身代わり霊能力者の出会い

作者: 藤原 惟光

職場の後輩に別作品の文庫を読ませたところ、WEBの方も読んでくれて「先輩!あの!身代わりの奴!好きです!!」と面と向かって言われたので。筆が滑りました。

後輩ちゃん、ありがとう!

※「マリアベル~」のきっかけになった後輩とは別の子です。

 晴海はるみ結季ゆきには霊が見えている。


 人生で最初にそう言われるようになったのはいつ頃だっただろうか。

 結季はぼんやりとそんなことを考えながら目の前の男子生徒の肩の辺りを見つめていた。

 そこに何かが見えるというわけではない。

 ただ、真っ直ぐに目を見ようとすると、『心が読まれそうで怖いからやめてほしい』と言われたことが多々あったので、最近ではあからさまに逸らすことなく、ギリギリ失礼にならないであろうくらいの位置を見ることにしているのだ。

 しかしながらそれはそれで問題があるようで。


「晴海さん、あの……俺の肩に……何か?」

「いえ、特には……あ」


 間の悪い事に結季が何もないと答えようとしたタイミングでひらひらと飛んできた蝶が彼の肩に止まったのだ。

 結季の口からつい零れた声は、ビクビクと怯えていた男子生徒を驚かせるには充分だったらしい。


「ぎゃぁぁぁああ!! やっぱり肩に何か憑いてるぅぅううう!!!」

「あ、いえ……あ~~~……」


 結季が訂正を入れるよりも早く、男子生徒は猛スピードで逃げていってしまった。

 担任の教師に頼まれた提出物のプリント集めは、先刻からこの調子で遅々として進まない。

 締め切り自体は余裕があるが、早めの提出を呼びかけるだけの話が、全く本題に入れないのだ。


「……そんなに怖いでしょうか……?」


 立ち寄ったトイレで鏡を覗きこむ。

 背中の中程までまっすぐに伸びた漆黒の髪。真夏でも日に焼けることの無い白い肌。大きな瞳は黒目がちで、小柄な体躯もあって、歳よりも幼く見える。

 けれど、あまり変わることの無い表情や、落ち着いた物腰は逆に年齢以上の含蓄を感じさせるため、ちぐはぐな印象を見るものに抱かせるのだ。

 更に昔から何もない空間を凝視する癖があり、独り言で自問自答する癖もあったため、前述のような誤解を受けるようになっていったのだ。


「霊感なんて全くないんですけどね……」


 溜息を吐きつつ、どうやって残りのプリントを集めるか、独り言で作戦を練り始める。この独り言を言う癖もまた、彼女への誤解を招く一因となっているのだが、本人にその自覚は一切ない。

 傍から見れば鏡越しに誰かに語り掛けているようにしか見えない。


「……地道に集めるしかありませんね……」


 結局のところそう結論付けた結季はトイレを出て教室へと戻った。


「あ、晴海ちゃん、おかえり~」

「結季、はいこれ。何人か声かけて集めておいたわよ」

佐原さはらくん、美月みづきさん、ありがとうございます」


 クラスメートの佐原さはら各務かがみ美月みづき奈美なみが数枚のプリントを差し出してくる。

 中学からの付き合いである彼らは結季が見た目に反して霊感など持っていないことを知っている数少ない友人である。


「結季も毎回大変だよね。何なら全部代わりに集めてあげよっか?」


 その方がきっと早いよ? と言う奈美に結季はふるふると首を横に振る。


「いえ、先生から頼まれたのは私ですから、できるだけ自分で全うしたいと思います。あ、でも集めてきてくださったのは嬉しいです。ありがとうございます、美月さん」

「僕も、僕も手伝ったんだよ?!」

「はい、佐原くんも、ありがとうございます」


 結季が頭を下げると、各務は頬を染めて頭を掻いた。それを横目で見ながら奈美がやれやれと溜息を吐く。 


「そういえば、話変わるけどさ、旧校舎いよいよ取り壊すんだって」

「旧校舎……というと南棟の端にある木造の部分でしたよね?」

「そう。前から老朽化が酷くて、立ち入り禁止にはなってたでしょ。壊すの壊さないのって中々決まらなかったらしいんだけど、とうとう業者が決まって、来週から工事に入るんだって」

「旧校舎っていえばさ、怪談の名所だったよね」


 その言い方はどうなんだろうと結季は思ったが、口には出さなかった。

 奈美たちの会話が聞こえたのか、教室内のあちこちで旧校舎の話が飛び出し始めた。


「夜の校舎の窓に無数の人影が映るとか、誰もいない教室から歌が聞こえるとか、教室の中の物が勝手に動いてるとか……」

「火の玉を見たって子もいるよ~」


 次から次へと伝聞調の目撃証言が飛び出す。


「なあなあ、壊される前に一度肝試ししとかねぇ?」

「ええ~やだこわ~いぃ!」

「ちょっと夜に集まってぱぱっと行って中見て回るだけだよ」

「どうせ鍵締まってるだろ?」

「そこは壊れた窓の床から入るとかさ、何とかなるんじゃね?」


 クラス内の主に男子数人が盛り上がり始めた。こうなると、反対すれば怖いんだろうとか、煽り合いになって、止まりそうもない。

 戸惑っていた女子も流れに巻き込まれそうになったとき、それまで黙って会話を聞いていた結季が、ぽつりと呟いた。


「あそこは……やめておいた方がいいです」

「え?」


 静かな声だったが思いのほか教室内に響いたらしく、一気にあたりが静まり返った。

 そんな空気に気づいていない様子の結季は、空中の一点を見据えながら聞こえない程の声で暫くブツブツ呟いていたかと思うと、ふっと肝試しを最初に言いだした男子生徒へと視線を合わせる。

 黒く大きな瞳に真っ直ぐに見つめられ、男子生徒は心の奥底まで読み取られているような錯覚を覚えた。


「(旧校舎の床は確か腐ってて一人二人ならともかく、大人数で入れば床が抜ける危険があると用務員さんに聞いた覚えがありますし、彼は見るからに体重が重そうです……)行けば、怪我をなさると思います」


 そんな状態で静かにこんなことを言われれば、予言と取られても仕方のないことかもしれなかった。


「ヒっ……ま、まじかよ?!」

「ええ。それに……」

「ま、まだ何かあるのか……?!」


 再び結季の視線が空中へと彷徨う。

 実のところこれは結季が考え事をするときの単なる癖なのだが、周りから見ると何もない空間を見ながら見えない何かと会話をしているようにしか見えないのだ。


「(工事が来週からでも、見積もりや足場を組んだりの準備で業者の方は今日からでも出入りなさるかもしれませんし……)邪魔をしては駄目ですよ……?」


 厳かな口調と思わせぶりな微笑み(本人に他意はない)でそう言われ、クラスメート達の背筋が凍り付いたのは言うまでもない。


「や……やめとこ……っか?」

「そ、そうだよね……触らぬ神に祟りなしって……言うしね……」


 ガタガタと震えるクラスメートたちは、その後一切肝試しの話はしなくなった。



 それから数日が経ったある日のこと。

 結季は委員会の作業で遅くなってしまい、鍵を職員室に返して昇降口を出る頃にはすっかり辺りは暗くなってしまっていた。


「急いで帰らないと、お祖母ちゃんに心配をかけてしまいます」


 小走りに中庭を抜け、正門ではなく裏門の方へ急ぐ。

 その方が近道だったからなのだが、南棟と呼ばれる校舎の辺りまで来たとき、思わぬ光景に結季の足が止まってしまった。


「旧校舎に明かりが……? どなたかいらっしゃるのでしょうか……?」


 業者の出入りがあるとは思っていたが、こんな時間にあるとは思っていなかった。それに、複数人が作業しているにしてはやけに人の気配がない。


「業者の方が電気を消し忘れた……とか」


 などと考えながら、校舎へと近づく。灯りが漏れていたのは1階の教室の様だ。

 そっと窓のところまで来たとき、結季の目に予想だにしなかった景色が飛び込んできた。

 机やいすなどが撤去された教室の中央に何やら円陣のような模様が描かれ、その中央に男が一人立っていた。

 見たところスーツ姿のサラリーマンに見えるが、手には何かの札のようなものが数枚握られている。

 更に異様な事に、教室内、窓もすべて閉ざされているというのに、男のスーツは強い風を受けて翻っていたのだ。


「あれは……いったい……」


 結季は何が起こっているのかわからず立ち尽くした。

 ガラス越しでよく聞こえないが、男の人は低い声で何か唱えている。神社なんかで神職の人が唱えてくれる祝詞に似ているが、少し違うようだ。

 その時、突然男が結季の方を振り向いた。

 アンダーリムの眼鏡の奥で切れ長の瞳が驚愕に見開かれるのが見えた。


「馬鹿! 伏せろ!!」

「え?! きゃぁぁあ!!」


 ガラスが割れる音が響き、結季は咄嗟に頭を抱えてその場に蹲る。幸いなことに破片は結季の立っていた場所からは少しそれた場所へと飛び散ったため、怪我はなかった。


「誰だか知らんがそのままじっとしてろよ!!」

「は、はい!」


 男の声に結季は蹲ったまま応えると鞄で頭を庇いつつ、激しい破砕音が止むのを待った。

 暫く男の祝詞もどきと、風の唸る音、硝子の割れる音がしていたが段々と治まっていき、そして静寂が訪れた。

 それでもじっとしていると、砂利を踏む音がして、視界の端にブラウンの革靴が見えた。

 恐る恐る顔を上げると、長身の男がこちらを見下ろしていた。


「大丈夫か? 怪我はないだろうな?」


 低く、落ち着きのある声に、切れ長の瞳、すっと通った鼻筋、薄めの唇がどこか冷たい印象を与える美麗な顔立ちだが、どうやら結季のことを心配してくれているらしいことがその言葉でわかった。

 差し出された手に捕まって立ち上がる。

 立ってみると、小柄な結季では男の肩程の身長しかなく、その顔を見るには見上げるしかない。

 濃いブラウンの髪を流すようにキッチリセットしていたが、先ほどの騒ぎで乱れたのか幾筋か額に零れている。

 一見するとエリート官僚か弁護士でもしていそうなクールビューティーだった。


「あの……」

「どこか怪我をしているなら言ってくれ、それとも霊障を受けたか? 見たところ憑かれてはないようだが、悪霊の類の影響は後になって現れることもある。どこか違和感があれば言って欲しい」

「…………え?」


 結季は思わず聞き返していた。

 目の前の男性は普通のサラリーマンに見える。それもどちらかというと超現実主義者スーパーリアリストに見える。

 間違っても幽霊だの、悪霊だのという話を信じるタイプには見えない。


「あの……今、悪霊って……」

「ああ、お前も見ていただろう。この校舎の地縛霊が思った以上に強力でな。工事がこのままじゃ始められないから学生が帰った時間帯に祓うことになっていたんだが、まだ残っている奴がいるとは知らずに巻き込んでしまった。すまない。お前みたいに見えるタイプには怖かっただろう」

「いえ、あの……怖いも何も、私は霊の類は全く見えないので、ただガラスが割れただけにしか……」

「……うそだろ? そんないかにも見えてますって顔してるのにか?!」

「はい……すみません……」


 これが、のちに結季が身代わり霊能者として働くことになる、霊能力者、鷹見たかみ春希はるきとの出会いである。