35.オフィーリアとの出会い(ユーグリット視点)
学園生活をする上で、正直あまり異性に興味を抱くことはなかった。それ故に家のための結婚で構わないと思っていたのだ。
そう父に伝えれば苦笑いをされたが、それがあの時の本心だった。婚約は父に任せたつもりだったが、父からどこかに打診することはなかった。
残念なことに、あまり家の利益にならない婚約の申し出なら何件も来たらしいが。
どこまでも優しく、自分が恋愛結婚だった父は、子どもの意思を優先させてくれたのだと思う。
オフィーリア・フォルノンテ。
彼女を初めて見たのは入学式だった。さすがに公爵令嬢ともなれば名前と顔の確認はしておいた。……凄く、綺麗な人だと思った。
まるで別次元の、自分とは関わることのないような人に思えた。そもそも学年も違うのだから。
しかしその予想は大きく外れることになる。
人との交流を好む貴族子女は、学園の図書館になどまるで興味がなかった。令嬢なら自分達が開くサロンに、子息なら学園の外で時間を過ごすことが放課後の一般的な過ごし方だった。
私はといえば、必要最低限友人を作らなかったこともあり、誰かと外出することは余りなかった。
それでもすぐに家には帰らず、図書館で過ごす日々を送っていた。図書館に人はほとんどおらず、静かに過ごせることができた。
学園図書館は国内で比較してもかなりの本が集まっている。それを在学中に活用しないのは、正直勿体無いと思っていたのだ。
ゆったりと過ごしていたある日のこと。
予想外にも彼女がーーオフィーリア・フォルノンテ公爵令嬢が図書館に来たのだ。
(……どうして彼女が?)
あまり令嬢同士の交流はわからないものの、彼女のような人気のある生徒はどこかしらのサロンに属していると思っていた。だから今日は気まぐれだろう。そう思ってそっと視線をそらした。
しかしこの予想も外れ、結局彼女は入学から半年ほど経っても図書館に通い続けていたのだ。
邪魔にならないようにと謎の配慮から気配を消していたため、交流することは一度もなかった。
図書館で彼女を見る度に、私は知らない間に魅力に引き込まれていったのだ。
(……よく笑うし、よく泣く。感情豊かなんだな)
淑女の見本とも謂われる彼女は、所作や立ち振舞いが完璧で品のあるご令嬢ということは学園内で有名な話だった。
そんな上品な彼女も、本を読む時は淑女の枠組みから外れたように無意識的に表情を崩していたのだ。
その表情が、素敵で、可愛らしくて。
気が付けば図書館に通う理由は、彼女になっていた。
そんなある日のこと。
彼女は本を読み始めたかと思えば、雨の音に気が付いて窓を見つめた。
「雨……」
滅多に聞かない彼女の声は、一人静に響き渡っていた。
「…………雷がきそうだわ」
困ったように眉を下げた彼女は、急いで本を元の場所に戻していた。その際に、本棚に肩をぶつけていた。
動揺しているからか、慌てる姿がどこか危なっかしくなっていた。
(……心配だ)
無意識に込み上げてきた心配から、彼女の後を追うことになった。ただ見守るつもりで後を歩いていったのだが、まさか階段を踏み外すとは思わなかった。
反射的に伸びた手は、無事に彼女の怪我を阻止することができた。それにほっと安堵する。
「勝手に触れてすまない。怪我はないだろうか」
「……は、はい。ありがとうございます」
「それなら良かった。雨の日は足元が滑るから、気を付けた方が良い」
「は、はい」
余計なお世話かもしれないが、落ち着いてほしいという意味で彼女にそう伝えた。
緊張から彼女がどんな表情をしていたかまではわからなかったが、その時は助けられたことだけで満足していた。
それが学園で接触した、最初で最後の場面になった。
あの雨の日を境にか、段々と彼女は図書館に来なくなった。どうやらサロンに参加し始めたようで、楽しそうにする彼女を見て、嬉しい反面少し寂しく思うこともあった。
(……もう、彼女と過ごすことはないのか)
ふとそう思った時に、嫌だと思ってしまった。
けれども、ほとんど関わりのない彼女に図書館以外で接触することは不可能だった。
あの雷の日があったとしても、名乗っていない私達は初対面なのだから。
だから正直、どうしていいかわからなかった。ただ何もせずに諦められるほど小さな気持ちではなかったのだ。
そんな時だった。父から婚約の話を再び振られたのは。
「婚約に関してだが、何件か話をもらっているんだが」
(…………)
いつもなら「家のためになる婚約を」と答えていた。だがどうしても今は、そう答えられなかった。
悩んだ結果一つの賭けに出てしまった。
「……私の方から一度、打診をしてもよろしいでしょうか。駄目な場合は、どんな婚約でも受けますので」
「…………」
父からすればそんな答えが帰ってくるとは思わなかったのだろう。すぐに返事は返ってこなかった。
「……何か良い心境の変化があったみたいだな」
「……良い、かはわかりませんが」
一度だけ賭けてみたかった。
接点のない、関わることもできない今の関係で、唯一彼女に手を伸ばせるもの。それは婚約しかなかったから。
「もちろんだ、ユーグリット。一度と言わず何度でも。ユーグリットは家のための婚約と言うが、あいにくルイス侯爵家は何一つ問題ないのでね」
そう優しく微笑む父に相手を告げた時は、目が飛び出るほど驚かれた。
こうして私は、オフィーリア・フォルノンテ公爵令嬢に婚約を申し込んだのである。
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