01.押して駄目なら推してみましょう!!
そして、場面は結婚記念日に戻るーー。
「ということでお母様。推してみましょう」
「ま、待ってイヴちゃん! 本当にどうしてしまったの?」
「お母様。私はお母様に新しい恋愛の形を提案しにきたんです」
「新しい、恋愛の、形……」
(おっと地雷を踏んだかこれ)
その瞬間、母の瞳は虚ろなものに戻ってしまった。
「……イヴちゃん。私はもういいの。全て試して駄目だったのよ? それなら残された死という道を選ぶべきでしょう」
「お母様、残念ながら全てではありませんね。まだ推してないですよ」
「だ、だから押して……これ以上ない強引なやり方も試してみたのよ」
ぐっと手のひらに力をいれながら反論をする母に、首をふるふると横にふる。
「お母様、その押すではありません」
「おしかつのおし、でしょう? ……なんだかわからないけど」
「そうです! 推し活の推しです!!」
「!」
私のあまりにも大きな声にビクッとなる母。
「こんな言い方はあれですが……どうせ死んでしまうのなら、最後に新しい方法を試してみませんか? その死を選ぶのは、試した後でも遅くないはずです」
「……そう、かしら」
「そうです!!」
普通ならこんな頭のおかしい提案、受けようとも思わない。だが、オフィーリアという人だから、私はこの案が通ると思ったのだ。
迷う母に、一押しの言葉を掛けた。
「最後に、お父様をもう一度だけ愛してみませんか?」
「!」
母が今まで行ってきた行動の理由は、全て一つに収束する。それは父ユーグリットを愛しているから。それを娘ながらに理解しようと努力してきたつもりだ。伝わるかわからないが言葉に出した。
「イヴちゃん……」
今にも消えそうな声で呼ばれると、私は微笑みながらゆっくりと頷いた。
「……そうね、最後にもう一度だけなら」
「やった!」
「……ふふっ」
思わず喜んでしまったが、母の目には子どもらしい姿として映ったことだろう。無事母の了承を得ると、私は最初の関門を成功させたのだった。
「少し待っててくださいね」
「?」
私は一度部屋の外に出ると、移動式の黒板を押しながら戻ってきた。
「黒板……?」
まさか現れると思わなかった黒板に、母はキョトンとした表情でこちらを見ていた。その顔をチラ見しながら、椅子を移動させて黒板に手を届くようにする。
伝えたいことを一色書いたところで、最初の授業を始めた。
「こほん。いいですかお母様。今日からお母様にとってお父様は推し、となります」
「おし……イヴちゃん。おしって何かしら」
「おしはこう書きます」
「推し……」
この説明はどうすべきかずっと悩んできた。だが、ありのままを伝えるのではなく母にとって惹かれる要素を詰め込んだ内容にしようと試行錯誤してきたのである。
「推しとは。応援するべき唯一の対象のことです!!」
「応援…………応援?」
「はい。応援です。言い方を変えるとですね、尽くすべき相手のことを言います」
「尽くすべき相手」
気に入らないと言われないように、母の今までの傾向から導き出された性質に合うよう言葉を選んでいく。
「無粋なことをお聞きしますが、お母様はお父様のことを愛しておられますか?」
「それはもちろんよ」
「では、お父様の役に何か立ちたいと思うことは?」
「あるわ」
「お父様のことだけを考えて、お父様のことだけを見ることは?」
「それしかしてこなかったわ……」
私はそこで酷く驚いた反応をした。
「お母様……何と言うことでしょうか。もう既に推してらっしゃるではありませんか」
「そ、そうなの?」
「そうですとも! 素晴らしいですよ!」
「そう、なのね……ふふっ」
(あ、やっぱり)
少し持ち上げれば、母はすぐに喜ぶ。
そう、このオフィーリア、驚くほどにチョロいのだ。それは娘の私が心配になるくらい。
(お母様、日本で暮らしていたらすぐに詐欺に合うわ、きっと……)
ははっと内心で笑いを押さえておきなから、私は上手く話を持っていった。
「もったいないです。お母様ならその道を極められます」
「その道……」
「先程推し、という言葉を覚えましたね?」
「えぇ」
「推しのために活動することを、推し活といいます。これすごく重要なので覚えておいください」
「推し活……」
ぼおっとした眼差しに見えるも、その声はハッキリとしたやる気が現れたものだった。
「この推し活という名の新しい愛の形、私と一緒に極めませんか?」
「新しい愛の形……」
熱弁がもしかしたら足りない状況かもしれない。そんな不安を抱きながら、母に問いかけた。すると、少しの間考え込んでしまった。
(まだ足りないかな……)
じっと母を見つめていると、母はこちらをゆっくりと見つめた。
「それを極めたら……ユーグリット様は振り向いてくださるかしら?」
「!!」
その一言に、今度は私が驚く番だった。
(どんなに無視されても、蔑ろにされても……お母様はお父様が本当に好きなのね)
母の苦しそうな想いを私は力強く受け止めた。そして、覚悟を決めて頷いた。
「……もちろんです。必ず振り向かれるかと」
「……!」
揺るぎない眼差しで母を見つめれば、瞳の中に光が宿った気がした。
「それなら極めてみたいわ。推してみることを」
その答えに、私はこれ以上ない喜びの笑顔を浮かべるのだった。
(良かった。私の声が届いた……!)
こうして私とお母様による、「推す」という愛の形を身につける旅が始まったのであった。
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