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エピローグ

 窓から差し込む陽の光が眩しい。

 それ以上に、天井に幾つも取り付けられた照明の光が、僕の顔を照らしていた。

 真っ白な壁とシーツ。

 泥まみれの戦場のものとは程遠い清潔感ある建物の中で、僕は目を覚ました。

 頭はぼーっとして、だるさがあるが、状況を確認するためにゆっくり起き上がった。

 僕の部屋とは違う……見たこともない部屋だ。

 僕の体の至る所に、純白の包帯が巻かれている。

「そうか……病院か……」

 用を足そうと思ってベッドから下りたが、太股に痛みが走る。

 虎の化け物に刺された所だ。

 足は動くので、生活に支障はなさそうだ。

「常輝!」

 聞き覚えのある声で名前を呼ばれた。

 この名前で呼ばれるのは、久しぶりだ。

、振り向くと、母親が駆け寄ってきていた。

 僕の手を弱々しく握りしめ、声をあげて泣き崩れる。

 戻ってきたんだ――元の世界に。

 母親が状況を話してくれた。

 僕は二週間行方不明で、血だらけで道に倒れている所を付近の住民に発見された。

 それから丸三日間、意識が戻らなかったという。

 僕はパイプ椅子に腰掛け、コンビニのパンを口にしながら黙って耳を傾けていた。

 唾液が口の中に充満する。

 あっちの世界の乾パンより、だいぶ旨い。

 異世界に行っていた――なんて言ったら、誰が信じるだろうか?

 しかし、夢じゃない。

 胸には僕の名前が刻まれたドッグタグと、ハイジのドッグタグがある。

 手にはルカのドッグタグを握りしめていた。

 ハイジが治してくれた腰に残る刺し傷の痕もあるし、最後に刺された肩と太腿の傷は、まだ癒えていない。

 僕が異世界で経験したことは、決して夢じゃないんだ。


 夕方には警察が尋ねてきた。

 ルカは、未だ行方不明になっているという。

 そのことも合わせて、警察から細かく事情徴収を受けた。

 僕は、ベッドに腰掛けたまま答えた。

 でたらめな作り話をするわけにもいかず、かと言って異世界で殺し合いをしていました――なんて答えても、冗談を言っているようにしか聞こえないだろう。

 だからすべての問いに、分からない――と答えた。

「今は記憶が混乱しているのだろうから、落ち着いた時に改めて訪問します」

 警察は、そう言って帰って行った。

 次は、ごまかせそうにない。

 信じて貰えるかは別にして、事実を話すしかなさそうだ。


 翌日には退院した。

 新聞やらテレビやらが、次から次へと家にまで押しかけてきて落ち着かない。

「犯人の顔は覚えていませんか?」

「どこに監禁されていたんですか?」

 彼らはそんな支離滅裂なことを聞いてくる。

 仕舞いには、テレビ局が霊能力者を連れてきて、犯人の居場所を突き止めようとしていた。

 けれど三日程するとそれらも興味がなくなったのか、ぱったりとこなくなる。

 世間の風は冷たいと感じた。

 より新鮮で興味深い事件の方に行ったのだろう。

 そして、再び学校生活が始まる。

 教師が黒板に書いた文字をノートに書き写し、テストに出ると言った部分だけ記憶する。

 家ではテレビゲームとスマホゲームで時間を消化し、母親の作った料理食べ、夜はベッドでぐっすり眠る。

 闇の者(シャドウアイズ)に怯えることもなければ、拠点を襲撃して人を殺す必要もない。

 平和で退屈な世界――。

 同じ毎日の繰り返し――。

 生きるって、こんなことだろう。

 全力で生き残ることを考えていたあっちの世界と違って、この世界では生きることは容易で、みんな生きる目標を探している。

 向こうの世界では辛いことばかりだった

 自分の手で誰かを殺さなくてはならなくて、夜は闇の者(シャドウアイズ)の恐怖に怯え、自分の死にも怯えていた。

 では、この世界は楽しいことばかりだろうか? 辛いことはないだろうか? そう考えた。

 ゲームしているのは楽しい。でも勉強はつまらなくて、毎日学校にいかないとならなくて。

 お喋りできる友人は――ルカは、もういない。

 向こうの世界で得たものは、何だっただろうか?

 殺し合いという世界の中で、唯一得たものがあったはずだ。

 同じ目標をもって、一緒に戦いを乗り越えてきた仲間だ。

 失ったものは何だろうか?

 その仲間達は、元の世界に戻るという目標を果たせずに死んでいった。

 そして、二度と会うことはできない。

 もし失ったものを、もう一度取り戻せるとしたら?

 彼らと、もう一度同じ目標に向かって歩き出せるとしたら?

 僕は向こうの世界に行きたいと思うだろうか?

 わからない――。

 僕は、答えが出せないでいた。


 僕が元の世界に戻ってから一週間経ったが、ルカの席は空のまま。

 昼休みに学校の屋上に立って、遠くの山の頂を見つめた。

 向こうにいた時も、こんな感じで索敵していたっけ?

 ハイジは、元の世界に戻れたのだろうか?

 彼女との約束が守れなかったことが悔やまれる。

 そして、この手で殺してしまったルカ――。

 手に残る拳銃の感触を思い出した。

 僕のせいで異世界に飛ばされてしまったのに……。

 ペーロはあんな死に方をして、無事再生できただろうか?

 アイさんは親友を元に戻すことができただろうか?

 誰一人助けることができず、みんなで元の世界に戻ろうって約束したのに、僕とシモンだけが生き残った。

 やがてチャイムが鳴り、午後の授業の開始を知らせる。

 授業中、教師の説明など聞かずに、窓の外を見つめていた。

 校舎に向かって歩いてくる生徒の姿が見えるが、それは敵じゃない。

 敵などいないこの世界――。

 いや、競争相手という意味であれば、敵なのだろう。

 僕はこの世界で目標を見つけて、ライバルを蹴飛ばし、トップを目指さなければならないのだから。

 向こうの世界では、やるべきことが明確だった。

 ほかの奴らを全員殺して、生き残る……それだけだ。

 僕がこの世界でやりたいこと、やるべきことは、まだ見つかっていない。

 しかし、向こうの世界には、やるべきことがある、やらなきゃならないことがある。

 ルカとハイジを救いたい!

 シモンは、僕には向いていないと言ったが、退屈なこんな世界よりも、百倍充実している。

 右手を握りしめた――。

 僕には……力がある。

 この世界では平凡な僕でも、向こうの世界ではどんな奴が相手でも負ける気はしない。

 そう――、この力があれば、ルカとハイジを元の世界に戻すことができる。

 こっちでの目標探しは、それからでも遅くはない。

 もう一度、向こうの世界に行きたい。

 ペーロは言っていた。最後まで生き残った者は再び参加することができると。

 シモンは、何度も元の世界と行き来をしていると言っていた。

 だから、もう一度行くことはできるはずだ。

 でも、どうしたら?

 ハイジは、向こうの世界に召喚された時、別の世界に行きたい――と願ったと言っていた。

 そうか、あの場所なら……。

 ガタン――。

 僕は立ち上がって、机に両手を付いた。

「どうした備里崎、質問か?」

 教師は驚いた様子で問い掛けてくる。

「今は勉強よりもやらなきゃならないことがあります」

「なんだそれは? 言ってみろ」

「ゲームだろう?」

 クラスメイトの笑い声と野次が飛ぶ。

 教師は半ば怒り気味でこちらを睨んでいる。

「友達を救いたいんです!」

「なに?」

「それは、僕にしかできないから……僕ならできるから」

 教室は静まり帰り、皆あっけに取られている。

「だから僕は……異世界に……行ってきます!」

 僕のその発言で、再び教室は笑いと冷やかしの渦に包まれる。

 教師が制止するのもお構いなしに、僕は教室を飛び出した。

 階段を駆け下り、自転車置き場から愛車を取り出す。

 立ち漕ぎで、全速力で校門を抜けた。

 坂道を、風を切って進んで行く。

 やがて、お宮の入り口まできて、自転車を止めた。

 あの日と同じように、百八十八段の階段を駆け上がった。

 前よりも、軽快に登れたような気がする。あっちの世界で、鍛えられたおかげだろうか?

 財布から小銭を取り出し、賽銭箱に投げ入れる。

 ガラン、ガラン――。

 神様に聞こえるように、鈴を強く鳴らした。

 パンパンお辞儀パンパンだっただろうか?

 パン、パン――。

 柏手を打って目を閉じる。

 そして、心の中で強く願った。

 あの日と同じように――。

 いや、今は違う!

 目標も無かったあの日とは違う!

 僕にはやるべきことがあるんだ!

 異世界でやるべきことが!

 だから――。

 僕は叫んだ。

 これまで出したことのない程の大声で!

「もう一度、異世界に行きてー!」

⇒ 第二章につづく!


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