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真夜中の暗殺者

 夜中、俺は寝苦しさを感じて目を覚ました。

 とは言っても以前のようにアンナやエリに挟まれてのものではない。俺は王宮入りしてから一人で寝る生活が続いていたからだ。

 なんとも表現しにくい嫌な感じがする。

 気配。

 そう、それは気配だった。

 この部屋に誰かいる。

 王宮内でも自室として用意されたこの部屋は、アンナの部屋ほどではないがとてつもない贅沢な広さがあった。


「ん……」


 発光符を壁に貼ろうと術符の入った上着を探して、目をこすりながらベッド横の台をまさぐる。

 バルコニーのカーテンの隙間から差し込む月明りに照らされて、ベッド脇に立つ人影を浮かび上がらせた。

 悲鳴を上げなかった自分を褒めてやりたい。

 いや、あまりに驚きすぎて声すら出なかったのだ。

 真っ暗な部屋に現れる人影。

 怖すぎる!

 暗くてよくわからないが、どうやら体をすっぽりと覆うローブを羽織っているようだ。

 そして目だけが月の光を反射している。


「リズミナか?」

「っ――!」


 人影が身じろぎしたのがわかった。

 闇の中に、人影の目の他にもうひとつ光が現れる。

 それは刃物。

 人影が取り出した刃物が光を反射している――。

 人影が動く。俺へと飛び掛かってくる。

 俺はその腕を軽く掴んだ。

 この距離まで来ればわかる。こいつはリズミナだ。


「一人で寝るのが寂しくなったのか? それならそうと言ってくれれば……ああ、でもアンナもいっしょじゃないとまずいよな。あいつも一人寝にはだいぶゴネていたしな。せっかく筆頭政務官になったんだから、そろそろあいつの頼みも聞いてやらないとな」


 職権乱用もいいところだが、いっしょに寝ようと言えばアンナは喜ぶだろう。


「は、な……せ……」


 声はやっぱりリズミナのもの。

 はっきりと襲い掛かられながらも俺は軽口を止めない。


「そういやこの建物にも天井裏があるのかな? お前はどこで寝ていたんだ?」


 右手でリズミナの腕を掴みつつ、左手がようやく発光符を掴み取った。

 ベッドの背に貼ると一気に部屋が明るくなる。

 俺にナイフを突き立てようと必死にもがくリズミナの姿が浮かび上がった。


「よう」

「なんで……」


 リズミナは苦しくてたまらない、という顔をしていた。

 なにかを必死にこらえているような、そんな顔。

 しかしそれは掴まれている腕が痛いとかそういうことではないはずだ。

 抵抗は無駄だと悟ったのか、リズミナの手から力が抜ける。

 俺は慎重にナイフを奪った。


「お前が本気で殺す気じゃないことくらい、すぐにわかったよ」

「違う! 私はお前を殺そうと……本気だった!」


 まるで俺をベッドの上に押し倒すような格好で、リズミナは叫んだ。

 リズミナの本当の殺気は以前一度経験していた。今回はあのときのような全身が粟立つような感覚がなかった。


「じゃあなぜ泣いているんだ?」

「泣いてなどっ――!」


 リズミナはつらそうに顔を歪めながら――泣いていた。

 俺はリズミナの顔を覆うフードをゆっくりと上げる。


「あっ……」


 現れたのは短いツインテールの可愛らしい少女。

 俺はナイフをベッドの脇にどけて、リズミナの背中をやさしく叩いた。


「なんで……」


 ポタポタと落ちる涙が俺のシャツに染みを作る。


「ん?」

「なんで、聞かないんですか?」

「お前が苦しんでいるのは顔を見ればわかる。俺に相談できない話なら、せめて落ち着くまで待ってるよ」

「やっぱりあなたはそういう人……。どこまでもやさしくて……そして……」


 リズミナは泣きながら笑った。寂しそうな笑顔。


「なっ!?」


 リズミナの手に光る物。

 俺が今どけたばかりのナイフをリズミナは手にしていた。

 気付いたときにはその切っ先の向きを素早く変えて、リズミナはまっすぐに自分の胸に突き入れる。


「ばか……やろう……」


 なんとか間に合った。

 刃がリズミナの胸に吸い込まれる寸前で、掴むことに成功した。

 でも……痛ぇ。

 無我夢中で手を出したから、もろにナイフの刀身を掴むことになってしまった。


「あ……あ……」


 信じられない物を見るような目で、リズミナは茫然と言葉にならない声を上げる。

 自殺をしようとしていた。

 俺が馬鹿だった。

 なぜ俺の目の前で命を断とうとしたのか。その理由に思い至ったからだ。


「俺を殺すことに失敗して、返り討ちにされる必要があった。そういうことか……」

「う……うう……」


 ぼろぼろと涙を流すリズミナ。

 迷子の子供のような顔で、俺を見つめながら泣いていた。すべての意地を捨てて、助けてと懇願している。そんな目だ。


「お前にはどうしてもできなかった。俺に殺されることを望むくらいに追い詰められていた。お前をそこまで追い詰めたのは……軍なんだろ? キリアヒーストルの」

「ううう……あああぁぁーーー!!」


 俺の胸に顔を押し付けて泣きじゃくるリズミナ。


「暗殺の本当のターゲットはアンナ、だな」


 びくりと体を震わせるリズミナ。

 その小さな反応で俺は自分の推測が正しいことを知った。

 イリシュアールに内乱を起こそうとしたのはキリアヒーストル。そして内乱に決着がついた今最も重要な人物であるアンナを暗殺すれば、イリシュアールは壊滅的なまでに混乱するだろう。政治の中枢が筆頭政務官である俺に移った今でも、アンナの象徴的な意味合いは大きい。

 いや、もしかすると軍がアンナ暗殺を命じたときには、まだ選挙が行われる前だった可能性もある。

 それでももし暗殺が行われていれば、キリアヒーストルはいともたやすくイリシュアールを侵略することが可能になるはずだ。

 俺たちがリズミナに対して無警戒なのをキリアヒーストル軍は知っている。だから彼女にこんな任務を与えたのだ。

 相手がアンナならばリズミナは簡単に暗殺することができただろう。

 しかしこの心優しき暗殺者は、どうしてもアンナを殺すことができなかった。

 だから俺の下に来たのだ。

 せめて任務を遂行しようとして殺された体裁にしたいと。


「俺がなんとかする。絶対にお前を死なせたりしない」

「……無理……です」

「無理じゃない。もうお前は軍の所属じゃない」

「えっ?」

「俺が正式にお前を部下にする。ヘッドハンティングってやつだ。お前は俺だけの忍者になれ」


 顔を上げたリズミナの目は揺れていた。期待しているのだ。


「でも……」

「わかってる。お前がこうまでしないといけないのは、人質でも取られているからなんだろ?」


 そう。

 おそらくリズミナが裏切ればキリアヒーストル軍は人質を殺すのだろう。

 だからリズミナは任務に失敗して俺に殺されたという体裁にこだわったのだ。

 人質に責めを負わせたくない。そしてアンナも殺したくない。

 板挟みになったリズミナが選ぶ選択肢はこれしかなかったのだ。


「妹……です。私が裏切ればリリアナが死ぬことになっているんです。でも、ならなおさら無理だって分かるでしょう? 私が……私が死ぬしかないんです」

「俺を信じろ」


 リズミナは答えない。

 まだ迷っているのだ。

 その頼りなさげに揺れる瞳を、俺はまっすぐに見つめ続けた。

 やがて根負けしたようにリズミナは目を伏せて、俺にしがみつくように体を寄せてきた。


「……はい」

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