第十六話 強さの果てに
殺し合いの世界に、僕とハイジの二人だけが残された。
これからどうなってしまうのだろうか。
泣き止まないハイジの横に腰掛け、僕は途方にくれた。
こんな時、ハイジを抱きしめて慰めることができれば、男として最高なのだと思う。
でも僕は、抱きしめるどころか、何も声を掛けられずにいた。
まだまだ男として、意気地も、強さも足りないと思った。
夜がだんだんと近づいてきた。
このままここにいても、闇の者の餌食になってしまう。
「どこか休める所に移動しよう」
僕がハイジに声を掛けた時だった、近くで人の気配がした。
僕は慌てて銃を構える。
見ると、黒マントが僕達に向かって歩いてきていた。
「こっちだ、付いてこい」
彼はそう言って振り返り、歩き出した。
「行こう」
僕はハイジに声を掛け、立ち上がった。。
僕は、黒マントに付いて行くことにした。
五人いた仲間の内、二人がいなくなった。
一人は自ら去り、もう一人は命を失った。
特に、作戦を考えていたアイの損失は非常に大きい。
だから、黒マントが戻ってきてくれたのは心強かった。
今の僕には、この世界を戦って生き残れる程の知識も、経験もない。
黒マントは、歩きながら僕達に言った。
「殺された者残された者は、殺した者を恨む。憎しみが繰り返される――ここはそう言った世界だ」
今は味方でも、次会う時は敵かも知れない……。
自分が殺した相手に恨まれる――か。
僕は、この世界にきて、何人もこの手で殺してしまった……。
小学生くらいの小さな子供にも手を掛けた。
きっと、恨まれているのだろうな。
「自分が幸せになるために、人の幸せを奪いとる。すべての人が平等に、幸せを手にすることはできないのだ」
黒マントはそう言った。
確かにその通りだろう。
元の世界に戻るには、他人を殺さなければならないのだから。
しかし、ハイジはその言葉に反論した。
「そんなことはありません! 人は助け合うことができます。強きものは弱きものを助けることで、皆が幸せになれるはずです」
黒マントは立ち止まり、ハイジに顔を向ける。
「実際そうなのか? 貴様の元いた世界でも強者は弱者を助けているのか? 強者は弱者を踏みにじり己の糧としているのではないのか?」
ハイジは、何も言えなくなった。
それが事実だからであろう。理想と現実はほど遠い。
黒マントは、一人前を行く。
ハイジは僕に告げた。
「人はどうして争いを起こすのでしょう。他人から奪ってまで、そんなに富が欲しいのでしょうか? 地位と名誉が人の命よりも大切なのでしょうか? 幸せを分け合うことはできないのでしょうか?」
元の世界に戻りたいから、他人を殺さなくてはならない。
手に入れることができるのは、一人だけなのだ。
他人の犠牲が必要なのだ。
だから――仕方の無いことなのだと思う。
「わたしの元いた世界でも戦争が絶えません――」
「きっと、僕のいた世界でも同じだと思う……」
僕が知らないだけで、世界中で殺し合いが行われているのだ――何かを勝ち取るために……。
ハイジは僕の手を取り、力強く握りしめた。
「でも信じて下さい! 私は絶対に裏切りませんし、ビリーさんのことも信用しています」
僕はハイジの小さな手を、そっと握り返した。
「僕も、ハイジを裏切るようなことは絶対にしない」
この手は離したくない――。
ずっと、いつまでも、側にいたいと――そう思ったから。
山上の切り立った崖下に沿って歩いていると、人が入れそうな横穴を見つけた。
中は真っ暗で何も見えない。
入ろうとすると、黒マントに肩を掴まれる。
「待て、松明を炊いてからだ。どんな時でも、敵が潜んでいる可能性があると思え!」
確かに人が潜んでいる可能性もあるし、日光の当たらない所は、闇の者の巣窟となっていることも考えられる。
僕は地面を見渡し、松明になりそうな木の枝を探した。
松明と言うくらいだから、松の木がいいのだろうが、そんなものは、この世界に都合良くありはしない。
細い枝だと炎ですぐに燃え尽きてしまうので、ペットボトルくらいの太さは欲しい。
地面から、手で持てる程の大きさの枝を拾い上げた。
バックパックから布とロープを取り出した。
先端に布をまき付け、ロープで固定する。
巻いた布に、オイルを染みこませる。
マッチを擦り、火を灯した。
これで10分くらいは持つだろう。
僕は松明をかざし、洞窟の中へと歩を進める。
枝の長さが短すぎたせいで手元が熱い。
入り口は狭くて屈まないと入れないが、中は広く高さもあり体育館程の空間だった。
洞窟の奥から、僕の方に向かって何かが飛んでくる。
鳥か!?
僕は松明を持っていない方の腕で顔を覆い、瞬時に屈んでそれを避けた。
「うわぁっ」
思わず声が出てしまった。
初めて見るが、それはコウモリだろう。
松明の炎に驚いたのか、四、五羽のコウモリの群れが羽ばたき、入り口から出て行った。
ハイジの前で、大きな声を上げてしまったのが恥ずかしかった。
「コウモリさん、ごめんなさい」
ハイジは、飛んで行ったコウモリに向かって謝っている。
今夜だけ、彼らの寝床を借りることにしよう。
今は表から光が差し込んできているが、夜になったらこの中は真っ暗で何も見えないだろう。
それに、火が無ければ闇の者が寄ってきてしまう。
一晩中、火を灯し続けられる程の量の枝が必要だ。
僕は、松明を壁に立てかけた。
洞窟の外に出て、なるべく湿っていない枝を探した。
ハイジも手伝ってくれて、三十本くらいは集まった。
「これで、一晩は越せそうだ」
五本程度重ねて、先程の松明を上に重ねた。
パチパチと枝が燃えだした。
夜も深くなった頃、食事を取った。
こんな場所では、ハイジ自慢の料理にもありつけない。
バックパックにしまっておいた乾パンと、水筒の水が今夜の晩ご飯だ。
黒マントは、ハイジに告げた。
「ここから先は厳しくなる。自分の身は自分で守ることだな……。戦えぬ者は、死あるのみだ」
そう言って、拳銃を手渡そうとした。
しかし、ハイジは拒絶した。
「わたしは、人殺しの道具は持ちません」
人殺しの道具……か。
僕の手に握られているのは、人を殺すための武器。
無防備な小さな子供ですら、僕は殺した。
自分の欲望のためだけに。
それがこの世界のルールだから……仕方なく……。
「好きにしろ」
黒マントは拳銃をしまい、それ以降は何も言わなくなった。
ハイジは自分の信念を貫いている。
決して武器を持たない――。
人を……殺さない。
この世界の方が間違っていると――彼女はそう思っているはずだ。
強さとは、決して人を倒す力のことだけではない。
アイが闇の者に襲われたあの時、ハイジの人を絶対に救うという強い意志が、青い結晶の力を呼び起こした――僕は、そんな気がしてならない。
それがあったからこそ、アイの目的が復讐から親友を救うことに変わったのだ。
ハイジは、僕なんかより……ずっと強い。
自分の身を犠牲にしてでも、他人を救おうという意思がある。
僕はハイジに告げた。
「大丈夫、僕がハイジの分まで戦うから……怪我をしたら治して欲しい。そして、絶対に一緒に元の世界に戻ろう」
「はい」
ハイジは、笑顔で返事をしてくれた。
アイがいなくなって、ずっと悲しそうな表情をしていたが、ようやく笑顔が戻った。
夜は僕と黒マントが、交代で見張りをする。
僕が先に眠ることになった。
深夜、犬か狼なのか判別つかない遠吠えで、僕は目を覚ました。
横を見ると、ハイジが眠っている。
松明を灯しているとは言え、夜は冷える。
風邪を引かないように、僕の羽織っていた毛布もハイジの上に掛けた。
僕がハイジにしてあげられる優しさなんて、これくらいなものだ。
洞窟を出た所に、黒マントが腰を下ろしていた。
彼はペンダントを見つめていた。
そのロケットペンダントには、二人の男女が笑顔で映っている写真がはめ込まれている。
「交代します」
「ビリーだったな……」
「はい」
思わず返事をしたが、初めて名前で呼んでくれた。
「シモンだ……」
僕の心の中の考えが顔に出ていたのだろうか? 彼は自分の名前を名乗った。
「今後は名前で呼べ、回りくどいとミッションに支障が出るからな……」
「はい。シモンさん」
「敬称はいらん。この世界では上も下も無い。勝者こそすべてだ」
それは、勝ちにこだわる――生き残ることへの彼の執念だろう。
「俺もかつては、あの女と同じように復讐だけを考えて生きていた」
あの女とは――アイのことだろう。
シモンは、ペンダントを閉じて懐にしまった。
「そのために……力が欲しかった……復讐をするために。だが、目的を果たしても、ぽっかりと空いた心は満たされなかった。俺が本当に望んでいたのは、力でも復讐でもなく、ただ、あいつの笑顔がもう一度見たかった……それだけだったんだ」
「そのペンダントの人……ですか?」
シモンは、僕の質問には答えず黙って俯いていた。
僕は、この人のことを誤解していた。
冷酷で冷たい人だと思っていた。
でも実際、シモンはいつも嫌な役目を担ってくれていた。
ハイジが浚われた時だって……ペーロを殺す時だって。
「静かに――」
シモンは、僕を制するように左手を向けた。
足音がする……。
敵襲だろうか!?
僕はシモンに続いて、銃を手に取り洞窟から出る。
崖の下を見下ろした。
松明の光だ。
「どうしますか?」
ズドン――。
僕が躊躇していると、シモンは狙撃銃で狙いを定めて発射した。
「迷うな……考えるな……その一瞬が命取りになる」
速い……。もし僕がシモンの敵だったら、判断に迷っている間にやられている。
「人殺しは嫌か?」
「そりゃ……もちろん」
「もし大切な者があるのなら、強くなるしか無い。それは奪うためでも制するためでも無い。ただ守るために……大切な何かを人の手に渡さないために」
強くなるしかない――。
守りたい者……。
「そのためなら、どんなことをしてもいいというんですか?」
シモンは黙って狙撃銃で狙いを定めている。
「人を……殺しても?」
「わからないか?」
ズドン――、ズドン――。
二発の銃声が木霊する。
崖下にいた二人の敵が、横たわる姿が見えた。
「よく考えておけ」
シモンは構えていた銃を下ろした。
「貴様を見ていると、昔の俺を思い出す」
シモンの過去……。
「あの時の俺は弱かった……もし、大切なものがあるのなら、ほかを犠牲にしても絶対に守り抜け」
シモンは洞窟の奥へと入って行った。
ほんの少しだが、シモンのことが分かった気がする。
アイとの因縁以外にも、シモンにも何かしらの過去があって、冷たさは、そう言った経験からの戒めなのだろう。
それはきっと、僕達に……同じ思いをさせないために。
翌日、僕達は闇に追われるようにして、進んで行った。
進んで行くしかない――。
生きるためには、休むことなどできやしない。
立ち止まれば、そこには死しかない。
昨夜は野宿で、疲労も溜まっている。
早く次の拠点を手に入れたい。
僕達は崖を迂回し、山頂までやってきた。
良く晴れて青空も広がり、空気が澄んでいるから、遠くの景色まで良く見える。
山上から見下ろすその先に、真っ白な石造りの遺跡群が見えた。
野球場何個分といった、広大な広さの中に建物が点在している。
至る所に苔が付着し、床を草が覆い、蔦が壁に絡みつき、長い年月を野ざらしにされてきたのが分かる。
その大半の建物が崩れているが、原型を保っているものも多い。
壁には模様や古代文字、神様を表した彫刻が刻まれている。
どことなく、東南アジアの遺跡――といった雰囲気を醸し出していた。
遺跡群を横断するように河が流れ、細かく枝分かれして、それぞれの建築物を取り囲むように流れている。
河のあるところに文明は栄える――と言われているが、まさにそれを象徴しているかのようだ。
そして、遺跡群の中央には円形状に作られた建物がある。
きっとそれは、闘技場――コロッセオだろう。
何千年も前に滅びた文明……彼らもまた今の僕達のように、あの闘技場で殺し合いを行っていたのだろうか?
双眼鏡で索敵を続けていると、一人、二人と敵影を捉えることができた。
交戦していない所を見ると、同じチームなのだろう。
「今の闇の進行ペースだと、日没までにあそこをとるしかないな」
シモンは、僕の隣で狙撃銃に付けたサイトを覗いている。
「あいつらは俺がここから狙撃をする。遺跡の中に隠れている奴らを、手当たり次第屋外におびき出せ。それくらいできるな?」
言い方には腹が立った。
しかし、簡単そうに言うが、敵陣の中に単独で潜入するのは勇気がいる。
「どうした?」
「できる……。やってやる!」
「わかった。日暮れと同時に仕掛けるから、準備をしておけ」
武器の準備をしながら、ハイジはどうするか聞こうと振り返った。
彼女は、慌てて占いのカードをしまっていた。
三枚のカードが、小さな手から地面に落ちた。
三枚中一枚は……。
あの、死神のカードだった。
僕はカードからすぐに目を逸らし、何も見ていないことを装った。
僕がハイジに声を掛ける前に、彼女の方から先に口を開いた。
「私も付いて行きます。だいじょうぶです! どんな怪我でも治しちゃいます」
この戦いで誰かが死ぬ――。
そんなこと、考えたくは無かった。
だからハイジには、ここで待っていて欲しかった。
敵陣に乗り込むよりも安全だ。
いざとなれば、シモンが助けてくれるだろう。
僕は答えに困っていた。
しかし、ハイジをここに残しておいて、万が一死んでしまったなんてことになったら、悔やんでも悔やみきれない。
僕の手には銃がある。
……僕には力がある。
それなら、僕が守ればいいだけのこと。
「おじゃまでしょうか?」
ハイジは不安そうな表情を浮かべた。
「いや、助かるよ。一緒にきてほしい!」
シモンをチラッと見たが、何も言ってこない。
「危なくなったら、わたしのことは構わず逃げて下さいね」
「絶対にそんなことはしない! 絶対に守るから」
僕が守るんだ。
絶対に彼女を死なせるようなことはしない。
日暮れ前に、僕とハイジは崖下に降りて行った。
山頂から見た時は、それ程遠く感じなかったのだが、山道を降りるのに慣れていないせいもあり、2時間くらいは掛かったと思う。
到着した頃には、辺りは真っ暗になっていた。
遺跡の上に浮かぶ丸い月は、とても幻想的だった。
「綺麗……わたし、古代文明の遺跡を見るのは初めてで……」
ハイジは、その絶景に見入っている。
こんな殺し合いが無ければ、ゆっくりと彼女と観光気分で散策を楽しみたかった。
死神のカードのこともあるし……命に関わることだから、今は気を引き締めていこう。
遠くに松明の火が見えた。
そこに人――この世界では、確定で敵になる者がいる証拠だ。
僕は敵に見つからないように極力腰を低くして、岩の影を進んで行く。
ハイジも僕のすぐ後ろをついてくる。
山頂を見ると、シモンは葉っぱで全身を覆うような出で立ちのギリースーツに身を包み、サイトを覗いて狙いを定めていた。
僕達二人は、遺跡の中に入り込んだ。
壊れた塀と塀の間を、ゆっくりと音を立てないように進んで行く。
ここはシモンの狙撃の射線が通らないので、援護は期待できない。
極力敵に見つからないように、慎重に行動しなければならない。
暫く進むと、道の先から微かに足音がする。
緊張が走る。
僕はハイジの顔を見て、人差し指を自分の口の前に持っていった。
L字型の曲がり角の影に隠れていると、100メートル位先に敵の姿を確認できた。
それは、まだ小さな少女だった。
僕はこの子を殺さなくてはならないのか?
僕はハイジを見た。
彼女は不安そうな目で僕を見つめ返す。
いや――そんなことをする必要はないんだ。
僕の役目は、あくまで斥候と陽動。
だからこの子を撃つ必要なんてない。
敵の数と位置を確認して、遺跡の外におびき出せればいい。
そうすれば、シモンが狙撃してくれる。
ここで無理して戦う必要は無い。
ただ自分の手を汚したくないための、言い訳に過ぎないのかもしれない。
でも、この手で人を……まして小さな子供を……もう……殺したくない。
「別の道を行こう……」
「はい」
ハイジも、僕の気持ちを察して同意してくれた。
僕は振り返り、今きた道を戻る。
すると、後ろで駆け出す音がした。
しまった……ばれたか!?
振り返ろうとした瞬間、僕の背中に衝撃が走った!
先程の少女が、僕の体に小さな体を預けていた。
そして、すぐに背を向けて走り去って行った。
カランと、地面にナイフが落ちる。
女の子が握りしめていたものだ。
「だ、大丈夫ですか!?」
ハイジが駆け寄ってくる。
「腰の辺りをナイフで刺された……」
手を当てるとヌルッとした感触がある。
触った手は、真っ赤に染まっていた。
「大丈夫だ、傷はそんなに深くない」
しかし、こちらの位置を知られてしまった。
あの子が仲間に知らせる前に、すぐにここから離れたほうがいいだろう。
腰のポーチに入れていたスモークグレネードのピンを抜き、目の前に転がした。
その缶から真っ白な煙が噴出し、辺り一面を覆った。
これで敵の目から、僕達の姿を眩ますことができる。
「今のうちに逃げよう!」
僕は走り出そうとしたが、脚に力が入らず、その場に腰を落としてしまった。
どうしたのだろうか?
体が痺れる……背中が熱い。
もう一度、刺された部分に手を当てた。
手には血に混ざって、紫色の液体が付いていた。
「いけない! 蛇に噛まれた子ヤギの時と同じ……」
毒か!?
痛みよりも、まるで麻酔を打たれた時のように感覚が無くなり、意識がもうろうとしてきた。
そして、その場に倒れ込んでしまった。
死神のカードを思い出した。
そうか……死ぬのは僕だったんだ。
シモンの言う通り、僕は甘かった……今さら後悔しても……もう遅い。
ビリーはこのまま死んでしまうのか!?
⇒ 次話につづく!
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