつけた。

 この距離なら――。

 零距離なら――。

「お前の頭を……撃ち抜ける……」

 僕は最後の力を振り絞り、引き金を引いた。

「撃ち尽くせぇぇっ! 全弾一斉掃射(フルバースト)!」

 ダダダダダダダッ――。

 バジュッ――。

 僕は、反動で後ろに倒れた。

 僕の体から、テオの手刀が抜けた。

 ドン――。

 背中から地面に倒れる。

「ビリー!」

 ルカの声がする……。

 僕の顔の前に……心配そうに僕を見つめる彼の顔がある。

 その奥で、頭が吹き飛んだテオの醜い姿があった。

 倒した……のか……。

 夜空に流れ星が一つ流れる。

 テオの星だ……。

 そして、僕の真っ白な星は、夜空に弱々しく瞬いていた。

 よかった……。

 これで、ルカが元の世界に戻れる……。

⇒ 次話につづく!


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