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5章 偽りの栄光と繁栄 1話

 身体が有るのか無いのか分からない不思議な感覚のまま、急激な速度で落ちて行ったはずなのに、いつの間にか深い海の底をゆっくりと沈んでいくような感覚にジェイルは(おちい)っていた。


 どこまでも、どこまでも続いていくその感覚は地獄に落ちて移動している時と少し似ていた。


 そして、ふと目の前で見た事もないビジョンが脳裏に映し出される。


 「ではジェイル君。後は任せたぞ。‥‥‥そしてありがとう。君の勇気と覚悟に、最大の敬意と感謝を‥‥‥」


 そのビジョンでは白髪で三つ編みにした髪を肩まで垂らした若い男が居た。


 その男以外は、もやもやとして映っていてどこにいるのかも分からない。


 突然、映し出された若い男の真剣な表情と感謝の言葉。


 意識を朦朧(もうろう)とさせながら、そのぼんやりとした声を聞いたジェイルは、突如、冷たい何かに()かっている感じがし、身体をビクンと跳ね上がらせた。


 「うわっ!」


 意識を取り戻したジェイルが一体どうしたのか? と思ったら、そこは冷水(れいすい)が溜まっていた井戸の中だった。


 三人は入れるペースはある、薄暗く冷え切った井戸。その井戸の冷水でいつの間にか防刃コートや襟元に付いていた血は自然と洗い流されていた。


 「今、井戸から声がしなかったか?」


 「ああ、確かに聞こえたぞ」


 ジェイルが井戸の中で困惑していると上から人の声が聞こえて来た。


 「おーい! 誰かいるのか⁉」


 井戸の上から二人の人影がジェイルに大声を上げ、井戸の中で反響する。


 「頼む! 助けてくれ!」


 ジェイルが大声を上げると、ロープが()らされてきた。


 「そいつに(つか)まれ!」


 垂らされたロープを握りしめると、それを上で確認した二人の人影がロープを引っ張りジェイルを救出する。


 井戸の底から無事に救出されたジェイルは眩い光に当てられ思わず目を伏せる。普通の青空と違い、薄いオーロラが(そう)(きゅう)を覆っていた。


 (れん)()や木造で建てられた家などが並ぶ西洋風の町。だがその街で数人、歩く人達からは目に生気が無く覇気(はき)が感じられない。


 どちらかと言うと地獄の人間達の方が(やく)(じょ)としているように見えるぐらいだ。しかし、ジェイルを救出してくれた二人は意識がはっきりしている。    


 この違いは一体?


 「それにしても兄ちゃん。なんで井戸の中に居たんだ?」


 徐々に目が光に慣れていく中、中肉中背の中年の男性が()(ごく)(とう)(ぜん)な質問をしてきた。


 「いやあ、それがその、大穴に落ちてからの事は覚えてないんだ」


 どう説明していいのかわからず、戸惑いながらも思い出せる断片だけを口にしていくジェイル。


 それを聞いた中年の男性と丸刈りの頭をした若い男性は、何かを納得したかのように「なるほどな」と口にする。


 「そうか。兄ちゃん、その若さで飛び降り自殺しちまったんだな」


 憐憫(れんびん)な面持ちで切なそうな声でジェイルに言葉を掛ける中年の男性。


 何か誤解されているのでは? とジェイルは思い冷静さを取り戻した。


 「――いや、別に俺は自殺なんて」


 「そうかそうか。お前もこの天使界(てんしかい)に選ばれた迷える子羊ってわけだな」


 誤解を解こうとしたジェイルの言葉を最後まで聞かず、結論付ける若い男性。


 しかし、それを聞いたジェイルはここが(てん)使()(かい)なのか? と驚愕した。


 そして、大穴に先に飛び込んだガーウェンの事を思い出し、焦りながら辺りを見回す。しかし、ガーウェンの姿はどこにもない。


 「なあ、ここにガーウェンって奴が来なかったか? 三角の黒い帽子を被った髭面の男なんだが?」


 ジェイルの言葉に中年の男性と若い男性は互いに顔を合わせ、首を傾げる。


 「いや、見てないな。それに(てん)使()(かい)に来る人間は余り居ないから来たらすぐ分かるぞ」


 悪魔の世界では善行を積んできた人間や、罪を犯した事のない人間は極端と言える程少ない。


 現世での犯罪率八十パーセントと言う数字は地獄と(てん)使()(かい)の人間の比率を物語っていた。先程から人が少なく見えるのはそのせいだろう。


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