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25.推しの笑みを曇らせてはいけません




 無理やり落ち着かせた心は、再びざわざわと沸き立ち始めてしまった。


(これは……やらかしてしまったかしら)


 聖地巡礼。

 それは即ち、推しが踏んだ地に自身も足を踏み入れること。推し活の一つでもあるのだが、それをジョシュアに説明するとなると簡単なことではない。


(何と言い換えれば良いかしら……)


 ふと考えようとした時、ジョシュアの不安げな瞳が目の前に広がった。


「せ、聖地巡礼っていうのは……」


 その不安が伝染したのか、反射的に声が出てしまった。


「本当に、その言葉通りよ。好きな場所に行くの」

「好きな場所が聖地、ですか?」

「そう、ね……」


 疑問はごもっともだ。


 前世日本であれば、推し活を知る者には伝わる言い回しだ。しかし、この異世界は“推し活”という概念自体が薄い状況だ。その上、聖地という言葉はジョシュアからすれば馴染みがない。


(聖という言葉が想像の邪魔をしているわよね……ジョシュアも納得してない様子だし)


 事実に近いことを言っているのだが、なにせこの世界とは価値観が異なるため、伝えることが難しいと感じてしまった。


「……そうなんですね。聖地巡礼、ですか。初めて聞く言葉ですが、勉強になります」

(!!)


 その瞬間、重い鈍器で殴られる程の衝撃を受けた。


 それは初めて見る、ジョシュアの作られた笑顔。本心とはかけはなれたであろう、隠された笑み。まさかそんな表情を浮かべられるとは思わず、私の胸はぎゅっと締め付けられてしまった。


 優しいジョシュアの事だから、私の歯切れの悪さに問い詰めることを止めたのだろう。ただ、本当のことを話してもらえないという悲しさまで生み出してしまった。


(違う……違うの……そんな笑顔をさせたかった訳じゃないの)


 推しにさせてはいけない顔をさせたことで、私の心は思いの外すり減ってしまった。


「せっかくだから奥まで見ましょう」

「…………」


 くるりと背を向けたジョシュアは、そのまま奥に歩き出そうとしてしまった。

 

「……姉様?」


 私は無意識にジョシュアの袖を掴んで引き止めた。このままではいけない、そう強く感じて。 


「ジョシュア……話したいことがあるの」

「……無理をなされてませんか?」

「無理……いいえ。貴方にそんな顔をさせるまで濁すことではないもの」

「!」

「……聞いてほしいわ」

 

 不安げな顔は、ジョシュアから見れば不本意な表情として映ったかもしれない。そんなことはないと示すために、私は強い視線をジョシュアに向けた。


「もちろんだよ」


 頷いた時に見えた笑みは、私が見慣れたいつもと変わらないものだった。


 周囲にベンチを見つけると、そこに座って話すことに決めた。


「どうぞ、姉様」

「ありがとう」


 私の座る位置にハンカチを広げてくれたジョシュア。その気遣いに嬉しくなりながら、二人並んで座った。


(何から話すべきかしら……)

 

 聖地巡礼を話すためには、そもそも推し活について、もっと言えば推しについて事細かに説明しなければならない。


 あまり整理がつかない状態ではあるが、ゆっくり話していこうと決意した。


「聖地巡礼なのだけどね、もっとしっかりした意味があるの」

「しっかりした意味、か」

「えぇ。……それを説明するために、まずは“推し”について話させて」

「おし……押して駄目なら推してみろ、の推しで合ってる?」

「な、何故それを……!!」

「いや、昔からよく聞いてたから」

「……覚えてるのね」

「覚えてるよ。詳細まではわからないけど、お母様に言ってたよね」

「よ、良く覚えてるわね……」


 幼い頃の記憶だというのに、ハッキリと覚えているのは意外だった。


「推しとは即ち応援したい相手のこと。お母様でいうお父様のように」

「……純粋に応援だけなの?」

「そうね」

「そっか……」


 お母様がグッズを作っていることは、ジョシュアも知っていたため、それを踏まえて応援する気持ちを具現化することを伝えた。


「それが、推し活」

「えぇ」


 ジョシュアの確認に力強く頷いた。


(これは……言うべきかどうかまだ悩んでいるわ)


 ジョシュアが推しに関して整理をする沈黙の間、私は次の言葉に声を詰まらせていた。


「……なるほどね」

(……………………いいえ、悩む必要はないわ。あんな悲しそうな笑顔は、二度とさてはいけないから)


 自分の確固たる変わらない軸をたどれば、これ以上迷う理由はなかった。


「ジョシュア、それでね」

「うん」


 ふうっと小さく息を吐いた。


「ジョシュア、貴方が私とっての推しなの」

「……僕が」

「そうなの」


 推しに推しだと告白するだなんて、抵抗しかないのだが、前向きに考えることにした。


(これはもう、認知してもらえると捉えればいいのよ……!!)


 ほんの少し投げやりな部分もあるが、優先すべきものを優先した結果だった。


「なるほど。じゃあ聖地巡礼っていうのは推しと巡ること、なのかな?」

「……そうよ!」

(かなり違うけれど、そういう認識だとありがたいわ!!)


 勢いをなるべく消して、自然な笑顔でジョシュアに同意した。


 推しと巡ること、なんて前世の私には到底できることではない。


(本当の聖地巡礼よりも、かなり価値のある聖地巡礼だわ)


 そう噛み締めながら、ジョシュアの柔らかな笑みを取り戻すのだった。




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