8章 二十万年の孤独 7話
しかし、場の空気は重くなる一方だった。
「いいかいジェイル。よく聞いてくれ。この付けられた傷も日に日に治っているうえ、僕の知らない内に文字が増えた事もあるんだ。この傷を付けられた文字だけは守らなくちゃいけない気がするし、生者の血の情報もこれ以上誰かに知らされる訳にいかない。生者の血は邪神の血にも転換出来る。その血で罪のない人が消えるのは嫌なんだ」
「だからって、出来るわけないだろ!」
分かってもらおう、と丁寧に説明するブルンデに対し、思わず反発するジェイル。
「いきなり、理解してくれと言うのも、身勝手な話なのも分かるよ。でもこのままじゃ、天使界と地獄に大きな災いが降り注ぐ事になるんだ。それにボクを護衛してる兵士達の中には生者の血に興味を持つ人もいるんだ。いずれ天使聖界の目を盗んでここにやって来るかもしれない」
「災いも何も、この世界なんて既に天変地異が起きたような世界じゃねえか。それにそんな奴らが来たとしても吐き出すなりして追い出せばいいだろ! 今更お前が命を懸けてまで守る価値なんてないぞ!」
ジェイルは馬鹿馬鹿しいと言わんばかりの態度だった。
「お前がやろうとしてる事は愚鈍だ。だからそんなこと言うなよ!」
ジェイルはブルンデを説得しようと語気を強める。
「これはジェイルがいた現世にも影響を与えるんだ。生者の血だけでも、あの世とこの世のバランスを崩してしまう。それはこの文字を見たジェイルになら分かるでしょ!」
ブルンデもジェイルに理解してもらうために、語気を強める。
いつの間にか口論となるジェイルとブルンデ。
そして、ジェイルはブルンデの伝えようとしている事は理解していた。
仮に生者の血で幽界の地の者が生き返れば現世には死者から蘇生された人間で溢れかえるだけでなく、邪神の血は死者を文字通り抹消してしまい、幽界の地にいる者たちの人口を減らしブルンデの言うように生者の血だけで、あの世とこの世のバランスを瓦解させてしまう。
既に天使界の人間の中に悪意のある人間が居て、その者は少なくとも生者の血の情報を手にしている。その例外がいる以上、生者の血の情報が記されたブルンデは危険な立ち位置にいる。生者の血の温床と言っても差し支えないだろう。それ以外にもブルンデに傷つけられた文字には更なる危惧が予想される、とブルンデ自身が口にしている。
理解していても、感情的な問題に直面していたジェイル。
助ける手段が何も思いつかないジェイルの思考は闇に覆われてしまう。
「お願いだよジェイル。こんな事は、友達の君にしか頼めないんだ。とり返しのつかなくなる前に、君の手で、ボクを――!」
必死に懇願してくるブルンデの声にジェイルは奥歯を噛みしめながら、とにかく悩んでいた。しかし、どれだけ思案しても荒野の道から草原を目指すような光の糸口が掴めずにいた。
「お前は‥‥‥蘇る事は出来ないのか?」
泣きそうになるのを必死に堪えるジェイル。
「残念だけど、ボクはどの世界でも一度死ねば、肉体の復活は不可能なんだ。自然と帰りボクの意思は途絶えてしまうんだ」
それを聞いたジェイルは深く俯き、他にブルンデが犠牲にならない方法を考えるが、何も浮かばずにいた。
「さあ、ジェイル。ボクのコアを、その剣で思いっきり刺してくれ」
防刃コートの中に隠し持っていた妖魔の剣に気付かれていた事に驚く気力も起きなかったジェイル。
ジェイルはとにかく無力な自分が悔しく、身体は脱力してしまう。
「大丈夫だよジェイル。ボクは死んでしまうけど、自然に帰るだけなんだ。そこに今の僕の意思は無くなってしまうと言っても、ボクは自分を失わないよう抗い続ける。必ずジェイルと一緒にいるから」
そんなジェイルを気遣うようにブルンデは優しく言葉をかける。
その決意と優しさにブルンデを手に掛けない、という思いを持ち続けていたジェイルの不安定な心の波をブルンデは穏やかにしてくれた。
ジェイルは妖魔の剣に手を伸ばし、ゆっくりと引き抜いた。
そして、グリップを両手で握りしめ、上に掲げ、剣先を下のコアに向ける。
「本当にありがとう。最初で最後のボクの友達」
「ああ、俺もお前が‥‥‥初めての友達だったぞ」
ジェイルは掠れるような声で喋り、涙腺から大粒の涙を流していた。
そして、数秒の沈黙が経つと。
「うあああああぁぁー!」
覚悟を決めたジェイルは、悲痛な叫びで掲げていた妖魔の剣をブルンデのコアに勢いよく突き刺した。
「ブオオオオオォォー!」
痛みに耐えきれず、外のブルンデの口から咆哮のような雄叫びがコアの部分にまで響き渡る。