第二十六話 僕の拳は震えていた
僕たちは、再び化け物に遭遇した。
僕は塀の影から、様子を伺う。
化け物は異様な姿をしていた。
口だけが肥大化しているのである。
顔の半分が口――そう言っても過言では無い。
トラック程の大きさで、四つ足で歩いていた。
それに立ち向かっているパーティは必死に銃を撃っているが、まるで効いている様子が無い。
ウオォォォォォン――。
化け物は、奇怪な雄叫びを上げると、四つ足で走り出した。
戦っていたパーティの前までくると、丸太のような太い腕を振った。
ブンッ――。
その腕は、先頭にいた男に当たる。
ドーン――。
その男は、まるでボールのように飛んでいき、壁に激突して動かなくなった。
怪物は、動かなくなった男にゆっくりと近づいていく。
そして、顔の半分を占めるその大きな口を、倒れる男に向けた。
グチャリ、グチャリ――。
まるでエサを食べる動物のように、人間を食い始めた。
オエェェェッ――。
僕の後ろにいたアルクは、吐いていた。
僕も気分が悪くなってきた。
やがて銃声はしなくなった。
グチャ、グチャ――。
人を喰らう化け物の、そしゃく音だけが聞こえてくる。
それは、不気味な光景だった。
化け物と戦っていたパーティは、撤退していったのだろう。
もう、どこにも姿は見えない。
僕たちの戦うべき対象は変わった。
この化け物を――倒さなければならない。
「アルクいける?」
彼は頷いた。
「僕が奴を引きつけるから、その隙にハンマーであの頭を叩き割ってほしい」
「……わかったよ」
彼は、自信なさそうにしていたが、信頼するしかない。
連携なくして、勝利は見えない。
僕は胸に装着していたサブマシンガン――ヴェクターを手にした。
この辺りは平屋建ての家が多い――突進してきても、かわせるように家の屋上から撃つべきだろう。
「アルク、僕が撃ち始めたら、あとはキミのタイミングに任せる」
僕は塀を上り、家の屋上に立った。
化け物を見下ろす形となる。
化け物は、まだ人を喰らっていた。
少し遠いが、まずはこちらに気づかせるところからだ。
ダダダダダダ――。
僕は体を狙って撃った。
しかし、体に傷が付いている様子がない。
やはり、至近距離でなくては、効果は薄いか。
怪物は振り返った。
そして、僕に気づき、ゆっくりと移動してくる。
足を引き摺っているようにも見える。
呼吸も乱れていた。
もしかして、弱っているのか?
サブマシンガンのサイトを覗き込むと、|殲滅の自動照準《オートエイム&オートトリガー》が発動する。
捉えた――。
向かってくる怪物の顔面を狙って、トリガーを引いた。
ダダダダダダ――。
しかし、怪物は躊躇せず、まっすぐ突っ込んでくる。
そして、僕の正面までくると大きな口を開けた。
ガチン――。
大きな歯は、僕を捉えることはなかった。
屋上を取ったのが正解だった。
怪物の攻撃は、僕には届かない。
アルクは、どうしているだろうか?
彼は、怪物近くの塀の後ろで様子を伺っていた。
僕は距離が取れるが、彼は接近しなければならない。
一瞬の判断ミスが命取りになる。
なかなか一歩を踏み出せずにいるのだろう。
僕がなんとかして、隙を作らなくては。
銃で皮膚を狙っても効果がない。
柔らかい部分――銃の効果がありそうな部分――。
僕はサブマシンガンで、怪物の目を狙った。
ダダダダダダ――。
ウオォォォォォン――。
怪物は雄叫びを上げた。
怯んだ――。
「今だーっ!」
僕はアルクに向かって叫んだ。
「うおぉぉぉぉぉっ!」
アルクは怪物に向かって突進していった。
顔の正面までくると、巨大なハンマーを振り下ろす。
ドゴォォォォォン――。
ギャアァァァァァァッ――。
ハンマーは眉間の辺りに命中し、怪物は雄叫びをあげる。
効いている。
僕は、この隙にマガジンを交換した。
ドゴォォォォォン、ドゴォォォォォン――。
アルクは無我夢中で、何度もハンマーを振り下ろしている。
怪物の顔から、真っ赤な血が吹き出ていた。
傷さえできれば、銃も効果があるかも知れない。
僕は傷口を狙って銃を撃つ。
ダダダダダダッ――。
ギャアァァァァァァッ――。
かなり苦しんでいる。
「アルク、もうひとふんばりだ!」
「うおぉぉぉぉぉっ!」
ドゴォォォォォン――。
アルクの渾身の一振りが決まる。
怪物は動かなくなった。
ズドォォォン――。
その巨体は地面に倒れた。
頭部は原型を留めないくらいに、ぐちゃぐちゃになっていた。
やった――。
「ナイスプレー」
僕はアルクに向けて親指を立てた。
彼も息を切らしながら、僕の真似をした。
僕は、その後すぐに町を索敵したが、あのパーティの姿は見えなかった。
別の場所に移動したようだ。
「あの人たちと、鉢合わせなくてよかったね」
アルクは僕に言った。
「確かに、凄い腕前だった」
でも、勝ち残れば、いつかは戦うことになるだろう。
それにしても、行く先々で化け物が現れる。
今回は、こいつらも相手にしないとならないのか。
僕は夕暮れまで町を見回っていたが、化け物の死体はいつの間にか消えていた。
今夜は星が見えない。
雲の中に、隠れてしまっている。
こうやって夜空を見上げるのは、もう何度目だろう?
僕は、ひとり屋上に佇む。
日本にいた時は、夜空なんて気にもしなかった。
ひとつ、またひとつと星は流れ、夜空は日々その姿を変えていく。
星が見えないのは、ひとりぼっちになった気がして……少し寂しかった。
毎晩のように屋上に立って見張りをしているが、夜は本当に静かだ。
この町には僕たち以外、誰一人暮らしていないのだから。
僕が見張りに付いてから、2時間くらい経っただろうか?
カタッ、カタッ――。
何か音がする。
向かいの建物からだ。
そこには、アルクやミネット、テオが休んでいる。
一部屋だけまだ明かりが付いていた。
ちょうど屋上から、中の様子が見える。
テオの部屋だ――。
彼は、何やら作業をしている。
化学者というのは、常になにかしらの研究、あるいは実験をしているのだろうか?
化学の授業もちんぷんかんぷんの僕には、難しいことは分からない。
彼らはきっと僕なんかとは、頭の作りが違うのだろう。
そういう人たちは、良い大学に入って、やがて医者になって……未来が約束されているのだと思う。
ゲームしか取り柄のない僕とは、真逆だな。
少し、羨ましくもあった。
僕はどんなことをしているのか気になって、しばらく様子を伺っていた。
机の上には、拘束された鼠がいる。
テオは、それに注射を打っていた。
薬品の実験だろうか……?
ギューッ――。
鼠は奇声を発し、暴れだした。
そして、体全体が一回り大きくなった。
徐々に、鼠の顔が変形し始める。
僕の背筋は凍り付いた。
なにか――いやな予感がする。
彼は、やってはいけないことをしている――そんな気がした。
鼠は口だけが極端に肥大化していき、やがて顔の半分を占める程の大きさになった。
サイズは小さいが、それは、昼間の化け物とそっくりだった。
ギャーッ――。
耳を劈く、鋭い雄叫びが響き渡る。
まさか……。
化け物と化した鼠は暴れていたが、テオはナイフを刺してそれを殺した。
僕は音を立てないように、窓から見えない位置に移動した。
決定的だった……疑いようが無い。
すぐにテオの部屋に行って、真実を確かめるべきだったのかも知れない。
でも、恐ろしかった。
彼が何を考えているのか分からないから。
それもそうだろう……昨日出会ったばかりの他人だ。
彼のことなんて、何一つ知らない。
問い詰めて、もし彼が肯定したら、その後はどうすればいいんだ?
分からなかった……答えが出なかった。
――こんなことは、初めてだから。
ほかの二人に相談なんかしたら、変な不安を抱かせるだけになる。
どうすれば……いい?
僕は、一晩中考えた。
しかし、答えは導き出せなかった。
翌日は、朝から小雨が降っていた。
僕は、食事をとりながら、昨夜のことをどう切り出そうか考えていた。
はっきりさせずに、彼と一緒にいるのは不安でしかない。
テオは何ごとも無かったかのように、平然としている。
「大変だー! 敵がいる」
家の外を見回っていたアルクが、慌てて家に入ってきた。
僕はすぐに拳銃を手に取った。。
窓から外を覗くと、道に三人姿が見えた。
距離は、ここから100メートル程先だ。
敵は、銃を構えてこちらを見ている。
状況は芳しくない。
迂闊だった――。
雨音で、接近されるまで気が付かなかった。
こんな日は、もっと警戒を高めるべきだった。
「まずいよ……ここばれてる」
「キミがここに入ってきたから、ばれたんだよ」
テオは、ため息を吐きながらアルクに言った。
「落ち着いて……。まずは、二階に移動しよう。ここにいると窓から狙われる」
ミネットは、僕の腕を掴んできた。
「大丈夫だよ」
僕は彼女に笑顔を向けた。
「うん」
僕は、二階の窓ごしに敵を観察する。
敵の武器は……。
一人はアサルトライフル、あと二人は銃の形状からしてサブマシンガンか……。
装備が強いな――。
彼らもブロックの鍛冶屋で、武器を手に入れたのだろうか?
敵は一箇所に固まらずに、僕たちの家を囲むようにバラバラになった。
僕たちがこの家にいることは、ばれているだろう。
彼らは、絶えず銃口を窓、出入り口、屋上へ向けて警戒している。
連携が取れているな……かなり、厳しい状況だが……。
僕には、一瞬で巻き返すことができるアビリティがある。
三人相手だとしても、敵に気づかれずに、こちらが先に撃てれば勝機はある。
「アルク、頼めるか?」
壁際で身を潜めていた彼は、驚いて僕を見上げた。
「一瞬でいい、敵の注意をひいて欲しいんだ」
「ぼ、僕?」
テオが口を挟んだ。
「キミ以外いないだろう?」
僕は続けた。
「盾を構えたまま、家を飛び出して欲しい。敵の注意がキミに向けられた瞬間に、僕が敵を倒す」
アルクは目を逸らし、自信なさそうに頷いた。
彼は化け物との戦いの時は、勇気を出してくれた。
でも、対人だとどうなのだろうか?
人を殺すことは、性格からして無理だろう。
躊躇して、逆に殺されてしまう。
だから、注意を引く役回りを頼んだ。
正直これは、アルクを囮にする作戦だ。
でも、僕たちが生き残る最善の方法だから……。
「アルク、不安かい?」
テオが、アルクの肩を叩いた。
「化け物も怖いけど……人相手だと……緊張して」
「それなら良い薬があるんだ、使ってみないか?」
テオは、鞄から注射器を取り出した。
「よせ! そんなものに手を出すな!」
僕は大声を出した。
部屋は静まりかえる。
みな、黙って僕の方を見ていた。
「テオ……昨日の化け物……まさかキミが?」
僕は思いきって、口に出した。
テオはどう反応するのだろうか?
もし、そうだ――なんて言ったら、どすればいいだろう。
「……なんのことだい?」
彼は動揺するわけでもなく、いつものように平然と言葉を続ける。
「これは、ただの筋力活性剤さ――」
僕の早とちりだったのか?
いや……鼠が化け物になるところは、この目で見たんだ。
「まあ、筋肉がでかくなっても、心が弱ければ意味がないか? ははははっ」
その言葉に反応して、ミネットはテオを睨み付けた。
「じゃ、頼んだよ」
テオは、背を向けて部屋を後にした。
僕はアルクに言った。
「あんなやつの言葉、気にしなくていい」
「いいんだ……分かってる」
アルクの瞳に涙が浮かぶ。
「僕に足りない物は、心の強さだってことは……」
僕は、彼の涙を見ないように背を向けた。
「戦闘向きのアビリティを持つ僕たちが戦わなければ、このパーティは生き残ることができない。まずは目の前にいる敵の殲滅だ」
「うん……分かった」
「ビリーお兄ちゃんも、アルクお兄ちゃんも、絶対に死なないでね?」
ミネットは、寂しそうな表情を浮かべて僕に抱きついてきた。
「大丈夫だよ」
僕は、彼女の頭をそっと撫でた。
大丈夫――人を安心させる、素敵なことばだと思う。
そして、言った本人も勇気が湧いてくる。
それは、絶対の自信があるからこそ、言えることばだから。
「僕は屋上で待機する。準備ができたら、一階から飛び出してくれ」
僕はアルクにそう言って、屋上に向かった。
下からこちらに射線が通らないように、伏せて屋上に上がった。
敵はどう出る――?
はっきり言ってしまうと、グレネードを投げ込まれたらひとたまりも無い。
それなら突撃してくれたほうが、まだましだ。
敵も、なかなか動き出そうとしなかった。
こちらの出方を伺っているのだろうか?
僕が屋上に上がってから10分近く経つ――アルクは、まだだろうか?
いつ敵が突入してくるとも限らない。
できれば、すぐに動いて欲しかった。
一瞬でいいんだ――。
敵三人を、同時に視界に入れることができれば……。
緊張の糸が張り詰める――。
ダダダダダダダ――。
銃声が鳴った。
アルクが飛び出したんだ。
僕は顔をあげ、表に目を向ける。
アルクがハンマーを抱えて、敵に向かって突っ込んでいっている。
盾を構えていない!?
これじゃあ、弾丸を全身で受けることになる――。
バンッバンッバンッバンッ――。
ダダダダダダダ――。
アルクは、集中砲火を浴びていた。
しかし、そのおかげで、敵の位置を把握することができた。
一階の塀の後ろに一人、家の二階の窓に一人、別の家の屋上に一人。
すべての敵を僕の視界に捉えた。
その瞬間、僕のアビリティ――|殲滅の自動照準《オートエイム&オートトリガー》が発動する。
拳銃を持つ僕の腕は、敵に吸い寄せられる。
「貫け! 僕の弾丸っ」
パァン、パァン、パァン――。
僕の放った弾丸は、すべて敵の頭に命中した。
敵は血を流し、立て続けにその場に倒れた。
「アクルーッ」
僕はベランダを辿って、すぐに道に下りた。
「お兄ちゃん!」
ミネットも、家から飛び出してきた。
アルクは、血まみれでうつぶせで倒れていた。
「大丈夫か? 上を向けるか?」
彼は呻きながら、仰向けになった。
「どこを撃たれた?」
「腕と足……」
かなり血だらけだが、頭は撃たれていないし、致命傷ではなさそうだ。
「テオ、すぐに治療を頼む! ミネットは、包帯を巻いて止血してほしい」
テオは、ゆっくりと家から出てきた。
そして、鞄から注射器を取り出す。
「もし変なことしたら承知しないぞ?」
僕はキツい口調で言った。
「なんだ、心外だなぁ……この注射は、痛み止めだよ」
テオは、アルクの腕に注射を打った。
アルクの乱れていた呼吸が、落ち着いていく。
「それにしてもよかったじゃないか? 戦闘の役に立てて」
テオは立ち上がり、アルクを見下ろした。
「デコイらしい戦い方だったよ」
「おまえ……」
僕はその言葉に怒りを覚え、テオの胸ぐらを掴んだ。
「よしてくれ……キミたちは、すぐ暴力で解決しようとする。気にくわなければ殴る、邪魔なら殺す――どんだけ野蛮なんだい?」
テオは僕を見て、薄ら笑いを浮かべている。
「力が強いものが上……そう思っているんじゃないのかい? 確かにキミの方が力は強い……」
僕はこれまで、取っ組み合いの喧嘩なんてしたこともないし、人を殴ったこともない。
でも今回は、彼の言葉が許せなくて、殴ってやろうと思った。
しかし、このまま殴れば、彼の言葉を肯定することになる。
握りしめたままの、僕の拳は震えていた。
誰かが僕のズボンの裾を引っ張った。
足元を見るとアルクが、倒れたまま掴んでいる。
そして、何も言わず首を横に振っていた。
僕は、彼の意思を汲み取った。
だから、テオを掴んでいた手を離した。
「キミたちのような輩がいるから、いつまでも争いが絶えないんだよ――、人殺しめ……」
テオはそう言って、家の中に入っていった。
ドン――。
僕は、家の塀を思い切り叩いた。
「力で解決する以外に、一体どんな方法があるというんだ!」
ミネットは、アルクの胸の上に顔を伏せて、泣きだしてしまった。
僕の強い口調が、彼女を怯えさせてしまったのかも知れない……。
人殺し――か。
僕だって、好きでやっているわけじゃないのに……。
そんなことまで言われて、僕はいったい何のために……。
⇒ 次話につづく!
★気に入っていただけたら【ブックマークに追加】をお願いします!