26.推しでもなく、弟でもなく(ジョシュア視点)
幼い頃から、姉は独特の世界観を持っているような気はしていた。知ろうとしても知ることはできない、本人のみ知る思考。
推し、なんて言葉誰に聞いてもわからないと思う。だから母様から推してみようという提案をされた時は、理解するのに時間がかかったほどだった。
その世界観に対して、何か思うことがある訳じゃない。
ただ、時々酷く寂しい気持ちになるのだ。
(僕にはわからない、姉様だけの世界)
それを知りたいと思う反面、踏み入れることは許されていない気がして。これは幼い頃からずっと感じていたことだった。ただ、そこには姉に対する尊重もあった。
そこは姉様の個人的な領域だから、何も考えずに踏み込んではいけない。そう強く律してきた。
まさかその思いが、反転することになるとは知らずに。
コスモス畑を訪れた僕達は、咲き誇る花を眺めて楽しんでいた。しかし、何故か姉様は青いコスモスを前に考え込んでしまったのだ。
(あんな姉様、初めて見る……)
酷く狼狽えるような、そんな表情。普段何があっても基本的に明るく振る舞う姉様だからこそ、表情に対する衝撃は強かった。
大きな不安は無意識に僕の体を動かした。手を伸ばせば、その瞬間初めて聞く言葉が飛んできた。
「姉様ーー」
「そうね、これは聖地巡礼だわ……」
聖地巡礼?
そんな言葉、僕は知らない。
いつもなら、踏み込んではいけないと線を引くはずだった。しかし、今日は違った。
(……わからなければ、どうして不安だったのかも知り得ない)
僕が隣にいるのに、あんな不安な顔をさせるだなんて。そんなこと、絶対にしたくなかった。
(姉様には、ずっと笑っていてほしい)
そう願いながら、僕は“聖地巡礼”の意味を尋ねるのだった。聞かれると思っていなかった姉様は、またも酷く驚いていた。
「本当に、その言葉通りよ。好きな場所に行くの」
「好きな場所が聖地、ですか?」
「そう、ね……」
あまりの歯切れの悪さに、何か抱え込んでいる様子はすぐに察せられた。同時に、本心で話してもらえないような線引きを受けた気がした。
(……頼ってはもらえないんだな)
その事実が悲しくて、悔しくて。それでもどうにか感情を隠しながら姉様に感謝を伝えた。
それは行動にも現れ、あまり顔を見せないように奥へと進もうとした。
しかし、姉様は予想外にも話すことを選んでくれたのだった。
「貴方にそんな顔をさせるまで濁すことではないもの」
「!」
「……聞いてほしいわ」
まっすぐな眼差しは、傷付きかけた心をすぐに癒してくれた。我ながら単純だなと自分にあきれながらも、僕は姉様の申し出を喜んで受けることにした。
そこから始まったのは“推し”という言葉についての説明。
初めて姉様の世界に踏み入れられた気がした。
しかし、その喜びもつかの間で、“推し”という言葉が持つ本当の意味を知った瞬間的、喜びは悲しいくらいに消えてしまった。
「推しとは即ち応援したい相手のこと。お母様でいうお父様のように」
「……純粋に応援だけなの?」
「そうね」
「そっか……」
姉様にとって僕はその推しに当たるということは、薄々気が付いていた。その上、母様から教えたもらった推し活という存在と組み合わせれば、この仮説はほとんど揺るぎないものと捉えられた。
(応援……応援か)
何となく予想はしていたが、目を輝かせて“応援”と断言された瞬間、僕の中で決意が固まった。
「なるほど。じゃあ聖地巡礼っていうのは推しと巡ること、なのかな?」
「……そうよ!」
推しは尊いものだと、以前姉様か母様が屋敷で言っていた気がする。その尊い人と観光するから聖地巡礼なのだと、ようやく言葉の意味が理解できた。
姉様の世界に触れることができる、またとない機会。
そう判断するのに、時間はかからなかった。
「姉様」
「何かしら」
「姉様にとって、その推しは何人いるの?」
「!!」
ピタリと固まる姉様に、嫌な予感が過る。もしかしたら、自分以外にも該当者がいるのではないかという不安が濃くなり始めた。
「何人、だなんて……」
力なく呟き始めた姉様だが、目を反らしてはいけないと思い見つめ続けた。すると、姉様は突然僕の両手を取った。
「そんなの、ジョシュアだけに決まっているわ……!!」
「え……?」
「私に取っての推しは貴方だけよ! 一人しかいないけれど、ジョシュアが最推しなの。他に推しは存在しないわ……!」
熱のこもった言葉は、僕の心をいとも簡単に喜ばせた。力強い瞳には偽りはなく、本心が聞けたことに嬉しさを覚える。
「そっか、僕だけか……」
「そうよ。私が何かを送るのも、作るのも、ジョシュアだけだわ。……もしかしたらエリシャにも作るかもしれないけど」
「ありがとう、姉様。凄く嬉しいよ」
「よ、よかった……」
そう断言されたものの、意外と僕は冷静だった。
(……ここで喜んで終えれば、僕は一生弟で、推しなんだ)
そうわかっていたからこそ、姉様に近付いた。
「嬉しいんだ。でも……」
姉様の視界いっぱいに、僕以外入らないように。姉様の瞳の中に、僕しか映らないようにすると、その瞳を捉えた。
「僕は姉様の最推しじゃなくて、最愛になりたい」
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