第一話
──────気がついたら、赤ん坊だった。
そんなテンプレ転生を果たしていた俺は、思わずベッドの上で頭を抱えていた。
「……あうあう、だうだぁだうだう」
まず、俺自身の『前世』のこと。
名前は████。職業は学者。享年は……確か、35とかか。修めていた分野・学問は……まあ、正直器用貧乏だったからな。殆ど手当り次第で医学、科学、物理学、哲学、生物学、工学に天文学とか色々手を出してた。新しい昆虫とか星見つけるなり何かしらで歴史に名を残したいと思って色々頑張ったが、まあどれも実を結ぶことなく終わったわけだ。何事も極められず中途半端な俺にはピッタリの中途半端な結末だ。
では、今度は『現世』の俺のことだ。……と言っても、何も分からない。だって明確に自我を認識したのはついさっきのことだ。思い出そうとしても、この世界についての記憶は何も出てこない。……赤ん坊だからアレだが、もしかしたら本来存在したこの子の意識・人格を俺が塗りつぶしてしまったのだろうか。もしそうならちょっと罪悪感を覚えるな。せっかく物心ついたんだし……いや、これ物心って言うのか?
……まあいい。俺のことに関しては全く分からないので、俺の周囲の環境を見てみるとしよう。俺の身につけている服は……見たことない模様だな。民俗学と宗教学も齧ってたが、こんな模様を使う文化圏は心当たりがない。まるで、文明そのものが違う感じだ。だが、服の形などを見る限り幼児用……いや、もっと幼い乳児用のお包みの類か。前世の友達が結婚して子供が生まれた時に見たことがある。
次に、ベッド……というよりは部屋全般だな。肌触りの良い布に包まれて満足に動けないながらも、首を動かして部屋を見回す。この身体の首が既にすわってて良かったよ。下手したら首が死ぬところだった。いやマジで肌触りいいぞコレ。絹か?
で、その部屋だが。文化レベルは……歴史学から見て、中世のヨーロッパに相当するな。壁には金色の額縁に嵌った絵画がかけられているし、調度品も……まあ、鑑定士じゃないし目利きとかは難しいし、その上推定ベビーベッドの上から見てるからなんとも言えんが結構値の張りそうな代物ばかりだ。適当に一つ専門の鑑定士に持ち込んだら少なく見積っても数百万の値はつくだろうな。窓も丁寧な細工がされているし、射し込む陽光が俺とベッドを明るく照らしている。……ちょっと眩しいが。
「……」
マジでどうしよう。情報が全然得られない。人間が恐れるべきものは未知だ。未知を既知にするためには情報が必要だが、その情報そのものがこの部屋の中で終始している。これでは分かるものも分からないぞ。
「……だう」
そう呟いて、俺は目の端に映った赤を見る。……正確には、視界の上端。赤い糸のようなもの……髪の毛だ。俗に赤毛と呼ばれる髪は北、もしくは北西ヨーロッパ系の祖先を持つ人間の数パーセントが持つ。MC1Rタンパク質の変異種を生み出す16番染色体の劣勢対立遺伝子が原因とされているんだが……多分、これは違う。
そもそも赤毛の色素は、髪の毛やホクロの色素であるメラニンの中でも赤みを帯びた色素、フェオメラニンが多く本来の黒い色素、ユーメラニンが少ないことで発生するために、赤毛を持つ人間は紫外線に弱い傾向がある。メカニズムまでは理解していなくとも、『赤毛は肌が弱い』というのを理解していれば赤ん坊を日光が入り込む窓際で寝かせるなんてことはしないだろう。
……仮にしていれば、それは親などの保護者に相当する人物がそれを知らないか、子供がどうなっても興味が無い外道かだ。そしてこの部屋の調度品の質から考えるに、この家の人間はかなり格の高い家柄だ。そんな家柄の人間であれば相応の勉強はしているだろうから『赤毛は肌が弱い』という傾向の推測や分析が出来ないというのは考えづらい。また、子供に興味が無いと仮定した場合。万が一子供が事故であろうと放置によって死ねば、それは多くの醜聞を招く。それを考えると、『俺が俺の知る赤毛であった場合、この環境で窓際に寝かされる』ということはまず有り得ないのだ。
しかも、色調も大きく異なる。一般的に赤毛と言われているのは銅色、赤褐色、赤橙色、ストロベリーブロンドのような『赤っぽい色』だ。要は髪に含まれるフェオメラニンとユーメラニンの配合の問題だからな。しかもそのフェオメラニンも赤みを帯びた色素である以上、髪がここまで綺麗な真紅になることは少なくとも俺の知る生物学の範疇では理論上不可能だ。
「……だぁ?」
思考を巡らせていると、微かに足音が聞こえてきた。扉の方へと目を向けると、金色のドアノブが回り扉が開けられる。……次の瞬間、俺は目を見開いた。
「……あら、お坊ちゃま。お目覚めでしたか」
扉が開けられた先。そこに居たのは、クラシカルタイプのメイド服を着た耳の長い女性だった。
「……だ、だあ!だああ!」
ファンタジー小説に出て来るエルフのような尖り、横に伸びた耳介。……いや、すっげえ立ってんね。側頭部との角度は30°は余裕で越えているだろう。医学的には『立ち耳』と呼ばれる代物だ。日本じゃ『良く聞こえる耳』なんて言われてるが、ヨーロッパでは『悪魔の耳』と呼ばれ、耳を寝かせる整形手術なんてものが行われるほどだ。……いや待て。ファンタジー小説に出て来るエルフ?
「(……もしかして。いやまさか)」
脳裏に過ぎった可能性。余りにも非現実的なのに、転生という非現実的体験をしているからこそ否定出来ない意見。外れであって欲しいという俺の希望を他所に、メイド服を来た女性は俺を抱き上げると。
「……お腹を空かせているようですね。『転移』『浮遊』」
そう呟いた。すると、虚空に一見哺乳瓶のような形と材質をしている白い液体の入った容器が出現。そのまま滞空し続ける。あ、ガラスとゴムの加工技術とかもあるんだ。そんなことを呑気に考えてしまった俺を他所に、その暫定哺乳瓶は独りでに動き出し抱き上げられた俺の口元へ。そして口内に流れ込む推定牛乳……うん、牛乳だ。めっちゃ牛乳だ。俺前世から牛乳嫌いなんだけどなぁ……ま、文句は言えないか。いやまあそれはそうとしてだよ。哺乳瓶浮いてたしなんか空中で動いたぞ。そして、女性の呟いた何か。それを考えるに、俺の外れて欲しかった予想はどうやら当たってしまったようだ。
──────どうやら俺は、ファンタジー世界に異世界転生してしまったようだった。
よろしくお願いします。